近江国、三上山。
突如として出現した呪霊、巨凶大百足は、その山頂に頭を構え、山を7巻半する程の巨体を持って、その周辺に君臨していた。
草木は押し倒され、獣は棲家を失い、禿山と化したその一帯は、呪霊の醸し出す異質な邪気に不気味に彩られている。
それは暗い色の絵の具をそのままキャンバスにぶちまけたような有様で、見えない筈の非術師がその存在を遠くからでも薄ら知覚できてしまうほど。
呪霊は三上山を離れない。
それは呪霊としての本能によるものだが、ここまでの巨大さともなれば少し動くだけで災害にも等しい。
僅かでも動けば近隣の里に被害が及ぶ。
集められた術師達はそれを防ぐため、これから来るであろう男に助太刀をするため──そしてあわよくば男を亡き者とするため、三上山から離れた位置に陣取っていた。
亡き者に、とは、彼らの上司から言いつけられたこと。
彼の男、藤原秀郷は幼い頃から乱行を重ね、貴族を打擲するなど日常茶飯事であったと言う。
生かしておけば、必ずや日ノ本に乱を招く──故に、奴は殺すのだと。
だがここにいる誰もがそれを愚かと断じている。
自らが手を下さずとも、この呪霊が代行するであろうから。
「藤原秀郷の到着はいつ頃になろうか」
「飛ばせば3日後には到着しましょう。
噂通りの男ならば、すぐにでも来ていい頃合いですが」
「所詮、噂は噂よの……」
秀郷は武芸に秀でた益荒男で、呪力の助けも無く一っ飛びで一町の距離を飛ぶことができるのだと言うが、彼らとしてはとても信じられなかった。
無理もないことである。
人は、自らの経験に即して判断する生き物だからだ。
「物見遊山とはいい趣味をしておるな」
故に、最初は秀郷が訪ねてきても、数ある術師の一人と認識していた。
だが遅からず、彼らは気づき始める。
──七尺を超える大男など、ここに来てから一度も見ていない。
術師達の長は、目を見開いてその男を凝視した。
「……卿が、藤原秀郷か。
何故都の方角から来た」
「都から来た故、そうもなろう。
天子様に一目お会いしたくてな」
見るもの全ての心を溶かし、麗らかな春の風を錯覚させる不思議な気配。
後頭部に束ねた髪を揺らし、刀の鍔に爪を叩きながら、藤原秀郷は飄々として術師達に尋ねた。
「それで、お前達はどうしてここに?」
「大百足の足止めと、卿の応援に参上した。
五虚将は先の戦により消耗しておる故出られぬが、それでも腕の立つ術師達を揃えた。
足手纏いにはならぬ」
「ああ、そうかそうか。
お気遣い感謝する。
──ところで戯れに聞くが、なぜお前達のみで討伐に当たらなかった?」
その問いに、術師達は口をつぐみ、俯いた。
出来るならとっくにやっている。
自分たち、ましてそれより強い五虚将の面々ですら刃が立たなかった正真正銘の怪物に、彼らは為す術なく敗北し、恥知らずにも遠く坂東から態々術師を招いて事を収めんとする始末。
不甲斐ない事この上なかった。
「……力不足だ。
我々では傷一つつけることすらできなんだ。
我らの前に挑んだ五虚将と同様に」
「そうか、そこまでの強さか、あの呪霊は」
それを、まるで問題ではないと言わんばかりの秀郷の反応。
精々が、一応確認しておこうか程度のもの。
恐れを通り越して呆れすら浮かんでくるものの、不思議と彼らには怒りの感情は湧いてこなかった。
秀郷の生来のオーラによるものだ。
湧いてきたのは、その直後。
「お前達も薄々分かっているだろうが、お前達の役割はここで終わりだ。
雑魚の露払いには有用でも俺の戦には無用」
「……ッ」
雑魚、露払い、無用──分かっていたことだ、彼らは十分過ぎるほど、理解していた。
だがそれでも、言われて悔しさすら感じないほど、彼らは男を捨てていなかった。
術師達は、知らず知らずのうちに己の術式を外に漏れ出してしまっていた。
秀郷は何かに気づき、術師達の集まる中、一角に集まる三人の眼前に立った。
色素の薄い──恐らくアルビノと思わしき少年。
長髪を束ね、寡黙な表情で秀郷の目を見つめる少年。
短髪で幼く、一眼では何故ここに呼ばれたのか疑わしく思える少年。
秀郷は腰を落として、先ずは最初の一人と目線を合わせた。
「お前、良い眼をしておるな」
「……どうも」
「だが、その眼の真価を発揮するには、お前の経験は不足しておるようだ」
「──んだと?」
怒りを露わにする少年を尻目に、秀郷は二人目と目を合わせる。
「血を操る、か。
中々に有用そうだ、その年で既に上澄みに手が届きつつある。
だが、それで満足しておるようでは話にならんな」
「…………」
図星を突かれて目を見開いた少年を後にし、秀郷は三人目と目を合わせる。
「影法師、この中じゃお前が一番才能に秀でておるようだな」
「えっ、あ、ありがたき幸せ」
「お前は何にでもなれる。
故に、形が定まっておらん。
思い切って捨て去らなければ、何者にもなれぬまま燻り続けるのみだぞ」
言われたことの意味を反芻する少年から目を離し、秀郷は遥か彼方の大百足を見やった。
「連れて行く価値があるとするならば、精々この三人だな。
尤も、今のままでは取るに足らんが」
「さんざっぱら好き放題言ってくれんじゃねぇか、ウドの大木」
毛を逆立てて怒りを発する少年。
若さ故の無謀。
自分が貶されたこともそうだが、許せないのは友まで貶されたこと。
勝てぬと分かっていながらも、友を貶されて黙っていられるほどの忍耐力を、この少年は持ち合わせていない。
少し自分と似たところのあるこの少年に、秀郷は若干の親近感すら覚えた。
「戦わずに偉そうに御託を並べるのが坂東のやり方か?
異名の割にゃ随分と腰が引けてやがんじゃねぇか、口でもの言う前に、手本を見せるのが先なんじゃねぇの?」
「五条! その辺にしておけ!」
「五条さん! ちょっとは相手考えて喧嘩売ってくださいよ!」
「うるせぇ!
先に喧嘩ふっかけてきやがったのは向こうじゃねぇかよ!
やられっぱなしは菅原の名に傷がつくってもんだろうが!」
後ろの二人に羽交締めにされる、五条と呼ばれた少年。
そのやり取りに、少しの羨望すら覚えて、秀郷はそれを誤魔化すように声を上げて笑った。
「そうだな、全くもってその通りだ。
百聞は一見に如かず、先ずは手本を見せねばな。
付いてくるがいい」
踵を返して呪霊へと向かっていく秀郷。
その後を術師達が追う形となり、一行は大百足の鎮座する三上山の麓に到着する。
「おうおう……これはまた……ここまで来ると爽快とすら思えてくるな!」
瘴気漂う異界の中にあっても尚、秀郷の心体は揺るがない。
心なしか──いや、間違いなく、術師達の目には秀郷の周囲に存在する濃密な祝力の盾が見えていた。
これは、ひょっとしたら、もしかしたら。
術師達が朧げに抱き始めた期待に応えるように、秀郷は矢を構えた。
「──さて、先ずは一矢」
纏わりつく祝力が流星のように流れ、大百足の外殻に衝突した。
響いた爆発音に歓声が沸くが、当の秀郷は驚きの表情だった。
「……効かんか、大した奴め。
ではもう一丁」
異変に気づいた大百足は、既に秀郷達を視界に捉えている。
自らの体に狼藉を働いた“小虫”に、小手調べとばかりに毒霧を噴射する。
それを掻き消すように矢は放たれ、辺り一面を晴らす。
だが、矢はそれでも外殻に阻まれ、無情にも地へ落ちていく。
垂らされたかに見えた救いの糸が、遠く彼方へ飛んでいったように、術師達は幻視した。
「ハッ、なぁにが坂東一の弓取りだ、俺らと一緒で傷一つ付けられねぇでやんの!」
「黙って見ていろ。
あれが全力のはずがなかろう」
一つ一つ、小言が漏れ始めた術師達を安心させるように振り返って笑顔を見せた秀郷は、再び大百足へと眼をやった。
大百足は動かない。
まるで何かを期待しているかのように。
救いの手を待っているかのように。
ただ静かに、両者は暫し見つめあった。
先に沈黙を破ったのは、藤原秀郷。
「──すまんな呪霊、どうやら俺はお前を見縊った。
これは詫びだ、受け取るがいい」
瞬間、秀郷の周囲に纏わりつく祝力は爆発的に溢れ出し、辺り一帯を包み込むように展開する。
ゆっくりと矢をつがえ、鏃に口付けを施し、十人張りの強弓を引く。
「『
呪詞の詠唱。
秀郷にとっては生まれて初めての体験。
己の術式に刻まれた文言を、違えることなく発する。
瞬間、秀郷の発する暖かな黄金の光の中に、術師達は神域の気配を感じた。
(これは──龍?)
秀郷に寄り添うように塒を巻く、一体の龍。
それはほんの一瞬だけ巫女の姿を形取った。
秀郷に気付いた様子は無い。
或いは、元から知り得ているのか。
何にせよ、それは重要では無い些事。
今この瞬間から繰り出される英雄譚には、全く以ってどうでもよいことだった。
「八幡神よ照覧あれかし──『
晴天に轟く黄金の流星は、驚くべき速さで大百足の邪眼に突き刺さった。
凡そ生物から発することはないだろう爆発的な金属音の連鎖と共に外殻は砕け、その隙間から我先にと飛び出した血肉が風船のように膨らみ、一瞬の間をもって、爆発した。
それは活火山の噴火のようだった。
真っ赤な血飛沫が太陽に届こうとするように天へと駆け、重力に抗えず地に堕ちていく。
局所的なゲリラ豪雨は、祝力を展開する秀郷達の一角を除き、三上山周辺を赤褐色に染め上げた。
天子様も御照覧あろう──そう呟いた秀郷は、一仕事終えた達成感を胸に術師達を見やって、笑いかけた。
「どうだ、手本になったか?」
「……恐れ入ったよ、あんたこそ『日ノ本一の弓取り』だ」
「お褒め頂き恐悦至極」
アルビノの少年も、残り二人の少年たちも、その他の術師達も青褪めて呆然としている。
やるのではないかと思っていた。
期待は確かにしていたのだ。
だが、たった三矢のみで、あの『巨凶大百足』を討伐してみせたという現実が、余りにも信じられなかった。
見てはいけないものを見てしまったかのような心持ち。
図らずも歴史の生き証人となってしまった困惑。
立ち去って行く秀郷の姿は、もう豆粒ほどの大きさだ。
その後ろ姿に、術師達は知らず知らずのうちに手を合わせていた。
誰もが、青褪めた顔を赤らめて、口角を上げていた。
秀郷に対する自らの無知を恥じ、その感情を信仰へと変化させ、彼らは祈りを捧げた。
“日ノ本一の怪異殺し”へと。
「──これこそが『祈りの王』か」
手を合わせながら、アルビノの少年はその生き様に心底惚れ込んでいた。
「どこへ行く、五条」
「……げ」
朝方、まだ日も昇り切っていない時間帯。
荷物をまとめて旅立とうとする親友の後ろ姿に、赤血操術の使い手である加茂は声をかけた。
その傍には影法師の使い手、禪院の姿もある。
「秀郷様に付いて行く気か?」
「分かりきったこと聞くんじゃねぇよ」
アルビノの少年──五条は心情を、唾と共に吐き捨てた。
思い人の顔を脳裏に浮かべて。
「俺は強くなる。
強くなって、天元を迎えられるぐらいの功績立てて、あいつを掻っ攫ってやるんだ。
止めるってんなら受けて立つぜ」
「そのつもりはない」
その言葉に、五条は振り返って渋面をつくる。
「俺たちも同行する」
「……本気か?
ウチは菅原の出だし、禪院のガキは新興の家の出だからいいとしても、お前は加茂家の嫡男だろ。
親父さんの許しは?」
「そんなものは必要ない。
これは俺の判断だ。
誰にも妨げさせはしない」
幼い頃に見た、三人の中でいつも兄貴面で晴々とした顔の加茂が、今自分の前に再び現れた。
懐かしい顔に、自然と五条の顔にも笑みが溢れる。
「随分な心変わりだな、一族の未来を背負って型に嵌まってたお前が」
「俺も、禪院も、お前も、ただの馬鹿な男だった。
それだけの話だろう」
「……ハッ、違いない。
禪院、お前の心境は?」
「……秀郷様の言ったことが、ずっと頭に残ってるんです。
でも俺のような若輩者には、何を捨てるべきか分からない。
教えを乞いたいんです。
あの人のように強くなるために」
「なるほど。みーんなおんなじ、強さのために家を捨てた馬鹿ってわけだ」
「──私は違う」
突如三人の前に降りて来た少女。
最低限の衣服のみ身に纏ったその少女に、三人は見覚えがあった。
確か、昨日秀郷様に着いてきていた少女だったはずだ。
てっきり秀郷様に着いて行ったものとばかり思っていたが、何故ここにいるのか。
その答えを、少女自らが語った。
「元から出迎える家族も、帰る家もない。
私には何もない。
昨日の晩に隊員に別れを告げてきた。
だから大手を振ってあの方にお仕えできる」
「てめぇ、名は?」
「申し訳ないけど、名乗れる名が無い。
日月星進隊隊員──私の肩書はそれだけ」
三人にも聞き覚えがあった。
己を滅し、敵を排除し、ただただ体制の護持のためにその身をすり潰される者達の集まりを。
余所者ではあったものの、三人は拒めるだけの悪心を持ち合わせていなかった。
「旅は道連れ世は情け、か。
良かろう、共に秀郷様の許へ」
「けっ……まあ、ここまで来たら三人も四人も変わらねぇか」
「よろしくお願いします」
「……忝い」
四人の一行は藤原秀郷が滞在している屋敷へ向かう。
少女の術式で移動する彼らは、眼下にその屋敷を発見し、降下する。
「世話になったな親父さん、釣りはいらん、取っといてくれ」
「ありがとよ!いつでも来てくんないや!」
「ああ!いつかまたな!
──っと、これはこれは」
秀郷は既に旅立とうとする間際であり、少女がいてくれて助かったと三人は心底感謝した。
「見覚えのある顔と思えば、昨日の術師達か。
この藤原にいかな御用向きか?」
「突然の訪問にも関わらずの歓待、痛み入ります。
此度は秀郷様に御願い事を叶えて頂きたく、罷り越しました」
加茂が先頭に立ち、一斉に膝をついて頭を下げる。
いいからいいから、面を上げよ──苦笑いで手招きする秀郷に、加茂は感謝を述べ、本題を切り出した。
「我らにご教授頂きたい。
呪術の本質。
強さの深淵。
呪力の核心。
──貴方様の力の一片を己が物とする、その術を」
緊張の一瞬であった。
彼らに取っては一世一代の賭け。
断られればどうしようもない。
不安が頭をよぎり、背筋に冷や汗が流れる。
秀郷はそんな三人を見て、恥ずかしいやら頼られて満更でもないやらで、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「まあ、一人旅は些かさもしい心持ちであったからな。
良かろう、大して役に立つかは知らんが、お前達の面倒はこの俺が責任を持って見てやるとしよう」
「──ありがたき幸せ!」
賭けに勝ち、三人は飛び上がって喜んだ。
秀郷は、一人膝をついたままの少女を見やり、声をかけた。
「娘、お前もその口か?」
「私はそれよりも厚顔なる申し出となります故、御気に触ることがあれば即刻お切捨て下さいませ」
「する訳無かろうが……」
再び苦笑いを浮かべる秀郷。
少女は鬼気迫る顔で、彼に願いを言った。
「貴方様のお側に侍り、雑務全ての露払いを任せられる名誉をお与え下さいませ」
「……要するに従者になりたいと?」
「その通りにございます!」
「んー……」
目を輝かせる少女に、ポリポリと顎を掻く秀郷。
秀郷としては困ったことだった。
故郷に帰れば従者など腐るほどいるし、そこまで人手に困っているわけではない。
故にその回答は、少女の期待とは別のものだった。
「断る」
「……左様で」
「お前は今日から妹分だ」
「──は?」
予想外の返答に、唖然とする少女。
イタズラが成功した少年のような笑みで、秀郷は少女に合わせて膝を曲げた。
「お前、名はなんと言う?」
「……ございませぬ。
私めは日月星進隊隊員として滅私奉公を強制されておりました故、名はおろか、術式の名すら無いのです」
「……そうか、それは可哀想に」
悲しげな表情の秀郷は、暫く顎に手を当て、考える素振りを見せる。
不意に空を見やり、飛ぶ鳥の姿を捉えた秀郷は我が意を得たとばかりに手を叩いた。
鳥とは自由の象徴。
この少女は、自由であるべきだ。
そう生きてほしい。
「『烏鷺亨子』──『穹窿操術』の『烏鷺亨子』とは、どうだ?」
「え、っと」
「お前と術式の名だ、俺たちは皆家族となるのだ、名が無ければ困るだろう!
どうだ、気に入らんか?」
「……わた、しの、名?」
少女は再び唖然とし、体の奥底から溢れ出す歓喜の念を抑えきれずに立ち上がった。
自身の敬愛する、日ノ本で最も強い男。
その男からの初めてのプレゼント。
自らの名──それも、二つ。
その身は震え、涙すら流れ出た。
「亨子──私は! 亨子!
穹窿操術の烏鷺亨子だ!」
衝動を抑えきれず、空を駆け、この世の全てに宣伝して回りたいとすら思い、己の名を叫ぶ。
「どうやら気に入ってくれたようだな!
ハハハ、少ない脳味噌を絞った甲斐があるというものよ!」
秀郷は大声で笑い、傍の三人も自然と笑みが溢れる。
太陽は既に昇り、彼らの門出を祝福するように、燦々と煌めいていた。
「僕も名前が欲しいなあ……」
それを見て、一匹の百足は物欲しげに呟いていた。
続かないんじゃない?(適当)