「……さとう、あきすみ? 待って、聞いたことあるかもしれな――」
庵歌姫はそこまで言って一旦言葉を切り、信じられない、とばかりに目を見開いた。食事中にも関わらずガタッと勢い良く立ち上がって、声を張り上げた。
「あ、アンタ、
いや、どの佐藤秋墨ですか?
首を捻るも、彼女は止まらない。
「加茂家の秘蔵っ子で――」
違う、と俺は首を振る。まぁ存在を無かったことにされていたって意味ならそうかもしれないけど。
「次期加茂家当主筆頭で――」
それも違う。違いすぎる。まず俺は加茂家の人間ではない。だからなる理由がないし、当主になんてなれるわけが。
「――特級呪術師認定まで受けた、あの!?」
一体誰なんだそいつは。本当に俺なのか?
彼女が語る荒唐無稽な"佐藤秋墨"とその実態とのあまりの乖離に閉口してしまう。
……まさか、あの加茂家がこういった噂をさも事実らしく広めているのだろうか。
俺がもう後戻りできないように。引いては自家の権威付けの為に。
もし意図的にやっているとしたら非常に悪質だ。あまりに、あまりに話に尾鰭が付きすぎている。
(ああ、だから"窓"の方もあんなに怯えていたのか……)
つい今朝方のことを思い出す。修繕された我が家の立ち合いにおいて、何故か大の大人が年下の俺に対してペコペコ頭を下げていた。頭を下げて謝意を表すべきはこちらなのにも関わらずだ。
恐らくあれは俺のことを『御三家の人間』という目で見ていたからだろう。何かあれば物理的に首が飛ぶ。だから絶対に機嫌を損ねないようにしていた、と。
スゥー、と息を吸い込む。
あの時の窓と同じく、庵歌姫も顔を青褪めさせ、気の毒なほど汗を掻いていた。
彼女は部屋の隅に吊り下げられた新品の高専制服を視界に捉え、いよいよ確信を深めたようでワナワナ震え出す。
これは良くない。すぐさま弁明を。
「えっと、確かに俺の名は佐藤秋墨です。加茂家との繋がりが無いとは言えませんし、先日通達された級位は特級呪術師でした、でもそれらは全くの勘違いで……――」
俺がそう言い募るも彼女の耳には一切入っていないようだった。彼女は震えたまま後退りしドテッと勢い良く尻餅を付いた。
「本物ッ!!!!」
ええ……。
もう遅い時間帯だし、近所迷惑になるのであまり大きな声は出さないで欲しい。元々壁が薄いんだよな、うちは。修理業者の方も何もそこまで再現しなくても良いだろうに。
俺が彼女の元にしゃがみ込み、静かにして、食事の席に戻って、頭を上げて、と頼み込むも彼女は蹲りながら切羽詰まったようにブツブツ呟くのみ。
「ほ、本物だわ、本物の……待ってじゃあ私は、次期御三家当主に絡み酒して、介抱させて、抱き枕にして、あまつさえゲロぶっかけた……ってコト!?」
「気にしなくて大丈夫ですよ。いやまあ少しは気にして欲しいですけど」
「おおお終わった……!! 私の人生ここで終わり……!」
すごい、全くと言っていいほど人の話を聞いてくれない。
「嘘です嘘、気にしてませんから」
「えっ、ほ、ホント!? でも私、貴方にとんだ無礼を……」
彼女には萎縮してほしくなかった。何より、出会ったばかりとは言え、数少ない食卓を囲んだ相手に嫌な思いをさせたまま帰ってはほしくない。
伝わるかはともかく、そんな気持ちを込めて俺は彼女に微笑み掛けた。
「良かった。やっと目を合わせてくれましたね」
きょとん、と目を丸くさせる彼女の手を引く。
「ほら、冷めちゃう前にご飯食べましょ? ね?」
我々の眼前にはまだ食事が残っていた。できればまた楽しく食卓を囲みたかったので、席に座るよう彼女の顔を覗き込む風にしてお願いする。
そんな俺を見た彼女はややあって、ポツリと口を開いた。
「貴方……ホントに御三家? 良い子すぎない?」
「いやそれは
とにかくまず説明をさせてほしい。
俺達は再び食卓につき、御飯を食べながら今日に至るまでに起きたことを掻い摘んで彼女に喋っていった。
――自分は加茂家の婚外子として産まれたこと。
相伝どころか生得術式すら発現せず「加茂家の出来損ない」として母子共に放り出されたこと。
唯一の家族である母は早逝したこと。
ここのぼろアパートで一人暮らしをしていること。
冥さんとのこと。
とある
色々あって加茂家にそれがバレたこと。
高専編入に際して特級認定を受けたがそれは恐らく勘違いだろうということ、などなど……。
俺が話す毎に彼女から向けられていた疑いの目が薄れ、徐々に温かく好意的なものへと変わっていく。
「なんて立派なの……っ! お母様もきっと天国で貴方の成長を喜んでいらっしゃるに違いないわ……!」
目の端に涙を浮かべた彼女は俺の肩を優しく叩いた。
ちょっと反応がオーバーな気もするが、誤解が解けたならまあいいか。
「呪術師で、しかもあの加茂家の人間が、よくここまで捻くれずに育ってくれて……あとご飯が美味しい……」
そういえば御三家の男の手料理なんて初めて食べたかも、などと呑気なことをのたまう彼女にティッシュを渡してやる。話はまだ終わっていない。
「それで、佐藤は特級なの? 特級じゃないの? 勘違いって?」
チーン! と激しく鼻を噛んだ彼女が首を捻った。
「それなんですけどね」と俺は箸を止める。
「本当に意味が分からないんです」
「確かに俺の術式――『金霊操術』は便利だと思います。でも、先立つものが無いとどうしようもありませんし、仮に大金があったところで消費してしまうわけですから、後には何も残らないわけで。結局のところ、弱いのでは? 少なくとも特級は有り得ないでしょう?」
俺の疑問に対し、彼女が簡潔に答えた。
「いえ……強い、それに珍しいわね。術式は"呪力を使って何か
まぁ私の術式もそうなんだけどね、と恥ずかしそうに頬を掻く彼女。
! そうか、庵歌姫の術式は"術式範囲内の歌姫本人を含む任意の術師の呪力総量・出力を一時的に増幅させる"術式。なるほど、術式のタイプ……目から鱗だ。それに説明が分かりやすい。彼女は流石未来の高専教師なだけある。
「増やせる呪力に限界はあるの? 対価の範囲は? 呪力の活用の仕方は分かる? 他には~~」
庵歌姫、もとい歌姫さんに話したのは正解だった。
折角先輩呪術師が目の前に居るのだから沢山質問してしまおうか。最近冥さんは忙しいみたいだから中々呪術のことを聞けないし……そんな中でも合間を縫って大金を貢いでいくから我が家にあの封筒がどんどん溜まって困り物なのだが。
「にしても、それで特級に繋がりますか?」
「……金霊操術はその筋じゃ有名だから聞いたことくらいはあるけれど、肝心の歴代有名な使い手は……一切聞いたことがない。つまり過去に、特級術師は存在しなかった。そもそも呪術師の家系に産まれた時点である程度金銭感覚は狂うものだし、仕方ないと言えば仕方ないことだけど」
なるほど?
「いくら貴方が例外的に極々まともな金銭感覚を身に着けているとしても、それだけで特級認定は正直、考えにくい。――貴方が何か、
「そんなの持ってるように見えます?」
「う〜ん 何回見てもただの一般人だわ」
「ですよねぇ。やっぱり特級だなんて勘違いですよ」
そう返すと、彼女はこちらの顔をジロジロと舐め回すように見てきた。
「でも
は? 優良物件過ぎない?」
何で睨むんですか。
「ちょっと確認させて佐藤……貴方、もう冥さんのお手つき?」
「……えっと」
「クッソー!!」
彼女は悔しそうに叫ぶとまたどこから取り出したのかビール瓶を持ってヤケ酒を始めてしまった。
聞きたいことはある程度聞けたし、彼女のことはもう放置でいいかな。
ごちそうさまでした。
「実家がさぁー!」
「仕事がさぁー!」
「五条がさぁー!」
「(帰ってほしい……)」
そして冒頭に戻る。俺がしばらく目を離した隙に彼女は管を巻いていた。酒瓶の残量はそれほど減っているようには見えないが、日頃の鬱憤が溜まっていたのか、彼女の愚痴が出るわ出るわ。
五条というとやはり五条家当主――五条悟のことだろう。記憶で彼のことは知っていたが、原作通り本当に捻くれた性格をしているらしい。俺が高専に編入してもなるべく近付かないでおきたいところだ。
冷蔵庫から持ってきた梅干しや自家製の漬物を一緒につまみつつ、俺は受け取った茶色の瓶を両手で傾け、卓袱台上のグラスへとゆっくりと注いでいく。
本音を言うと歌姫さんにはいい加減帰ってほしかったが、先程からそれとなく帰るよう促したり、家事をしようと少しでもこの場を離れようとすると彼女が非常に寂しそうにするのでつい、こうして隣で晩酌に付き合ってしまっていた。
「でね~~」
それに。
人の話を聞かない癖に、不思議と聞き上手なのだこの人は。矛盾しているようだが、気付けば俺もついつい彼女に甘えて愚痴を漏らしていた。
「歌姫さん、聞いてもらえます? 実は最近、ご近所の人たちが急に加茂家の話をしてくるようになって」
「えっ何よそれ。新手のホラー?」
「前々から親しくさせてもらってた人たちだから、勿論他意とか悪気とかは一切無くて。多分分かってないんです、加茂家のこと。何故か高価な贈答品をご近所中に配って回る俺の親戚かなんかだとしか」
「うわぁ……中々エグいことするわね、流石加茂家」
「やっぱりこれ、着実に外堀埋められていってますよね……。ご近所さんにどう説明したらいいか悩んでて」
いやご近所さんが喜ぶのは良い事なんだけれども。地味に困るんだよな。
恩だけ売られるとどうしても、小市民の俺としてはやはり恩返ししなければいけない気になってくる。しかし相手はあの加茂家である。
「アンタもまた厄介な連中に目を付けられて……苦労してるのね」
「……歌姫さんも苦労してるんでしょう? いつもお疲れ様です」
「分かってくれる!? いいこと、佐藤は絶っっっ対あいつらみたいになるんじゃないわよ……!!」
煤けた背中の彼女があまりに気の毒なので、つい、慰めるようにまたビールを注ぐ。
振り返ればこれがいけなかった。
「というか結局、冥さんとはどういう関係なの? 教えなさいよ!」
「話すと長くなるんですが……」
「詳しく!」
その勢いに押される形でかくかくしかじか、俺達の出会いとこれまでの思い出を語っていく。
喋っていて改めて思う。出会ってまだそんなに経っていないのにも関わらず冥さんとは随分前から一緒にいるような気がしてくるから不思議だ。願わくば、これからも冥さんとは仲良くできたら嬉しい。
「ふーん、なるほどねぇ。ふーん」
「?」
俺は小首を傾げる。
俺達の関係を聞いてきたのは歌姫さんの方なのに、何故か少し機嫌が悪くなったようだ。当てつけのように俺の肩に寄りかかってきて重いし、酒臭い。
「くっ……私も彼氏が欲しい……ッ! キツい仕事に耐え、実家では『相手はもう見つけたか?』攻撃に耐え! 私にだって癒やしの一つや二つ、彼氏の一人や二人はいたっていいはずでしょうが! 不公平!」
「まあまあ……歌姫さん良い人だから、いつか良い相手に巡り合えますって」
「ほえ……じゃ、じゃあ、アンタが貰ってよ!!」
「じゃあ、の意味が分からないですね」
クッソー!! と彼女はまた喚き、さらにビールをもう一杯。
「あ"ァ" 〜」
「女性が出しちゃいけない声出てますよ」
うっさいわね、と鼻息荒く歌姫さんがコップを置く。
「フン、いいわよいいわよ!」
不貞腐れた彼女は胎児のように横向きに体を丸めて、寝る体勢を取っていた。
「横」というのはつまり隣にいる俺の所なわけで。
気付けば彼女の頭はすっぽり器用に俺の膝の上に収まっていた。膝枕の格好である。
別に膝くらい貸してやってもいいけど、この人は全くもう本当に……仕方ないなあ。
「ん~……」
「眠くなっちゃいました? ……ふふ」
何となく幼い頃を思い出し、母によくしてもらったように彼女の髪に優しく触れ、梳くように撫でる。
これでも俺は撫で方に一家言ある。母直伝の
……いや待て、しまった! 俺は別に歌姫さんを寝かしつけたい訳じゃなく、帰って欲しかったんだ。
あ、起きた。
しばらくうつらうつらとしていた彼女だが大きく首をガクリと揺らした衝撃からか、ふっと目を覚まして起き上がる。
そして一つ伸びをして、言った。
「私、今日泊まっていくわ」
「いやそれはちょっと。汚れた服は洗濯して郵便で送るんで今すぐ帰ってもらえると」
「何でよ! 泊まる!」
俺はもう流石に帰って欲しいという旨を角が立たないよう宥めながら伝えるも、歌姫さんは「ぐぬぬ……!」と唸るばかりで帰ろうとしない。
面倒だ、もう追い出すか? しかし酔っ払っている女性をこんな遅い時間帯に家から放り出すわけにもなぁ……
……ん?
『ピロリン♪』
唐突に携帯の着信が鳴った。
淡いブルーの携帯。この前冥さんに買ってもらった、というよりは押し付けられたものだ。携帯代どころか何なら通信費まで払ってもらってしまっているので、間違っても壊さないよう普段は大事に机の引き出しに仕舞ってある。
「あ、冥さんからだ」
「!?」
当然、この携帯に掛けてくる相手は番号を知る冥さん唯一人である。それでも、一人暮らしなのに帰宅時『ただいま』と言ってしまうように、毎回送り主――つまり冥さんの名前を読み上げてしまうのはもはやお約束だった。
「何々――? 『もうすぐ着くよ、秋墨君』」
「げえっっっ!?」
続けて、いつもの癖で文面まで読み上げる。
すると隣にいた彼女が変な悲鳴を上げた。そして手早く荷物を引っ掴むと立ち上がり、次の瞬間には脱兎のごとく逃げ出していた。
「酒置いていくから貰って! 迷惑料ね!」
「は、はぁ」
そう言って嵐のように去った彼女。
取り残された俺は呆然と立ち竦み、手にはビールの大瓶を抱えていた。
……歌姫さん、酔っていたんじゃないのか? 滅茶苦茶足取りしっかり走っていたけど。
「あ、冥さん! いらっしゃい」
「やあ秋墨君……ん?」
庵歌姫が去ってからしばらくして冥さんが我が家に到着した。
久しぶりの、というと大げさかもしれないが久しぶりの我が家での団欒である。勿論、彼女の為に簡単ではあるが料理も作り直してある。元々の予定に加えて予想外の出来事があったので材料は限られていたが、一人分なら十分な量だろう。
「……」
さてじゃあ早速用意しよう、とうきうきで台所へと向かおうとした俺だったが、何故か冥さんに手をグイッと掴まれ止められる。力こそ優しいが、確固たる意志を感じるそれ。心なしか、目付きも鋭い気がする。
「? どうしました冥さん……えっと」
戸惑っている此方を尻目に、彼女は俺の首元に顔を近付け、鼻を鳴らしてスンスン嗅ぎ始めた。
「……め、冥さん? 何を」
「他の女の匂いが染みついている」
その後の記憶は無い。
**
翌日、夏の日差しを受けながら俺は痛む身体に鞭を打ち、フラフラしながらもアパートの前を箒で掃いて夏落葉を片付けていく。
以前ならともかく先日の一件以来、今ここに住んでいるのは俺だけなので別に綺麗にする必要もないのだけれど。こういうのは気持ちだから。決して卓袱台に積み上がった茶封筒の山を見ないよう外に出てるわけじゃないから。
うっ! 屈むと腰が……。
『……! ……!』
「?」
掃除を終え、箒やちりとりを締まって一息つくのとほぼ同時、遠くから聞き覚えのある声がした。
嫌な予感がする。
こ、この声は……!
「おーい佐藤、昨日ぶり! 手土産にビール持ってきたわよ~!」
歌姫さん、あんたまた来たんかい!!
昨日の今日だぞ!!
顔が青褪めていくのを感じながらも、サッと目を走らせ周囲を確認する。
アパートの屋根上、電線、街路樹……。
目を光らせたカラスが数匹。
……頼むから帰ってくれません? 見つかる前に。
持ちもの : 冥冥のおかね
家入印のたばこ
歌姫のおさけ
加茂家のこぎって
次回、高専編入編 始まります。