5月6日、07:02。紀伊水道水深90m。海域を悉く征服する大音響が響き渡る強烈なゴングが鳴らされていた。
"敵艦"からの音響魚雷攻撃に3隻の潜水艦は翻弄される。唯一、敵艦の狙いを察知した『伊126』だけがそのショックを最小限にしていた。
「お、音響魚雷……」
「『
翼に初撃を乗り切った安堵感はあったが、それよりも次の攻撃を警戒し、臨戦態勢を崩さなかった。
その艦長の様子にひばりも襟を正す。
「岩渕さん! 耳は!?」
艦内マイクをとる翼。マイクの向こうからは元気な声が返ってくる。
「お陰さまで無事! ただ、音響魚雷の影響でソナー感度が極低下。回復まで5分はかかります!」
「ほっ……」
ソナーの無事を知り、今度こそ安堵のため息をする翼。
続けて作戦指揮に戻る。
「『
「ソナー探知できません! 機関音だけはうっすら聞こえますので、健在と思われます」
僚艦が耳をやられた可能性に歯ぎしりする。先制攻撃を受け、耳と連携を奪われた。襲撃した艦さえわからず、文字通りの暗黒に包まれる『伊126』。すぐに追撃があってもおかしくない緊張感、生徒たちはもはや生きた心地がしなかった。
「いきなり大ピンチ……どうするのかんちょ!」
ひばりも優秀な指揮官だ。しかし、独創的な思考には恵まれず、基本に忠実で無難な指揮を得意とする。マニュアルにない今回のような戦場ではその能力は十分に発揮できない。だからこそ、今は艦長の翼だけが頼りになっていた。
「……ひとまず反撃を。ただ動けずにいるよりはいい」
「魚雷を射てば、本艦の位置が露呈します。彼らはそれを狙ってるのかも?」
水雷長の橋本が意見具申する。
「いえ、すでに本艦は攻撃を受けた。"敵"……は本艦の位置を、捉えているはずです」
敵、と言った翼の口が歪む。感染暴走しているとはいえ、元々は志同じくする海洋学生。彼らにとって不本意な感染暴走であり、敵と断言するのは憚られる。しかし、それ以外に適当な表現はなかった。
「……了解。反撃します。魚雷発射管1番、2番、"敵艦"予想位置に向けよ。発射!」
『伊126』は予め装填していた音響魚雷を通常魚雷と共に発射する。
「魚雷、正常に発射、起爆15秒前!」
旧いモデルのホワイトドルフィン官給品ストップウォッチを見つめる翼。
15秒ジャスト、ソナーを介さなくても聞こえる大音響が密閉された艦内の空気を揺らす。
「起爆!」
「ソナー、感度戻りつつある。まだ音響がこだましていますが、さっきよりはだいぶ聞こえます」
先制攻撃に対する反撃、翼は次の一手をすぐに打つ。
「ソナー、聴音最大で敵艦探知にあたれ。航海長、機関微速前進、変温層探知位置へ艦を遷移させよ」
航海長の春雨が舵を握る。潜水艦は熱くなってはいけない。常に冷静沈着に、確実に艦を動かす。その能力については春雨は一級の腕前だ。
「了解。前進微速、変温層探知位置へ艦を遷移させます」
艦がゆっくりと動き出す。被探知とまだ初撃から回復しきらない味方を守るため、音響魚雷で猫だましし、艦を有利な位置へ遷移させる。艦長の的確な指示を横で見ていたひばりに、口を挟む余裕はなかった。
(そうそう。かんちょはそうしているのが1番輝いてる……。あぁ、私不謹慎だなぁ、こんな時でも貴女の好きな所探してる)
明確なきっかけなどよく覚えてはいない。ただ、この静かなる戦場にあっても彼女にとっては好きな人の隣で戦える喜びを感じていた。
同日、07:21
「だいぶ海域内落ち着いてきました。感度70。不明な目標6。内、潜水艦の可能性大なるは3」
「潜水艦に絞って観測せよ。できれば艦名を特定されたし」
「了解」
「僚艦『
「艦隊再編を急ごう。本艦を中心に単横陣。それぞれ聴音位置につけさせて」
最初の魚雷攻撃の応酬から20分ほどが経過。初陣での先制攻撃のショックからようやく立ち直った『伊209』、『伊168』が艦隊に復帰した。まだ『伊126』は敵艦を探知できていない。
「副長、『
艦隊である強みを翼は活かす。『
「『
右翼に配置していた『伊209』が機関始動し、増速する。
「……まるで『伊209』は囮だね……」
ひばりが言うように、実質的な囮作戦だった。高速で『伊209』が機動し、敵艦を誘い出す。敵艦が攻撃を始めても、『伊209』の高速力なら振り切れるという思惑があった。
「潜伏した敵潜水艦を探知するには、手段は選べません……」
指揮官としての判断と、乗員の安全を第一とする思想はどうしても相容れない。その思想の衝突は指揮官としての判断が優先されるからだ。
「こちらソナー、機関始動音! 鼻先にばら蒔いた餌に食い付きました!」
かかった。ざわつく心を抑え、翼はすぐさま次の指示を出す。
「聴音最大! 敵艦位置を特定せよ! 魚雷発射管準備!」
一方の『伊209』では。
「かかかか、艦長! 推進音探知! 潜水艦3……いや、4隻はいます! 囲まれました!」
「『
発令所では生徒たちが口々に文句を言う。気付けば敵潜水艦4隻に囲まれ、前後から敵味方の魚雷が航走する危険水域のど真ん中に『伊209』はいる。『伊209』艦長も不安な気持ちは押さえきれないほどだったが、それでも艦と生徒たちを信じていた。
「深海艦長はこの艦隊で唯一の実戦経験者だ。彼女が言うなら間違いはない。それに、俺は君たちの能力と、この艦の能力を信じてる。なにも心配することはないさ」
『伊209』の艦長は自信家である。そのことを生徒たちはよく知っていた。
「艦長……」
「弱音言ってすんません! 次の指示を!」
動揺していた生徒たちがまとまる。
「よし。反転180度、急速離脱!」
『伊209』も次なる行動に出る。
「解析完了。『伊407』『伊15』『伊33』『伊8』の4隻です。全艦3ノットでこちらに接近中。射角から見て、最初の雷撃は『伊407』のものと思われます」
「すぐにでも射ってくるよ、音逃さないで」
「もちろん!」
「『
「『
僚艦の『伊168』も魚雷発射管を開口する。『伊209』の高速力と、ありったけの魚雷を使って撹乱する作戦の第2段階となる。
だが、作戦に不測の事態はつきもので、翼の作戦はすぐに修正されるのを余儀なくされる。
接近してくる4隻の敵潜水艦の発射管が、全管開いたのだ。
「あ……こちらソナー! 敵潜水艦魚雷発射管開口音、全管……全艦全管です!」
ひばりが叫ぶように驚く。
「まずいよそれは! 4艦26射線なんて……こっちはまだ準備できてないのに!」
うろたえるひばりだが、翼はすぐに決断する。
「先手必勝! こちらも全管発射する」
「えぇ!?」
水鶏は翼の方へ驚愕の視線を向ける。しかし、翼の目は変わらない。断固とした決意を返される。
「『
航海長の春雨が懸念を示すが、それでも翼は引かない。
「『
水鶏は1秒だけ悩んだ。
「了解! あらかじめの諸元に従い、1から6番、通常魚雷発射せよ!」
復唱はすぐに発射管室に伝えられる。
「所定の諸元入力、発射準備完了! どうぞ水雷長!」
発令所の水鶏はストップウォッチと水雷盤をにらみながらすぐさま命令する。
「魚雷発射!」
『伊126』の艦首6門の魚雷発射管から6本の魚雷が空気圧に押し出されて海中に滑り出す。
『伊126』が魚雷を発射した直後、4隻の敵潜水艦も魚雷を発射した。
「敵艦魚雷発射。雷数……26!」
「回避行動! 面舵いっぱい、ダウントリムいっぱい! 最大戦速!」
キャビテーションをとどろかせ、『伊126』が回避に移ると同時に『伊168』も魚雷を放ち同じく回避運動に入った。
合計で38本もの魚雷が熱血の海を切り裂くように進む。
「『
「敵魚雷は?」
「正面です! 雷数4、直撃コース!」
「迎撃魚雷間に合わないです!」
翼には水中の艦と魚雷の位置が手に取るようにわかる。三次元的な水中機動であればそれを把握するのは当然だが、翼はより直感的にそれを感じとることができる。生まれ持ったものか、それとも航海の中で身に付けた能力なのか。
暗い海中の奥底から、黒い弾頭の無機質な魚雷がせり上がってくるのが見える。
「大丈夫……ギリギリ避けられる! 総員衝撃に備え!」
自分に言い聞かせたのかもしれない。自分の直感を信じ、艦長として乗員に威厳を示さなければならない。
艦長が膝をついてはいけない。
「魚雷接近……!」
4本の魚雷が『伊126』に迫る。2本は艦の上方を抜けていき、1本は艦の下方を抜ける。
「2本は艦の上方、1本は艦の下方を通過。遅れて4本目、来ます!」
耐衝撃体勢を取る生徒たち。
そして、4本目の魚雷は
「よ、4本目は
ひばりはこわばった力が抜ける。
「せ、
冷や汗を拭うと共に、艦長の肝の座りかたにもはや恐怖していた。これだけの緊迫で汗ひとつ流さず、まるであたらないとわかっていたように堂々としている。
「やっぱりすごいよ、かんちょ」
生徒たちの中で、艦長への信頼が上がっていった。
「『
「作戦通りだね」
艦隊座標を確認しながらひばりが言うように、魚雷攻撃はとあるポイントへ誘う陽動だった。わざと外した魚雷から逃げるように、敵艦隊は次のポイントへ誘われる。
R44と名付けられた作戦ポイントは、沈没した旧市街地のことだ。中規模のビル群が立ち並ぶポイントで、水中戦にはうってつけだった。
「
ビル群に入る『伊168』と『伊126』を追いかけるように敵艦隊もビル群へと入っていく。
潜水艦にとって、海底障害物は本来避けるべきものだが、身を隠し奇襲をかける選択肢の一つともなる。
「よし、今!」
翼の号令で、『伊168』と『伊126』、両艦がそれぞれ1本ずつ魚雷を発射する。
それと同時に、あらかじめ敷設していた音響機雷が作動。
狭いビル群に音響が木霊する。
「音響機雷、作動! やりました! 敵艦を音響結界に閉じ込めました!」
音響結界、と名付けたそれは『伊168』が敷設した音響機雷に3隻のキャビテーションノイズや魚雷航走音を記録し、音響魚雷から発する特定の音に反応して起動するよう設定したものだ。
狭いビル群は音が反響する。自艦の位置を把握するのも難しいほどにうるさくなる海底の罠は予想通り敵艦を混乱させる。
「敵艦隊先頭『伊15』、ビルに衝突! 浸水音!」
「かかった!」
最大速力でビル群を抜けた『伊126』からも聞こえるほどに大きな衝突音。
『伊15』は速度を抑えられず、勢いそのままにビルに突っ込んでしまう。ビルに突き刺さった『伊15』を避けるようにギリギリを滑るのは『伊8』。
混乱を抜けて『伊126』に接近する。
「音響結界を抜ける艦……『伊8』です! 本艦へ向かってきます! 距離4000!」
「1艦で突っ込んでくる……!?」
「敵艦隊の連携は取れてないってこと?」
結界を潜り抜け、『伊126』に真向勝負をしかける『伊8』。魚雷の起爆安全圏に迫り、通常の魚雷戦は不可能。となれば『伊8』の攻撃手段は一つだった。
「この進路と速度……『伊8』は本艦に体当たりする気では!?」
生徒たちは緊迫する。
小さな魚雷でさえ避けるのに一苦労だというのに、水中3000トンクラスの潜水艦が突っ込んでくるのは想定外かつ型破り。衝突すれば『伊126』の大ダメージも避けられない。
しかし、翼はこれをピンチと見なさなかった。
「タイマン上等! 制圧魚雷発射用意! 艦首魚雷発射管開け!」
確実に敵を制圧する好機と捉えた。
制圧魚雷と呼ばれる無弾頭の魚雷は、感染艦を過度に破壊せずに制圧救助するための特別な魚雷だ。『伊126』を含めたRATs対応艦に搭載されている。
「了解、制圧魚雷発射用意! 目標は『伊8』。1から3番装填!」
「最大戦速!」
『伊126』はキャビテーションを轟かせ、『伊8』へと肉薄する。無誘導魚雷を確実に命中させる距離まで。
「距離、3000……」
『伊8』との距離が縮まる。見えない水中に死に物狂いで共倒れを狙う『伊8』の姿が見える。
「かんちょ、まだ!?」
「まだです!」
さすがの翼も肝が冷える。少しでもタイミングがずれれば『伊8』と正面衝突することになる。
「距離2500……2000……1500!」
もう衝突まで猶予のないギリギリの距離。
「今、発射!」
無弾頭の制圧魚雷が発射される。『伊8』は衝突するつもりの操艦をしていたため、突然の魚雷発射に対応できなかった。
「潜横舵上げ舵いっぱい! いそげ!」
発射と同時に上方へ回避する『伊126』。突然の魚雷発射と、『伊126』の回避に『伊8』は対応できないまま、無弾頭制圧魚雷が艦首と
音響結界の効果もあり、『伊126』艦隊は短時間で2隻の敵潜水艦制圧に成功した。
「『伊8』に魚雷命中! 航行不能の模様、浮上していきます!」
「やった! 2隻目!」
発令所で生徒たちは歓喜する。
『伊8』の撃破を聞き取り、『伊168』、『伊209』でも勝鬨を上げる。
4隻の敵艦の内、2隻を短時間に制圧した艦隊は残る2隻の制圧へとそのまま進む。作戦は順調だった。
「次の目標、『伊33』。艦首回頭、2-2-0!」
音響結界に捕まえた残りの2隻を制圧すべく、次の砲火を開いた直後だった。
「……! 高速推進音、魚雷です! 数4! 方位、3-3-0! 本艦にではありません! 魚雷は『伊168』へ……!」
「魚……雷……!?」
予想していなかった方向からの強襲、未探知だった5隻目の敵潜水艦『ガードフィッシュ』の攻撃だった。
時限信管がセットされていた魚雷は『伊168』の至近で起爆した。
爆発の圧力に押され、『伊168』は翻弄される。勝利を確信していた翼は歯軋りする。
「……しまった……もう1隻、いたんだ!」
後悔しても、もはや遅かった。
圧倒的有利な戦況が崩れ始める。
一応、あと1話(+エピローグ)で完結予定。