6年前のあの日。アイドルを辞めたあの時から、私は大きく変わっていったんだと思う。具体的には、視界が大きく広がった。時を刻む針が輪郭を持って見えるくらい、ゆっくりと動くようになった。私を置いて動く世界に、追いつけた気がした。
私にとってアイドルは、嘘の中からホントを知るための手段の一つにすぎないものだ。それでも、大きな決意だったことに変わりは無い。
それでも、ホントを、真実を見つけたのだから。いい加減前に進まなければならない。楽な方へ、縋ってはいられない。
真実の結晶を守るために、私は進む道を選んだ。
【愛】っていうものは、思っていたより単純なのだ。
【22歳 春】
数年前の事件で流れたドーム公演も無事に終わり、アイドルとしては最高峰のスターダムまで駆け上がった。女優としても成功している部類に入る……かな?まあ、私なりに順風満帆な人生を送っていた。
そして今日は、待ちに待った子供達の入学式。私は朝から感動で涙が止まらない。
「ママ泣きすぎだよ」
「今生の別れかってくらい泣いてるな……」
「だっでえぇ、うれしぐって、仕方ないじゃないぃ……!!!」
夢にまで見た息子と娘のランドセル姿。なんでかは分からないが、二度と見れない気がしていた光景。それが目の前で、私だけが見ているのだ。泣くなという方が無理がある。
っていうか、ホントうちの子可愛すぎる。天使じゃん。やばっ、私が守らないと。
「ママくすぐったい〜!」
「か、母さん!?」
「2人はぜーったい、私が育て上げてみせるからね!」
私の腕の中に収まる小さな体。腰にも満たない背丈。もちぷよな肌。本当に、ああもう全てが可愛らしい。
でも、こんな時でさえ、私の心は薄く陰っている。未だに言えていないあの言葉。薄氷を踏み抜くまいと私は必死に逃げている。もう、7年も。この言葉が自分にとって嘘だと知った時、全てを失いそうだから。
未だに私は、2人に【愛してる】を伝えられていない。
だから、未だに縋りついている。アイドルというまやかしに。私を口説き落とした、嘘の中の真実という言葉にタダ乗りして。
私の暗闇に光は差している。そんなこと、知っている。目の前のこの子達が、紛れもない私にとっての光。だけど私はその光に背を向けている。見ているようで、見ないようにしている。
【愛】を知りたいはずの私は、未だにその【愛】に脅えている。
その事実を理解してるからこそ、私は未だに、あと一歩を踏み出すことが出来ていない。
※※※
「アイ!あなたがはしゃいでどうすんの!?」
「だって子供の門出だよ?しかも2人同時に!お祝いだよお祝い!!」
こんな日は無理にでも気分を作らないともったいない。家では少し曇ってしまったけど、今は本心から幸せであることに間違いは無いのだから。
「……にしても、私が1番若いね」
「なに当たり前のこと言ってるの。何歳で産んだか忘れたの?」
「16でーす!」
「大卒社会人の子供が小学生とか有り得ないのわかってる?」
「さすがにそこの常識はあるよ〜」
「無かったらどうしようかと思ってたわ……」
暗にそれ以外の常識は抜けてるって意味なんだけど。
ちなみに、今日は姉という設定で参加している。大事になったら困るからなるべく出ない方がいいんだけど、行事ごとに出るのは親として譲れない。
社長を説得するのには骨が折れたなぁ……
〜〜〜
「変装して行くって言ってるじゃん!」
「だーかーらー!ダメだってんだろ!!どんだけ俺の胃を痛めつければ気が済むんだ!!」
「穴が空くまで」
「殺す気か!?」
「ゆくゆくは捻り潰すつもり」
「俺をなんだとおもってるんだよ」
「大切な親代わり兼社長」
「やめろ。いきなりくすぐったいこと言うな」
よし。オッサンは落として上げると弱いっての本当だったんだ。あとは勢いそのまま……
「だから入学式も行けるよね」
「それは駄目だ」
チッ。世の中そう甘くは無いらしい。
「ミヤコさ〜ん!!社長が虐めるよぉ」
「もう、わがまま言っちゃダメですよ〜」
どうやらミヤコさんも敵だったようだ。いや、この対応が当たり前なんだけど。
だが、ミヤコさんがふと考え直すように頭を上げる。そして社長に目線を送り、口を開いた。
「やっぱりいいんじゃない?」
「ミヤコさん……!!」
「おいおいおい。流石に無理があるだろ」
「アイ、確か各家庭保護者は2枠あるわよね?」
私はポッケに折りたたまれた保護者用の紙を取り出す。そこには、左下にきっちりと各家庭2枠の文字が刻まれている。
「あるよ。各家庭2枠」
「なら、私が母で出るから姉って事で何とかならない?」
いや、無理がないかなそれ。
「無理があるだろ!?これが姉だとお前が若すぎるわ!!」
ほらやっぱり。
「そんなの今更でしょ。それに私だって二人の門出は見たいわ。伊達に長年シッターやってないわよ」
わお。ミヤコさんも負けてない。こうなったら結末は決まってる。
「ぐ……でもなあ、万が一ってことが」
「そんなこと言うけど、アイの母親としての幸せは仕事で犠牲にして良いものでは無いと思うわ」
「分かった、分かったよ。アイ、バレないようにしっかり変装してけよ!!」
「はーい!ありがとうミヤコさん!!社長!!!!」
〜〜〜
いや〜、大変だった。でも、良く考えれば私何にもしてないな。
なんて物思いにふけってると、年配の男の先生が合図を出した。保護者入場の合図だ。体育館に入り2人がよく見えそうな位置へ迷いなく歩いてゆく。使い古され少しガタが来ているパイプ椅子に腰掛けると、少し張りつめた空気が柔らかくなった。
まだ、緊張から来る貧乏ゆすりは止まらないけど。
「緊張するね」
「ほんと。……不思議よね。自分の子でも無いのに、私も緊張してる」
「私がいない時、ミヤコさんに頼りきりだったじゃん。ウチには父親いないんだし、間違いなくミヤコさんはあの子達にとってもう1人の親だよ」
「ありがとうね。あ、ほら、入場してくるわよ」
少し頬を桃色に染めたミヤコさんは照れ隠しのように私の視線を目の前の、小さな子供たちへ誘導する。双子なだけあって私の子は皆より少し小柄なため、ちゃんと見えるといいんだけど……
なんて思ってたけど、それは杞憂に終わった。母親だからだろうか。入ってきた瞬間、他の子に埋もれてるのにも関わらず2人がすぐに分かった。
「いるいる!うちの子可愛すぎる〜!!」
「静かにしなさい!! で、どこにいるの?」
「あそこよあそこ!あぁ……ほんと、産んで良かったぁぁぁ」
ほっと胸を撫で下ろす。2人の晴れの姿を脳裏に焼きつけるためにじっと2人を見つめていると、隣からすっとハンカチで目元を拭われた。
「ちょっとハンカチ使って。泣きすぎよ」
「え……?」
いつから流れてたか分からない。言われて意識してようやく気づいた涙。いつの間にかとめどなく流れていたそれを拭く時間すら勿体ないと思うほど、私は2人の姿を目に焼き付けたかった。
焼き付けなければならなかった。
だって、2人の親だから。たった3人の、血を分けた家族だから。
「ママ!」
「いたいた〜!お疲れ様、2人ともかっこよかったよ!!」
入学式も、その後の説明会のようなものも終わった。ミヤコさんは先に帰ってご馳走を作ってくれるらしい。社長も来てくれて、今日はパーティらしい。
「母さん早く帰ろう。凄く疲れた……」
「アクアはもっと外で遊ばないと体力つかないよ?」
「るせー」
「しょうがないな。アクアは私が抱っこしてあげる」
「え!?いやいいよ歩けるからさ!」
「ママ私も!」
「じゃあ途中で変わろっか。ほらアクアおいで〜」
何故か後ずさるアクアをひょいと持ち上げる。アクアってば、親子のスキンシップに露骨な躊躇いがあるから困っちゃう。
片手でアクアを抱っこして、空いてる方の手でルビーの手をしっかり握って帰り道を歩く。パーティの前に家に帰って着替えないと。
歩くこと数分。アクアがすぅすぅと寝息を立て始めた。余程疲れてたんだろなあ。にしても、反則級の可愛さ。子供っぽくないとこが多いけど、寝顔は間違いなく年相応。あ、これがギャップ萌えってやつかな?
「あー!アクア寝てる!!」
「しー、疲れてたんだよ」
「私の抱っこは?」
「今日はパーティだから、その時にやってあげる」
「わあい!!」
パーティ♪パーティ♪とスキップするルビーと手を繋いで、家路をゆっくりと歩く。
歩いて十数分。家に辿り着いた時、ふと空を見上げた。
昼と夜の境界が曖昧になる黄昏時。見とれるほどの夕焼けが私の周りを包んでいる。そう思うとなんだか、ほんの少しだけ自分の気持ちに素直になれる気がした。
「入学おめでとうー!」
何故かやたらとテンションの高い社長。ミヤコさんと私は作った料理を机に並べてるのに、社長は子供二人と遊んでるとかいいご身分。
「めでたいなぁ!アクア、酒飲むか?」
「ダメよ。アクアは未成年なんだから」
「アクアも良いなって顔しない!!お酒は20歳からだからね?」
大人ぶりたいのは分かるけど、2分の1成人式も数年後の子供に飲ませる訳にはいかない。私だって飲んでないんだから。
「にしても、本当によくやってるよ」
「そうね。アイドルと母親なんて、普通は出来ないから。しかも世間にバレないように隠れて」
「私は褒められて伸びるタイプだからもっと褒めてくれていいよ?」
私は褒められて鼻高々だ。この間にも私は行儀悪くご馳走にありつくルビーとアクアの口を拭いてたりする。もう慣れたものだ。
「お前ら、母親に感謝しろよ?こいつが頑として産むことを諦めなかったから、お前らは産まれてきたんだからな」
「普通だったら……ですよね」
こうまでして手放しで褒められると、流石の私でも照れてしまう。
「うん!ママ大好き〜」
「俺も」
ここに追い討ちをかけて来るのがうちの子たちだ。流石は天才。余計なとこまで吸収が早い。こういう時は……
「アクアったら澄ました顔して〜」
「ちょっ母さん!やめてよ恥ずかしい」
少し弄ってあげるのが1番。アクアのほっぺぷにぷにだなあ。ずっと触ってられる。
「ほんと、子供って贅沢」
「いきなりなに?」
「ルビーもこっち来て」
「ん?」
ご飯ごとやってくるルビー。可愛すぎる娘のほっぺをぷにっと押してみる。うん、やっぱりもちもち。
「私が必死に手入れしてもこうはならないのになあ」
「まあそれはそうよね……」
これが大人の悩みと言うやつなのか。23歳にして初めて味わった。世の中の女の人がやたら年齢を気にする理由が分かった気がする。
「で、学校はどうだ?楽しみか?」
「うん!初めての場所だからわくわくする!!」
「別になんとも……」
「あ〜く〜あ〜?本当は楽しみなんだろ?」
「はぁっ!?別にそんなこと」
「ムキになったら認めてるのと同じよ〜」
「ぁぅ……」
うちの子は愉快だなあ。いつまでも見てられるよ。
ほんとに私たち、周りの人に恵まれてるなあ。
ほんと……ほんとにね。
※※※
「送ってくれてありがとうございます」
「良いのよ。あの飲んだくれがずっと引き止めたのが悪いんだから」
「ははは……」
「早いとこ2人とも寝かしちゃってあげて。ルビーなんてずっと眠そうよ」
「うん。ほら、アクアおいで」
ミヤコさんに抱かれてるアクアを受け取り、私の服の裾を引くルビーもおんぶしてあげる。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい。ミヤコさん」
音が鳴らないように扉を閉めて家の中に入る。まだ何とか起きているルビーを下ろして靴を脱がせ、抱っこしているアクアの靴も何とか脱がせる。ただ、ルビーはここで限界。うつらうつらと体を左右に揺らし、遂には私の足にもたれるようにしてコテンと寝てしまった。
「あはは……困ったなあ」
とりあえずアクアを下ろし、不安定な方のルビーを先に持ち上げる。こういった時のために玄関先には柔らかめのクッションを置いてある。さすが私。
なんやかんやで2人をベッドに連れて行き、私も寝る準備を始める。化粧を落としてシャワーを浴びて、、、うん。お風呂は良いかな。明日オフだし。
※※※
「なんか、どっと疲れたなあ……」
もう寝るだけの状態で布団に潜り込む前に何となく椅子へ腰掛ける。朝からテンションの浮き沈みが大きかったし、一日中フルに動いてたから当たり前と言えば当たり前だ。もしかしたらライブよりもきついかも。
私は無意識に癒しを求めて2人が眠るベッドに腰掛ける。ルビーは今日も行儀よく寝てるなあ。逆にアクアは今日も酷い寝相。30分の間に大移動してらっしゃる。
「はあぁ〜。うちの子可愛すぎ」
ため息が出るくらい可愛い。ほんとに可愛すぎる。2人を育てるため、その為ならなんだって出来てしまう気がする。ほんとに子供というのは恐ろしいと思う。
上京したての頃は無気力で人生、いや世界に絶望しているような人間だった。それがたった2人の子どもがここにいてくれるだけで、こんなにも希望が満ち溢れている世界に変わるのか。
「きっと私は、この子達を産んで、育てるために生まれてきたんだろうな」
「この子達が成長して、セーラー服とか学ランなんか着ちゃったりして。彼氏や彼女も作ったりするのかな」
「ルビーは可愛いし愛嬌があるから私と同じアイドルかな。アクアは役者さん。良いね。いつか親子共演とかしてみたい」
「ほんとに、本っ当に……大好き」
「いつまでも愛してるからね」
※※※
「愛してる」
私にとって特別な意味を持つ言葉。いつもいつでも笑顔を振りまき、愛してるをばらまいてきた。どれもこれも本物を、私の中にあるかもしれない本当の「アイ」を見つけるために。
だから本当に大切な存在が出来て、言えると思ってた。でも、どんなに伝えようとしても魚の小骨が喉に突き刺さるような違和感があった。何なら、今日の朝も。
でも、それはあまりにも滑らかに、つっかえずに出てきた言葉だった。いつものような喉を突き刺す痛みもない。込み上げてくる熱さも何も。常日頃から言っているかのようにこれまで言えずにいた言葉が出てきた。
普段は喉に感じる熱さが、今日に限って目頭に集まっていた。
「なんだ…簡単じゃん……」
何を難しく考えていたのか、今となっては分からない。ほんとに、どうしようもなく本当に簡単なことだった。
でも、どれだけ簡単なことでも。ようやく花開いたこの気持ちは
「……嘘じゃない。絶対に」
「この気持ちだけは……嘘じゃないっ………!!!!」
※※※
「ルビー起きて!今日学校だよ!!」
「ふえ……え?きょうどようび」
「授業参観!私にかっこいいとこ見せるんでしょ」
「ふぁ……あ!そうだ!」
「アクアは先に着替えておいて」
「もう準備出来てる」
「流石……って、アクア。名札が曲がってる」
「あ、ありがとう母さん」
「はーい。じゃあアクアは玄関で待ってて」
今日は授業参観。土曜日だけど例外的に授業が行われる日。ルビーが寝坊したり、アクアはマイペースだったりで忙しい。
私は入学式の、あの日限りでアイドルを辞めた。元々明確な目的を持って始めたことだったし、何より女のアイドルは賞味期限が短い。ならいっそここで演技の方を中心にお仕事していくって決めた。もちろん周囲からは反対されたけど、家庭のこと、2人の子供を考えると一緒にいられ時間だったり、金銭的にも安定した生活が欲しかった。
でも、何よりアイドルを辞める決め手になったのは。
「愛してる」を、「好き」を振りまくことをもうしたくなかったから。
この世でいちばん大切な存在がいるから。気づかせてくれたから。
だから、私は君と君にだけは何度でも言うよ。
「愛してる」
って。