藤原秀郷って誰だよ   作:モッティ

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関白云々の下りは大目に見てやって下せえ


烏鷺亨子の生まれた日:前編

 

 

 その男は齢五つにして下野国全域を浄化した。

 その男は齢五つにして特級呪霊『百目鬼』を調伏した。

 その男は齡五つにして坂東の呪霊を壊滅に追いやった。

 

 

 身の丈は七尺に及び、筋骨隆々にして一騎当千。

 弓矢を持って地を抉り、刀を払いて天を晴らす。

 乱行の限りを尽くして流罪を言い渡されるも尚平然とし、己が本拠に居直る度胸。

 民草には神仏のように敬われ、貴人には鬼神のように畏れられる。

 

 

『八幡神の化身』

『坂東一の弓取り』

『悪童』

『剛力無双の(つわもの)

『一身是胆』

『怪異殺し』

『生き神』

『祈りの王』

 

 

 これらの仮称は全て1人の男に与えられしもの──ただその一部に過ぎない。

 

 坂東下向から帰還した貴族は言う。

 

 

『どれだけ兵を向けられようが、あの獣は臆さない』

 

 

 貴族は言う。

 

 

『どれだけ地位を与えられようが、あの獣は靡かない』

 

 

 貴族は言う。

 

 

『どれだけ言葉を尽くそうが、あの獣は揺るがない』

 

 

 貴族は呟く。

 

 

『京の都へ入れるべからず。

 天子様とて斬られよう』

 

 

 

 その男の名は、藤原秀郷。

 

 

 

 

 

 正直な所、少女はその話を真に受けてはいなかった。

 夢物語の御伽噺にかまけられるような境遇でなかったのもあるし、単に胡散臭く感じられたのもあった。

 少女はこの世に天から溢れんばかりの才を与えられる者がいることを知っているし、見たこともあるが、話を全て信じるならば、もはやその男は人間ではない。神仏の類である。

 

 

(……いけない、稽古に戻らねば)

 

 

 雑念を振り切って、少女は呪力操作の鍛錬に戻る。

 少女は男の噂が本当かどうか考えることの愚かさを知っている。

 何故ならすぐに分かることだからだ。

 

 彼女の所属する藤氏直属暗殺部隊──日月星進隊の長が言うには、その男は先日から近江国の三上山に出現した呪霊『巨凶大百足(きょきょうのおおむかで)』の討伐に出陣するらしい。

 男がどれだけ強かろうが、五虚将とその一味が束になっても傷一つつけられなかった正真正銘の化物を一人でどうにかできる筈がない──そうなれば噂が嘘だったということ。

 どうにかできたならば、噂は本当だったということだ。

 少女の上司達は皆一様に前者の予想であったし、少女もまた同じだった。

 

 

「……警襲の鐘?」

 

 

 突如として鳴り響いた鐘の音に、日月星進隊の隊員達は修練場に即座に集合した。

 最後列に立った少女の耳にも届く隊長の怒声は、さながら怯えを振り払おうと虚勢を張る幼子の様で、少女を含めた隊員達は只事ではないと身を引き締めた。

 

 

「正体不明の術師が都へ猛進している! 

 尋常ではない速さだ! 

 我らは直ぐに洛外へ赴き、術師の足止めを行う! 

 術式の有る者は展開せよ、一刻を争う事態である!」

 

 

 畏れ多くも天子様の(おわ)す京の都へ無断で術式を展開して侵入するとは、とんでもない不心得者が居たものだ。

 そう思いつつ洛外へ向かいながら、少女は森の彼方へと目をやった。

 目的地へ早く向かいつつ術師を目で捉えるには、少女の術式はとても有用で、間も無く件の術師を視界に収めた。

 

 

「……そうか、あれが」

 

 

 距離は遠く離れ、術師の姿は雀の涙程の大きさにすら映らなかった。

 だが十分だった。

 確信した。

 あれこそが藤原秀郷だと。

 

 

「出鱈目にも程がある」

 

 

 土煙が立ち込め、鳥獣が群れを成して逃げ惑い、呪霊ですら縮こまるしかない程の移動手段──それはただの跳躍だった。

 呪力は感じられなかった。

 彼の者が扱うとされる祝力と呼ばれる正の呪力も感じられない。

 そこから導き出される結論はただ一つ。

 

 

「素の力のみで山を越えるのか……!」

 

 

 まさに化物。

 まさに鬼神。

 自分はおろか、京に駐屯している術師と兵を束ねたとしても遠く及ばぬだろう、人智を超えた男。

 

 その男──藤原秀郷の眼は既に日月星進隊を捉えていた。

 

 

「ッ! ──敵襲!」

 

 

 少し間をおいて、巨体が日月星進隊の前に落ちて来た。

 飛び散る土石、立ち込める土煙を振り払うように男は彼らの眼前に躍り出た。

 

 

「出迎えとは殊勝な心掛けだのう、感心感心」

 

 

 偉丈夫の語り口調は実に穏やかで、とてもついさっきまで飛蝗の真似事をしていたとは思えない。

 少女が空から降りてくると、男は和やかに笑いかけた。

 

 

「空を飛べる術式か、珍しいものを持っているな、娘。

 ……しかし斯様な女子まで駆り出すとは、都のお偉方も余程余裕がないと見える」

 

 

 彼の双眸は隊長を捉えた。

 ただそれだけの動作で隊長は刀を構え、釣られて隊員達も武器を構え出す。

 周りを囲まれても、男は事態を気にも留めずに笑う。

 

 

「はは、どうやら要らぬ手間をかけさせてしまったようだな。

 それに関しては申し訳ない、少々こちらに用があったのでな。

 安心しろ、俺はお前達に敵意や害意を持っている訳ではない」

「……証明できるか?」

 

 

 隊長が絞り出した問いに、男は一瞬呆気に取られ、次いで大口を開けて笑った。

 

 

「証明なら済んでおるではないか!」

「どういう意味だ」

「ここで我らは語り合い、お前達は地に足をついて息をしている──殺す気ならば、立つのはこの俺ただ一人だろうが!」

 

 

 男は笑い、周囲は青褪める。

 この男には不思議な力があった。

 人々に安らぎと活力を与え、まだ見ぬ明日へ希望を持たせる、暖かな威光とも言うべきオーラが。

 

 だがそれによって隊員達に芽生えていた漠然とした好意は、男が一瞬放った本気の敵意によって打ち砕かれた。

 自覚したのだ、彼我の隔絶した力の差を。

 月と鼈、大人と子供、それらの比喩さえ生温い、生物としての格の違い。

 

 

「……さて、では本題だ」

 

 

 隊員達は確信していた。

 逆らえば皆殺しにされると。

 

 尤も少女だけは違っていた。

 男の暖かな覇気。

 春の陽気のような父性。

 それに反するような蛮勇さ。

 その全てを感じ、少女が抱いた確信は──

 

 

「案内してくれ──天子様は何処(いずこ)に座す」

 

 

 ──この方こそが自らの主君であるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、本当にこのまま降りて良いのか?」

「構いませぬ。

 強い術師は皆出払っております故、秀郷様を煩わせる事態にはならぬと思われます」

「そういうことを問うているのではないのだがなぁ」

 

 

 秀郷の案内役を買って出た少女は、空間を絨毯のように捻じ曲げ、それに秀郷を乗せて京の都の空を浮遊していた。

 目指すは御所、帝の座す聖域。

 地上を行けば妨害が入るのは目に見えているため、少女なりに気を遣ったが故の移動手段だった。

 尤も秀郷からすれば、常人の制止など塵紙を束ねた程度の物であったが。

 

 

「天子様が怒らねば良いがな……」

 

 

 若干不安になりつつも、秀郷は空の絨毯から勢い良く身を乗り出し、目下の御所へと自由落下する。

 人一人とはいえ巨大な益荒男の位置エネルギーは凄まじく、秀郷を受け止めた御所の庭園には轟音と共にクレーターが形成された。

 

 

「なッ!」

「慮外者が!」

「御所にて賊有り! 

 衛士を呼べ!」

「──御静かに願う!」

 

 

 当然、慌てふためいた朝臣達に衛兵を呼ばれかけるも、生来のオーラを持った秀郷の大音声は、非術師の動きを止めるには十分過ぎるほどだった。

 

 つかつかと歩み寄る秀郷に誰もが呆気に取られる。

 七尺を越える益荒男、蛮勇さに満ち溢れた面持ち。

 帝の面前に集まる朝臣達の脳裏に、とある貴族の記憶が溢れ出す。

 

 

(──此奴が藤原秀郷か!)

 

 

 それを全く意に介さず、秀郷は帝の前に仁王立ちする。

 それを庭園から見守る少女は、これから起こる事態を予想し始めていた。

 天子様に気を遣っている素振りはあったものの、遠く坂東から上洛を命じられたのだ、色々とこちらの術師達に思う所もお有りになるだろう。

 不甲斐なさに呆れ、叱責するために帝の許へ案内させたのだと、少女は洞察する。

 

 故にこれから行われるのは、一方的で傲岸不遜な激情の噴火──

 

 

「天子様の御宸襟を騒がせるは臣として有るまじき失態ではありまするが、この身は坂東生まれの世間知らず故、どうか御寛恕頂きたく。

 某は藤原北家魚名流藤原村雄が嫡男、藤原秀郷。

 此度は近江国は三上山にて発生した呪霊、『巨凶大百足』討伐の命を受け、馳せ参じた次第に御座います」

 

 

 ──とは、ならなかった。

 腰を下ろし、手を畳に付け、額を床に擦り付けた低身。

 最大限の敬意をもって、秀郷は天子様に言上仕ったのだ。

 

 

「……そうか、卿がの」

 

 

 それを受け、驚いたのは少女や朝臣達だけではない。

 寧ろ、帝の方が驚いていたと言っていいだろう。

 この時代、藤原一族による専横はよく知られる所であり、後に摂関政治と呼ばれる体制が確立されていた。

 帝の言葉よりも摂政・関白の言葉が優先される時代。

 必然、帝の求心力は低下し、帝は軽んじられていた。

 史実とは違い呪霊の存在があるために、現場を指揮する藤原氏の権勢は遥かに強い。

 

 その藤原氏の支流の嫡男が、帝を心から敬い、心から尊んでいる。

 驚かない筈がなかった。

 

 

「藤原秀郷! 

 貴様は書状にて即刻三上山へ赴くべしと命じた筈だ! 

 命を違えて京まで赴き、しかも御所にて騒乱を起こすとは由々しき仕儀!」

 

 

 停滞からいち早く目覚めた関白が檄を飛ばし、秀郷の非を詰る。

 それに、秀郷は口角を釣り上げて応じた。

 

 

「では打首にでもするか? 

 やれるものならやるがいい、俺を越える力と、三上山の大百足を祓える力量の持ち主が居るのならな」

「この──」

 

 

 怒髪天を衝く関白に、秀郷は殺気をもって畳み掛ける。

 

 

「この俺に命令できるのは、俺より強い者と、俺より偉い者だ。

 お前はどちらでもなかろう。

 この場にて該当するのは天子様のみだ。

 分かったならば控えておれ、同族の誼で目を瞑るが、繰り返せば幾ら俺とて堪忍袋の緒が切れるというもの」

 

 

 朝臣達の背に冷や汗が流れる。

 殿上人とはいえ彼らも幾度となく死線を潜っている。

 その自分達が、元服直後の若造に気圧されていた。

 

 不気味な沈黙を破ったのは、帝の失笑であった。

 

 

「秀郷よ、そう気を荒立てるでない、関白が小水を漏らすを見るは忍びないのでな」

「ハッ、御前にて無礼を働きました。

 申し訳ございませぬ」

「良い、許す」

 

 

 帝は近年例を見ないほどの上機嫌で、秀郷に笑いかけた。

 

 

「気持ちの良い尊皇家ぶりじゃの。

 近頃は卿の同族は栄華を極めておっての、幾年か前も菅原のが太宰府へと栄転する羽目になってしまった。

 朕の声よりも藤原の声の方が、余程通りが良いようでな」

「某の思う所、それこそが由々しき仕儀に相違ありますまい。

 日ノ本にて最も崇高にて侵されざる神聖が天子様であり、その他の有象無象がその輝きを鈍らせたるは、天理に背くことであると愚考する次第」

 

 

 これ以上ない褒め言葉、悪く言えば巧みなおべっか。

 それは秀郷のカリスマによって増強され、帝ですらその言の葉に乗せられてしまいそうになる程。

 

 だが帝はその本意を見抜いた。

 これは自分の境遇を憐れんだ、彼の者の情けなのだと。

 自らの言葉によって、自らの同族を牽制しようという、温かな思慮によるものだと。 

 

 帝である自分を、慮っての言動。

 情けなくなりつつも、確かな感謝を持って、帝は秀郷に笑みを溢した。

 

 

「卿は、優しいな、秀郷よ」

「──お見通しでしたか。

 度重なる無礼、誠に申し訳ない」

「そうさな、朕に対して数々の無礼、誠に許し難い所業じゃ。

 故に秀郷、卿に無理難題を命ずることによってその罰とする」

 

 

 不意に顔を上げた秀郷に、帝は厳粛な顔を見せて、『無理難題』を言い放った。

 

 

「傷一つつかずして、『巨凶大百足』を討伐し、生還せよ」

「──上意、承った!」

 

 

 勢い良く立ち上がり、秀郷は高らかに宣言する。

 これから描かれる英雄譚を想像させるように。

 華やかに。

 勇ましく。

 言の葉を紡いだ。

 

 

「必ずやかの巨悪を討ち果たし! 

 京の都からも見える程の血の雨を降らせてご覧に入れましょう!!」

 

 

 いつの間にか傍に侍っていた少女の手を取り、流星のように空へと駆けていった秀郷。

 またしても呆気に取られる朝臣達とは対照に、帝は笑みを浮かべて確信していた。

 

 

(秀郷、卿ならば、天元を、我が愛娘の安寧を──)

 

 

 帝の祈りは、流星に確かに届いていた。

 

 

 

 

 




ぜ、前編って書いてあるからといって続くとは限らないんだからねっ!
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