もしもチェーンがかかってたら   作:あルプ

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甘い夢の、その中で

【11歳 夏】

 

「暑い………」

 

前世の子供時代からは考えられない暑さ。それに東京という灼熱のコンクリートジャングルと、日本特有の湿気によるベタつきが俺を襲う。

グロッキーにアイの背に乗り項垂れる俺に反して、双子の妹のルビーは楽しそうにはしゃいでいる。汗をかくのもなんのその、あっちこっちに走り回っている姿はおおよそ同じ人間、それも兄妹だとは思えない。

 

「アクアも歩く?」

「やだ。熱い」

「子供らしくないなあ。体を動かさずに本ばっか読んでるから体力つかないんだぞー」

 

ふわんふわんと背に乗る俺を揺らしたり浮かしたりするあたり、ルビーはアイの方の血を強く受け継いでいると思う。と言うか、前世関係なしに親子とは似るものらしい。俺にもアイツにも、どことなくアイらしさがあるってのに最近気がついた。

 

季節は夏。俺達は家族旅行に行くために最寄り駅まで歩いていた。

 

 

 

 

 

乗る電車は海岸線をのんびりなペースでゆるりと走る。海の香りが漂い潮風が心地よい。

今回はアイ曰くミニ旅行。毎年思いつきで連れてかれる長い旅行ではなく、2泊3日の旅行を2、3回するらしい。

 

「海だー!!」

「海だね〜」

「海だな」

 

景色を見せるためにルビーを抱っこしているアイと、それにもたれかかる俺。母親というのは恐ろしいもので、こうしているだけでとてつもなく安心して眠くなる。特に体力の無い俺は直ぐにうつらうつらと船を漕いでしまう。

夏の暑さと涼しい風と母の柔らかさに身を預けて俺は意識を手放した。

 

 

※※※

 

 

「…まだ?」

「……たね。ま……」

「……た!」

 

明らかに電車の中では無い。でも、物凄く慣れ親しんだ独特のリズムの揺れ。太ももの下にある細くも強い腕。前傾に倒れながらもたれかかるこの姿勢。

ああ、おんぶされてるんだな。と虚ろな意識で理解した。でも、もう少し……少しだけ………

 

「お兄ちゃんいい加減代わってよ!」

 

少し下から耳を刺した甲高い声に思い切り頭を上げる。勢いが良すぎたため、おぶってもらっているアイも少し後ろによろけてしまうが、「ととと」と直ぐに元通りに歩き出す。

 

「お兄ちゃんお疲れなんだよ。もう少し寝かせてあげよ?」

「今日お兄ちゃんずっと寝てるしずっとママに甘えてるもん。私も甘えたいのに」

「いつも甘えてるじゃんか〜このこのぉ〜」

「ママのばかぁ!」

「ヤキモチ妬いてるルビーかわいい〜」

「妬いてないもん!!」

 

普段は甘えることに抵抗があるが、今日はなんだか全くない。と言うよりも、この頃前世の感覚が、記憶が薄れている。遥か彼方の夢で見た記憶のようなものになっている。

それだけ、星野アクアマリンとしての記憶が、体験が俺を支配しているのだろう。これが良いことかどうかなんて分かりやしない。でも、今は、もう少しだけこの幸せな時間を少しでも長く過ごしたい。

だから、もう少し………

 

 

 

※※※

 

記憶の海から懐かしいあの頃が夢として浮かんできた。

数年前。背丈が今より10cm以上小さい頃。五反田監督の自宅から帰るあの時。ルビーを背負い、俺の手を引くアイ。その顔はどこか悩ましげで、それすらも絵になる美しさだ。

でもやはり、自分の親が悩んでいるのには漠然とした不安を覚えてしまう。前世の記憶を引き継いだ俺の、僅かに残る星野アクアマリンとしての年相応な心。そこから出てきた言葉をそのまま、アイへと投げる。

 

「悩んでるの?」

「あ、分かっちゃう?」

「顔にモロ出てるし」

「あちゃ〜」

 

アイは結構自分の中に悩みを留めておくタチがある。それに、打ち明けられるような間柄の存在は俺も確認してない。と言うか、アイの周囲は驚くほど人間関係が希薄なのだ。友人と呼べるような人と遊びに行くこともない。ロケの打ち上げにも殆ど参加しない。仕事と家の往復が生活の大半を占めている。

……でも、子供には余計打ち明けられないんだろうなあ。

頭の中では理解しつつも、やはり心配だから言葉をかけてしまう。

 

「五反田監督と少し話してたけど、それと関係ある?」

「ん〜、まあ……」

 

でもアクアは気にしないでと、笑顔で諭される。少しモヤッとしたが、この場は頷いておこう。そう考えた。

 

 

 

 

 

ふと、視界が暗転する。

 

 

※※※

 

 

「んにゃ……」

「おにーちゃんおきた?」

「おきた……」

「丁度いいね。アクア、宿に着いたよ〜」

「もう?」

「アクアずーっと寝てるんだから。どう?まだ眠い?」

「ん……」

「降りて代わって!!」

「もう宿なんだから代わる必要も無いでしょ〜」

「やー!」

 

まだ眠いし、意識も散り散りだがこのままだと癇癪起こして迷惑をかけそうだ。

 

「母さん、下ろして」

「いいの?」

「このままだと妹が暴れそうだし」

「ありがとね。さすがお兄ちゃんだよ。ほらルビーおいで〜」

「わあい!」

 

仕方なく降りた俺を嘲笑うような顔をしやがってこの妹は。いや、いつもの事か。

俺は寝ぼけ眼を擦って目の前の宿を見上げる。

今日泊まる宿は海沿いにある和風建築の旅館。直接海水浴場へ続く階段があったり、海から上がればすぐに入れる温泉もある。まさに海水浴のための旅館だ。

 

「ここ予約取りづらい有名な旅館なんだよ〜」

「母さんよく取れたね」

「わ、アクア私の事舐めてる?ちゃんと半年前に予約したんだから」

「ママすごーい!」

「でしょでしょ?私だって成長してるんだから!」

 

正直、世間知らずで抜けていて、家の中では確かに母親だけど外に出るとよくやらかしているイメージだった。子供会、地域での自治会でも突飛なことを言って場を混乱させることがよくある。つい先日も資源ゴミに究極的にはリサイクルするでしょと可燃ごみ持って行って怒られていた。

 

「うん。母さんは凄いよ」

「2人ともだいすきだよー!」

「話繋がってないぞ!?」

「私の中では繋がってるの〜」

 

ほんと、とんでもない人が親になったもんだ。

 

 

 

 

 

 

「すごーい!」

「綺麗だな……!!」

 

窓から見える景色は絶景の一言。江ノ島が右に小さくだが見え、眼前には昼と夜が溶け合う茜色の空が海をも同じ色に染め上げている。太陽の輪郭がぼやけた幻想的な、一日の中でも一瞬の時間にこの絶景。更には心地よい潮風と海の匂いで、俺の心臓は酷く高鳴っていた。

 

「2人とも景色ばっか見てないで準備して〜」

「「はーい」」

 

振り返ると、正統派な和室が畳の香りを漂わせ俺の目の前に現れる。アイは荷物をせっせと分けていて、それもかなり様になっている。テレビで見るのとは大違いな、大人びて落ち着いている、どこにでもいそうな1人の母親だ。

それがなんだかむず痒い。

 

「ここの温泉は入れないの?」

 

ルビーが首を傾げて聞く。確かに、館内利用では温泉があったはずだ。

 

「海水浴帰りの人専用なんだって。だから隣にあるスーパー銭湯に出発だー!」

「わーい!温泉温泉!!」

 

 

 

※※※

 

 

温泉でたっぷり30分はのんびりして、今は温泉を分ける暖簾の前にあるソファに沈むように座っている。

にしても、かなり大変だった。温泉に入る際、俺が男湯に行こうとすると慌ててアイに捕まえられた。

 

「母さんどうしたの?」

「大丈夫?1人で入れる?私かなり不安だな」

「大丈夫。それにほら、ルビーも嫌がるし」

「でも1人でしょ?アクアはまだまだおチビちゃんだから余計に心配だなあって」

 

そう。これまではどんなに抵抗しても女湯へ連れてかれていた。1人は危ないとか、心配だとかで。ルビーが露骨に不潔な目をしていたたまれなかったことも覚えてる。

いや、正直なところ温泉だけに留まらずアイは子供を1人にさせたがらない。家でも自分がいれば3人でお風呂。これは暗黙のルールだし、ご飯だってそう。寝る時も。

だから、今日もこうなるとは思っていた。

だが……

 

「温泉は10までしか一緒に入れないじゃんか」

「でも〜」

「直ぐに出るから。それにルビーの方が危なっかしいし」

「アクアも十分……ん、分かった。でも、危ない人には気をつけてね」

「うん」

 

何とか納得させて入り、今出てきたところという訳だ。

……にしても、今座っているソファ、本当に気持ち良い。ふっかふかだ。沈んで呑み込まれそう。やばい、瞼が落ちてきた。ちょっと、いや、かなり……

 

 

 

※※※

 

 

監督の家の件から数週間。その間、アイは難しい顔をずっとしていた。でも、今日は何か違う。ビシッと何かを決意した顔をしている。

ところでなぜ、俺は正座刺せられてるのだろう?

 

「アイ?どうしたの」

「アクア。そろそろアイっての辞めよっか」

 

真剣な眼差しで唐突に理解出来ない事を言われる。いや、理解出来るが突然の事に頭が処理を拒んでいる感じ。

そんな俺を置いて、アイは真意を語り出す。

 

「私は施設育ちだったり、まともに親と接する事無かったからアレだけどさ。やっぱり自分の親はちゃんとお母さんとか、ママって言ってたんだよね。ほら、親のこと名前で呼ぶのはなんか違うじゃん?だから、そろそろそうやって呼んで欲しいな〜って」

 

なるほど。俺は前世のままにアイとばかり呼んでいたがよくよく考えればおかしな話だ。親子なのに一線引いてると捉えられてもおかしくは無い。しかも子供の方からとなると、それは気味が悪いだろう。

そうやって納得するも、上手く口が開けない。妙な気恥しさで口が空回る。

 

「あ…、え、お、おかあぁぁぁ」

「頑張って!」

「あぁぁぁ……」

「恥ずかしがることないよ!ほらほら!」

 

これを言ったらなんだろう。大切な何かが置き換わるような気がして。

思わず逃げ出してしまった。

 

 

 

俺はその小さな背中を後ろから見ているだけ。不思議な夢だ。

 

 

 

 

※※※

 

 

「んぁ……」

 

瞼を持ち上げると、隣ではルビーが俺の腕を抱き枕にしてすやすや寝息を立てていた。かく言う俺ももう片方の手で自分の母親の服をしっかり掴んでいる。そして母親はまだ起きていたようで、微睡みの中少しだけ意識がある俺に敏感に気づく。

 

「今日のアクアは眠り姫みたいだったね〜。寝る子は育つから、アクアは背が高くなるのかなぁ……」

「ん……」

 

無造作に撫でられるのが気持ち良い。ふわりと柔らかく包み込まれ、そのまま再び眠りに落ちていきそうになる。

 

「ん……私も寝るからね。おやすみ〜、アクア。愛してるよぉ……」

 

おやすみ。その言葉を聞いてすぐ、今日何度目かの深い眠りへ落ちてゆく。

 

 

 

※※※

 

 

「母さん……」

「呼んだー?」

「……んぅ。おはよ」

「寝言か〜。寝言で私を呼ぶとは可愛いヤツめ」

「ん……?」

 

重い瞼を開くと、大好きな母親が目の前で笑っている。太陽にも負けないくらいに眩しく、弾けるような、それでいて悪戯っぽく。

 

「そっかそっか〜。アクアももっと甘えたかったんだね〜」

 

おいで〜と手を広げる母さんへ素直に体を預ける。母さんは少し驚いた顔で俺を受け止めると、ゆるり、やさしく撫でてくれた。

 

「なんか怖い夢でも見た?」

「……怖くない、けど。昔を思い出して」

「大袈裟だな〜もう」

 

撫でられるがまま、柔らかくて細いのに大きい母に包まれに行く。もう目は覚めたけど、せめてルビーが起きるまでこのままで……

 

 

 

 

 

 

「アクア〜こっち向いてよぉ」

「………」

「お兄ちゃんどうしたの?顔ずっと赤いよ?」

「………」

「ママ、お兄ちゃんどうしたの?」

「私もよく分かんないや」

 

七里ヶ浜と呼ばれる砂浜は案外狭く、それでいて人は多い。近くには江ノ島に由比ヶ浜、葉山一色、鎌倉と観光には事欠かず、スキューバダイビングなどのレクリエーションも行える場所がある。更には七里ヶ浜の裏手に高校があり、そこからなだれ込むように部活終わりの生徒がやって来るから人が多いらしい。

 

「いや〜懐かしいなあ」

「なにがー?」

「アクアが私の事お母さんって初めて呼んでくれたときのこと」

「そう言えばいつの間にかだったよね」

「すんごく可愛かったんだよ!手をこう、モジモジさせながら顔真っ赤にしてちっちゃな声で『お……母さん』って!!!」

「何それお兄ちゃん可愛い〜!」

「ちょっ、母さん」

「それでね、顔がリンゴみたいに真っ赤になっちゃって。私に飛び込んで顔を隠してたんだ〜」

「お兄ちゃんマザコンだあ」

「べ、別に良いだろそのくらい!!」

「年相応ではあるけど……ほら、ねえ」

「それを言うなそれを」

「???とにかくほら一緒に海に入ろーよ。一人でいてもつまんないよ〜」

 

相変わらず問答無用で、返答を待たずに俺を抱いてルビーの手を引く。

青空の下。海水浴日和の砂浜で、母さんはいつもより、誰よりも笑顔だった。

 

 

 

 

 

最近、前世の記憶が希薄になっている。

雨宮吾郎の生まれ変わりではない。星野アイの息子、星野ルビーの兄である星野アクアマリンの人格が強くなってきている、気がする。

流石にそう簡単に割り切れる訳では無いが、どこかで折り合いをつけなければならない時が来るだろう。前世と、今世に。それがいつになるか分からない。今すぐだろうか、成人してからか、恋に落ちてからか。はたまた前世の年齢を超えてからか。

それでも、折り合いをつけようと、これだけは雨宮吾郎として、星野アクアマリンとしても守っていきたいものがある。

 

 

星野アイ……いや、俺達の母親の、妹の笑顔だけは。

 

 

 

【愛する者】だけは、必ず。

 

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