5月7日、11:06。紀伊水道水深90m、潜水直接教育艦『伊168』艦内。
「時限信管が起爆した模様。機関部、艦首にダメージ!」
「機関室浸水! エンジン出力低下!」
「こちら魚雷発射管! 浸水大なり! 魚雷がラックから落下し1人が下敷きになってる!」
「第1兵員室で裂け目! 隔壁閉鎖します!」
「ダメージコントロール! 各部、浸水を何としてもふさげ!」
『伊168』は奇襲を受け、完全に戦闘力を喪失しつつあった。
「艦長! このままでは航行不能です、何か手を打たないと……」
副長の進言を受け、足首まで溜まりつつある浸水を苦々しく睨む艦長。もはや『伊168』に残された手がないことを悟っていた。
「……本艦にはもう戦う力は残っていない…………」
艦長の苦しい独白に、発令所の生徒たちは言葉を失う。
しかし、艦長は決死の意欲は捨てずにいた。その目に最後の狂気的な輝きを宿す。
「ただ、あと一手を残して……」
同時刻、『伊126』。
「ダメージコントロール!」
「爆発は艦後方、『伊168』を狙ったものです! 電機室軽微な浸水、他損傷なし!」
爆発のショックであおられた『伊126』。ずれた艦長帽を直しながら即座に次の戦闘へ切り替える翼。
「『
「健在です! しかし手酷くやられた模様……浸水音が多数聞こえます!」
「発射源は特定できた!?」
「方位3-3-0に推進音探知! おそらくこれです! 潜水艦に絞って解析します!」
悔しさで顔が歪む。順調すぎて想定外のことまで回らなかった。確認された4隻以外に潜んでいた艦がいるだろうと思い付くはずなのに。自艦は元より、僚艦の安全を守ることも旗艦の務めだとは誰の言葉だったか。
「『
「了解!」
衝撃から復帰した『伊126』。音響結界に捕らえた2隻より、不明潜水艦への対処を優先させる。
なにも見えない水中戦で、まさに手探りに戦うしかなかった。
「解析完了! ニューロンドン校所属『ガードフィッシュ』! 行方不明のガトー級潜水艦です!」
「また海外校の……」
「初撃から当てに来てる。連中相当の腕前だ」
「かんちょ、次は!?」
敵の次の動きを見極め、艦隊戦力を有効に充てなければならない。『ガードフィッシュ』にかかりきりになり、後方を疎かにすれば新手や音響結界を脱出した2隻の追撃に合うかもしれない。ミスできない次の一手を考えるも、慌てた脳内はまとまらない。
そうこうしている内に動いたのは『伊168』だった。
「艦長! 『
「えぇ? そっちは『ガードフィッシュ』の方向……」
ひばりは疑問に思ってもその答えは導き出せなかった。しかし、翼には『伊168』の行動の意味がわかった。衝撃が脳から背中を伝う感覚がした。反射的に叫んでいた。
「まずい、『
「艦長、『ガードフィッシュ』との距離100m!」
『伊168』航海長が舵を握る手は震えていた。
「総員、衝撃に備え!」
全員が覚悟を決めて、目をつぶる。どうせ目を開けていても見えないのに、人間の不思議な心理だろうか。
かくして、攻撃手段を喪失し、万策尽きた『伊168』は『ガードフィッシュ』に特攻を仕掛けた。
自艦のダメージを抑えつつ『ガードフィッシュ』の戦闘力を奪うため、深度をずらし、『ガードフィッシュ』の
『伊168』の必死の抵抗に、僚艦は言葉を失うばかりだった。
「い、『
両艦が衝突する音はソナーを介さずとも全生徒が聞こえるほどの轟音だった。『伊168』の船底タイルがひしゃげ、船体の一部が崩壊する音。『ガードフィッシュ』の
「『
「『ガードフィッシュ』の
大ダメージを受けた両艦は潜航不可能と判断したのかほぼ同時に浮上をかける。
騒然とする『伊126』艦内。状況を最初に受け入れたのは翼だった。
「なるほど……自艦のダメージを最小限にしつつ、敵艦の無力化を狙ったのか……すでに損傷が大きくこれ以上の戦闘が不可能ならせめて鉄砲玉として……『
唖然とする翼。次に状況を受け入れたのはひばりだった。
「かんちょ! 私たちは1隻失ったけど、まだ2隻残ってるよ! これで残りは同数、……『
副長の進言に、一瞬気圧されそうになるが、すぐに切り替える。
「もちろんです。残る2隻の救助を──」
直後、またしても艦を衝撃が襲う。
「今度は何すか!?」
水準操作席から転げ落ちそうになりながら白雪が叫ぶ。
「どこから?!」
「わかりません! っうぁ!?」
またしても艦は大きく揺れ、発令所では浸水も起こる。『伊126』の全生徒が経験したことのあるその衝撃に、翼は絶望するしかなかった。
「これは……爆雷だ…………」
『伊126』直上の海面。
紀伊水道に侵入するのは、前後に連装砲を備え、大型の艦橋構造物と飛行船発着設備を有する小型巡洋直接教育艦『香取』だった。
対潜巡洋艦として運用されていた本艦の特徴として爆雷投射機、爆雷投下軌条、最大300個の爆雷など、潜水艦にとって強烈な兵装を多数装備していることがある。
感染暴走していた内の1隻がまたしても紀伊水道に襲来し、ピンチに陥った防衛艦隊をさらに追い詰めようとしていた。
「ば、爆雷!?」
「岩渕さん、水上艦にしぼって水測! 近くに洋上艦がいるはずです!」
翼がすぐに指示を飛ばす。
航海員の暁がすぐに海図の位置関係を確認する。
「ピケット艦『りんどう』からの情報がなく、ここ数時間の洋上艦の動きが掴めません!」
「私らが水中でドンパチしてる時に……上はどうなってんの!」
「かんちょ!」
発令所の中央で報告を聞く翼。その表情は固く、小さくはない背中は震えていた。だが、まだ理性的な判断力を残していた。
「上方の艦を先に攻撃します。最大戦速、潜望鏡深度へ浮上しながら面舵30度、転針!」
航海長の春雨が復唱する。機関室の望月からも頼もしい返事が聞こえる。
「了解、『
「機関室も了解……!」
しかし、2人の士気は水測からの報告によりもろく崩れる。
「発令所、水測室! 新たな艦影コンタクト! 感3、潜水艦です!」
艦内の空気が一瞬氷結する。
「せ、潜水艦……どっちから!?」
ひばりがすぐに確認させる。
「はい、方位1-8-0……南側、水道出口からです! 速力各5ノットから増速中! ……推進音からして……教育艦…………です」
紀伊水道出口、及び四国沖と和歌山沖方面には潜水艦は配備されていない。
「つまり……これは…………」
翼は力なくその場に崩れ落ちる。
「
「ざ、残魚雷は!? まだこっちはソナーも生きてる! いざとなれば瀬戸内海へ逃げ込めば……!」
ひばりはまだ諦めまいと対抗策を必死に考えるが、それはどれも現実的ではなかった。
「無理だよ、副長……魚雷はもう残り一斉射分しかない。洋上艦と潜水艦に対抗するには、もう弾が足りない」
水雷長橋本は力なく答える。
「ソナーが生きてたって、攻撃手段にはならない……」
記録員の光川も俯いて答える。
「瀬戸内海へ逃げ込めば……敵は私たちを追ってくる」
航海長の春雨、舵輪を握る力が抜ける。
「そうすればRATs感染が本土に広がり、ゲームオーバーっす……ここまでっすよ、副長……」
席に腰掛け、天井を見つめるしかない水準員の白雪。
発令所にはもはや戦う気力が残っていなかった。
「な、なんで! あともう少し……あともう少しで勝てるのに……諦めるなんて……!」
副長のひばりだけは最後まで諦めようとしない。何か打開策があるはず。今まで幾多のピンチを乗り切ってきた『伊126』にできないことはない。信じたかった。
「……ひばりさん。私たちはほぼ倍の数の敵を相手に戦って、3隻を制圧した……でも、もう潮時だよ。もう『
俯いた翼の頭から艦長帽がずり落ちる。浸水してくるぶしくらいまでたまった水に軽い音を立てて落ちた。ゆっくりシミが広がる様子を呆然と見るしかなかった。
「かんちょ…………」
翼が絶望した顔を見るのは初めてではない。だが、以前見たそれよりも、その顔は深刻に見えた。『伊126』は戦闘能力と士気の両方を完全に喪失した。
翼は力なくたまっていく水を見ているしかなかった。
もうすぐ『香取』がまた頭上を通る。そうすれば、今度は致命傷を負うだろう。そうでなくとも背後には敵の潜水艦が迫る。『伊126』にはどうすることもできない。
その無力感が、自信を取り戻した翼の心を完全に討ち滅ぼしてしまったのだ。
そのことを悟ったひばりは、翼を抱き締めるしかできなかった。
『伊126』の皆、頭上から聞こえつつあるスクリュー音に死を……予見した。
涙がこぼれる。半ばで潰える自分達の
ひばりに抱き締められながら、翼はポツリと呟いた。
「あぁ、こんなことなら、もっと、話したかった……」
ひばりも最期を覚悟していた。だが、翼の口からでたその言葉は、彼女が想う最期の場面に自分よりも大きな存在があることを悟らせた。
恋心が、終わる。そんな音がした。
「かんちょ…………やっぱり…………やっぱり………………!」
翼をより強く抱き締める。どんどん大きくなるスクリュー音がついに真上にやってきた。
その時だった。
大きな爆発音。『伊126』の全員が耳をふさぎ、無意識に頭を守った。だが、いつまでたっても終わりは来なかった。
艦を揺らす衝撃波はあったが、艦はどこも壊れなかった。
そのことに最初に気付いたのは水測員の岩渕だった。
「なんだ……一体……」
外していたヘッドホンをつけ直し、聴音を始める。
すると、その向こうからは思いもしない音が聞こえていた。
「……は、は、発令所! 発令所! こちら水測室……! 艦首方向に推進音複数探知……!」
爆発音に耳をふさいでいた生徒たちはゆっくりと顔を上げる。
その報告の意味を最初は誰も理解できなかった。
その後に続く岩渕が嗚咽しながら報告するまでは。
「対潜教導団です……! 対潜教導団が、援軍に来ました!!」
洋上、対潜教導団旗艦『さつま』艦橋。
艦橋で仁王立ちするのは黒いブルーマーメイド制服と黒いマントに身を包んだ姉御と言われて親しまれている彼女がいた。
「うぉぉぉぉぉぉ! 間に合ったぁ!!」
宗谷真冬が指揮する対潜教導団は、水上に展開していた『香取』に噴進魚雷の連打を叩きつけていた。
威力を抑えた特別弾頭とはいえ、小型巡洋艦には大打撃となっていた。
「『香取』、完全に沈黙!」
「第2次攻撃!」
「噴進爆雷発射!」
『さつま』の後部甲板VLSから轟音と共に小型弾頭のロケット魚雷が発射される。
僚艦も次々に対潜ロケット魚雷を発射し、『伊126』の後方に近付いていた潜水艦へ魚雷の雨を降らす。
「噴進爆雷、安定着水しました! 起爆まで5秒……」
着水後、RATsの電子妨害を避けるため無誘導で沈む噴進爆雷。予定深度に到達し、起爆。潜水艦3隻を足止めさせる。
「ジャスト、起爆! 敵潜水艦の進行が鈍りました!」
真冬はすぐに次の指示を出す。
「よし、『イルカ』に連絡! パーティーを終わらせろ!」
『さつま』率いる対潜教導団の眼下。待ってましたと言わんばかりにキャビテーションを轟かせて飛び出すのはホワイトドルフィン第1潜水隊群。瀬戸内海防衛として温存されていた戦力を引っ張り出してきたものだ。
潮流を割き、全速力で残る感染暴走艦に取りつき、瞬く間に制圧していく。と、同時に『伊126』と『伊209』の支援にも動く。
『伊126』はあまりにすばやい援軍の動きに、ただ目を丸くして驚くしかなかった。
「こちらはホワイトドルフィン第1潜水隊群所属『とうげい』! 『伊126』、無事か!」
突然の出来事に反応出来ていなかったが、オープン回線の水中電話により、ようやく我に返ることができた翼。
すぐに艦内点呼を始める。
「か、各部各科、人員点検!」
その号令で他の生徒たちも我に返る。
「魚雷発射管室、人員異常無し!」
「聴音室異常ありません!」
「電信室異常なし~!」
「電測室異常無ーし!」
「発令所人員異常無し!」
「海図室異常ないよ~!」
「烹炊室全員無事!」
「機関室異常無しだ!」
「医務室も異常無しよ!」
各部報告が上がる。艦の誰も、欠けてはいなかった。
「かんちょ、各部点検終了……総員30名、欠員……なし! 全員の無事を確認!」
翼はすぐに『とうげい』に返答する。
「こちら長浦男子海洋学校所属潜水艦『伊126』乗員30名全員無事です! 損傷大なれど航行は可能!」
『とうげい』は巧みな操艦で『伊126』の横に艦をつける。
「そうか。よかった……。全員無事なんだな!?」
その言葉に、遅れて助けが来た、自分達は助かったんだと実感がわいてきた。いつの間にか流れる涙が止まらない。
「はい! 『
直後、艦内に歓声が響く。
奇跡が起こった。その瞬間だった。
5月7日、15:12。長かった第2次RATs事件の最後の大海戦となった紀伊水道海戦はこれにて終結した。
学生潜水艦3隻の活躍と、援軍に駆け付けた対潜教導団、第1潜水隊群の働きにより、本土へのRATs感染は防がれた。感染艦、制圧艦共に乗員は誰一人として欠けることなく、事件は幕を閉じた。
事件の終息宣言から1週間後の5月17日。長浦男子海洋学校。
沖合いに1隻の潜水艦が浮上する。艦橋ハッチが開かれると、横須賀女子海洋学校指定セーラー服と、長浦男子海洋学校指定スラックスに身を包んだアンバランスな格好の少女、『伊126』艦長の深海翼。が真っ先にラッタルを登って艦橋へ出てくる。
大きく息を吸い込んだ彼女は1日ぶりの新鮮な酸素を思い切り吸い込む。
「生きてる……私……」
次にラッタルを登ってきたのはふわふわの茶髪の少女、副長の草川ひばり。胸一杯に空気を吸い込む彼女の姿をどこか寂しげに見つめていた。
軽やかな足取りで翼に飛び付くと、ひばりも愛おしそうに呟く。
「そうだよ、かんちょ……あなた、生きてるよ……」
翼の優しい心音を聞いて、ひばりはようやく人心地がつく。
抱き付くひばりの腰に手を回す。優しく、でも力を込めてギュッとひばりを抱き締める。ひばりの頬が紅潮する。
「ありがとう。ひばりさん。ここまで一緒に来てくれて……本当に、本当にありがとう……」
少し涙を浮かべた彼女の声は震える。ひばりは、まだ少しだけ翼を好きでいることにした。
「こちらこそだよ、
ひばりを抱き締めていた力が少しだけ緩む。ひばりが不思議そうに翼の顔を覗くと、翼は信じられないというように目をしばたかせていた。
「え?……ひばりさん、今、私のこと、つばさ……って……名前で……!?」
驚きと困惑がわなわなわいてくる翼に構わず、ひばりは飛びっきりの笑顔で答える。
「さて、どうだったかなぁ?」
いたずらっ子のようにニタりとして、ひばりは答える。
陸が見えて興奮気味に甲板に上がってくる他の生徒たちはそんな2人を見てからかう。
「あー! また副長と艦長いちゃついてる!」
「陸が見えたからってなにがっついてんすかー!」
「ちが、これはひばりさんが私のこと名前で呼んできて……ってなにもっとくっついてんですか!?」
「くっついてないも~ん。つばさにひっついてんだも~ん」
「そんな屁理屈……ってほらまたぁ! 名前呼びましたよね!? 初めて呼んでくれた! 嬉しいんだがなんだか!?」
「なんのことかな、かんちょ~」
「ちょっとひばりさん!」
苦難の航海はこうして、笑顔で終わることとなった。
海洋実習に出航してから1ヶ月半。潜水直接教育艦『伊126』はすべての作戦行動を終え、長浦男子海洋学校に帰還した。
交流会パワーで書き切る。
これでようやく終わりですが、次回匂わせとしてエピローグを1本投稿予定。