アイは変わった。それは、確実に家族が出来てから。
あの日突然言われたアイドル卒業宣言に驚きはしたけど、嬉しくもあった。これから地獄の事後処理がある事なんて考えの中に入らないくらい、アイに感情移入してたのだと初めて気づいた。
「アイ、これが卒業一発目の仕事よ」
「うぇ〜。これ私端役じゃん」
「ん?これはキャラ名がそうなってるだけ。ちゃーんと主演なのよ。台本だってこんなに厚い」
「主演なの!?紛らわしい〜でも嬉しい〜」
「完璧にとは言わないけどしっかりやりなさいよ。礼儀正しさも忘れないで。スキャンダルに近い突然のアイドル卒業なんてやっておいて早々に仕事貰えるだけでありがたいと思いなさい」
「はーい」
4月中旬。桃色の季節も散りかけているこの時期に星野アイの女優活動が本格化した。
女優として栄えある初めての仕事は、大人気漫画の実写。アイドルの裏側や苦悩を描く作品。その役名は……
【少女B】
「はいカット!アイちゃん調子良いねえ!今のとこ1発で行けてるよ!!」
「ありがとうございます!」
「今日の撮影は終わりだから撤収入ろうか。アイちゃんお疲れ様」
「お疲れ様でーす!」
季節ももう梅雨に差し掛かる頃。長丁場の撮影は演者も気持ちを切らすことの多い中、アイは常に最高のパフォーマンスをキープしていた。
「ミヤコさんミヤコさん早く帰ろ!!もうルビー泣いちゃうよお!」
「アクアも居るんだから泣くわけないでしょ」
今日の仕事に関しては、アイは特に気合を入れていた。それには理由があり、それは半年に1度の保護者立ち会いの下校。施設育ちのアイは自分と同じ思いをして欲しくないという思い1つで今日の撮影を全て1発撮りで終わらせた。
本当に良い母親だと思う。ここまで子供のこと、家族の事をを思ってくれる親はそう多くはないだろう。少なくとも、この芸能界においては。
「今日の下校は大抵他の人が予定空けてるんだよ。しかも立地的にお金持ち多いから専業主婦もたくさん。どんどん周りが迎えに来てる中で取り残されるなんて私なら泣くね」
「はいはいわかったわかった。ほら乗って。飛ばして行くわよ」
「お願いしまーす!!」
時刻は16時を回った所。高速道路に乗れば16時半には着けるだろう。
私はエンジンをかけると、思いっきりアクセルを踏みつけた。
※※※
「ねえミヤコさん、まだ着かないの…?」
「あと数分で抜けるってナビにはあるから安心しなさい」
「でも……もう17時になるよ!?下校開始は15時だよ!?」
「だーかーらー!事故渋滞は仕方ないでしょ!?私だって早く2人を迎えに行きたいわよ!」
寄りによってこんな時に高速道路で事故が起きた。しかも、高速に乗った段階での事故。対応はそこまで遅れては無いのだが、渋滞になってしまうのは必然。2人で乗る車の中の雰囲気は、それはもう最悪だった。
アイは不安と焦りで貧乏揺すりを始めている。私も私で渋滞にも、迎えに遅れること自体にも苛立ちがかくせなかった。
「事故したやつをどうにかして社会的に抹殺……」
「ちょっミヤコさん!?心の声出てるって!!」
「良いのよこの車2人しか居ないんだから」
「絶対アクアとルビーの前では言っちゃダメだから!!情操教育に悪いでしょ」
「相変わらず親バカねえ」
「普通です〜だ。あっ!渋滞抜けたよ」
「ちゃんと掴まってなさい。飛ばすわよ!!」
オービスが無いのをいいことにアクセルベタ踏みで追い越し車線を爆走を始める。タイムマシンのような速度で周囲が私達から離れていく。
運転先から見える景色とソワソワしているアイを見て、私はとある日のことを唐突に思い出していた。
〜〜〜
「アイ!!」
彼女からの連絡を受け、私は3人が住むマンションの階段を必死に昇る。
「アクア!!!」
有名人が住むような磐石なセキュリティがある家に、無理にでも住むように言えばよかった。
「ルビー!!!」
そこじゃあマスコミの張り込みもあるから。そもそもアイの稼ぎ的に難しいからって、セキュリティの無い普通のマンションを選択させた自分を呪いたい。
芸能事務所は【ヒト】そのものが商品なのに。
全力疾走でアイの部屋に辿り着く。扉の前に佇むひと握りの包丁。刃渡り幾ばくも無いような料理用の包丁は何ヶ所も刃こぼれした跡がある。それらを見た瞬間の背筋に走る電流のような衝撃と冷たい一雫の汗はどうにも言い難い、過去最悪の経験だと感じた。
呆気に取られて立ち尽くす私だったが、微かに聞こえてくる悲鳴に意識が呼び起こされた。
「3人とも無事なの!?」
チャイムを鳴らすことも忘れ、あらん限りの力で戸を叩き金切り声で叫ぶ。
「ミヤコさん……?」
か細い声が扉越しに聞こえてくる。私はその声に対し全力で肯定の返事をした。
すると、怯えが伝わる程慎重に。まるで天ノ岩戸の如く重々しく扉が開かれた。
これから一世一代のドーム公演に赴くとは思えないくらい青ざめた、それでも子供だけは必死に守ろうとしている母親の姿がそこにあった。
※※※
「良かった……特に怪我は無いのね」
「うん。あ、私よりもアクアの方をお願い」
アイがアクアを私に寄越すも、アクアは嫌がってアイから離れようとしない。いつも透かした顔を涙でぐしゃぐしゃにして、アイにしがみついている。
「離れそうにないね」
困った顔で、でも満更でもない表情で笑うアイ。そこでようやく緊張の糸が切れたのか、アクアを強く抱き締めつつも膝から崩れ落ちる。
「ルビー。もう出てきていいよ」
その声と同時に後ろの扉が恐る恐る開かれた。
「ママ……?」
「このとおり大丈夫だよ〜。今はちょっと疲れただけ」
「うぅ……ひっ…!」
「ルビー、おいで」
「うわああぁぁぁ!!!」
ルビーはアクアを押し退けるようにアイに飛びつく。アイは2人をギュッと抱きしめた。
喉から熱いものが込み上げてくる。涙で霞む瞳を悟られまいと後ろを向いて携帯電話を取り出した。
とりあえずは警察に。その後に社長まで。母親とはいえまだ成人して間も無い1人の女の子と、達観してるとは言えやはり幼い子供達なのだ。精神的にも負担が大きすぎる。
「アイ、今日のドームは中止ね」
「うん……」
「事件の事を言えばみんなも理解してくれるから」
「そ、だね……」
らしくない顔で目を伏せるアイ。そんな顔を見るのが辛くて、苦しくて、私は思わず駆け寄って3人を力いっぱい抱きしめた。
「えっ…?」
「良かった…!!3人とも無事で、本当に良かった……!!!」
〜〜〜
「なんでこんな時に思い出しちゃうのかしら」
「なんのこと?」
「なんでもない」
状況は全く違うのに、たまにあるなんの脈絡もない記憶のリフレイン。
でも、こうして思い出すことで今ある幸せを噛み締められる。そう考えると、悪いものでもない。
「もうすぐ着くわよ」
「やっぱり泣いてるかな……」
「大丈夫だって。きっと良い子で待ってるから」
「ミヤコさん、2人の事になるとやけに自信あるよね」
「そりゃあ、乳母みたいなもんですから」
「若くて綺麗なのに……なんか、いやなんでもない」
「なによ、言いたいことあったら言いなさいよ」
「怒られるから言いませーん。じゃっ」
「こら!危ないでしょ!!」
待ちきれないのか、言葉通り逃げたのか分からないが、バック中の車から飛び降りて駆け出してった。
「ママ遅い!寂しかったんだからァ!!!」
アイに抱っこされて帰ってきたルビーと、手を繋いで歩くアクア。ルビーはアイの言う通り大泣き。アクアは相変わらずぼーっとしている。
「お待たせ〜」
「随分時間かかったわね。どうかしたの?」
「私が迎えに顔を出したら、ルビーが大泣きしちゃってあやすの大変だった」
「泣いてない!!」
「泣いてないね〜よしよし」
「だいたいお兄ちゃんが遊んでくれないのが悪いんだ!」
「おれぇ!?遊んでやったろ!?」
「やだやだやだもっと!!お兄ちゃんが本を読み始めたから寂しくなっちゃったんじゃん!!」
「だってこの本面白いし」
「お兄ちゃんのばーか!マザコン!!」
「それはお前も一緒だろ!」
「はいはい2人とも喧嘩しないの。今日は美味しいもの作ってあげるから」
「お風呂も一緒。寝るのも」
「うんうん。分かったよ〜」
これまでは子供とかただただ煩いだけの存在とばかり思ってた。デリカシーなんてなくて、本能のままに動いてくる予測不可能な存在。でも、今では何をしても可愛い存在だ。それがたとえ人の子供であっても。
「ミヤコさんも来る?」
「まだ仕事残ってるのよ。それに社長がかなりグロッキーになってるから手伝わないと」
「大変だぁ。いつもありがとうね」
「はいはいどういたしまして」
国民的アイドル兼母親。前代未聞の2足のわらじ。アイの魅力は間違いなくこの側面が強く影響しているのだと思う。
元々死んだ目でコンクリートだらけの町中を俯きながら歩いていた。どこにでもいる、顔が良いだけの不幸な女の子。そんな人の波に埋もれてただけの女の子が嘘の笑顔を貼り付けて踊り歌うことを、私はよく思っていなかった。
でも今は違う。心の底から笑ってくれている。周りの人が幸せになる笑顔をしてくれる。
「ほんとにここでいいの?」
「うん。少しお散歩して帰るよ」
「疲れてるんじゃない?それにルビー寝ちゃってるし」
「ルビーって羽根みたいに軽いんだよ。いざとなればアクアが持ってくれる!」
「ルビー持てるか自信ないんだけど…」
「男の子だから大丈夫だよ。じゃね、ミヤコさん。今日はありがとうございました」
「ええ。また明日ね」
今日何度目かの発進。ゆっくりとアクセルに足をかける。駆動音が鳴り、タイヤがアスファルトを踏みしめ動き出す。
私は3人とは逆方向に車を走らせた。ふと、バックミラーで後ろを確認する。
アイからルビーを渡され、よろけながらも背負うアクア。それを見てクスクスと笑うアイ。
何時からか、どこにでもいてどこにでもいないこの3人の幸せは私の幸せになった。
この幸せがずっと続きますようにと祈りながら、私は家路へと続く道に向かってアクセルを強く踏んだ。