4月25日。06:00。対潜教導団旗艦『さつま』士官食堂。
『さつま』には副長の福内典子や航海長ら、『さつま』の幹部と各艦艦長が集合し、朝食がてらの艦長会議が行われていた。
戦闘糧食として給与されるおにぎりを豪快に幌張るのは『さつま』艦長の宗谷真冬。対潜教導団分艦隊司令も兼任する。
「ん、美味いな。さすがはウチの給養員。有事でも飯へのこだわりは変わらないな」
艦長会議に出席する各艦艦長もおにぎりを一口食べるとその味に驚く。
「うん、確かに。ウチの艦でも真似たいなぁ」
各艦艦長も口々に言いながら、艦長会議件朝食会が進む。
「さて、食いながらでいい。各自聞け」
食いながら、とつける真冬。各自が視線を真冬に集中させる。
「作戦開始時刻となった。行方不明艦の捜索と、救出が任務となるが、その中には潜水艦もいる。だからこその我々だ」
最後の一口を口の中へ放り込み、続ける。
「すでに我が
各艦艦長の気が引き締まる。
「7年前のRATs事件では私たちは間に合えなかった。今回こそは学生たちに尻拭いさせないようにするぞ」
真冬は2016年のRATs事件時、布陣ミスで『武蔵』の進攻阻止に間に合わなかったことを後悔していた。それだけに彼女の作戦への熱意も高まる。傍らに控える福内も、当時感染暴走していた『武蔵』に敗北した苦い記憶がある。両名にとって、雪辱の機会と言える。
「私たちの担当は第3管区第2線。学生や妹たちに戦果をとられるなよ。さぁ、気合い入れていくぞ!」
「おぅ!」
旗艦『さつま』は増速し、対潜教導団は警戒体制を強化し作戦海域へと突入した。
同日、08:30。西之島沖30kmの洋上。潜水直接教育艦『伊126』。
「……作戦名『アンドロメダ』。ホワイトドルフィン主導の異種兵科連合作戦。未だ所在不明な『利根』以下、感染艦28隻の捜索と救出を目的とし、本土進攻を絶対阻止することが作戦目標……。各護衛隊群水域を元に第1から第4までの統合任務部隊、学生艦と予備艦を主軸にした第5統合任務部隊を編成。『
作戦書を読んでいたひばり。あまりの作戦規模に乾いた笑みがこぼれる。
「それだけRATsが恐れられてる……ということですね……」
戦闘糧食のおにぎりを食べる翼の手が止まる。
硫黄島要塞に大艦隊が入港したため、整備場所がなくなった『伊126』は父島の仮設基地を拠点に哨戒を行っていた。
他の学生艦も正式に海洋法11条による正規部隊徴用を根拠に作戦に参加していた。『伊126』が担当する海域は脅威度は低いものの、危険度が高いのは変わらない本物の有事作戦となっていた。
「しかし、『アンドロメダ作戦』ねぇ……生け贄にされたアンドロメダをペルセウスが助け出すっていうところからインスパイアされたんだろうけど……なんというか、安直」
海図室のカーテンから顔だけ出して言うのは航海員の暁。
「ザ・ホワイトドルフィンって感じのセンスだよね。ストレートで捻らない!」
水雷長の橋本が賛同する。発令所はいつも通り賑やかしかった。
「……ツバメさん、『利根』の最終目撃地点は?」
翼はこの事件が始まってからずっと気がかりだったことを尋ねる。
「……母島沖、南西34kmの地点。3日前に監視レーダーに観測され、以降の進路は不明」
「も、もしかした、ニアミスしてたかもっすね……」
白雪は冷や汗をぬぐう。確実にこの父島列島周辺にいることが想像できる。乗員たちに緊張が走る。
「かんちょ、『利根』って……」
ひばりは3日前の夜のことを思い出す。『剣埼』で話した日、翼が今もっとも心配している幼なじみの『利根』の竹沢伸艦長の話を。
「うん。……のびるが無事なのか、そもそも『利根』がどうなっているのかわからない……。どっちにしても早く助けたい……」
翼の目には迷いと葛藤があった。
また乗員を危険にさらす恐怖心、指揮官として未熟な翼の心の中には、水測長不知火の負傷がトラウマとしてのこっていた。それと、『利根』艦長が幼なじみであることから任務に私情を持ち込もうとしている自分への嫌悪感。だが、大切な彼を救いたい……。公人として、艦長としての責任感と友人を救いたい、ごく普通な感情との相反する要素が彼女の心を塞ごうとしていた。
「また難しい航海になるな……」
航海長の春雨が言う通り、『伊126』にはさっそく困難が次々降りかかることになる。
同日、09:36。
「艦長、電探に感あり! 航海記録にない大型艦です!」
「こちら
「ソナーでも探知!」
突如として現れた大型艦に、艦内は緊迫する。
「総員戦闘配置! 急速潜航、ダウントリムいっぱい!」
『伊126』が水中に滑ると同時に対象の大型艦が発砲する。
「目標発砲!」
「ウチらついてなさすぎ!」
「何度目よこれでぇ!」
「4度目!」
「着弾します!」
阿鼻叫喚の艦内。慌てながらも自分のやるべきことはきっちりとこなす生徒たち。戦闘慣れした生徒たちの喧騒の中、ちらりと見えた艦影に翼は胸騒ぎを覚える。
不思議と頭は冴えている。しかし、嫌な予感で気持ちは落ち着かない。
「潜望鏡深度、目標を黙視で確認する!」
ひばりも、翼の動揺を察知していた。普段ならやけに静かでケロっとしている翼の明らかな動揺は嫌でも伝わる。
「かんちょ……さっきの艦影……」
翼は無言で潜望鏡を覗く。倍率を上げるまでもないほど近くにいる目標大型艦の艦影は忘れようにも忘れられない独特なものだ。
「……『利根』だ……。目標艦は『利根』……のびるの艦だ」
同日10:42
「『利根』の速度18ノット。針路3-5-0。本土方面へ向けて進行中。本艦は『利根』の後方8km地点で潜航追跡中。繰り返す……」
「現在位置の通報よし」
「でもこっちは潜航全速で10ノットぐらい。このままだと電池はすぐ切れる」
「どれくらい?」
「機関長からの進言だと4時間……全速でぶん回してるからもっと短くなるかも……とのこと」
「このままじゃ引き離される……」
「どだい、潜水艦で快速巡洋艦の追跡なんて無理だよ」
「艦長はどうするつもりなの」
「それなんだけど……」
『伊126』が『利根』の追跡を開始して1時間。ただ追尾をしているだけの状況にやきもきする生徒たち。だが一部の生徒は翼と『利根』の因縁と言える関係を察していた。
「へぇ……『利根』の竹沢艦長は艦長の幼なじみなんすね」
「ここで会ったが百年目ってか」
「チャンスじゃないですか」
「どうして急に縮こまって……」
理由を話すと、生徒たちは共感してくれる。励ましの声が聞こえてくる。当たり前に『利根』を助けようとする生徒の声が痛かった。当然に『利根』のことは助けたい。だが、翼は判断を迷っていた。艦長としても幼なじみとしても、ブルーマーメイド見習いとしても、選択肢は取るに一つ。
しかし、動けない。
「かんちょ……怖い……の?」
ひばりが不安そうに、割れ物を扱うようにおずおずと翼を抱き締める。いつもの翼を安心させるためではなく、自分が落ち着くための行動だ。いつになく、『伊126』のツートップは不安定になる。
「…………『利根』は助けたい……当たり前だよ。けど、『
力なくその場に踞る翼。支えていたひばりの手からずり落ちる。
「また、戦闘になってしまう。また、みんなを傷付けてしまう……でも、そうしなきゃ『利根』を……のびるを助けられない…………」
幾度もの戦闘、乗員の負傷と離脱、潜水艦という密閉空間での強烈なストレス。一歩間違えば全滅もあり得る過酷な環境は15歳の少女が許容できる責任感を大きく逸脱していた。
すすり泣くような声は次第に嗚咽へと変わっていく。
「うまくできるつもりだった。出航前は……。でも、今は、できない……できないよ…………。どっちも決断できない……私が、自分が、にくい。こんなの、艦長失格だって、わかってるのに…………私は……」
何も決断できない自分、進まなければならないのに、進めない自分への怒り、不甲斐なさ。小さくはない彼女の背中にのし掛かる重さは彼女が耐えられる限界をとうに超えていた。
「…………『利根』、本艦の追跡限界まであと3時間……」
「司令部より新たな命令。2時間後にタスクフォースが到着する。『伊126』は追跡を中断し、離脱せよ……」
発令所の重い空気の中、嗚咽を漏らすだけで最早指揮続行が困難な翼に代わり、副長のひばりが決断するしかなかった。
「……司令部へ了解の旨、返信して……。それと補給のため父島仮泊地へ帰還すると……付け加えて」
副長の指示で艦はようやく動く。深度を深くとり、反転する『伊126』。遠ざかる『利根』にもはや何ができるでもなく、ただ無機質な天井を見つめることもできず、翼は床に涙の雫を落とすだけだった。
「それでいいよね……かんちょ」
彼女の唯一の決断は、ひばりの言葉に無言で首肯したことだけだった。
同日、11:12。『伊126』は『利根』の追跡を断念し離脱。タスクフォースはその後、独航する『利根』を捕捉。5時間に渡る戦闘の末、『利根』の無力化に成功した。
翼たちがその報告を聞いたのは同日夕方、潜水支援教育艦『剣埼』の艦内だった。