4月13日。13:05。
至近距離に『U-2501』が待ち構え、『伊126』の困惑は続く。
「しかし、本当にこの付近に潜水艦が隠れていたとして、本当に攻撃できるんすか……第一攻撃したとしても魚雷を音もなく放つなんて不可能っすよ」
油圧員の白雪が反論する。音が聞こえなかったのならば確かにその通りだ。
「本当に聞こえていなかったなら……ですが」
翼は確信を持てないが、音響データにあった興味深い音を見つける。
「聞こえていなかった……なんて、魚雷ほどの轟音メーカーが聞こえないはずは……」
水測長の不知火が反論する。言い方によっては
「いえ、そうではなく、敵は他の音に被せるようにして魚雷を射った可能性があります」
タブレットのデータを見せる翼。発令所の生徒たちは見易い位置に各々移動する。
「環境音に絞って解析した音響データです。若干のタイムラグはありますが……ほら、ここ。断続的に音が響いている箇所があるでしょう?」
データの波形は確かに、静かだが魚などの生物や海底地形の不規則な音響に紛れて断続的に響く大きな音が記録されていた。
「た、確かに。他の音より大きくて、何度も記録されてるけど……この音は?」
航海長の春雨が尋ねると同時に、水測長の不知火と、日本近海の海底データをすべて暗記している記録員のツバメは気づく。
「海底火山だ」
「そうです」
データを参照した翼は魚雷発射のタイミングを予測する。
「『
説得力のある説に、生徒たちは釘付けになる。
「実際、同世代の潜水艦でも同じ深度帯で相手潜水艦を攻撃した例はいくつかあります。それに則れば、通常航行中の本艦を攻撃することも不可能ではない……と言うか現に攻撃されているわけですし」
なるほどと頷いたりしながら聞く生徒たちだが、疑問点は残る。
「しかし、艦長。これ敵潜水艦がどこかに潜んでいて攻撃してきたことが前提だけど、肝心の敵が全然見つからないじゃん」
春雨の疑問。だが、それについても翼はだいたいの検討をつけていた。もう1つデータを見せる。
「それはおそらくこれです。変温層が複雑に絡み合ってるこの海域では、音響の反射が不規則になります。現に最後の潜望鏡測定の時はソナー情報との誤差が最大50mにもなってました。爆発の方向からして攻撃は艦尾方向から。艦尾側だとスクリューノイズでソナーも死角になってこちらからは探知がしづらい位置です」
海中の変温層と音響データ、海底データ、『伊126』ソナーの性能どれを加味してもどうしても出来る死角。艦の真後ろ方向。いつ頃から追尾されていたかまではわからないが、少なくとも襲撃される可能性は高かったことがわかる。
「じゃあさ、かんちょ。敵がいるなら逃げるか戦うかの2択だけど、どうするの?」
未だに敵潜水がいるかいないかの真偽で堂々巡りする議論を終わらせるため、今回も副長のひばりが翼に決断を迫る。翼の考えはとうにまとまっていることを知ってての問いかけだった。
「もちろん、逃げます。ただし一撃を喰らわせて追跡を困難にさせます」
のらりくらりしてイマイチ本質を掴まない喋り方をする翼がはっきりきっぱりと行動方針を定める。生徒たちはこれに背筋を伸ばす。
「……それで、その方法は?」
水雷長の水鶏の問いに、翼は作戦を全体に伝える。
同日、13:25。
「準備いい?」
ひばりが艦内各区に確認の連絡を入れると、それぞれの区画から元気な声が聞こえる。
「準備よろし」
ツバメが小さくサムズアップする。
翼は頷き、発令所各員の顔を1人ずつ確認する。
「……まず初めに。この戦闘は本艦が生き残るために必要な戦いです。各員の高度な連携によってのみ、作戦は完遂できます」
発令所の中央に堂々と立ち、翼は訓示する。
「各員のいっそうの奮起を……期待します」
艦長帽を被り直し、正面に直る。横に控える副長のひばりも緊張した面持ちで翼のことを見つめる。
「これより、作戦を開始する。雷撃戦用意、5番発射管注水。発射角30度、深度95、雷速9ノット調節」
翼の命令に、発射管室は待ってましたとばかりに魚雷発射の準備をする。
「いよいよ発射だ、頼むぞ魚雷ちゃん……」
恍惚の表情で魚雷を撫でくりまわす水雷員の高木を無視し、水雷科員たちは魚雷の準備に追われる。
「5番、注水完了。外扉開きます」
『伊126』の艦首に備えられた発射管の1つが開口し、魚雷弾頭が発射管から見える。作戦の第一段階が始まった。
「外扉開放。時限セットよし」
水雷長の水鶏の報告を聞き、翼は正面をしっかり見つめる。
「攻撃はじめ!」
「5番、発射!」
攻撃開始の号令の後、圧搾空気によって発射管から押し出された魚雷は滑るように発射される。魚雷のエンジンが始動し、『伊126』の推進音データを入力した音響魚雷は海底近くを低スピードで推進する。
この魚雷の音を聞くや否や、『U-2501』が動き出す。エンジンを稼働し、沈黙を破る。
「わ……いた。本当にいた! 本艦の真後ろ、6時方向、深度40。潜水艦です!」
不知火が驚きながらヘッドホンの音を解析する。発令所生徒らは艦長の勘があたっていたことに驚き、次に作戦通りに敵が動いたことに驚いた。
「艦長の言う通りになったっすね」
白雪が満足げに言う。悪戯を思い付いたような愉快な笑みを浮かべる彼女の横で普段は無表情のツバメもすこしだけ驚きを浮かべていた。
発令所を見渡し、頭を掻く翼。
「そんなに信用なかったかなぁ、私……」
素直に喜べない心境だった。
音響魚雷に釣られて飛び出した『U-2501』。徐々に速力を上げ、『伊126』のほぼ直上まで迫る。
「音紋解析完了。ブレーメン校所属、潜水直接教育艦『U-2501』。1分後に本艦直上を通過します」
艦名を聞き、ひばりは爪を噛む。
「『U-2501』……。ドイツの高速潜水艦だね。東舞校の潜高型に匹敵する水中速力17ノットの高速艦。魚雷発射管6門。自動装填装置付きで、魚雷搭載数は23本。『
つらつらと名前を聞いただけでスペックを羅列するひばり。その横では仕事をとられたデータ担当のツバメがうらめしそうに見ていたが、本人は気付いていなかった。
「……詳しいっすね、副長」
普段、オタク喋りとは無縁なひばりの一面に若干引きながら言う白雪。そこでハッと気付いたひばりは少し赤面して咳払いする。
「いや、えっと、うん。ゴホン……。で、作戦は続行する、かんちょ?」
気まずくなる前に意識を戦闘に戻す。言われなくとも『U-2501』のデータは頭に入れていた翼は自信ありげに答える。
「はい、続行します。相手が『U-2501』でよかった。後部発射管がないなら作戦変更の必要性もありませんから」
作戦の成否にかかる敵艦の戦闘力は問題ではないかのように言う翼。発令所生徒たちはさらに緊張感を高める。
「本当にやる気だよ、この艦長」
舵輪を握りながら冷や汗が垂れる春雨。作戦もとい『
「私はどこまでもいくっすよ、艦長」
タンク操作盤から目を離さず、いつものおちゃらけみたいな言動は崩さない白雪。ある意味メンタルが強い。
「や、やらなきゃやられる……。なら、やってやるよ!」
自分と、みんなを鼓舞する水鶏。一時戦意喪失していた分、その戦意は漲る。
「プランクトンの咀嚼音だって聞き逃さないよ」
目を持たない『
「うん」
ただ小さく頷くツバメ。口数は少なくても、『
「じゃ、かんちょ。やるか」
一同の戦意を確かめ、ひばりはいつものあのふわふわの笑顔で翼の方を見る。何度見ても安心するあの優しい笑顔。艦長帽を直し、自然と笑みがこぼれる。
「うん……ありがとう。みんな」
拳を握る。直上に『U-2501』のスクリュー音が響く。天井の甲板のさらに向こう、流線形のハイカラな潜水艦のシルエットが浮かび、それを見つめる。
「目標、『U-2501』。本艦直上を通過した後、敵艦のバッフルズに入る。浮上用意!」
いよいよ『
『U-2501』は10ノットの速度で『伊126』の直上を通過した。通過を確認した『伊126』は浮上し、『U-2501』と同深度、同速力に保つ。改修により水中速力が向上した巡潜乙型潜水艦の『伊126』だが、それでも水中10ノットはほぼ限界値の速力で、蓄電池消費が激しい推進方法だ。
「追尾を始めてから5分。そろそろ音響魚雷に気付くかも」
水雷盤と海図を参照して射点を探す水鶏。この先どんな機動でどんな諸元で魚雷を射つかの最終判断を導く。
「もどかしいな……。今ならワンサイドなのに」
舵輪を握ってぼやく春雨。見えない敵艦がまっすぐ進む好機と言える状況で、攻撃できないもどかしさは生徒たちに緊張感を与えていた。
「まぁ、最初の爆発が『
不知火も『U-2501』の動静を逐一観測しながら答える。
「『
白雪も冷や汗を拭いながら言う。確かに、この状況なら逃げられないこともないが、無理にバッフルズを抜けて離脱しようとすれば、高速艦の『U-2501』からは逃げきれない。『U-2501』だからこそ成り立つ作戦だが、それと同じくらい『U-2501』への対処を難しくする作戦だった。
「……このまま追尾を続行。音響魚雷にかかり続けるなら、隙を見て離脱しましょう」
翼の指示に、発令所生徒は小さな声で返事をする。
ここで、翼の中に可能性が見えてきた。『U-2501』が感染している可能性だ。
「かんちょも思う?」
ひばりが小声で聞いてくる。いつも考えを透視するように正確に意図を察知してくれている。
「はい。……『
冷や汗が肌着と背中の隙間を伝う。嫌な予感というのはよくあたると言われている。
「もし、もしも予感が当たっていれば……敵の動きは積極的で、攻撃的なはず…………!」
ここまで会話を続けたが、それ以降は続けられなかった。不知火の報告が出たからだ。
「『
「動いた!」
ひばりが報告を聞き焦るが、翼は落ち着いていた。
「皆さん、作戦通りに! 『
命令は即座に委員が復唱し、艦内に伝えられる。『U-2501』は左回りに反転し、『伊126』への攻撃を企図する。それに対し、艦尾を見せないように『U-2501』に合わせて同じ方向に転舵し、優位なポジションを維持する。しかし、『U-2501』のスピードは想像以上のものだった。
「『
不知火の報告にひばりは驚き、翼は歯ぎしりする。
「しまった!」
ひばりは思わず言うが、翼はあくまで冷静だった。
「最初から『
ここに来て焦る翼。攻撃は『U-2501』が射たなければ『伊126』は射てない状況は変わらない。しかし、このまま転舵を続けると、脚が速い『U-2501』は『伊126』の艦側面を捉える。被弾面積の大きくなる舷側を見せるのは避けなければならない状況だった。
「『
不知火の報告で、転舵が間に合わないと悟る翼。次の一手を打つ。
「転舵やめ。本艦も『
水雷盤で計算をし直す水鶏に確認する。
「1、2番発射管注水完了、外扉開口済み。いつでも行けます!」
翼は次の指示を飛ばす。
「『
「了解!」
魚雷発射管室、兵員区画、発令所、医務室、烹炊室、機関室。各区画の生徒たちが恐怖と覚悟と緊張の最大点に到達した時。ついに矢は放たれた。
転舵した『U-2501』は『伊126』に向けて2本の魚雷を発射した。