ハイスクール・フリート ~深海の乙女たち~   作:みん提督

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第2話 逃走とピンチ

 

「RATsウィルス……?」

 

発令所に冷ややかな風が吹き抜ける感覚。背中に嫌な汗が滴る。

「光川さん。『平安丸』に確認をとれる?」

艦長帽を被り直しながら、艦長の翼は記録員のツバメに質問する。

「潜望鏡深度でアンテナを出すか、浮上するか」

パッドを大事そうに抱えて報告する。

「潜望鏡深度……深度15mあたりっすね」

水準操作盤にしがみつきながら答える油圧員の白雪。

「でも、でもでももし感染していたら……浮上したら撃ってくるんじゃ?」

水雷長の水鶏は不安そうに言う。水雷科クルーは血の気が多いと言われるが、彼女は例外らしい。

「いやいや、撃ってきたとて一応は潜ってるし、マストが折れるくらいで済むよ」

水測長の不知火はフォローを入れるが完全に受け入れられる意見でもない。

「まだ感染したと決まった訳じゃないし、どっちにしろ、このまま弁解も無しに潜ってたら反乱を疑われちゃうよ」

副長のひばりの意見も最もと言える。

発令所でそれぞれ意見を飛ばすのと平行し、発令所の中央で考え込む翼。

「とにかく一度浮上しよう。潜望鏡深度でアンテナだけ露出させて通信をしよう」

水雷長の水鶏は懸念を表す。

「でもでも、もし本当に『平安丸』が感染してたら撃たれません?」

水雷盤と一体化しそうなほど怯えて縮こまる水鶏。横からツバメがフォローする。

「『平安丸』には高性能ソナーは搭載されているけど、対潜望鏡レーダーはないし、あるのは光学式の暗視装置だけ。発見される確率はかなり低い……と思う」

「……信じて良いの?」

真剣な表情の水鶏。顔は決まってるのに水雷盤にしがみついた情けない格好のせいでしまらない。

「たぶん……」

タブレットを強く抱き締めながら不安げに答えるツバサ。タブレットを強く抱き締めるようにするのは彼女のクセだ。

「ともかく、『平安丸』に攻撃をやめるように言わなきゃ」

翼は続けて浮上を指示する。

「浮上する。タンクブロー、潜横舵上げ舵10、潜望鏡深度。通信アンテナ上げ」

「了解。タンクブロー、潜横舵上げ舵10、潜望鏡深度」

白雪が復唱し、艦がゆっくりと上を向く。艦の床面が傾斜する潜水艦だけの感覚。

「現在、深度20……15。潜望鏡深度到達。通信アンテナ上げます」

艦が水平になるとすぐに通信アンテナを上げる。水上艦からは夜闇に溶け込む数十センチの突起物でしかないアンテナが、見つかるはずもなかった。

「工藤さん。『平安丸』と回線を開いて下さい」

通信室の航海科通信員工藤海月に指示を出す。通信室からは元気そうな間延び声が聞こえてくる。

「了解です~、さてポチポチっとな……回線開きました~、いつでもどうぞ艦長~」

開通した通信の感度を確かめ、翼はマイクのスイッチを入れる。

「潜水直接教育艦『伊126』。集合時刻に14時間25分遅れてしまい、大変申し訳ありません。遅刻については艦長の私から教官へ直接謝罪いたします。ですから、攻撃をやめ、教員艦『ちはや』に取り次いで頂きた……」

それ以上、翼が通信を続けられることはなかった。

再び『平安丸』が主砲15cm砲を発砲した。

「うあ、ぁ、ぁぁぁぁ」

艦内は大きく揺れ、発令所では航海器具やマグカップが跳ね上がって弧を描き、生徒は立っていられない衝撃を受ける。

「う……か……」

翼も姿勢を崩し、発令所の中央を貫通する潜望鏡に大きく背を強打した。激痛が走り、一瞬息がつまる。

「もう、なんで! 攻撃は無いんじゃなかったの!?」

変わらず水雷盤にしがみついて悲鳴を上げる水鶏。

「かんちょ!」

痛みに悶えている翼に駆け寄るひばり。身体を起こそうとするが、またしても砲撃され艦はまた大きく揺れる。照明が明滅し、艦の各所で浸水が起こる。

「魚雷発射管室浸水!」

「第三兵員室ボルト破損!」

「烹炊室蒸気弁破損! 炊飯器も壊れました!」

「通信マスト、爆圧で折れました!」

「発令所浸水!」

水準操作盤付近のバルブが破断し、ついに発令所も浸水する。

「まずいっす! 水準操作盤が壊れたら潜れなくなるっす!」

「ハンマーと木材持ってきて!」

「言われなくとも……!」

白雪とツバメ、水鶏の3人が防水措置に動く。

艦内各所から止まらない被害報告に、翼はようやく意識を取り戻す。

「ひばりさん……急速潜航を」

「無茶しないでかんちょ!」

背中の痛みに悶えながら、身を起こす。

「無茶しなきゃ! 今が『126(イニム)』のピンチだから!」

衝撃で落ちた艦長帽を被り直し、指示を出す。

「急速潜航! ダウントリム最大、深度150!」

「か、かんちょ……」

怪我の心配が強いのか、少しためらうひばり。発令所の浸水はまだ収まらず、発令所の生徒らは多量の海水をかぶる。

「早く!」

翼は一喝する。間違いなく、艦が最も窮地に陥っている状況だからだ。

「り……了解。急速潜航! ダメコン手伝うから白雪ちゃん潜航を!」

咄嗟の判断でダメコンにひばりが代わりに入り、白雪が油圧員席につく。

「潜れぇ!」

「潜横舵下げ舵いっぱい! 艦長、艦がだいぶ揺れるけど!?」

春雨が舵を思い切り取りながら確認する。

「いいから今は潜らなきゃ。多少は揺らして構わない!」

「了解!」

艦が急速に沈む感覚。艦が艦首の方へ傾斜し、砲撃や波の影響による揺れがゆっくりだんだん収まり……。艦内には少しずつ静寂が広がる。

「…………こ、こちら応急長……艦内浸水箇所はおおむね塞いだぞ……」

発令所の浸水をあらかた止めた頃、応急長からも連絡が入る。さすがの仕事の早さだ。

「あ、あ、あぁぁぁぁ……」

発令所の各員は一応安堵する。くるぶしほどまで溜まった海水と、びしょ濡れの制服も気にせず、発令所の床に座り込む翼。

「なんとか滑り込みセーフ……っすね」

白雪はぐっしょり濡れた制服の水気を絞りながら安堵する。

「こんなハデな舵は初めてだよ……」

春雨は操舵ハンドルを握る手の震えを抑えられなかった。

浸水がようやく収まった発令所だが、危機は去っていなかった。

「安心するのはまだ早いよ。洋上(うえ)の艦が動き出すかも」

ダメコンのため嵌め込んだ木栓を調節しながらひばりが言う。

「また攻撃して来るなんて、やっぱり感染してるんじゃ……」

「この際感染しているかは関係ないよ。今は……『126(イニム)』の安全を確保しなきゃ」

翼はびしょ濡れの制服にも構わず、艦長としての決断力をフルに活用する。現状、洋上艦とコンタクトを取る方法は浮上して直接呼び掛ける以外に無くなったが、そもそもコンタクトを取ろうにも相手はそれを受け入れそうにないこともわかった。

ではどうするかといえば、行動は二つに一つ。

「逃げるんだね……かんちょ」

ひばりも真剣な表情で翼を見つめる。気づけば、発令所のクルーたちは同じく翼のことを見つめていた。

大きく頷いて答える。

「うん。逃げる」

少し間を開けてひばりはいつもの笑顔に戻る。

「じゃ、さっさこ逃げよっか」

各員はすばやく持ち場に戻り、各自の仕事にとりかかった。

「でもそうは行かないっしょ。……洋上の航洋艦が対潜シフトを組んでる。航洋艦と思しき3隻。方位2-4-0、速力12ノット、距離3000。本艦直上まであと8分」

水測長の不知火の報告に、翼は無言で頷く。

「……全艦、無音潜航。音はすべて消せ、航洋艦が通りすぎるまでやり過ごす」

命令は静かに艦内に伝達される。機関室はバッテリー駆動のモーター含む全ての機器を停止。兵員室で待機するクルーは声を殺し、発射管室では腰まで溜まった海水に浸かりながら微動だにせず。烹炊室は冷蔵庫まで停止し、発令所含めた艦内全区画が静寂に包まれる。

「不知火さん、上の艦識別できますか」

不知火は慎重にツマミを操作し、僅かな音の違いを聞き分ける。

洋上艦のスクリュー音がだんだん近付いている。

「……航洋艦3隻……2隻は長浦校(ウチ)の松型航洋艦。もう1隻は……聞き馴染みの無い音です。おそらくフレッチャー級航洋艦」

「フレッチャー級!?」

水鶏が上げそうになった大声を飲み込み小声で驚く。確かに、今回の実習航海は年度始めの合同訓練を兼ねていて、海外校も含めた各校の艦艇が多数揃っていた。その中にはフレッチャー級などを有するパールハーバー校の艦もいたはず。

「厄介な。松型も装備は対潜戦闘を重視しているし、フレッチャー級はもしかしたらヘッジホッグまで載せてるかも」

航海長の春雨は苦い顔で呟く。ともかく3隻の航洋艦に追い詰められた絶体絶命のピンチといえる。

「バレたらおしまい、ゲームオーバー、スリーアウトチェンジ。かんちょ、今は……」

ひばりの言葉に頷く。

「うん、引き続き全艦警戒。航洋艦から逃げるのは簡単ではないよ……」

 

 

「……………………………………」

 

 

3時間が経過したが、艦内は静寂そのもの。浸水していた区画は排水も出来ず、音を立てないように静かに静かにボルトを締め、ダメコン作業を続ける。おおよそ15歳の少女が経験するはずの無い究極的な集中力と恐怖心の中、空調も止めた艦内は徐々に室温が上昇し、汗と湿気と浸水によりひどい状況となっていた。汗が頬を伝っていくが、それを流すことも出来ず生徒たちに疲労がたまりつつあった。

「もう3時間になる…………移動距離は?」

ひばりは額に吹き出る大量の汗をシャツの裾で拭いながら質問する。

「2110……」

汗だくでベタつく髪の毛を弄りながらツバメが答える。

「まだそんだけっすか……上の航洋艦は……」

いつもの元気もなくなり、ゲンナリしている白雪。

「全然いる……哨戒シフトを変えた、あと5分でフレッチャー級がまた直上通る。速力10ノット、方位1-1-0、距離1500」

3時間、一瞬も気を抜かず聴音を続けていた不知火の集中力は限界に近く、時々フネを漕ぐ有り様だった。

「くそ……潮流に乗ってるだけじゃ全然進まねぇ。浅海じゃなきゃ、とっとと逃げれたのに……」

舵輪を握るも舵を自由に取れないもどかしさに怒る春雨。

艦内各所も予想だにしていなかった実戦に大きな恐怖と不安を抱えていた。

シャツが肌に吸い付く不快な思いをしながら艦長の翼はじっと耐えていた。潜水艦乗り(サブマリナー)に必要なのは忍耐力だと知っているからだ。

静寂の発令所で、水雷盤にしがみついて震えていた水鶏が徐に立ち上がり、翼の方へ向き合う。

彼女の動きを不審がりながら、翼も水鶏に向き合う。

「艦長、水雷長意見具申」

小声で、しかし静かな艦内でははっきりと聞こえる声で翼に意見具申する。翼は答えず沈黙のまま首肯する。

洋上を行く航洋艦のスクリュー音が遠くから聴こえてくる。

翼が首肯するのを確認し、水鶏の意見具申が始まる。

「艦長……魚雷戦の許可を」

発令所が緊迫する。

「……水雷長、理由を」

穏やかではなくなる心を抑え、翼は理由を問う。

「手短に述べます。本艦は損傷し、乗員の疲労も激しい。この状況では航洋艦を振り切るのは不可能。よって、魚雷攻撃による強行突破を具申します」

これまで攻撃の度に怯えることしかしていなかった水鶏の、突然の攻撃案の具申。各員は動揺した。

「強行突破ったって……上は航洋艦がうじゃうじゃいるんだ。潜望鏡深度に上がれば被発見率は高まる。攻撃すれば尚更だ」

舵輪を握る航海長の春雨が真っ先に反論する。

「そ、それにこっちの浮上速力でも振り切れないっすよ。航洋艦は足が速いから……」

油圧員の白雪も反論する。

洋上を行く航洋艦のスクリュー音が近付いてくる。

「速力で負けても、こっちは14サンチ砲もある。浮上しても戦いようはある」

水鶏はすかさず反撃するが、今度は水測長の不知火も反論する。

「じ、14サンチ砲があっても相手は少なくとも3隻の航洋艦。砲力は圧倒的に向こうが上だし、至近に浮上すれば速射砲もある……勝ち目ないよ」

水鶏は食い下がらない。

「それでも攻撃に怯えるよりはこっちから攻撃すれば……。生き残るには敵を倒さなきゃ」

洋上を行く航洋艦のスクリュー音がさらに近付く。

「……攻撃……」

タブレットを抱き抱える記録員のツバメの肩は小さく震えていた。

「艦長、聞こえるでしょう? 航洋艦のスクリュー音が。直上を通るのはこれで5回目です。次も爆雷が無いとは言い切れません。この状況では、見つかれば即座に沈められます。なにも出来ず無駄に沈むくらいなら、こちらから攻撃すれば……!」

今までにないほど鬼気迫る水鶏。背後には般若がいるようにも感じられる。

「くいなっち、落ち着いて。今攻撃するのは定石破りすぎるよ。ここはじっと耐えるのが潜水艦乗り(サブマリナー)の……」

副長のひばりも反論するが、途中で遮られる。

「黙って副長! もう十分耐えた、蒸し暑くて、服も着替えられず、髪だってゴワゴワになっちゃってる。シャワーも浴びれずひどい臭い、ねぇ、私はこんなことがしたくて潜水艦に乗ったんじゃないのに…………。ねぇ、艦長、この状況を打破するには、戦うしか……」

普段の声量からすれば小さいが、それでも全艦に聴こえそうな大声で捲し立てる水鶏。目尻に浮かぶ涙は今にも決壊しそうだった。

「…………」

水鶏の意見具申を聞き終わるまで翼はピクリとも動かず、ただ黙っていた。

翼はゆっくりと口を開く。

「みんな……疲れてるんだね」

艦長帽を取る。

洋上を行く航洋艦のスクリュー音が大きくなる。

「攻撃は…………しない。絶対に」

翼の否定に、とうとう溜めていた涙が決壊する水鶏。

「なんで……なんでさ、艦長。いまここで攻撃しなきゃ、艦は……『126(イニム)』は……みんなが……し」

「水雷長!」

水鶏の言葉をシャットアウトし、制止する。身体中から噴き出す脂汗に構わず、翼は笑顔で告げる。

「水雷長……しばらく休憩して下さい。たぶん、その状態では仕事の継続は不可能です。休んでください。これは、命令です」

真上を行く航洋艦のスクリュー音が聞こえる。轟音の後、また静寂が訪れる。

水鶏の目の奥を焼く程に彼女を見つめる。涙の収まらない水鶏はようやく引き下がる。

「……はい……はい……艦長…………」

おぼつかない足取りで発令所を出て、水鶏は自室へ向かった。

「発射管室の板倉さんを呼んでください。水雷長が復帰するまでの水雷長代行とします」

「……了解」

翼の指示を受け、ツバメは発射管室に連絡し、水雷長代行の件を伝える。

「みんなも……疲れている、なら……休んで」

翼は潜望鏡に寄りかかり、力なく座り込む。スラックスを貫通して下着に染みる海水は気にならなかった。

「かんちょ……大丈……夫……?」

ひばりが心配そうにこちらを覗き込む。なんとか作った笑顔で答える。

 

「うん……大丈夫…………かな?」

 

 

『伊126(イニム)』の逃走は夜明けまで続いた。

長い長い夜はまだ続く。

航洋艦のスクリュー音がまた遠くから響いていた。

 

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