「世界一周旅行か……」
柊町のとある喫茶店に彼女、伊隅みちるの姿はあった。みちるは大学生時代にアルバイトで武の家庭教師をしたことがあり、受験が終わって役目御免となった今でも時々個人的に勉強を教えるために白銀家を訪れる仲である。
「今日からしばらく武と住むのか……」
みちるには元々想い人がいた。幼馴染の前島正樹である。だがその彼は姉である長女のやよいと結ばれ、現在は写真家修行のため師匠の香月ミツコと共に夫婦でアメリカに渡った。自分と違ってなんでもそつなくこなす天才肌の姉やよいはみちるにとってのコンプレックスのようなものだったが、そのやよいに恋愛でも負けたことはみちるの自尊心を大いに傷つけた。
だがそんなときに出会ったのが武であった。みちるが武に会ってはじめに覚えた感情は殺意だった。武といつも遊んでいる隣の家の幼馴染の女の子をはじめその友人たち、彼女らは明らかに武に対して好意を持っていた。だが武は全くそれに気づかない。同じくかつて幼馴染に恋したみちるにとってはそれがすごくムカついたのだ。
「なんだ? 先生元気ないな?」
初日の授業ではじめに武に言われた言葉はこうだった。自分では顔に出さないつもりだったが、正樹にフラれたショックを引き摺っていた自分は武にそれを見破られたのだ。
「そんな先生が落ち込んでたら授業にならねぇじゃねぇか。……よし、今日は授業なしだ! 街行って気分転換に遊びに行こうぜ?」
「は? いや、私は家庭教師のために……」
「街に出るのも社会勉強だ! 雇い主の俺がそうしろというんだから関係ない!」
そんな馬鹿な話があるかと思ったが、結局連れられるがままにその日一日中連れ回されることとなった。だが不思議なことに落ち込んでいた気分は徐々に晴れて失恋から立ち直れていた。
「なるほど……それが普段の先生の顔か……美人じゃん。」
「なっ!?」
こうして家庭教師初日はまさかのお出かけとなったのだが、その日からみちると武の関係が始まった。そしてみちるはいつしか武に惹かれるようになっていたのだ。こう見えてかなりの乙女である。気づいたときにはどっぷりと心が浸かっていたのだった。
「確か年末までは帰って来ないんだったな」
つい先日、武の両親が世界一周旅行に招待され、私に武の面倒を見てくれと武の父から家の鍵を預かった。そのときみちるの内心は有頂天だったのだがそこは完璧主義、態度には見せずに「武の面倒はしっかりと見させていただきます」と潔く快諾した。
時間は夕方、喫茶店を出て武の家に向かう道中みちるはある知り合いに出会った。
「ん? 祷子か?」
「あら、ご無沙汰していますわみちるさん」
風間祷子。みちるの4つ下で同じ白陵柊の後輩にあたる。また祷子は高校卒業後にヴァイオリニストとしてみちるの父が指揮する音楽団に所属しており、家族ぐるみでの付き合いもある。
「確か家とは反対方向ですが、この後何かご用で?」
「あぁ、武の家でしばらく世話になることになってな。今向かっているところだったんだ。」
みちるはニヤッと笑うとその顔を祷子に向けた。
──そう、彼女もまた武に思いを寄せる女性の一人である。
時は遡ってまだ武と祷子が小学生だった頃のこと。
その日、祷子は学校帰りに立ち寄った近所の公園のベンチにひとり俯いて座っていた。彼女の家は裕福な家庭であり、幼い頃からヴァイオリンのレッスンを受けさせられていた。しかしそのレッスンが忙しいために放課後に誰かと遊ぶ時間もなく、そのせいか学校では中々友達ができないで孤立していたのだった。
そんなわけでその日も一人寂しく公園に立ち寄った彼女だったが、そこに一人の少年がやってきた。
「なぁ、お前なんでいつも一人でいるんだ? 友達いないのか?」
デリカシーのかけらもない直球的な質問を投げかけてきたのは白銀武少年である。
「……うん」
「なんで友達いないんだ?」
「……ヴァイオリンの稽古が忙しくて」
いきなり話しかけてきた武にはじめは動揺していたが、なぜか自然と会話ができていた。
「すげぇ〜! お前ヴァイオリン弾けるのか?」
「……まだ上手くは弾けないないけど」
気づけば祷子は武との会話に夢中になっていた。
「よし! じゃあ今日から俺と友達になろう!」
「……えっ?」
「なんだよ? 嫌なのか?」
「う、ううん。 友達になる。」
武の強引とも言える誘いだったが、こうして友達になった二人は公園で遊んだり、そしてたまにヴァイオリンを教えたりと交友を深めていった。これをきっかけに祷子は学校でも友達ができるようになり、高校に入ってからは一つ上の宗像と同性愛説が噂されるほど親密な仲となった。そしてたまたま小中高と同じだった武のことは"初めての友達"から次第に"好きな男の子"へと変わって行った。
「あら、みちるさんもでしたの? 実は私も武君のお母様から家の鍵を預かっていますの。」
みちるに対抗して祷子も鍵を見せる。
「なっ!? 祷子もか!?」
「みちるさんに独り占めさせるわけにはいきませんもの。」
二人は互いに顔を見合わせる。今の二人はまさに恋のライバルである。
「どうやらこの同棲生活は楽にはいかないようだな……」
「そのようですわね……」
二人は笑った。しかし心の中ではお互いに正々堂々勝負してやると誓っていた。
「確かこの辺りだった、よな?……」
「そう、ですわね……」
二人はその後共に武の家へと向かっていたのだが、その目の前に広がる光景に唖然としていた。
「──何なんだこれはッ!?」
「──なんですかこれはッ!?」
目の前に広がっていたのは数km四方に及ぶコンクリート平原だった。そしてよく見るとその中心には一軒家が2軒立ち並んでおりその少し離れたところには何故かポツリと公園があるのだが、何より目に飛び込んだのはその家の後ろにある巨大な屋敷だった。
「と、とりあえず行ってみるか……」
「え、えぇ……」
「嘘だろ……」
武は目の前の光景に唖然としていた。そこに広がるのはいつの日かみたコンクリート平原である。一緒に帰っていた純夏と霞の顔も面白いことになっていた。
「おい悠陽! 冥夜!」
「なんでございますか?」
「どうしたのだ?」
「……これはどういうことだ?」
「私と武様はこれから夫婦となるのです。であれば、当然"そのような事"をすることもあります。そのときに私の声が外に漏れ聞こえては恥ずかしいではありませんか」
悠陽はすまし顔でそう答えた。たしか前の時は寝所を別けろということでこの状況が生まれたのだが、まさか初日からこうなるとは……
「だからってここまでやらなくてもいいだろ?」
「まぁ良いではありませんか。私たちの仲に早すぎるということはないのでございます」
そう言ってはぐらかす悠陽。うんうんとうなずく冥夜。
横の冥夜を見ると本当に分かっていないように見えるのだが、悠陽のやつはワザとだと俺は思った。
……腹黒い。俺の知ってるあの高貴な将軍殿下の面影はどこに……
あいも変わらず俺と純夏の家、そしてその後ろには部屋という名の巨大な屋敷があり、少し離れたところには例の公園があった。
「(公園はやっぱり残ったんだな)」
俺と冥夜、悠陽との出会いはこの世界でも変わらないのだろうと思いながら自宅へと着いた。
するとそこにはよく知った……いや、正確にはこの世界では会ったことはないが向こうの世界では大変お世話になった人物がいた。
「おや、武じゃないか。待っていたぞ」
「武君、待ってましたわ」
それはヴァルキリーズの先任、伊隅みちると風間祷子であった。
「いs……"みちるさん"に"祷子さん"。どうしてここに?」
つい癖で大尉だの少尉だのと言いそうになるが、スマホのやり取りであらかじめこの世界の俺が二人をどう呼んでいたか事前に把握していたのでその通りに呼んだ。
「私と祷子がたまたまか、武の両親からそれぞれ留守中の面倒を見てくれと合鍵を渡されてな。来てみたんだが……この光景にびっくりしたんだ」
「武君、一体どうなっているの?」
このとき二人の視線は武ではなくその横にいる姉妹と周りより少し幼い少女に向けられていた。そして二人は本能で感じた。
──彼女たちも
「……武、そこにいる子達は誰だ?」
みちるは素直に聞いてみた。
「はじめまして私、御剣悠陽と申します」
「御剣冥夜です。以後見知りおきを」
「「!?」」
二人とも実家はそれなりに裕福な家庭である。それなりに社交の場に出たこともある者にとって御剣という珍しい苗字を聞いて御剣財閥を思い出さないわけはない。二人はなぜそんな財閥の令嬢がこんなところにいるのかと内心困惑していた。
「社霞です」
霞はどこか特別な家の生まれ……おそらくこの世界ではそうでない筈だが、見た目麗しい外国人の美少女。将来はさぞ美しい女性になるに違いない。二人は心の要注意人物リスト()に加えた。
「お二方はどのようなご用件でこちらに?」
「あ、あぁ、私は伊隅みちるだ。前に武の家庭教師をしていいて今も時々個人で勉強を教えている。」
「風間祷子と言います。武君とは小学生来の友人です。ヴァイオリニストをやらせて頂いていますわ。」
「私たちは武の両親がしばらく家を留守にすると聞いて世話を見て欲しいと頼まれてだな……」
みちる達が話す横で武は内心焦っていた。
「(この世界での二人についてよく分かってないんだよなぁ。お互い名前で呼び合うくらい相当に仲が良いみたいだけど……でも鍵も持ってるってことは……この二人も俺の家に!?)」
武は家の中がより騒がしくなることによる心労を危惧した。
「タケルのことなら我々に任せるが良い」
「武様は我々御剣がしっかりとお世話させていただきます」
冥夜と悠陽はまかせろと胸を張って牽制した。
「私たちも武君のご両親から頼まれていますわ」
「そ、それに私は武に勉強を教えなくてはな!?」
しかし先輩組も引くわけにはいかない。理由は分からないがこのままでは埒があかないと判断した所で武は声をかけた。
先ほどからみちるの喋り方が上擦っているが、かつての甲21号作戦前の温泉作戦で似たような素顔を見ていた武は『そういえばみちるさんってたまにそういうとこあったよな……』とその意味までは汲み取っていなかった。
「まぁまぁ。とりあえず中入って話そう」
俺はとりあえず家の中へと招き入れた。
「じゃあ……とりあえず二人とも俺の家に住むということにしましょう」
あのあと冥夜と悠陽は小湖首相と親父のサインつきの『不純異性交遊許可証』を見せつけたりと周りを翻弄したりしたのだが、みちるさんと祷子さんが親父と母さんから直接頼み込まれたのも事実。また冥夜と悠陽のストッパー役にも期待して、俺は二人に家にいてもらうように頼んだ。
「じゃあ、みちるさんと祷子さんは客間が空いてるんでそこを寝室にしてください。冥夜と悠陽はあの新しく作った"部屋"が寝室だ。」
「……」
「…うむ」
冥夜と悠陽の二人は最後まで納得いかないといったご様子だったが、これは俺の貞操と安全(主に純夏からの)に関わる重要な問題な為、断固として折れなかった。
「ねぇタケルちゃん。私は?」
「ん? いやお前は普通に自分の家があるだろうが」
「えぇぇ〜〜。ずるい〜〜」
「ずるいってなんだよ。別に何かするために一緒に住むわけじゃないんだから」
「……分かってないね、タケルちゃんは」
「……ニブいです、武さん」
「は?」
隣に家がある純夏と、夕呼先生の決定によって純夏の家にホームステイすることになった霞の二人は当然純夏の家というわけで、恋する乙女として自分だけ省かれるのは見過ごせないのだが、武はそんなことには気づかないため覆らなかった。
──ちなみにその横で幼馴染の好意に気づかないことに対するイライラと、最大級のライバルが一人減ったことへの安堵の感情に左右されたみちるであった。
「(飯がうめぇよぉ……)」
あの後夕食の時間も来ていたということで月詠さんが作った料理をこの大人数で食べることになった。武にとっては昼もそうだったが、天然物の食事を普通に取れるのはまさに数年ぶりである。しかもその素材は御剣財閥が厳選した超一級品。そのあまりの美味さに思わず涙が出そうになった。
「月詠さん、おかわりよろしいでしょうか?」
「はい、ただいま。」
「祷子、もう食べたのか!?」
「みちるさん、これ凄く美味しいですわ。私たちじゃ滅多にありつけないものばかりですもの。」
「流石、お目が高いですわ風間様。そちらは今朝……──」
ヴァルキリーズ一の早飯食いはこの世界でも健在であった。向こうの世界ほどではないが、それでも武と同じ速度で平らげたのだから素質十分()である。
そんな中、夕食も終わってしばらくしたところでそのときに来訪者は訪れた。
ピンポーン
玄関のインタホーンが鳴った。こんな時間に一体誰だろうか?
鍵を開けてやると勢いよく扉が開いた。
「ちょっと武!! 転校生の姉妹が居候ってほんと!? っていうか外のあれは何よ!!」
やって来たのは[突撃隊長]こと速瀬水月であった。その異名通り、感傷に浸る間もなくやって来て早々この剣幕である。
「ちょっ、なんですかいきなり!?」
「どうしたもこうしたもないわよ!! 茜から連絡があって来てみれば……」
「あら、速瀬先輩?」
「速瀬? なぜお前がここにいるんだ?」
「伊隅先輩に風間!? ちょっと武!! なんなのよこれ!!」
水月は武の肩を掴んでガシガシと揺らす。軍人のとき程とは言わないがこの世界の彼女は仮にもオリンピックアスリート。結構な力である。
「速瀬。お前はこの時期に珍しく強化合宿だとか言ってなかったか?」
「抜け出してきたんですよ!」
水泳の日本代表選手である彼女は普段から忙しい。現に現在は合宿期間中であり、横浜近辺にはいないはずである。水月は今日茜から武に良くないこと(女絡み)が起きたと報告を受け、監視の目を盗んで抜け出してきたのだ。
「ちょ、水月さん! 全部話すからとりあえず落ち着いて。」
俺は肩を掴んだ手をはずして落ちつかせて事情を話した。
「それで転校生姉妹に加えて伊隅先輩と風間がしばらく住むことになったって訳?」
「はい」
「ダメよ! ダメダメダメ! なら私もここに住むわ!」
「は?」
「何よ!! 文句あんの?」
「いやそうじゃなくて……水月さん合宿抜け出してここに来たんでしょ? だったら戻らないと」
「うっ……」
武の正論に何も言い返せない水月。本来今ここにいること自体問題なのだ。
「私なんて、高校卒業してからはめっきり忙しくなって武と……」
後半のほうは声が小さくてよくが聞こえなかったが、見るからに水月はいじけていた。武は意外と水月さんにも可愛いところがあるんだなと心の中で思った。
「とりあえず速瀬は合宿に戻れ。それがお前の仕事だろう?」
「そんなこと言って〜伊隅先輩だって武とイチャイチャしたいだけなんじゃないんですか〜?」
「なッ!? ち、違うぞ!? 私はあくまで留守中の世話と勉強を見るためであって!……」
伊隅みちる2○歳、未だ経験なし。この手のからかいにはめっぽう弱い。
「まぁまぁ速瀬先輩も、今夜はもう時間ですから早くお帰りになられては?」
「うぅ……ならせめて今日だけは泊めて!」
「いやでももう部屋が……」
「あんたはこんな夜に女性一人送り出して平気なの?」
現にあんた一人でここまで走ってきてるじゃねぇか!
とまぁ言ったところで捻りつぶされるので会えて言及は避けた。
結局今夜だけはみちるさん、祷子さんの部屋で一泊してもらうことに。
その後女ばかりのもみ合いにつかれた武は自分の部屋に戻った。
「まさに突撃隊長だったな……というか水月さんに限らず誰かれ数段キャラが濃い……」
初日からこれでは精神が持たなくなりそうだ……
「ん? なんだこれ」
そのときふと机の上に置かれていた大きな写真立てが目に入った。
「これは……」
写真立てにははがき大のサイズの写真がいくつか飾られていた。どうもこの世界の俺の思い出の写真たちらしい。
朝はばたばたしていたのでこんなのがあったとは気づかなかった。
「おーい武。あのメイドさんがデザートがあるっていうから呼びに来たわよ」
「あっ水月さん」
写真を見ていると水月さんが部屋に入ってきたらしい。
「あっ! その写真懐かしい! まだ飾ってたの!?」
「え? あぁまぁ」
正直これらの写真の思い出は今の自分にはないので反応に困る。
「これって全国大会で優勝した時に撮った写真じゃない」
水月さんがそう言って指したのは、金メダルを首から下げてピースする水月さんと肩に腕を回されてがっちりホールドされた俺のツーショット写真だった。らしいといえばらしい。
「武もなんだかんだで気に入ってるのね~この写真」
「え?」
「だって武ったら、撮った写真のほとんどは恥ずかしいって言ってアルバムのほうにしまってるじゃない。飾ってくれてるってことは気に入ってるってことでしょ?」
どうもこの世界の俺の思い出の写真が詰まった写真アルバムがあるらしい。あとで記憶の補填として探しておこう。
「ねぇ武ってば!」
「うわ!」
そんなことを考えいると背後から水月にダイブされて二人まとめて布団にダイブしてしまう。水月は覆いかぶさって武と目を見合わせた。
「ちゃんと話聞いてるの?」
「き、聞いてますよ?」
ちょっとこの体勢はまずい。特に純夏が来たらろくな目に合わない!
「というかこの写真撮った時の約束憶えてる?」
「へ? や、約束? なんでしたっけ?」
やばっ、忘れてたらまずかったか?
「そ、それは、ほら、あの……」
「え? なんて言いました?」
「な、何でもないわよ……」
なんだか照れてる気がするが俺はそんなに恥ずかしい約束をしたのだろうか。
「それより水月さん。さっき言ってたデザートの話。早く下に行きません? みんなも待ってるでしょうし」
今の体勢からどうしても抜け出したい俺ははやくはやくと水月さんに促した。
「なによ。せっかく久しぶりに武の部屋に来たんだからもう少し見させなさいよ」
部屋なら見せてやるから早く上をどいてくれ。じゃないと……
「速瀬先輩? 武君を呼びに行く話は……」
「あ」
開いた扉の前には祷子さんがいた。
「速瀬…先輩…?」
なんだか純夏とは種類の違う何か圧を感じる。
「た、武! パス!」
俺の上から退いた水月さんはそそくさと下に降りて行った
「──武君?」
今夜は長い説教になりそうだ。
ここらへんから原作のオルタードフェイブルとは少し異なってきます。先任組はこの世界では武とかなり親密な仲です。遙と宗像は今回出てませんがそのうちすぐに出てきます。