――京都・加茂家本所。
『……
ガラガラと
翁の
『ハッ。彼の自宅付近で数日間監視を続けました結果、どうやら呪霊は視えている様子。術式を持っているかどうかは不明ですが、簡易的な式神を使役する程度の才はあるようです』
『ふむ……最低限、か。
勿体付けて頷く老翁。
場はにわかに色めき立ち、それぞれ思い思いに口を開く。
『具申させていただきます! 加茂家の恥は即座に処理した方が宜しいかと!』
『それは判断が性急だろう。彼奴がもし術式を携えていたら余計に』
『ない。それは母親の葬式の時に確認させたはずだ』
『例外はある。何事にもな』
『いやしかし』
老翁はそれらを手で制し、場が鎮まるのを待つ。そしてゆっくりと開眼して、一声発した。
『では、確かめてみようではないか――』
『――佐藤秋墨の利用価値を』
**
朝、俺が目を覚ますと隣からおはよう、と彼女の声がした。
隣の布団で寝ていた冥冥さんは既に起きていたらしく、横になりながら、
「ふあ……おはようございます。眠れました?」
彼女の顔を見てほっ、と安心したせいか大きな欠伸が出た。それにしてもこの家で誰かと一緒に朝を迎えるなんて随分久しぶりで、少しむず痒い気持ちがする。
「うん、とてもよく眠れたよ」
「良かった。うちの硬くて冷たい煎餅布団で冥冥さんが体を痛めてしまったらどうしようかと」
「私は呪術師だよ? そのくらいで痛めるようなヤワな作りはしてないさ」
彼女は笑って「ああ、でも」と続けた。
「やっぱり朝方は少し冷える。佐藤君、こっちの布団に来てくれないかな」
「え」
「ほら、早く」
冥冥さんの布団がふわりと捲られ、俺を
……誘引力が途轍もない。睡魔も相まって、否が応でも吸い寄せられてしまう。これに抗うことなんて……いやいや待て。彼女を疑うわけではないが今は夏だし全然寒くなんてないはず。それこそ呪術師なら全く影響はないだろう。
でも、布団が薄くて彼女が寒い思いをしたというならそれは実際うちのせいだし……ええい!
「うん。暖かい」
「そうですか……そうですね」
俺には抗えなかったよ……。
「あれから、"力"は使っていないだろうね?」
「使ってません、約束、したでしょ」
「偉いね。安心したよ」
抱き枕にされて、二人して布団に包まる。
たったそれだけの行為なのに、鼓動がやけにうるさい。暖かい。柔らかい。なんか良い匂いがする。
「ん……このまま二度寝、しよう……」
「!?」
「佐藤君、今日はデートに行こう」
やけにツヤツヤしている冥冥さんが三面鏡の前で髪を整えながらそう言うので、げっそりした顔の俺は生返事を返した。
「はあ。デート」
自分で言うのもなんだが、存在しないはずの記憶含め恋愛方面に疎い俺はデートという言葉こそ知っているが、内容は残念ながら詳しく知らない。
それでも彼女とのデートなら楽しくなりそうだなと素直に頷いた。
「まず近所のモールで君のお宅に置かせてもらう着替えを買い揃えたいんだ。下着もね」
「確かに、必要ですね……」
「それから場所はここからだと少し歩くけど佐藤君と行きたい所があってね」
「? 分かりました」
朝御飯を食べ、支度を整えてから、結局どこに行くのかよく分からないまま俺は彼女の言う通りにほいほい付いていった。
手始めに近所の大型ショッピングモールの中にあるリーズナブルな衣料品店、つまりユニク◯に入って服を物色していく。
「佐藤君はどんな女の服が
「うーん、そうですね」
特に好みとかは無いんだけど。それよりも、冥冥さんにユニク◯を着せて良いのかな。普段はきっともっと良いのを着ているだろうに。もしかして、俺の生活レベルに合わせてくれてる? ……本当に良い人だよなあ。
あ、けどこれとか似合いそう。
綺麗めな白のワンピース。オープンショルダーだから涼し気で、でもオフショルよりセクシー過ぎず上品さがある。
黒い服を着ている所しか見たことはないが、絶対似合うはず。こういう服は着こなせないと服に着られてる感が出やすいけど、何せ彼女はスタイル抜群だから。
「着ようか?」
見たい。超見たい。
彼女はその服をカゴに入れ、さっと俺の手を取って試着室へ向かった。
「どう、かな」
試着室のカーテンが開かれると想像通り……いや、想像以上の美人が現れた。
かわいい!
大天使!
グリフィンドールに一億万点!
俺がそう褒めそやすと彼女は白い頬を僅かに染めながらドヤ顔を見せてくれる。可愛いなこの人。
「これを買おう」
お買い上げありがとうございます。
普段の彼女は澄ましていて何を考えているのか分からない表情の時も多いが、これは機嫌がとても良い時のものだ。喜んでくれたなら俺も嬉しい。
その後も店内を見回って何着か買い、下着コーナーではからかわれ、色々と振り回されたが目的の物は無事買い揃えられた。
「いや~結構買っちゃいましたね!」
服や日用品が詰まった買い物袋を小脇に抱えて、彼女と手を繋ぎながら家へと歩く。
「荷物、持ってくれてありがとう」
「いえいえそのくらいは。この後はどこに行くんでしたっけ、冥冥さん」
「"冥さん"」
「へ?」
「冥さん、と呼んで欲しいな。"秋墨君"」
「! は、はい、冥さん」
「うん、よし」
その返答に満足した様子で彼女は手をぎゅっと握ってくる。少し気恥ずかしかったものの、俺も握り返して応える。
名前、久し振りに呼ばれたな。
「で、どこに行くんですか……?」
「水族館だよ」
「水族館」
「水族館……!」
幼い頃遠足だかで一回連れられたっきり、来たことはなかった。何故もっと早く再訪しなかったのかと悔やむくらい素晴らしい空間がそこには広がっていた。
巨大な透き通った水槽の中を泳ぐ色とりどりの魚たち。それぞれ思い思いの方向へと静かに揺蕩い、得も言われぬ景色が目まぐるしく変化していく。穏やかで心地の良い薄暗さの中に、水面に乱反射する光だけが揺らめいて。
俺はそっとガラス越しに触れ、感嘆のため息を漏らす。
「すごい、癒やされますね」
この世界だとか呪術だとか呪霊だなんて一切忘れてしまうくらい、綺麗だ。
水族館って良い。すごく良い。
俺が惚けていると、冥さんが魚を眺めて、ぽつりと言った。
「食べたら美味しいのかな、この魚」
「ちょっと。今晩は魚にしますから……あっほら、そこに小さいサメがいますよ。かわいいですね」
「……フカヒレ、唐揚げ……」
「次行きましょう!」
繋いだ手を引っ張って、次の水槽へ向かう。
「冥さん見て下さい、クラゲがかわいいです」
「そうだねえ。可愛いね」
「何で俺の方ばっかり見てるんですか。水槽を見て下さいよ」
「うんうん」
「もう!」
また手を引っ張って次の水槽へ。
俺は既に水族館の虜だけれど、彼女の方はそうでもないのかな。
「あの、そういえばどうして水族館に?」
「デートの定番らしいし、好きそうだなと思ってね。楽しいかい?」
「はい! 連れてきてくれてありがとうございます」
「秋墨君が楽しんでくれてるみたいで良かった、水族館デートにして正解だったよ」
「冥さん……」
そうか、これがデート。
さっきからやけに心がフワフワしていたのはそのせいか。
確かに俺は水族館が好きだ。でもきっとそれだけじゃなくて、今心から楽しめているのは、彼女と一緒にデートしているからなんだ。彼女が俺を思ってプランを考えてくれたからなんだ。
そうか……そうかぁ。
デートとはそういうものかと理解し、意識した途端、俺はなんだか急に照れくさくなって繋いだ手を離す。
「意識したね? 私のこと」
「へっ、あ、いや」
「フフ……」
一度そう意識してしまうと、変にドギマギしてしまう。
暗い中、澄みきったブルーの照明が俺たちを照らしている。まるで二人だけの空間にいるようで気恥ずかしく、居た堪れなくなってくるが、いつの間にか手は繋ぎ直されていて離れようにも離れられない。
手汗はかいていないかとか、顔は赤くなっていないかとか、見られていないかとか、彼女は楽しんでくれているだろうかとか、俺ばっかり意識してしまっているみたいでとても悔しい。
その後の道中でもその調子で、滅茶苦茶からかわれてしまった。いつかこの仕返しは必ず。
「そろそろ休憩しようか? 施設内のカフェでお茶でもどうかな」
気付けば時間はあっという間に過ぎていた。
冥さんに携帯を開いて時間を確認させてもらって、ぎょっとする。
「えっ、もうこんな時間!?」
「私も驚いたよ。あっという間だったね」
楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。でも、まだ日は落ちていないし……
と、そう思ったところだった。
彼女の手の中で携帯が鳴った。
手早く開き、着信の要件を確認した瞬間、彼女はぎゅっと眉根を寄せる。
「すまない、急な連絡だけど、依頼が入ったみたいだ」
少し焦っている口ぶりからしてどうやら緊急事態らしいことが分かった。
「……名残惜しいけど、行ってくるね。この埋め合わせは必ずさせてもらうから」
「気にしないでください。それより、お気を付けて」
最後までかなり渋っていた彼女だったが、それでも仕事は仕事、フリーだからといって呪術師として任務を放棄するということはできないらしい。今この瞬間にも誰かが呪霊によって危機に晒されているかもしれない可能性を考えれば尚更だろう。
任務に赴いた彼女の後ろ姿を見送ってから、俺も帰る。
機会があったらまた来よう。
帰り道を歩く。
あの後俺は一人で水族館のお土産コーナーを時間を掛けて物色して回って、結局お揃いのお守りを二つだけ買って帰った。
クラゲをモチーフにした綺麗なブルーのお守りチャーム。今度冥さんに渡そう。
「今日、楽しかったな」
満足感と充足感に包まれて、足取りも軽い。
毎日こんな日が続けば良いのに。
鼻歌を歌いながら俺は自宅の近くまで帰りついた、と、その時だ。
「ん……?」
――何か違和感を感じて、辺りを見回す。
特に目の前の住宅街に変わった様子はない。
「気の所為、かな」
誰かにずっと視られている時とよく似た、変な居心地の悪さ。
首を傾げながらも歩を進めると、急に足取りが重くなってきた。
本能がこれ以上進むな、と警鐘を鳴らしているみたいで、自然と体が震えを起こした。夏だというのに、寒い。手足が霜焼けを患ったように凍えている。
おかしい、目の前の景色に変わった様子はないはず。
ただなにか、嫌な予感がする。背中が粟立つなにかが。
ゾクッと背中に一等冷たいものが通り抜けると共に、突如として周囲が謎の黒い液体のようなもので覆われはじめ、辺りが暗くなった。
「な、なんだ、これ……帳!?」
閉じ込められた、のか……?
ペタペタ触れてみて外に出ようと試みるも、帳は固く閉ざされていて出られない。
どうしよう。
あの嫌な感覚は、正しかった。
「っ」
ひた、ひた……と何かが近付いてくる。
人間の足音じゃない。
これは、呪霊の――!!
「――……すみません、冥さん。約束破ります」