夏。
燦々と日光が降り注ぎ、火照るような熱と蝉の鳴き声が響く。放課後、汗ばみつつも制服を衣替えしたお陰で少し身軽になっていた俺は、高校の門をくぐって帰路についた。
まだ七月でこの暑さ? 八月になったら死ぬのか俺は。
道端では
いやーそれにしても、俺が高校に進学できるとは夢にも思わなかったな。
実家というか後見人が後見人なだけに奨学金も支給されないだろうしと完全に諦めていた。
一応、加茂家が俺の面倒を見ているという
『あっ、佐藤君!』
「?」
南無妙法蓮華経……と加茂家に謝意?を表していると、出し抜けに名前を呼ばれ、戸惑いながら振り返る。すると賑やかな集団の中から一人の女子が躍り出てきて、その子が声を掛けてくれたのだと分かった。
ええっと、この子はクラスメイトの……駄目だ、名前がすぐに出てこない。
高校に進学してからも出席はそこそこに、クラスメイトとは一定の距離を保ち付き合っている為一学期も終盤だというのにまだあまり人の顔と名前が一致していなかった。
クラス委員長だったよね。
か、顔は絶対覚えているんだけど。
「どうしたの?」
「あの、途中まで一緒に帰らない?」
「うんいいよ」
ヒューヒュー! と周りが囃し立ててきて、女の子も満更でも無さそうに顔を赤くしながらこちらに近付いてくる。
ほう、これは。来てしまいましたか……モテ期が。
「委員長の家、遠くなかった?」
帰り路、俺たちは取り留めのないことを喋る。
「うん。だから途中まで」
「そういえば、いつもプリントありがとう」
「ちゃんと出席してよね。借りがすごいことになってるよ」
それは本当に申し訳ない。
バツが悪くてわざとらしく顔をしかめると、彼女はクスクス笑った。ああ、なんか青春っぽい。
ある程度喋ったところで彼女はおずおずと話を切り出してきた。恐らくこれが本題だろう。
「ねえ、佐藤君。夏、暇?」
「随分アバウトだね。暇だけど」
「そっか!」
やけに機嫌が良い彼女と他愛ない話をしながら、そろそろ俺の家に着くな、と思った所だった。
「あのね、夏休みが始まったら佐藤君と……」
そこで言葉が途切れた。
俺の自宅前に誰かが立って待っていることに気付いたからだ。このシルエットは……!
「やあ」
「冥冥さん!」
冥冥さんがニコっと微笑んでこちらに手を振る。今日も彼女は凄く綺麗だ。
彼女は傍に寄っていった俺と委員長を交互に見た後、口を開いた。
「佐藤君、――今日、泊まっていっても良いかな?」
委員長は「えっ……!」と声を漏らしそして愕然とした顔で俺を見た。
「勿論いいですよ」
途端にパクパクと口を開閉しながら俺と冥冥さんとを何度も指差す委員長。
いけない、なんだか我々の関係が絶賛誤解されているような気がする。
「と、泊まるってどういう……!?」
「ああいや、そういうのじゃないから」
でも、実際俺たちってどういう関係なんだろう。
うまく説明できそうになかったがなんとか言い訳を考えて取り繕った後、駅まで送るよと言ったのだが委員長にはにべもなく断られた。彼女はそのまま肩をがっくり落としながら帰ってしまった。
……なんかごめん。
「私は
「もう。からかうのはやめて下さい」
彼女を家に迎え入れてから、おんぼろクーラーを付けて部屋を冷やす。
嗚呼、生き返る~。
「ところで何かあったんですか? 急に泊まるだなんて」
冷凍庫から棒アイスを二本取り出して片方を手渡す。
「ありがとう。いやなに、そういえば君の家に泊まったことはあの日以来なかったなと思って。……迷惑だったかな?」
「そんなことないですよ。嬉しいです」
冥冥さんは多忙だから引き止めるのも悪くて言えなかったけど、いつも彼女を見送る時は何とも言えない寂しさがある。だからいつもより長く一緒にいられるのなら凄く嬉しい。
よーし、今回は腕によりをかけてお持て成しするぞ!
「あっ、じゃあお風呂も入っていきますよね? どっちから先にしますか? お風呂か、ご飯か」
「君で」
「そういう質問じゃないです」
「それなら、ご飯からで」
お任せあれ!
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした。すみません、今日来ると思ってなかったから普通の和食なんですけど」
「今日も美味しかったよ。流石佐藤君だ」
食事の準備をしてから二人で卓を囲みすぐに食べた。
いつもより早めの夕食だな、と思いきや案外いつもとあまり変わらない時間になっている。
彼女といるとなんだか時間が経つのが早いな。
「はい、タオルと……」
しばらくしてお風呂が沸いたのでテレビを眺めていた冥冥さんに声を掛けてから、俺は彼女用の着替えがないことに思い至った。
「着替えって持ってきました?」
「すまないね、忘れてしまった。君のを貸してくれないかな?」
まじか。うーん、ワイシャツなら彼女の背丈でも着れるか? どうせ伸びるからって大きめに買っておいて正解だったな。ズボンもぶかぶかの半ズボンがある。スタイルの良い彼女ならぴったりだろう。
申し訳ないけど今日はこれで勘弁してください。
「ありがとう。次までに君の家に置いておく服を用意しておくよ」
次もあるのか! やった。
――嬉しくなった俺は彼女が『下着は大丈夫』と言って風呂場に向かったので安心して見送った。あれは『着ない』という意思表示だったのだとこの後すぐに知ることになる。
「お皿を洗ってくれてるのかい? 悪いね、私がやるべきなのに」
「あ、いえ――」
――!?
皿洗いをしていた俺は声に反応して振り返ると、風呂上がりの冥冥さんがタオルで髪を拭きながら出てきた。
真っ白い肌が上気して、ほの赤く染まっているのが
そしてやはりサイズが小さかったようでぴったりと肌に張り付いたワイシャツの下から、鍛え抜かれた肉体美が
透けて? まさか、この人。
「あの、下着は?」
「着けてない。忘れてしまったからね」
「あと、私は夜着けない派だよ」
唐突な告白に俺がフリーズしているのをお構いなしに彼女は手元を覗き込んでくる。
超至近距離でシャンプーの匂いと彼女の匂いが混じった香りが鼻腔を蕩かした。
いつも我が家で使っているとはとても思えないくらいの良い香り……じゃなくて近い近い近い近い近い!
「ち、近いです」
「つれないねえ……。佐藤君、悪いが私の髪を乾かすのを手伝ってくれないかな?」
「いいですけどぉ……」
落ち着け俺、心臓が保たない。心頭滅却心頭滅却。煩悩よ消えろ!
一旦水を止めて、どぎまぎしながらもレトロな三面鏡の前に彼女と座る。
ドライヤーを取って、彼女の髪を手に取り丁寧に少しずつ乾かしていった。
いつものポニーテールも良いけど髪を下ろしていても綺麗だな、冥冥さんは。
「熱くないですか?」
「うん。丁度良い」
「……綺麗ですね、髪」
色素の薄い髪。一本一本が絹のように柔らかい。
そのままくるくると髪で遊ぶように乾かしていると冥冥さんは段々眠くなってきたのか、うつらうつらとしてきたので、体重をこちらの方へ預けるよう促す。
……きっと、俺たち一般人には理解できないくらい、いつも気を張っているんだろうな。こんな時くらいはゆっくり休んで欲しい。
目を閉じた冥冥さんを起こさないように、静かにドライヤーを切る。
その時ふと、いたずら心が沸いた。
どうせしばらく動かないなら、と俺はくるくる遊ばせていた髪の先っぽを編んでいく。
「うん、上出来」
なんちゃって三つ編みの完成ー。
満足だ。昔近所のお姉さんに髪で遊ばれていた頃に覚えてしまったものだが、ここで役に立つとは。
「……ん? へえ。器用だね」
「あ、起きちゃいました? 可愛いでしょこれ」
「うん気に入った。乾かし方もすごく上手だね。ついウトウトしてしまったよ」
「気に入ってもらえたなら何よりです」
「ありがとう、佐藤君。残りの皿洗いは私がやっておくから、君はお風呂に入っておいで」
「はーい」
可愛い冥冥さんを見れて満足した俺は彼女の好意に甘えて、お風呂へ向かった。
*
「駄目だ、愛おしすぎるな……」
風呂に入る佐藤君を見送ってから、私は顔を覆って机に突っ伏した。
この家はやはりとんでもない。癒やしが詰まりすぎている。
いきなり押しかけても笑顔で出迎えてくれて、私好みのご馳走が出てきて、お風呂は気持ち良く、彼のシャツを楽しめる。最高だ。
髪を彼に乾かしてもらうのもとても良かった。まさか、私が一瞬でも人前で寝姿を晒すなんて。
彼はとんでもない人誑しだ。将来が今から末恐ろしい。
一息ついて、彼にやってもらった小さい三つ編みを撫でる。
「ふふ……」
佐藤君がお風呂から出てくるのが待ち遠しい。
どんな顔で出てくるかも見ものだ。脱衣所には当然、今まで身に着けていた私の下着が置いてある。彼の反応がどういうものになるか楽しみだよ。
そうだ、これからは私が泊まる時用に下着用の洗濯ネットも置いてもらわなきゃいけないな。
「明日は買い出し兼、デートかな」
皿洗いをさっと片付けて、これから必要になるであろうアイテムをリストアップしてから少しの間暇を潰していると、彼がお風呂から上がったようだった。
「……お待たせしましたー。あっ、お皿洗いありがとうございました」
「どういたしまして」
思った通り、赤い顔で出てくる彼。見たな。
それでも気にしてない風を装っているのが可愛らしい。
――風呂上がりの彼を眺める。
つやつやした肌に、緩い寝間着からちらりと覗く鎖骨。線は細いが引き締まった身体。男性なのに、うなじがやけに色っぽい。
前々から思っていたけれど、かなり私好みの綺麗な顔をしてる。前髪を上げている今の状態だとよりそう感じられた。
「俺はこれから勉強しますけど、冥冥さんはどうします? テレビでも観ますか?」
「うーん、君の勉強する姿でも眺めていようかな。何の勉強だい?」
「お金の勉強をしようと思ってて」
お金の勉強?
……。
急に彼の口からそんな言葉が出るとは予想していなかったせいで、虚を衝かれた。
困るな。それは困る。
「ほら、『サルでも分かる投資の必勝法~まずは証券口座を開こう編~』とか『FP1級を1週間で取る!』とか」
「お金のことなんて君は勉強するべきじゃない」
というかどこで見つけてきたんだい、そんな胡散臭いの。
「いや、でも俺の術式は」
「君の家庭的で、まともな金銭感覚が壊れてしまうだろう? 良くないよ」
佐藤君のしっかりした経済観念は美徳だ。
そして、その金銭感覚は彼の術式である金霊操術の威力に直接影響してくる。
例え同じ金額でも人によってそれは等価値ではないのだ。であれば彼のような経済観念が一番望ましい。
つまり、身を守るための術としてある程度の大金は持っていて欲しいが、金銭感覚はそのまま保っていて欲しいというのが私の本音だった。
だから難しいんだよ、加減が。
「ええ……?」
じゃああのお金は? 俺の金銭感覚がぶっ壊れてしまいかねないんですけど? という顔をして茶封筒の方に視線を向ける彼。
分かってないな。分かってないから良いんだけれど。
あえてその程度にしたんだ。私にとってはなんてことない金額でも、君はきっと大金に感じ遠慮してそうそう使わないだろう。そのバランスは君の家計簿を見て判断させてもらった。つまり、それは護身用の金に過ぎない。
「まあ、分かりました。確かに株とかは勉強すればするほど逆に負ける、みたいな俗説もありますからね」
「うんうん……ゆくゆくは私が養ってあげるからね」
「? 何か言いました?」
「いいや、何でもないさ。さあ、今日はもう寝て、明日はデートに行こうじゃないか」
素直にすごすごと教材を片付けはじめる彼を見て、つい笑みが溢れる。
どうか君はそのままでいてくれ、と願うのは……私のエゴなんだろうか?