「突然固まっちゃって?」
「い、いや、なんでもないよ。ごめんごめん」
記憶に、魂の底にまで深く刻まれた場所に気付けばいた。
懐かしさと悲しさの記憶が同時に蘇る。
目の前には、ニット帽を被ったあどけない少女が不思議そうに俺を見ている。
(いや落ち着け。なんでさりなちゃんがここにいる?)
ありえないことだ。
星野アクアの目の前に天童寺さりながいるなんて。
(つーか、俺刺されたよな?それと引きかえに『アイツ』を警察に突き出して、ルビーにも死に際に会えて…
まぁ、意識朦朧としてたから何話したかあんま覚えてないけど)
これは死の間際の夢か?
俺の願望が最後に見せてる幸せな夢か何かなのか?
(えぇ〜…)
目の前で楽しそうにサイリウムを振るさりなは、どう見ても現実だ。
そして、病室の窓に映る黒髪に眼鏡のよく知った、そして懐かしい顔も。
(どうやら逆行というやつをしたらしい…)
「アイ可愛いな〜やっぱり」
「さりなちゃんも可愛いだろ」
「ありがとう、せんせ」
アイのライブを見ながら、どこかうっとりと夢見るように呟くさりなに、胸が痛む。
(落ち着け、落ち着けアクア…いや、今は吾郎か。整理するぞ。ここは病院。さりなちゃんの病室。アイは勿論生きてる)
そして、さりなちゃんのやつれた姿。
もしかして、些細な理由で入院しているのではないか、そんな淡い期待はサイリウムを握る枯れ枝のような指を見た瞬間に容易く砕かれた。
(さりなちゃんは…やっぱり変わんないのか…チクショウ…)
「せんせ?」
「あんまはしゃぎすぎんなよ?また寝込むからな?」
自分の方が遥かに辛いのに、俺の心配をしてくるさりなの健気さに思わず頭を撫でる。
ニット帽の下の、頭髪の抜け切った形の良い頭の感触が俺を絶望的な気持ちにする。
(あー、くそ。俺なんか戻すくらいなら、この子が健康に生きられるくらいの奇跡を起こしてくれよ神様)
さりなの頭を撫でながら、状況を整理する。
(つーか、この時期まだアイは当たり前だけど妊娠して無いんだよな。てか、カミキは小学生の頃か…)
(どうにか出来ないものか…小学生のカミキを殺すのは現実的じゃない)
(だったらアイの方をどうにかするか。カミキに出会わないように?)
(きっかけがララライのワークショップだ。周囲に馴染もうともしないアイを鏑木さんが見かねて…だったか?)
(こんな田舎の医者がそれをどうやって防ぐ?あー、くそ。アクアだったらなんとかできたかもしれないのに。コネでもなんでもあったろ)
(矛盾してんな。アクアならって、アクアが産まれる前にどうにかしようとしてるのにな)
(そもそも、それを防ぐのか?アクアが生まれないのはどうでもいい。それに…)
「?どうしたのせんせ?」
不思議そうにさりなが首を傾げる。
(この子を救えない俺なんかが生き延びるかどうかもどうでもいい。けど…)
(ルビー。あの子のことが気掛かりだ。結局、誰の生まれ変わりだったのかわからなかったが、もう今の俺にとってはかけがえの無い妹だ。あの子が生まれない可能性は出来れば考えたくない。アイが妊娠しなくても、他の誰かの子として生まれ変われるのか?いや、あのクソガキの言い回しを借りれば、魂の無い器だから生まれ変われたということだ。だったらアイが身籠らない限りルビーは…どうする?)
(雨宮吾郎の肉体に戻ったせいか、アクアの頃と違って、娘を心配する親の気分だ。死ぬ寸前だったから、なんて言ってたか聞こえなかったが、随分泣きじゃくってたな…)
アイの秘密を暴露して、ルビーとの仲は決定的に決裂した。
今にして思えば、もう少しやり方はあっただろう。
自分の考えだけを突き通してしまったのは、己の傲慢だ。
それなのに、もう家族ではないと言い放ったのに。
あんなに怒ってたのに。
それでもルビーは泣いていた。
こんな最低な兄貴を抱き締めてわんわんと幼い子供のように泣きじゃくっていた。
出来れば抱きしめ返したかった。
その涙を拭ってやりたかった。
こんなクズのような男の為にも心を痛めて泣いてくれる優しい子だ。
出来れば幸せになって欲しい。
「いっそ俺の子供にでも生まれ変わってくんないかな」
「!?」
(優しい子といえば、有馬とあかねはまだ生まれてないんだよな。あの子達も心配だ…)
(誰か有馬に教えてやれよ周囲とのコミュニケーションの大切さを)
(あかねは…恋愛リアリティーショーなんて勧めるアホな事務所以外に入ってくれれば、いくらでも幸せになれるだろうな)
(生まれてもいないのに、こんな心配しても仕方ないのにな、俺。
あー、心残りないつもりだったのにいざとなると心配事が山のように出てくるぞ)
(今の時期だとMEMは幼稚園児か。アイツ確か母子家庭で、家族支える為にアイドル諦めたんだよな。出来れば叶えさせてやりたいな…)
(田舎の研修医じゃどうにもならない問題が多過ぎるぞ…)
(いっそ医者辞めて苺プロに入社するか?なんてな)
(今の時期だとミヤコさんいるのかな。ロリコン社長に引っかかったばかりにな、あの人も…)
優しい人だった。
多分、生まれて初めて『母親』を感じた人だった。
自分が心の奥底で渇望していた愛をくれたのはあの人だったのかもしれない。
(一度でも母さんて呼べば良かったな)
だけど、自分から距離を置いて、壁を作っていた。
その癖、構ってほしくて、気にかけて欲しくて、付かず離れずの位置でミヤコが寄り添ってくれるのをいつもまた待っていた。
(まぁ、あっちはカミキもいなくなったし、楽しくやってるだろうから気にしても仕方ないな)
「せんせ…」
「ん?どうした?」
「せんせ子どもいるの…?」
「いないよ?あ、声に出てたか。ただの想像、想像」
「そうだよねー。せんせ彼女と別れたんだもんね。この前フラれたんだよね?」
「何で知ってるの?」
「看護師さん達が言ってたよ。シュラバで大変だったって(シュラバってわかんないけど)」
「田舎の噂の浸透の早さ怖ぇぇ…」
(この時期だったか、彼女と別れたの。ダメだな彼女と聞いてあかねしか浮かばなかったわ)
「せんせ、そういうだらしないのダメだよ?」
「いやいや、聞いて。別に浮気とかじゃないんだよ?マジで誤解」
(そもそも付き合ってるつもりもないのに、彼女と飯食ってるとこに来て、勝手に思わせぶりなことして、その気にさせてって泣き喚くの酷いだろ…)
(そういや、今くらいに苺プロに入社すれば、ミヤコさんと知り合って、上手くすれば付き合うとかもあるのか)
(アイにおかしな奴が付かないようにガードして、ミヤコさんと結婚して、子供にルビーになるはずの子が生まれ変わる…)
「なんてな」
「?」
そんな妄想しても仕方ない。
そもそも同じ運命を辿る訳でもない。
もしかしたらいない人間がいたり、似ているが全くの別人という可能性もある。
せっかくこの時に戻ったんだ。
まずするべきことは一つしかない。
「俺の女性関係より、まずさりなちゃんは退院しなきゃな。アイドルになるためにも。そうしたら俺が全力で推してやるよ」
「ほんと?」
「ああ、最前列でオタ芸披露してやるわ」
「あははは!」
鈴を転がすようにころころと笑うさりなを見つめる。
これはやはり夢かもしれない。
目が覚めればカミキに刺され苦しみ悶えている自分が待っているかもしれない。
けれど、こうしてまた会えた。
2度と会えないと思っていた少女と会って話して、笑顔まで見れた。
(例え、君の運命が変わらないとしても、俺にできる限りのことはするし、最後まで寄り添うよ)
さりなちゃんを救うことはやっぱり出来なかった。
覚悟を決めてた2周目だったが、俺は吐くほど泣いた。
逆行した意味がわからなくて、とにかく泣いた。
前回よりも泣いた。
あの母親の気持ちはわからなくもない。
助からないとわかっている幼い娘から目をそらしたいと思うのは、邪悪ではなく、彼女の弱さだ。
人の弱さを許せない人間は、そいつもまた弱い人間だ。
そして、俺は弱い人間だったので、許せなかった。
具体的に言えば、さりなちゃんの母親の顔面に右ストレートをぶちかましていた。
わざわざ東京に足を運んで。カチコミだ。
前世でカミキと差し違えてから、暴力へのハードルがちょっと低くなってるわ。
いやぁ、失敗失敗。
で、謹慎。
よく謹慎で済んだな。
普通に傷害罪だろ。
向こうが訴えなかったことが理由らしい。
滝のような鼻血を流しながら、それでも俺を訴えなかったさりなの母親はどんな心境だったのか。
俺は考えた。
五秒で考えるのは止めたけど。
で、
せっかく時間が出来たので、前の時には参加出来なかったアイのライブにも参加することにした。
現実逃避と呼びたければ呼べ。
田舎の医師に一体どれだけ運命を変えられるっていうんだ。
まだ生まれていない、ルビー、有馬、あかね。
俺にとって代わりの無い大切な人達だ。
前の世界では、俺に見切りをつけて幸せになっていると確信をしているが、だからといって、この世界で不幸になって良いはずがない。
今世では、陰ながらあの子達を支える所存だ。
名付けて足長おじさん作戦。
ピーマン体操は箱買いする気満々だし、あかねの舞台だって見に行くつもりだ。
無論、ルビーがB小町になったら、最優先でライブに足を運ぶが。
ちっぽけな俺にでも出来ることをこつこつだ。
さし当たっては、少しでも推しに貢献するためにライブに参加。
前回の時は、まだそこまでアイのファンじゃなかったんだよな。
アイを推してるっていうか、アイを推してるさりなちゃんを推しているっていうか。
この頃は会場も小さなライブハウスだ。
あぁ、まだまだこの頃のB小町って地下アイドルもどきだったんだよな。
世界がアイに気づいていないっていうか。
だからこそ推し甲斐があるっていうもんだ。
アイはまだ中学にあがる前だってのに、既にトップアイドルの風格を見せてる。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
十数年ぶりのアイは利くわ。
荒みきったドクターライフを癒してくれる。
なんて、意気揚々と帰るつもりだったのに、まぁ、どんな因果なんだろうな。
「おい、アイ大丈夫か!?」
「え、えへへへ、だいじょ…ばないかも」
なーんで、アイが倒れてるところに出くわすかなぁ。
あれって、壱護さんだよな。若いな流石に。
で、車で帰るところで、アイが倒れたと。
いや、もうね、わかるよ。
だって、ライブ中からして、アイの顔色悪かったから。
どうにもこの頃のアイは色々と不安定っていうか、アンバランスだな。
不安で孤独なのに、肩肘張ってるっていうか。
にこにこ作り笑いしてるのに、警戒心バリバリの姿が捨て猫みたいだ。
少し尖った反抗期を隠しきれていないこの感じ、懐かしいわ。
中学の頃のルビー思い出すわ。
初めて敵意満点の目でウザそうなリアクションされた時はショックで寝込んだ。
心を閉ざしながら、嘘の感情で人を騙すのは、思春期の女の子の心に負担をかけていく。
ただの処世術としてならともかく、ハードなアイドル生活の中で続けていくのは、それは辛いだろう。
アイは自分を歪んで欠落した人間だからそうやって、人を騙しているのだと卑下しているようだ。
4年間子供として、間近でアイを見てきた俺じゃなかったら気づかなかったよ、あの体調不良っぷり。
そして、アイはアイドルで、俺はその奴隷なわけで。
見捨てるなんて出来るはずがない。
「あの、大丈夫ですか?」
結局、アイの体調不良は過労だった。そりゃあそうだろ。
まだ中学に上がったばかりの女の子が、ハードなスケジュールをこなしてるんだから。
てか、それだけじゃない。
俺から見れば、それは潔癖過ぎる。
自分が倒れる程、苦しくても嘘を吐き続けるのは、最早誠実だろう。
本質は変わらない。
嘘を吐き続けることで、ファンを幸せなまま騙しきろうとしている。
優しくて愛情が深いことを自覚していないだけの不器用な女の子だ。
よく知ってる、推しで、母親がこんな小さな頃から変わってないことが嬉しくて、
思わず俺は「君は下手くそだな」なんて言ってしまった。
口にしてから、ヤベェッて焦ったね。
いやいやいや、何言っちゃってるの俺。
おい、俺の中のアクア、迂闊で間抜けなゴローを管理してくれ。
ほらほらほら、アイがスゴい目を丸くしてるじゃん。
やべーよ。絶対これ、おかしな医者だって思われてるよ。
──── で、それがきっかけでアイと交流が出来るとか思わないじゃん。
壱護さんに気に入られるのが予想外だったわ。
何でそんなに気に入るかねぇ。
マジで何があるかわかんねー。
けど、アイとちょこちょこ通話することが増えたのは、ラッキーだ。
生意気可愛い。
中学校にあがって反抗期に突入したルビーを思い出して、微笑ましいったらありゃしない。
俺は完璧で究極のアイドルか、抜け目だらけながら頑張ってる母親のアイしか知らなかったわけで、
正直、面食らうとかショックっていうよりも、推しの新たな一面を見られてラッキーって感じだ。
さりなちゃんが見たらどう思っただろうか…
そんな浮かれていた俺の頭を一瞬で冷ましてしまうことが起きた。
「ララライのワークショップを紹介されたんだ〜〜」
背筋が凍り付いた。
話を聞いてみれば、既にカミキとも接触があったらしい。
俺は一体何を呑気にしていたんだ。
焦る気持ちを押し殺す。
せめて出来ることをしなければ、何の為に逆行した?
さりなちゃんにあわせる顔がない。
「アイちゃん。その…俺がこんなことを言うとおかしいと思うかもしれない。けれど、真剣に聞いてくれ」
ライブに行った時に会うくらいで、遠距離で通話をする程度の間柄のこんなオッサンが、一体どの立場でものを言うってんだ。自分で自分に呆れかえる。
「そいつには注意して欲しい。出来れば、近づいて欲しくもない」
それでも言わなければならない。
その結果、気持ちの悪いオッサンだと思われても構わない。
少しでもアイの中にカミキへの警戒の芽を植え付けることが出来れば、雨宮吾郎という男が、気持ちの悪いおっさんだと認識されたままアイの忌まわしい知人にカテゴライズされてもいい。
「理由は、上手く説明出来ないから、聞かないでもらえるとありがたい」
そいつは未来で君の子供の父親でありながら、君を殺すんだとどうやって説明しろっていうんだ。
まだ起きていない犯罪を説明出来るはずがない。
転生とか逆行とか、頭のおかしい人間の戯言だ。
病院に行ってこいと確実に言われるだろう。
「けど、君のことを思って言ってる。信じて欲しい」
それでも二度とあんな光景は見たくないから。君が望んでいた幸せを手にして、そのまま幸福で居続けて欲しいから。
「頼む。そいつには近づくな。一方的な俺の押しつけで…悪い」
少しでも伝わるように思いを言葉に乗せる。
軽蔑、あるいは嫌悪に顔を歪めたアイを想像して、下げた頭をなかなか上げられなかった。
「せんせーは、私がその人に近づかない方がいいんだね?」
真剣な声に思わず顔を上げる。
普段のアイからは考えられない真摯で真っ直ぐな瞳。そこに宿る星は、いつものような煌めきを通り越して、太陽のように熱く燃えているようにすら見えた。上気した頬は、アイの気持ちの高揚の表れなのだろうか。
「あ、ああ…勝手な頼みだとはわかってる。だけど、本気なんだ」
「うん、うんうん。わかった。せんせーがそう言うなら」
まるで一世一代の大勝負に応じることを決意した武士のようにアイは真剣に頷く。
覚悟の炎が身体を熱くしているのか、アイの頬はますます赤くなる。
まさかとは思うが、これだけのやりとりで、俺の心を見抜いたというのか。
あかねにすら匹敵する洞察力と直感。
目の前の、既に獲物を狩るような眼差しのアイに、ぞくりとする。
画面越しだというのにこの気迫。
まるで自分がその獲物になったかのように錯覚する。
フッ…どうやら、俺はこの期に及んでなお、星野アイというアイドルを見誤っていたようだ。
その人に会ったのは、あるライブの帰りのこと。
無理をしすぎてて、それでもライブを笑顔でやりきって、少し気が抜けちゃったんだろう。
これくらい何でもない、と言おうとして言えなかった。
どうやら、想像以上に私ってばグロッキーだったらしい。
佐藤社長がテンパってる時に、その人が声をかけてくれた。
あ、結構イケメンなお兄さんだなっていうのが第一印象。
賢そうだなって顔つきでわかった。
でも、しっかりB小町のグッズ買ってるから、ファンなんだ。
私達みたいなマイナーアイドルのファンって、こんな見た目でなかなかこってりしたドルオタなんだってちょっと驚いた。
小さな子どものわかりやすい隠し事を微笑ましそうに見るお父さんみたいな、
そんなふわりとした笑い方だった。
「優しい嘘もいいけど、自分を不幸にする嘘はついちゃ元も子もないだろう?馬鹿だなぁ」
こんなに優しい「ばか」を私は生まれて初めて聞いた。
空気が読めなくて「馬鹿」と怒鳴られたことならたくさんあった。
ものを知らなくて「馬鹿」と軽蔑されたこともかぞえきれない。
嘘が見破られたことも、びっくりしたけど、何よりも、こんなに優しく叱られたのは初めてで、いくつも用意してる「顔」を作れなかった。
それがせんせーとの出会いだった。
その人はお医者さんで、社長と一緒にライブハウスに戻った私にかんたんな診察をしてから、カロウ?って言ってた。社長は何で言わなかったとか、色々ぶつぶつ言ってたけど、お兄さんに何度も何度もお礼を言ってた。
「君は下手くそだな」
そう言ってその人は笑っていた。
馬鹿にする訳でもなくて、いやらしい目で笑うのでもない。
それから、せんせーとはちょくちょく通話をするようになった。
毎日通話してたら、「流石に仕事に響くから、ちゃんと寝なさい」と叱られたので、2日に1回とかに自重してる。
本心から私を心配してるのがわかって、くすぐったくなっちゃったっけ。
せんせーには色々あったことを報告しちゃう。
悩み相談のときもあれば、ただの世間話のときもある。
些細なこと、昨日買ってきたジュースが不味かったとか(せんせーに絶対にSNSに呟くなと釘を刺されたけど)、
レッスン帰りに見かけた猫ちゃんが可愛かったとか。
ブラのサイズが一つ上がったと話した時はおもしろかった。
飲んでたコーヒー噴いてて、せんせーはだいさんじだった。
おなかを抱えて笑っちゃった。
せんせーは、初めて会った時は賢くて優しくて大人だなぁ〜って思ったけど、こうして通話をするようになると、色々とわかった。
結構わかりやすいのに、本人はポーカーフェイスのつもりでいるとか。
時々スゴく大人げない、ていうか子供っぽいところがあるとか。
あと、女の人に割とだらしないとか。
付き合っても長続きせずにフられるらしい。
新しい彼女が出来たって話を聞くたびに、なんだかすごくもやもやとする。
それで、フられたって報告を受ける時の私の顔は、せんせー曰く「めちゃくちゃ愉快そう」な顔をしているらしい。
「それでね、ララライのワークショップを紹介されたんだ〜」
そんなに乗り気じゃないんだけどね。演技の勉強もかねてって話だけど。
画面越しのせんせーは、苦々しそうな顔をしていた。どうしたんだろう。
「なぁ、アイちゃん」
アイでいいって言ってるのに、ちゃん付けする。もう。
「やっぱり、同じくらいの年の子はいるのか?」
「うん、いるよ」
「もしかして、男も?」
「そうそう、一人結構話すようになってる子がいるね。カミキって子」
話すって言っても、正直あんまりな〜
顔も綺麗で、すごく紳士的だし、賢いんだけど、どうも嘘くさくて。
せんせーは、しばらく考え込むと、真剣な顔をしてまっすぐに私を見つめてきた。
不意に胸が大きな音を立てて高鳴った気がした。
「アイちゃん。その…俺がこんなことを言うとおかしいと思うかもしれない。けれど、真剣に聞いてくれ。そいつには注意して欲しい。出来れば、近づいて欲しくもない。理由は、上手く説明出来ないから、聞かないでもらえるとありがたい。けど、君のことを思って言ってる。信じて欲しい。頼む。そいつには近づくな。一方的な俺の押しつけで…悪い」
そう言ってせんせーは頭を下げた。
え?
何言ってるのこの人。
せんせーの言葉をもう一度思い出す。
『アイちゃん。その…(君とまだ恋人になっていない)俺がこんなことを言うとおかしいと思うかもしれない。
けれど、真剣に聞いてくれ。
そいつには注意して欲しい。出来れば、(俺以外の男には)近づいて欲しくもない。理由は、(年上のくせにヤキモチをやいてるなんて)上手く説明出来ないから、(恥ずかしいから)聞かないでもらえるとありがたい。
けど、君のことを(大切にしたいと)思って言ってる。信じて欲しい。
頼む。そいつには近づくな(俺の為に)。一方的な俺の(気持ちを)押しつけで…悪い(結婚しよう)』
「せんせーは、私がその人に近づかない方がいいんだね?」
「あ、ああ…勝手な頼みだとはわかってる。だけど、本気なんだ」
「うん、うんうん。わかった。せんせーがそう言うなら」
もう、しょうがないにゃー
本気か〜本気で私にめろめろなのか〜
魅力的なアイドルなのも困ったものだ。
せんせー、どんだけ私のこと好きなのよ。
まったく、好きなら好きって言えばいいのに。
翌朝、そっこーでララライに断りの連絡を入れた。
社長と鏑木Pにしこたま怒られたけど、ごめんね。
「先生には感謝してるんですよ」
壱護さんが酒を注ぎながらしみじみとした口調で呟く。
既にそこそこ酔ってるのか、勢いよく注がれた酒が淵から溢れて指を濡らす。
日本酒の甘い匂いが体温に触れて強く香る。
「アイは変わった。それも確実にいい方向。ヤバいアレは」
納得するとように何度も「アレはヤバい」と繰り返す。
相当酔ってるな、コレ。
「あの子は天性のスターですからね」
それを俺は誰よりも知ってる。
「もちろんそうだ。それはそうなんだが。アイツの…こう、しっくり来るようになったっつーか…あ〜」
酔いのせいか上手く言葉が纏まらないようだ。
こうして、この人と酒を酌み交わすのは何度目だろう。
前の人生では、結局酒を共にすることは出来なかった。
19歳で死んだ星野愛久愛海は、酒の味も知らずに死んだのだから。
一度くらいは酒をついでやりたかったと思っていたから、雨宮吾郎としてではあるが、酒を酌み交わせることを密かに嬉しく思う。
「芯が通った。パフォーマンスのキレも違う」
「それはあの子の努力の結果でしょう。俺がしてることはせいぜい寝るまでの話し相手ですよ」
最初に出会った頃はまだまだ幼い女の子だったアイはどんどん綺麗になっている。
「寝るまでお話ししよう?」などととろんとした目をする姿に、アイに眠くなるまで絵本をねだっていたルビーを思い出して目頭が熱くなったものだ。
「そういえば」
ふと思い出した。東京の学会に呼ばれたついでに苺プロに寄った時に鏑木さんと会った時を。
『なるほど、君が…』
ジロジロと顔を見て来て、納得したように頷いてたっけか。
「鏑木さんが言ってたな。アイは恋をしたんじゃないかって」
「お、おう…まぁ、そうだろうな」
さすが壱護さん。とっくに気づいてたか。
しかし、アイが恋…
そうだよな16歳なんだものな。
気付けば16歳、俺が知ってる頃のアイになっていた。
肉体に引き摺られてる影響なのか、身近に接してるのがまだ12歳の頃だったからか、俺はアイを推しであり、母の記憶も抱きつつも、今では大切な娘か妹のように見ている。
勿論、コレが初めて心から大切だと思った少女と、何を犠牲にしても守りたかった妹を重ねた浅ましさが含まれてることは否定しない。
アイもそれは感じてるのか、「せんせーの一番になりたいの!」と、つい先日も怒られたばかりだ。
誰にとっても一番の推しでいたいと思うその貪欲さは、流石だと心から感動する。
「俺の一番はアイちゃんだよ」そう答えると、実に満足そうに頷くのはやはりまだ子供だ。
国民的アイドルになりつつあるというのに、なんとも微笑ましい。
推せる。今度のライブにも行かなきゃ。
「いや、アンタはわかってねぇ先生。先生と出会って本当に変わったんだよアイは」
「そうなんですかねぇ。そうなら光栄だ」
アイはもしかしたら、満たされなかった親の愛情を俺で満たしてるのかもしれない。
恋する年頃か。そもそも俺の母になったのが今の歳なんだから…
前々世で初めてアイに会った時を。
お腹を大きくさせたアイを見た時の感動と絶望は軽いトラウマだ。
思い出したら吐きそうになってきた。
流石に今はそこまでではないだろうが、アイがどこぞの誰かに孕まされたと言っていたら、事と次第によっては正気でいられる自信は無い。
「けど、壱護さん。恋をするのは良いとしても、節度は守るように言っておいてくださいよ。万が一にも妊娠なんてことになったらスキャンダルどころじゃ済まない」
「それはアンタの匙加減だろ…」
なるほど、産婦人科医として、若い身での妊娠の危険性を教えろということか。
大丈夫?セクハラじゃない?大丈夫だよね?訴えられたら負けるよ?
注がれた酒を干すと、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
「佐藤社長〜!せんせーが来るなら来るって教えてよー!!」
大きな買い物袋を抱えた社長夫人のミヤコさんとアイが慌ただしく帰って来た。買い物帰りにレッスンを終えたアイを迎えに行ってきたのだろう。
ていうかアイ。ミヤコさんの買い物袋持ってあげなさい。
「お邪魔してますミヤコさん」
「あ、先生ご無沙汰してます。是非是非ゆっくりしていってください」
ミヤコさんの手から買い物袋を受け取ると、冷蔵庫に仕舞うのを手伝う。
「ありがとうございます先生」
モデルや女優も裸足で逃げ出す程の美貌に柔らかな笑みを浮かべるミヤコさんに胸の内が温かくなる。
前世では母親代わりだったミヤコさん。
アイへの義理立てと復讐に囚われて、碌に甘えることはなかったが、今ならわかる。この人が与えてくれた愛こそ俺がずっと欲しかったものなんだと。
「座っていてください、何か作りますわ」
「そんなお構いなく。よろしければ手伝いますよ?」
だからだろうか、ついお節介を焼きたくなる。
前世で出来なかった親孝行なども図々しいことを言うつもりはない。
ミヤコさんからすれば何のことかわからないだろう。ただの俺の自己満足に過ぎないのだ。
ふと、アイがすぐ側で俺を睨んでいた。
頬を膨らませて、不機嫌さを全身で表している。
非常に可愛い。放っておかれて拗ねてるのだろう。
とても可愛い。俺の推し可愛すぎるだろ。
「せんせーってさ、ミヤコさんに甘いよね?もしかして、若い女の子好きの社長に目を付けられた可哀想な若妻だから狙えると思ってる?不倫なんてダメなんだからね!」
壱護さんひでぇ言われよう。
「…それとも、好みなの?ミヤコさんみたいな人」
「好みかどうかと聞かれたら好みだが…別にそんなつもりはないよ」
「ふぅーん…」
あ、これ全く信用してないやつだ。
こういうところは随分と記憶のアイとは違うなと思う。
俺の母親であるアイなら「うわー不倫だ。やるぅ〜」くらい言いそうだが。
この潔癖さはルビーのようだ。ルビーは潔癖というか、男女の関係に色々理想を持ってる子だったな。
「せんせーはさ、私とかはどうなの?可愛いくない?」
「くっそ可愛い」
「!!なら、私にしとこうよ」
「ははは、うける」
「適当に流された!?」
小悪魔笑顔のアイ激可愛い。
そうか、この世界のアイは、こんなに大人に安心して甘えたり揶揄ったり出来るんだな。
「せんせーいつもそう。子供扱いだ」
「子供だろうが。16歳の娘っ子が。そんなことより今はアイドルに集中しなさい。応援してるんだからな、俺の推し様」
「えぇ〜じゃあどれくらいになったらせんせー的にはオーケーなの?」
はて、オーケーとは何だ。
アイドルとしての合格ラインか。
そうだな、アイにとっての合格ライン。そんなの決まってる。
「そりゃあドームだろ」
「おー!!いいねードーム!!」
壱護さんが、リビングから快哉の声を上げる。
「東京ドームでライブか!!そりゃ最高のゴールだな!!」
すっかりベロベロだな。
明日の2日酔い酷いことになるなありゃあ。
「ドーム…東京ドームでライブ出来るくらいになったら、せんせーは大人として見てくれる?」
「まだまだ俺としては君を推していたいんだから、慌てて大人になろうとされるのは寂しいんだけど」
「も、もう!そういうこと聞いてないから」
真っ赤になって拗ねるアイ可愛すぎか。
おっと、いかんいかん。
推しの可愛さに意識が飛びかけた。
ルビーなら「ママきゃわわー!このママの可愛さを見た男達は全員億は払うべきだよね!」とか言い出しそうだ。
「大人ねぇ…まぁ、自分の夢を叶えて、夢で自分を食わせてやれてるなら既に君は立派な大人だけど。
東京ドームライブまで辿り着いたアイドルはもう子供なんて呼べないわな」
アイは東京ドームライブの当日に殺された。
夢の達成を目前にして。
まだ20歳の女の子だったんだぞ。
それを、あんな突然、無惨に…
思い出すだけで怒りが込み上げる。
怒りじゃない、これは悔しさだ。
グラスに入れた水を飲みながら感傷に浸る。
「そっかぁ。なるほどねぇ〜じゃあ、私が東京ドームライブまで達成したら、私のお願い聞いてくれる?」
「おー、いいぞ、いいぞ」
4年後のアイか。
きっと素敵な出会いをしてるだろう。
あんな男のせいで隠し子を抱える苦労も無く、真っ直ぐ成長した20歳のアイ。
「夜景が綺麗なホテルに連れて行ってくれる?」
「おー、連れてく連れてく」
そんなアイと酒を飲むのも楽しいかもしれない。
「指輪買ってくれる?」
「おー、買う買う」
前世では酒の味も知らずに死んでしまったアイ。
そんなアイと酒を飲むことも出来なかったアクア。
「結婚してくれる?」
「おー、するする」
それが叶うとしたら、それはとても素晴らしい未来だ。
ん?結婚?
まぁ、いいか。
4年もすれば忘れるだろう。
たくさんの出会いを経て、アイに相応しい人にも出会えるだろうし。
「で、ライブ後のアイに押し倒されてプロポーズされたと」
「はい」
「先生さ、俺のことロリコンと呼べねぇよ?」
「いや、娘がパパのお嫁さんになる的なものだと思うじゃん?猶予あると思うじゃん」
まさか、2年も短縮するとは思わないじゃん。
18歳で東京ドーム達成するとは思わないじゃん。
「アイドル部門…どうなんのかなぁ…稼ぎ頭いなくなって」
肩を落とす壱護さんから目を逸らし「まぁ、ご愁傷様」と言うのがやっとである。
「他人事じゃあねぇか先生よぉぉ〜〜…」と地の底から這う様な声が怖い。
だって思わないじゃん。
アイドル引退宣言するとは思わないじゃん。
「痛手過ぎるんだよなぁ…」
壱護さんがの深過ぎる溜息がずしりと重く響く。
俺のせいかよ…
俺のせいなの?…
俺のせいかなぁ…