東京の一角にあるこの小さなボロアパートで、呪術界の御三家である「加茂家」に名を連ねる男の婚外子として俺は産まれた。
婚外子ということは即ち生まれながらにして、
名を、
クソ親父に誑かされ手籠めにされた母は体が弱かったのだろう。女手一つで俺を育ててくれていたが、心労も祟って若くして亡くなった。残された中学生の俺に、母の訃報をどこからともなく聞きつけた加茂家の縁者がやってきて有無を言わさず手切れ金を押し付けてきたのはまだ記憶に新しい。後見人を主張したにも関わらずだ。
つまり、本家としては「加茂家の汚点」を野放しにする気はないが、育てる気もさらさらないのでこのまま東京で一人で暮らすか野垂れ死ね、という意向らしい。
天涯孤独人間、爆誕!
とまあ冗談は置いておいて、あんな冷たい人間たちに付いていくくらいならこの佐藤姓のまま細々とボロアパートで暮らし、天国の母に手を合わせていた方が良いだろうと思った。一人でも何とかなるだろう、とも。
しかし。
それからしばらく時が経って現在――俺は唐突に目を覚ましたように――『前世の記憶』が蘇ったのである。
転生というよりは、脳内に存在しないはずの記憶がある、と言った方が正しいか。前世の自分は若くして病で死亡したこと、ここは同じ日本だが前世とは異なる世界だということ……。
そしてここが、「呪術廻戦」の世界だということ。
気づいた瞬間、俺は自分の運命を呪った。
これヤバくね? 何がヤバいって、この世界は登場人物に対する殺意が尋常でなく高い。
死亡フラグが少しでもあったキャラはほとんど死ぬ。死亡フラグが無くても死ぬ。しかも死に方が大抵の場合悲惨なのである。仕事しろ、倫理観。
しかも"佐藤秋墨"という登場人物は記憶にいなかった。つまり、佐藤秋墨は原作において一般人として余生を終えたか、もしくは……。
人生終わったか?
辛うじて、大まかに原作で起こることは知っている。とはいえ今現在が、原作のいつ頃に当たる時代なのかも分からないし皆目見当もつかない。
……どーしよーもできないっすね。
畳にゴロンと寝転がって、見慣れたボロい天井を眺める。
蛍光灯が時折チカチカと、付いたり消えたりする。まるでこの世界での俺の命の線の細さを暗示しているようで、嘆息が抑えられなかった。
諦めるな、考えよう。俺はまだ未成年の子供。年齢は15、高校入学を間近に控えている中学生。
これからの俺がするべきことは……呪術界とは一切距離を置き、原作の展開に巻き込まれないようにする。いのちだいじに。これに尽きるだろうな。
そしてこの"異能"を使って細々とお金を稼ぎ、原作には不介入で、ごく普通の生活を送って天寿を全うすることを目標にしよう。
――俺の生得術式は『金銭等、価値のあるモノを呪力に変換する』。
何故こんな能力が発現したのかは分からない。そもそも本来ならこの術式を俺が持つことは無かったはずである。だから本家に捨てられたのだし……とはいえ原作キャラである加茂憲紀のように本家相伝の赤血操術でも生得しようものなら確実に面倒事に巻き込まれていただろうから、これでよかったとは思う。顔も知らないクソ親父には感謝……感謝か?
金が呪力に変わるのは、元来そういったものには負の感情が付いて回りやすいからだろうか。
ともかく、これは
ちゃぶ台の上に頑張ってよじ登り、術者である俺に拾ってきた100円玉を差し出して、健気に胸を張る小さい式神たちを撫でて微笑む。
この子たちは俺の小銭と呪力を介して作り出した簡易的な紙の式神だ。
見た目は人型を模した簡素な形で、紙でできているためにペラペラ薄い。風が吹けば飛んでいきそうなくらいだ。ただそのお陰で狭い所でも朝飯前で侵入できるから自販機の下に潜り込んだりと、文字通り小銭稼ぎができる。反対に水や火には弱い。紙だから。
今はこれが精一杯。
俺の呪いに対する理解があまりないせいか、この呪力自体をどう活用すればいいかという発想が感覚的に生まれてこない。呪力や呪術について教えてくれる先生がいれば能力をもっと応用できそうなものなのだが。
そして何より、金がない。先立つものがないと俺の術式はどうしようもないんだ。
「あーあ。金、金、金……ん?」
もう一度寝転がり、ふと時計を見る。
「やべっ!」
忘れていた。
今日はスーパーの特売日!!
俺にとってこの特売日は非常に重要な意味を持つ。我が術式には金銭が必要……しかしまだ未成年の身である俺では外で働くことができない。つまり今の俺は呪力を貯めて強くなるために、貯金を切り詰め、節約するしかない。即ちこれは俺の呪力量を増やす修行といってなんら差し支えない行為なのである。
1ペニーの節約は1ペニーの儲け。いざゆかん、決戦の地へ。
うおおおおおおおおお!
時間を迎えると同時、バーゲンセールへ我先に向かっていくおばちゃんたちに負けじと食らいつき、肉・魚・野菜・エトセトラ・エトセトラ……をカゴの中に放り込んでいく。
『ありがとうございましたー』
……ふう。こんなものか。
おば様方と売り場を荒らし終え、鼻歌を歌いながら収穫物を家に持ち帰る俺。沢山買ってしまったが今日使わない分は冷蔵庫に収納すればいい。あとはこれらを使ってひたすら料理したり、作り置きを冷凍していったり、溜まった家事をしたり。
誰に何を言われるでもなく、真面目に学校に通う必要もなければ、これといった用事があるわけでもなく、俺の穏やかな一日はそんな感じでしめやかに終わる。
素晴らしき哉、平和!
さて、今日のお夕飯は何を作ろうかね。
……なんてことを考えながら油を敷いたフライパンを温め始めたとき、唐突にインターホンが鳴った。ピーンポーンという間の抜けた音。
こんな時間に誰だろう、と火を止め首を傾げる前に俺の体はのそのそと動いていた。
魚眼レンズのような覗き穴には
ああそうか、彼女か、彼女……彼女!?
――何やってんだよ、過去の俺ェ!?
「どうしたんだい? やけに顔が強張っているけれど」
震える手で恐る恐るドアを開いて、彼女を
色素の薄い長い髪をポニーテールに束ね、黒いコルセットワンピースのような服に身を包んだ、プロポーション抜群の女性。
一級呪術師、冥冥。
フリーで活動する呪術師であり、金銭のためなら危険な仕事も厭わない守銭奴であり、あの五条悟に強さを認められている程の実力者。
間違いなく
「お夕飯は何かな? 私は
……そんな彼女が何でうちの食卓に着いて、当たり前みたいな顔で寛いでるんだっけ?
**
混濁した記憶を振り払うように頭を振ってから、彼女を視界に収める。
彼女の髪型を見れば、今が原作におけるどの時代なのかは大体分かる。現在の彼女は
――百鬼夜行・渋谷事変等の大規模事件は少なくとも10年後。まだ大丈夫、まだ大丈夫……。
そんな俺の心中も露知らず、彼女は我がボロアパートに訪れて、勝手知ったる他人の家、とばかりに椅子に座って寛ぎ、夕飯が出てくるのを呑気に待っている。
いや本当、なんでこんなことになったんだっけ?
「今日のお夕飯は何かな、佐藤君」
「
とにかく夕飯を作ろう。
俺はリモコンを取ってピッとテレビを付け、チャンネルをニュースに合わせる。食事ができるまでの間はこれでも見て待っていて欲しい。冥冥さんのことだ、日経平均株価やらNASDAQやらの指数推移を見せておけばたまらず食いつくだろう。ほらね。
その隙に俺は食事の準備をするため台所に引っ込む。今日は冥冥さんには悪いが最初から肉じゃがにしようと決めていた。そういう口なのだ。
人に食べさせるからか、野菜を下処理する手にもついつい気合が入る。人参、じゃがいも、玉ねぎの皮を剥き、一口大にカット。冷蔵庫から今日の戦利品である大パックに入った肉を取り出す。
これを沸かせていた鍋にほいほい放り込む。野菜も順次入れて、っと。ちなみにうちの肉じゃがは肉を炒めないタイプ。素朴。手抜きとも言う。後は具が柔らかくなるまで煮て、酒やら調味料やらをぶち込んで味を調えていって……。
できた。うん、見た目は悪くないぞ。
「おお、美味しそうだ」
真後ろから囁くような声。いつの間にかキッチンに立つ俺の背後に忍び寄り、鍋の中を楽しげに覗き込んでいる冥冥さん。
「うわびっくりした……はい、お皿やお箸運んで下さい」
「了解だよ」
いくつかの小鉢と肉じゃがの入った小鍋をテーブルに置いて、ご飯をよそう。いつも通りなら冥冥さんはよく食べるだろうから、少し多めに。俺は普通盛りでいいかな。
配膳を済ませ、彼女と向かい合う形で座る。どちらからともなく手を合わせた。
「「いただきます」」
味の方はどうだろうか。我が家の肉じゃがが彼女のお口に合うのか、少し気になった。というか冥冥さんってそもそも何処出身の人なんだろ? 聞いたこともないし、原作に記載はなかったからよくわからない。まぁいいや、そこは重要ではないから。
「うん、美味しい」
彼女の顔が
「肉骨茶もいいけど、肉じゃがもいいね。肉骨茶もいいけど」
「今度作りますってば……そんなに食べたいなら自分で作ればいいのでは? 冥冥さんも料理できるでしょ?」
「私は料理しないんだ。そういうのは君がやってくれるからね」
「関白宣言やめてください。将来困りますよ」
「その時は君に貰ってもらうから大丈夫さ」
彼女と料理をつつきながら軽口を叩き合う。うん……たまにはいいな、こういうの。今の独り暮らしに不満はないが、やはり母が他界して以来人と会話する機会が失われがちだ。だから彼女のように気軽に会話できる存在は俺にとって非常に有り難かった。
ああ、そうか。そうだった。
「どうしたんだい?」
「あ、いえ。何でもないです。それよりおかわりいります?」
「君は本当に気が利くねえ。頼むよ」
ハッキリと思い出した。
何故俺なんかが彼女と面識があって、尚且つこうして度々家に遊びに来るようになったのか。
――あの日は母の葬式だった。
参列者は極僅か、加茂家の使いを含めても両手で数えられるくらいに慎ましい式の後、俺は母を失くしたショックでトボトボと帰路についていた。そんな時だ、彼女を見つけたのは。
彼女は薄暗い路地裏にいた。怪我をしているのか片腕を押さえ、息も絶え絶えに地に膝をつけて。動こうにも動けない、そんな風で。まるで羽が折れて翔び立てない一羽の烏のようだった。
見知らぬ女性を家に連れ込むなんてどうかしてるが、人の"死"に敏感になっていた俺は居ても立っても居られず彼女を我が家へ担ぎ込んで無理矢理手当てをした。それからというもの、このおかしな関係はこうして途切れ途切れに続くことになったのである。
「さて、そろそろお暇しようかな。この後
食事が終わり、俺達はしばらくテレビを眺めてのんびりしていた。満腹感から少し微睡みかけていた時、彼女は唐突にそう言って立ち上がった。それからニコリと微笑んでこちらに何かを渡してきた。
「はい、これ。今日の分」
「?」
茶封筒だった。分厚くて、受け取るとずっしり重たい。
俺は促されるまま封筒の中を覗き――目を疑う。
「少ないけど、ご飯のお礼だよ。ごちそうさま」
――万札の束。本物。ざっと見積もって五十枚以上。少なくとも中学生如きに渡す金額ではない。
「!? ちょっ、ちょっと待っ……!」
「それじゃあ。また来るね」
呼び止める前に彼女は姿を消してしまった。
俺の手には残された茶封筒。
待てよ、これが、『今日の』分?
えっ……もしかして俺……貢がれてる????