灰星のフィーネ   作:日向ヒノデ

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第1話 包帯の少女 上

 ……リリ! ジリリリ!!

 目覚まし時計が枕元でけたましくベルを鳴らす。

 朝七時、目を覚ますにはちょうどよい頃合いだ。

 

「うる、さいな……」

 叩きつけるようにしてアラームを止めて、再び瞼を閉じる。

 目を覚ますよりも惰眠を貪るほうが快楽的だから、幸福とは二度寝を味わう最中にこそ存在する……なんて、下らないことを考える。

 

「──起きて、(ひかる)! 起きなさいって、バカ兄貴!」

 だから、妹が起こしにきても狸寝入りを決め込むのだ。バカ、なんて呼ばれても大人に受け流すのが兄というもので──

「ふーん、可愛い妹の呼びかけで起きないんだ。じゃあ、こっちも相応の手段で訴えかけるわ──ふんッ!」

 ぶぉん、と俺の体ごと掛け布団が中空に舞う。一瞬の無重力、数瞬と経たずに床に叩きつけられる我が身体。

 

「ってぇ! なにするんだこのバカ!」

「何言ってんのよ、バカ兄貴。これ、通算一〇度目のやり取りよ。過去を学ばないあたり、バカは光の方よ、バカ兄貴」

「……ちぇ、起きるよ起きる」

 それで良いのよ、とでも言うかのように妹は一瞥もせずに部屋を出ていった。

 今の可愛げのまるでない少女が我が妹、(あかり)である。成績優秀、スポーツは苦手だがパワーだけはある。通う小学校の中では一番の美人ちゃんで、告白された回数は20や30を優に超すそうだ。

 つまりはまっこと可愛くないヤツである。まっこと可愛くなくて、憎まれ口を叩く冷徹少女、いったい誰がこんな女の子に育てたのか……兄は悲しい。

 

「っ痛た……。はぁ、明日は大人しく起きるか……」

 ベッドから叩き出された俺は腰を擦りながら、しぶしぶ制服に着替える。紅葉ヶ丘(もみじがおか)中学校の黒一色のブレザー、濃いグレーのチェック模様のズボン、紺色のネクタイを締めればうつらうつらな夢心地からシャキッとした気分に切り替わる。制服を着たら目が覚める、それは去年の春に初めて制服に袖を通した日に学んだことだった。

 

 ……着替え終えた俺は二階の自室から一階のダイニングに降りていく。

 テーブルを見れば朝食(作ったのは灯だ。我が家の中で母さんの次に料理が上手い)が並べられており、俺の席の向かいにはちょこんと灯が座っている。

「早く座って。ご飯が食べられないでしょ」

「悪い悪い。今日もご飯、ありがとな──それじゃ、いただきます」

「別に、好きでしていることだから。……いただきます」

 2人、向かい合ってご飯を食べ始める。

 食卓に並ぶのはトースト、味噌汁、目玉焼き、そしてサラダ。どれも丁寧に作られていて、そこらの食堂なんかよりずっと美味しく作られている。どうしてそんなに美味しいのか、気まぐれに訊いたことがあったが……灯はそっぽを向いて全然応えてくれないこともあった。……不思議だ。

 今朝のニュースを見るためにテレビをつける。報道されるのは大抵どうでもいい情報ばかりだが、そうとも言っていられないのが現代日本というものだ。

 

『昨夜、東京湾に現れた怪獣ムシュマッヘはマルドゥーク日本支部が有するオーバースーツ“セリオン・ソル”によって撃破されました。ムシュマッヘによる被害は確認されていない、とのことです』

 ニュースキャスターが淡々と資料を読み上げていく。……内容は、この2,30年の間に急増した怪獣被害についてのものだ。

 ムシュマッヘ、というのは竜のような姿をした怪獣のことだ。怪獣の中でも最も危険な存在であり、種類によるが海や地中、空や山から突然現れて炎や吹雪なんかを吐き出したりしながら人間のみを対象に襲いかかる極めて危険な、人類の敵の1つだ。

 

 マルドゥークはそういった怪獣たちの被害を防ぐべく発足された国際組織だ。国際防衛組織マルドゥーク……20年前から活動しているその組織は人型兵器“オーバースーツ”を主要に用いて怪獣を打倒すべく活動している人類の味方。非公開の情報が多いせいで陰謀論の格好の的になっているが、しかし彼らの活躍のお陰で被害を抑えられているというのも事実だ。

 そして、俺と灯の両親が仕事している職場でもある。詳しいことは機密情報だとかで内緒にされているが、数字やディスプレイとにらめっこしたり上司や現場の人と殴り合ったり笑い合ったりしているそうだ。おかげで俺のマルドゥークのイメージとはハジけた奇人変人の魔窟といったものだ。ロクでもない。

 

「今日も、パパとママは家にいないね」

 食事が終わる間際、不意に灯が言葉を漏らす。

「そうだな。ニュースでもムシュマが暴れたとか言っていたし、その処理にかかりきりなんだろ。……しょうがないさ」

「しょうがない、か」

 そう言って、灯は寂しそうに顔を伏せる。

 怪獣の発生率は地域によって異なるが、日本では年に50回近くある。単純計算で週に1回だ。おかげで父さんと母さんは中々帰ってこないし、帰ってきても片方だけってのも珍しくない。俺は兎も角として、まだ小学4年生の灯からしてみれば寂しくてたまらないのだろう。俺としても、あの2人には灯のためにももう少し帰ってきても良いと思うのだが……。怪獣災害のことを思えば、そうとも言っていられないのが現実で……苦々しいものを覚える。

 

「それじゃ、バカ兄貴。お弁当を忘れないでよね」

「ありがとな。おまえも、学校に遅刻するなよ」

「バカ兄貴こそ、また遅刻してママにバレても知らないから」

 食べ終えた食器を洗うのは俺の仕事だ。最後の食器を濯いでカゴに置いた頃、学校の身支度を始めた灯が弁当袋の位置を指で示す。いつもと同じ様に、食卓の隅に可愛らしい弁当袋がちょこんと乗っている。俺の趣味ではないデザインだが、作ってもらっている以上強く言えなくてこの有様である。

 

「行ってきます」

「いってらっしゃーい、気をつけてねー!」

 弁当袋を片手に通学バックを背負って妹の声を受けながら家を後にする。

 立派な一戸建て、いわゆるマイホーム。妹と2人で過ごすには広すぎるこの家は、両親の大きな収入のおかげである。小学生の頃は友達にこの大きな家を自慢するのが密かな楽しみだったものだ。

 

「あの頃は、まだ両親もよく帰ってきてたんだけどな……」

 ぽつりと、言葉を零す。両親がぱったりと帰ってこなくなったのはここ5年くらいのことだ。

 ──5年。それはまだ10年も生きていない灯にとっては大きすぎる年月で……まだ13年と少ししか生きていない俺にとっても大きな数字だ。灯が居なければ俺はきっと随分と荒れていたに違いない。

 

 そんなことを考えながら俺は通学路を歩いていく。ここ秋花(あきはな)市は自然と文明の共存……なんて謳い文句で開発が進む都市だ。山に沿う形で家や学校があって、海の上にぷかぷかと水族館とソーラーパネルが浮かぶ、というどこか間違った共存の仕方だが緑の多いこの町の景観は気に入っている。ちなみに、俺の家は山の方にあり、通学路から町や海を眺めることができたりする。

 駅のあたり、再開発が進む区域。重機に混じって人型のロボットが鉄骨を運んだり、土砂の運搬をしている。あれも人型兵器“オーバースーツ”の一つだ。

 オーバースーツ、それはパワードスーツの発展形であり“人”の機能を簡単に数メートル大に拡張できる兵器である。”オーバースーツ”の汎用性は極めて高く、ビルが並ぶ大都市、戦車では通れない険しい山嶺、そして災害救助の場面と様々な場面で運用されている。ああいう小型のものであれば2,3ヶ月程度で免許は所得できるため、民間の間でも工事現場や中には遊園地のマスコットとして活躍している。

 

 そんな見慣れた通学路の風景を眺めながら学校に向かっていると、

「────すいた」

「うん?」

 声が聞こえた。消え入りそうなほど儚い、女の子の声。

 不思議と気になるから、周囲を見渡すと……、

「おなか、すいた」

 少女が、倒れていた。

 公園、近隣住民の間ではバナナ公園と呼ばれる三叉に分かれた大滑り台が魅力の公園の隅。

 人目のつきにくい大木の根本に、その少女はいた。

 

「………………は」

 口から息が漏れて、ようやく自分が呼吸を忘れていることに気がついた。まるで、思考に大きな穴が空いたかのようだった。

 

 ──少女は、奇妙であった。

 

 年齢は僕と同じか少し下、灰髪蒼眼なんていう日本じゃまず見ないような風貌、この時期にはまだ寒いノースリーブの薄い青色のロリータを着て、そしてなにより首から下の全身に純白の包帯をきつく巻いていた。

 本当に、異様な姿だ。ほんの僅かにも肌を見せないほど、きつく、きつく包帯を巻いて……唯一肌を見せている頭部が生首に錯覚してしまうほどだ。

 

「君は、いったい……?」

「じー……」

 包帯少女はこちらをじぃ、と見つめてくる。

 視線の先は……ファンシーな柄の弁当袋、で……。

 

「って、弁当はあげないぞ! 灯が作ってくれた今日の昼ごはんなんだからな……!」

「……じー」

 ぐぅ、と大きな腹の虫を鳴らす少女。もしかしてここでご飯をあげないことは酷い非道なのではと思わせる、潤んだ瞳。

「そんなに見つめないでくれよ……わかったから、おにぎりをあげるから」

「ありがとう。優しい人、ね」

 アルミホイルに包まれたおにぎり(具材は鮭)を手渡すと、少女はお礼を返す。

 

 少女はパクパクと、見ているこっちのお腹が空いてしまうような見事な食べっぷりでおにぎりを食べていく。白い指先と、仄かに赤い唇……頬の色は全身の包帯と同じ白、だけど病的な白ではなく雪のような……儚さを覚える白色だった。

「……どうしたの?」

「い、いや別に……君の名前を知らないからなんて呼べば良いのか分からないから……」

「……わたしは、フィーネ。フィーネ・グレイソリスよ」

 あなたは? と、少女……フィーネは問い返す。

「俺……俺は光。釘塚光」

「くぎづか、ひかる……ひかる。わかった」

 蒼い瞳で、フィーネはこちらをまじまじと見る。

 ──その瞳はまるで、空のようだと思った。曇り空の切れ間に見える、澄み切った蒼空。

 

「──あー! ヒカルくん、また女の子を誑かしてるー!」

 不意に、公園の外から聞き慣れた女の子の声が自転車のブレーキ音に混じりながら聞こえた。明るい、優しい声音。冗談混じりのからかい文句に俺は思わず苦笑してしまう。

「誑かしてるって……そんな人聞きの悪いことを言うなよ、優河(ゆうか)

 自転車から降りて、こちらに手をふる女子中学生。同級生で、幼馴染の凪浦(なぎうら)優河(ゆうか)が笑顔でこちらに駆け寄ってくる。

「でも、事実じゃん。こないだだって、新入生の女の子と一緒に学内デートしていたんでしょ?」

「してない。そもそもアレは新入生が迷子になってだな……」

 それは4月の頃の話だ。

 俺と優河が通う紅葉ヶ丘中学校は秋葉市にある2つの小学校から合流する形で生徒を受け入れている。一つの学校につき生徒数は100人前後、つまり全3学年でおよそ600人の生徒が在籍している。少子高齢化の進む日本においては珍しい生徒で飽和寸前の学校で、その生徒数を賄うために校舎はかなりデカイ。構内で迷子になる新入生は春の名物だと、高齢の先生は呟いていた。

 俺が声をかけた女子生徒もそういう手合だ。別に、そこにやましい意味合いは特に無いのだ。

 

「それで、今度は誰を……えっと、全身包帯の重傷人? 痛くないの?」

「どこも、わたしは痛くないよ」

 全身包帯ルックのフィーネを見つけた優河の呟きを、フィーネは遠慮気味に否定する。

「ふぅん……あなた、名前は?」

「フィーネ、よ」

「私は凪浦優河……フィーネ、音楽用語で“終わり”ね。なら重病者なのかしら」

「一応聞くけど、なんの病なんだよ」

「中学二年生あたりが患うヤツかな。──うう、俺の右腕が疼く……みたいな」

 冗談だけどね、と言って優河はフィーネの身体を無遠慮に触り始める。優河の手指がくすぐったいのか、フィーネは小首をかしげながらも顔をニヤけさせている。

「んんー? この感触は……」

「どうした、どこか怪我でもしているのか?」

 胸元を触りながら優河は含んだような言葉を呟く。

「この娘の胸、中々の脅威かも! サラシはやっぱり着痩せするね。……光も触ってみる?」

「誰が触るかこのバカ! フィーネも嫌なら嫌って言えよな……!」

「別にっ、嫌じゃない、よ」

 くすぐったそうに身体を震わせながらフィーネは応える。……純粋すぎる。

 

「……やっぱり、怪我はなさそうね。包帯の下、見てもいい?」

「それは、ダメ。見たら、ゆうかが死んじゃうから」

「そう、ならやめとくね。一応、これでも医者の娘だから怪我人っぽい人は見過ごせないのよねー」

 触診、というものだったのだろうか。いや、それだけでない意味合いが含まれていたような気がするが……。それはさておき、フィーネの身体を触る優河の手付きは慣れたものだったが、なるほど、親が営む診療所(我が家も定期検診やワクチン接種でお世話になっている)をよく出入りして両親の仕事を見て学んでいたのか。

 

「心配、してくれたの? ゆうかは」

「うん? まあ、そうねー。こんなに包帯を巻いた人間なんて、全身やけどかトラックに轢かれたりでもしないと、そうそう見ることもないし……どこかの病院から抜け出してたりしていたら一大事でしょ。まあ、病衣じゃなくて上等な洋服を着ているあたりそういう訳じゃない、というのは予想していたけどね」

 そう言って、くすりと優河は笑顔を浮かべる。

 フィーネの笑顔が曇り空の切れ間に見える蒼空だとすれば、優河の笑顔は凪いだ水面に映る朝日だろうか。じんと心を落ち着かせてくれるような、優しい表情だ。

 

「それで……もうすぐ学校が始まっちゃうよ。この娘、フィーネちゃんは学校の生徒じゃないんでしょ? 知り合いの子どもだったりするの?」

「では、ないな。ついさっき空腹で倒れているところを見かけて、助けてあげただけだ。フィーネ、君の家の場所は分かるか?」

「ううん。わたしに家はないよ」

「え、えっと……じゃあお父さんとお母さんはいるかな?」

「いないよ。わたしは、一人。この世界で独りだけなの」

 その言葉に、俺と優河は静止した。お互いの知り合いでないのであれば、旅行客か何かで迷子になっただけなのだろうと……そう考えていたからだ。

 

「それは、えっと……孤児、ってこと? 保護者もいないの?」

「うん、いないよ。だって、わたしは()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()

「守る、ため?」

 うん、と不可思議な言葉を、動揺する俺たちを無視してフィーネは続ける。

「わたしが居た世界は、終わりの世界。この星が灰色に荒廃した棺の未来なの。数少ない人類は、棺の中で静かに眠るハズだったの。だけど一人、その結末を認めなかった人がいたの」

「待ってくれ、君は……何を言っているんだ!?」

「──ムクロ、そう名乗る少女は世界(うんめい)を根本から壊滅させるために過去へと跳躍したの。わたしは、それを防ぐために……お父さまの手でこの時代に送り出されたの」

 灰色の少女は真剣な声音で、荒唐無稽な言葉を羅列する。

 意味が分からない。終わり? 棺の未来? ムクロ? 運命……意味が分からな過ぎて混乱する。フィーネは心から真実であると断言するから、なおさら困惑は深まっていく。

 

「それで……えっと、フィーネちゃん。あなたは未来人で、過去を改変しようとする悪者から歴史を守るために、ここに来た……そういう解釈でいいのかな?」

「それで良いよ、ゆうか。……だから、わたしのことは気にしないで、2人は自分の居場所に戻っていいの」

 そう言って、フィーネは立ち上がる。

「わたし、これからこの時代を見て、回るよ。わたしの力を、正しく使ってくれる人を……見つける、ために。……あと、ひかる」

「な、なんだよ」

「ごはん、ありがとう。最初に出会えたのがあなたで、よかった」

 呆然とする俺と優河を置き去りに、笑顔を浮かべながらフィーネは公園を去ろうとする。

 

「ま、待て──」

「──なら、我らがその力を使ってあげましょうか。姫君……いや、落陽(らくよう)天寿(てんじゅ)

 呼び止めようと声を出した瞬間、ヤスリの様に掠れた声が公園に響く。

 ぞくり、と背筋が氷になったかのような寒気が全身にはしる。

 吐き気を催すほど濃密な──血の、臭い。あまりにも濃すぎて、自分が今立っている場所が屍山血河の最中かと錯覚してしまうほど、濃ゆい死の気配を纏って、騎士の鎧を着た赤い男が立っていた。

 

「な、なんなのアレ……」

 優河がガタガタと震えてへたり込む。恐怖のあまり呼吸ができていないのか、顔がみるみる青くなっていく。

「……大丈夫、俺が優河を守るから」

 格好付かない震えた声を出しながら、俺は優河を支えるように彼女の冷たい手を握る。

 俺の熱が伝わったのか、優河の息は僅かではあるが、ゆっくりと再開されていく。

 

「そう怯えるな、若き人ども。ワタシの目的は落陽天寿……そこなフィーネ様に他ならないのですから」

「去って、鮮血(せんけつ)兵器(へいき)。ここに、あなたが殺すべき人間はいないよ」

「故国を見殺した姫君が偉そうに……おっと、失礼。ワタシはただただアナタ様と話がしたいだけなのです」

 鮮血兵器──そうフィーネは赤い男を呼び、男はフィーネを落陽天寿と呼ぶ。

 ……確かに、男の方はそう呼ぶに相応しい風貌だ。銀の鎧、赤いマント、腰に佩いた立派な剣。しかし、そのどれもが返り血を浴びて緋色に錆びつき、右腕に絡んだ茨は血を滴らせている。そしてなにより、割れた兜から見える双眸は赤々と血走っている。今直ぐ誰かを殺したくてたまらないと、言うように。

 しかし、なぜ男はフィーネを落陽天寿となど呼ぶのだろうか、一度口走った姫君という言葉も、故郷を見殺したという言葉も……。

 もしや、この男が件のムクロなる人物なのだろうか。

 

「……話? そんなもの、あなたたちにあると言うの」

「言葉の1つくらいなら我らにもありますぞ。内容は簡単です……我らの塔主はあなたの力を所望しており、我らが塔にまで同行願いたいのです。星の閉幕を手繰る”終焉”の力は数あれど、あなたのその純粋にして無慈悲な”力”は別格だ。この生に満ちた世界を滅ぼすにはうってつけ、塔主が望むのも当然ですな。さて……如何ですかな?」

 醜悪な冷笑を浮かべて、鮮血兵器は言葉を紡ぐ。勝手な物言い、人の神経を逆撫でるような言葉遣い。

 フィーネはそんなものを意に介さないと言わんばかりに、忽然と鮮血兵器を見据える。

 

「お断りよ。わたしの力は、そんなことのために使わせない。世界を守るために、正しく使うって決めているの。だから帰りなさい、鮮血兵器。この答えは、その塔主……ムクロも分かりきっているこよ」

「……故のその自縄自縛の封印ですか。どうして先の争いでアナタが現れなかったのか疑問でしたが……なるほど、親の愛とは良く言ったものか。息苦しかろうに、健気なことですな」

 フィーネはさっきまでの儚げな様子がウソみたいに、凛と気丈に赤い男に対して拒絶の意を示す。

 

 ──不意に、あの濃密な鮮血の臭いが和らいでいることに気づく。

 優河の顔色も少し回復してきている。

 殺気。そう、あの臭いは鮮血兵器が周囲を威圧するために発していたものであり、俺たちはそれに巻き込まれただけのことだった。

 今は違う、フィーネが俺たちを庇うように鮮血兵器と対峙している。鮮血兵器もまた、フィーネのみを見据えて……俺たちを認識すらしていない。

 

 つまり、そう。俺たちは守られているんだ、あの儚い少女に。

 その事実に、胸の中身が沸騰したかのような激情に駆られそうになる。ただ、何もできずに優河の手を握るだけで、何もきちんと守れていないということに。

 奥歯を噛み締めて、小さく息を吸う。この怒りを、大きくするために。

 

「っ……おまえはっ、誰だ!!」

「ひかるっ」

 優河が悲鳴混じりに俺を呼ぶ。そして、その男はこちらを見た。

「ン……怖くて堪らないのに、声を出してわざわざ注目されるとは……蛮勇にも程がありますな」

 血走った眼球、そこに俺は写っていない。しかし、その眼差しは刀のような鋭利さを伴って俺に襲いかかる。

 認識とはこんなにも暴力的だとは思わなかった。ぼんやりしていたら気絶しかねない一瞥だが、俺は耐える。腕に抱える熱を守るために、歯を食いしばって睨み返す。

 

「……ほう。耐えますか」

「……だからなんだよ。さっさと言えよ、おまえの名前を! 鮮血兵器なんてモンが本名ってわけじゃないんだろ!?」

「犬のように噛みつくか! 面白い、良いでしょう……ワタシの()をキサマに教えよう!──鮮血兵器のヴラド・スカーレッド。終局四重奏(ドゥームズ・カルテット)が第1の刻使(こくし)である」

「そうかよ……俺は、光だ。釘塚光……! わかったら、さっさと帰れ! 俺たちに関わるな! そしてフィーネの前から立ち去れよ!」

 心臓がバクバクと鳴る。寿命の縮むような恐怖が毎秒単位で心臓に突き刺さる。

 ……構うもんか。ここで竦んだら、たぶん一生恐怖に怯えて生きることになる。それに比べれば、この程度の怯えは飲み干せばいいだけだ。

 

「ヒカルか……良き名だ。それこそ──我が剣の錆になるには惜しいほどにッ!!」

「──っ」

 轟──と、突如大地が爆発した。

 それは、踏み込みだった。大地がひび割れめくり上がるほどの脚力で踏み抜き爆発的な加速をして鮮血兵器……ヴラドは俺に向かって突貫してくる。

 疾走する彼は腰に佩いた鞘から錆ついた剣を引き抜き──俺を殺すだろう。

 咄嗟に、抱えている優河を突き飛ばす──俺に、俺のわがままに、巻き込まれないよう。

 

「──させ、ないッ!」

 

 フィーネの声。視界が白に包まれ、そしてその白は瞬時に振り抜かれた剣を雁字搦めに結び止める。

 見れば、フィーネが右腕を突き出して、解かれた包帯がヴラドの剣を食い止めていた。フィーネは俺たちの無事を見て、安堵したのか小さく息を吐く。

「なにすんのよ。 ……この、ばか」

「ごめん……」

 優河も無事だった。非難するような視線をこちらに向けている。

 

「流石は、落陽天寿……自己封印した上でワタシの剣を殺しますか」

「やめて。そんな鈍らを何度振るっても……意味はないよ」

 ボロボロと包帯に包まれた剣は朽ちて崩れ去っていく。ヴラドはさして焦る様子もなく、何が面白いのか醜悪な笑顔を浮かべている。

「だが、自縄自縛に雁字搦めのアナタ如きにワタシの終わり()は止められないっ」

 そしてヴラドは、右腕の茨を──優河に打ち込んだ(・・・・・・・・)

 

「優河ッ!」

「なに、これ──ひかる、ったす」

 

 茨がずるりと流れ込み、優河の全身に赫赫とした茨のような文様が浮かぶ。

 ビクンと優河の身体が跳ね上がり、フィーネが伸ばした白い包帯を弾き返す。

 何が、何かが起きている、俺の……せいで?

 

「“築きあがるは敗者の山嶺、血泪に嘲笑いし無双の剣”──存在改竄。油断大敵ですぞ、姫。そして……ヒカル」

「やめて! ゆうかを創り変えないで──」

 優河から異様な熱が発せられる。まるで、製鉄に使われる巨大な炉を思わせる灼熱の炎だ。

 優河の輪郭が溶けていき、優河は身悶え、身を捩らせる。

 殺されるよりも恐ろしいことが起きている、そう俺は理解させられる。

 

「そのような甘さで世界を守れると、ましてや滅ぼせると思いなさるな! 世界を救いたくば、その娘を救ってから宣うがいい! 落陽天寿……否、亡国の王女フィーネよ! あなたに決意があるとすれば、ですがね!」

 フィーネは包帯を振るってヴラドを捕らえようとするが、それより疾くヴラドは全身を血液のような姿に溶けて地中に潜り込み姿を消す。空振った包帯はしゅるしゅるとフィーネの右腕に巻き付き戻る。

 

「いたい、いたいよ……ひかる。わたしが、わたしでなく……なる」

「っ、優河! 優河はここにいる、俺の目の前にいる! 俺が守るから、助けるから!」

 熱なんて構わない、俺が焼けようと、優河の姿がどうなったって関係ない。だから──

 

 ──ザシュ!

 

「──あ」

 

 ──その言葉は続かない。優河が伸ばした右腕が赫赫とした熱によって鋭利な刃物……メスに鍛え直され……そして、そのメスは俺の右手を傷つけた。

 血が、流れる。地面に溢れた血液が焼けて、沸騰する。赤い刃は熱くて、痛かった。

 ──だけど、それ以上に。

 

「は、はは……わたし、わたし……は」

 鮮血に絶望する優河の顔が──茨に歪む、鮮血に溺れていくその顔が、あまりにも痛々しくて。

 その顔を見て感じた苦しみの方が、ずっと、ずっと……痛かった。

 

「優河、ゆうか、ゆうかッ──!!」

「ごめんなさい……! ここにいたら、あなたまでっ」

 灰色の少女が俺を抱えて公園から脱出する。白い両腕は強く俺を抱きしめ、空中へと躍り出る。

 それは、正しい判断だ。あのままあそこにいれば、鮮血の炉の熱量に焼き殺されるか、鋳造された殺戮兵器によって踏み潰され、惨殺されるのが確実だったから。

 

 ──そして、赤い天使像が鋳造された。

 

 

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