「ねぇ、新しいお父さん欲しくない?」
この数年ですっかり顔色が良くなったお母さんが、頬を染めながら私に尋ねてきた。
何、その初恋に浮かれる女子中学生みたいな顔。
いや、娘の前でモジモジするの止めて?
可愛いとは思うけど、精神的に色々キツい。
娘が見てるのに、そんな浮かれポンチな恋する女の子ムーヴする母親なんていな…
いや、いたわ。
身近にいたわ。
職場にいるわ。
私の推しだわ。
恋する乙女に年齢は関係ないってことかな。
お母さんは娘の贔屓目を除いても若作りな方だし、美人だと思う。
そういう相手が出来ても不思議ではない。
それに、私だってもう高校生なのでその辺の理解はあるつもりだ。
あー、でも、弟達はようやく中学に上がったばかりで、多感な年ごろに差し掛かっている。
それに、まだまだお母さんに甘えたい盛りだったりするから、再婚話は難航するんじゃないだろうか。
身体が丈夫なわけでもないのに、女手一つで育ててくれたお母さんに対して、弟達はマザコンというか若干過保護というか、割とセコムだ。
なんていうか、姉の私に対してよりも扱いが丁寧だわ。
弟達はお母さんを深窓の令嬢で、姉は超合金でできてると思ってる?ってくらい扱いに差がある。
いきなり初対面のおじさんがやってきて「パパだよ」なんて言われた日には、キレるかグレるかするんじゃないだろうか。
もちろん、うちの弟達はとってもいい子だから、お母さんの幸せを願って非行に走る訳はないと信じている。
信じているけれど、信じることと不安なのは困ったことに両立してしまう。
お母さんの幸せと同時に、弟達の精神安定の為にも、ここは長女として確かめておく必要がある。
「えっと、お相手さんはどういう繋がり?職場の人?」
「違うわね。全然違う職業の人。お医者さんなの」
「あ~なるほどね」
得心が行った。
お母さんは私が中学校に上がる頃から定期的に病院に行っている。
元々身体が強い方じゃないお母さんは、一時過労で倒れかけたことがある。
その時に、病院で診察を受けた際に、もう少し遅かったら大事になっていた。
それからは、生活に注意して、こまめに検診するようにしていた。
その甲斐もあって、数年経った今でもお母さんは元気に働けている。
私が高校に上がるまでずっと検診を受けているのだから、もしかしたら「そういうこと」もあるのかもしれない。
「でも、結構年齢離れてない?」
お母さんの主治医の先生は確か50代だった気がする。
お母さんとは1回り以上離れてる気がするんだけど。
「そうでもないわよ。離れてるって言っても、そこまでの年齢差じゃないわ」
確かに、芸能人だと50過ぎのおじさんが20代の子と結婚するとかたまにあるか。
それに比べれば一回りくらい今だと珍しくはないのかも。
寧ろ50代の落ち着いた人が再婚相手の方が、弟達も納得するかな。
「お付き合いしてどれくらいになるの?」
「やぁね、お付き合いなんて間柄じゃないわよ」
どういうこと?
お互いにその気はあるのに、正式に交際してないっていうこと?
お母さんがいい加減な人を相手に選ぶとも思えないし
家族にご挨拶するまでは交際しないとかかもしれない。
お母さんくらいの年齢だったら、交際だって結婚を前提にしたものになるだろうしね、やっぱりそこはキチンとするのだろう。
「じゃあ、いつかご挨拶に来るっていうこと?」
「ご挨拶も何も、貴方よく知ってる人じゃない」
ますますどういうこと?
私の不思議そうな表情に気付いたのか、お母さんは恥じらいながらその人の名を口にした。
「あの……ゴロ先生ってお母さんと不倫してます?」
聞くや否や、ゴロ先生こと雨宮吾郎先生は飲んでいたコーヒーを盛大に噴出した。
全身に熱々のコーヒーを浴びることになった対面に座っていたぴえヨンさんが「ピヨォォォォォォーーーー!!!」と悲鳴を上げてフローリングの上をのたうち回っている。
こういう時にビキニパンツとマスクだけの芸風は防御力が低い。
「ゲホッ…いきなりどうしたんだよ、メムちゃん」
激しく咳き込みながら、ゴロ先生はここ数年ですっかり馴染んだ私のネットアイドルとしての名前を口にする。
そういえば、この名前もゴロ先生と一緒に考えたっけ。
「だって、お母さんが、ゴロ先生が新しいお父さんだったら嬉しい?って聞いてくるし」
「例え話だろ?お母さんは俺と交際してるとか、そんな話はしなかったろ」
「そうだけど…けど…」
「けど?」
ゴロ先生の言うとおり、お母さんは慌てて例え話だと言っていたけれど、真っ赤になった顔は、どう見ても恋する乙女だった。
お母さんももう40過ぎ。いくら若作りとは言っても、人生経験は豊富だし、そうなるとちょっとした思い込みで暴走なんてするだろうか。
少なくとも、お母さんは先生に対して憎からずっていうかマジで好意を持ってる。
「お母さん美人だし」
「確かに」
「年齢より若く見えるし」
「そうだな。メムちゃんのお姉さんとか言われたら信じそうだな」
「私が苺プロ受けた時も、やたらとお母さんの体調を気にかけてたし」
「……まぁ、そうだけど」
「体調の事で相談に乗ってるうちに、お互いそういう感じになったのかなって」
「どういう感じなんだよ…」
「そ、それはその、だ、男女の、深い、く、くんずほぐれつ…」
「真っ赤になるほど恥ずかしいなら言うなよ」
ゴロ先生は口元を拭うと困ったように笑った。
「そりゃあ、俺も悪かったかもな。あんまり理由もなく親切にされたら、下心の一つや二つ疑っちゃうか」
うぅ…そんな寂し気な顔されると、こっちの罪悪感が半端ないよぉ…(注:結婚詐欺師の手口です)
「はは、申し訳なさそうな顔しなくていいよ。君にとっては、俺は所属事務所の専属医師でしかないのは事実なんだ。ただ、俺は別に慈善活動で君達親子に親切にした訳じゃない。君のオーディションを見て、君が苺プロにとって確実な利益をもたらす子だと思ったからそうしただけだ」
「先行投資ってことですか?」
「そういうことになるね。今の時点の家庭環境を理由に君を不採用にして、他所の事務所に取られることが将来的な損失に繋がると判断した」
「だから恩を売ったっていうことですか?」
「契約で縛り付けたらモチベーションの低下を招きかねない。僕が見たところ、君も君のお母さんも情で縛られるタイプだしね」
クスっと笑うゴロ先生に、内心ギクリとする。
私は頼まれたら断れないタイプだし、お母さんも義理堅いし、情に脆い人だ。
先生の見立ては的を射ている。
先生にしてもらったことは、支払いを請求されたわけでも、契約書にあるわけでもない、反故にしようと思えば出来てしまう。
だけど、契約による理不尽なら違約金を払ってでも突っぱねてしまえても、受けた恩を仇で返すなんて真似はお母さんにはとても出来ない。
ゴロ先生は私たち親子の性質を短い時間で見抜いて、最も抗えない鎖で縛り付けたというわけだ。
実に、狡猾で抜け目のない振る舞いだ ──── と、ゴロ先生の言葉を字面通りに受け取るなら思うだろう。
けど、目先の利益だけでは到底説得力がないほど、目の前の男の人から受けた行為は温かみに満ちていた。
苺プロに合格した時、事務所に契約しに来た私とお母さんの応対をしたのは、斉藤社長ともう一人が雨宮吾郎先生だった。
私の家が母子家庭であることを考慮した上で、アイドル活動に係る費用について説明をした後で、先生はお母さんの顔色の悪さを指摘した。
何でもないと言っていたお母さんを真っすぐに見つめて、先生は首を振った。
『娘さんの夢の為に頑張ることは素晴らしいことです。けれど、貴女はこの子にとって、たった一人の母親なんです。自分の夢の為にそのたった一人のお母さんに何かあったら、娘さんは自分の夢を嫌うかもしれない。もしかしたら、憎みさえするかもしれない。だから、お母さん。娘さんの夢と同じくらいに、貴女は貴女自身を大切にしないといけないんです』
それは、穏やかな声で、優しい口調の言葉だったけれど、有無を言わさない強さに満ちていた。
強引に上から押さえつけるような言葉だったのなら、お母さんはもしかして意地になっていたのかもしれない。
だけど、先生の言葉は反発心とか、意地とか、そういう心の壁をすり抜けて水のように私たち親子の中に沁み込んでしまった。
不思議な話だけれど、私は初めて会うはずのこの雨宮吾郎という先生が心から私たち親子を想って言ってくれているのだと信じることが出来た。
結果的に、ゴロ先生の言葉に従ったのは大正解だった。
先生の紹介状を持って受診した病院の診断結果は、放っておけば治療に長期間、それも決して安くはない治療費が掛かるような病気だった。
紹介先の先生は心の底から安堵したように言っていた。
『本当に早くに来てくださって良かったです。今からなら、通院しながらでも十分に完治しますよ』
お母さんが病気に罹っていたショックと、それが早期の発見でさほど治療が困難にならないことの安堵感に私たち親子は抱き合って泣いてしまった。
それだけじゃなく、ゴロ先生は私にこんな提案をしてくれた。
『B小町の新メンバーに君はいずれなれると思う。けれど、アイドルは持ち出しも多い。もし、君が構わないのなら、配信活動をしてみないか?配信に係るものは経費で落ちるし、落ち切らないものは社長のポケットマネーで何とかする』
配信に必要な機材は先生が揃えてくれたおかげで、私の出費は殆どなかった。
しかも、配信活動以外では事務所の事務仕事などを副業として宛てがってもくれた。
ゴロ先生は「猫の手も借りたいほど忙しいから、頼むよ猫ちゃん」と揶揄うように笑っていたけれど、治療に専念するために仕事量を抑え気味にした我が家の家計を慮ってくれたことは明らかだった。
それだけじゃなく、B小町のメンバーのレッスンに私を加えるように便宜を図ってくれたのもゴロ先生だった。
B小町のメンバーは、テレビやラジオ、ネット配信で目にする通り、一人一人が向上心に溢れていて、メンバーを友人であると同時にライバルと見なして切磋琢磨するグループだった。
高峯さんは私を見て、「ふぅ~~ん、貴女があの人のお気に入りなのね。ふぅ~ん」と夫の愛人を見るような目で何故か見てきたし、
きゅんぱんは「そっか、そっか、そうやって私の心をかき乱す作戦なんだ」と一人納得していたし、
ニノさんは「アイでも物足りないの…?それとも、そうやって振り回される私を見て悦んでるの?いけない人」と何故か笑っていた。
メイメイに至っては「やっぱり義理の娘からの禁断の関係ルートしかないの?お薬は最後まで取っておかないとね」と手帳に何かをメモしていた。
彼女達の言ってることはよくわからなかったけれど、少なくとも、私を好意100%で迎え入れている訳ではないことは、私への視線が物語っていた。
それでも、プロ意識、そして各々のストイックなまでの向上心の強さのためか、特にいじめのようなことは起こらなかった。
そして、私にとっての一番の憧れで推しのアイさんに出会えた。
アイさんは私が憧れていたとおり、いやそれ以上に素敵な人だった。
『ねぇねぇ、ゴローのことどう思ってる?』
なんて、聞かれた頃は、まだアイさんがゴロ先生の恋人だって知らなかった。
年ごろの女の子にとって、身近で若くてカッコいい男の人がいるから、その人を引き合いに恋バナをしたいのかなくらいにしか思わなかった。
浮世離れしたイメージだったアイの意外なほどの普通の女の子らしさは、幻滅どころか親しみを感じさせて、推し心が加速した。
気さくなアイさんに、私も嬉しくて、ゴロ先生に親切にしてもらっている色々なことを伝えた。
『……へぇ……そっか……やっぱりフレッシュな子が……やっぱり穴を開けないと…』
小さな声でぶつぶつ言っていたからよく聞き取れなかったけれど、きっと自分の恋人の優しさに惚れ直したんじゃないかと私は踏んでいる。
その後、アイさんがゴロ先生の彼女で、しかも妊娠が発覚して結婚することになったのは驚いたけれど。
その報告を受けたB小町のメンバーがアイさんと大喧嘩をした結果、スタジオが修理で一週間使えなくなったのはもっと驚いたけど。
そんな訳で、私とお母さんは並々ならぬ恩義がゴロ先生にあった。
ゴロ先生は先行投資と言っていたけれど、あくまでもお医者さんでしかないゴロ先生が、決して安くない金額をかけるに値する程、あの時の私に何かがあったとはやっぱり思えない。
先生は自分が思ってるよりもずっと演技がバレバレでわかりやすい人だ。
少し偏屈で、不器用で、そして照れ屋さん。
優しくてお人好しだけれど、そう思われることが苦手な人。
だから悪ぶって、できるだけ感謝されないように振舞っている。
だから、そこまで自分を思い遣って、見返りも求めずに親切にされたら、お母さんがコロリと来てしまうのは無理もない話だった。
お母さんだけじゃない、こんな素敵な人に目一杯優しくされたら、女だったら誰だって勘違いするんじゃないだろうか。
先生は見返りを求めないって言ってたけれど、いっそ下心の一つくらい抱いていてほしいと思う子だっているんじゃないだろうか。
「あーあ、先生が独身だったらなぁ。先生がお父さんなら、私何の不満もなかったのに」
流石に恋人だったらとは思わない。
出会い方が違ってれば、初恋のおじ様になっていたかもしれないけれど、そんな目で見るにはこの人から受けた恩は大きくて、温かくて、父性を感じてしまった。
「お世辞でも嬉しいよ」
くしゃりと頭を撫でられる。
社長と違って指に毛なんて生えてない、綺麗な手。
男の人にしては細くて、長い、だけどやっぱり男の人らしい少し骨ばった指先にドキッとする。
「お世辞じゃないよぉ。うちのお母さん優良物件だから、もっとプッシュしたいところだけど、流石に相手がアイさんじゃね」
いくらお母さんが綺麗で、若作りで可愛いといっても、娘の欲目を入れても、やっぱり相手が悪すぎる。
天下の星野アイ、私の一押しの完璧で究極の(元)アイドルだもん。
お母さんに私という可愛い娘がセットでついてきてもやっぱり勝てないかも。
「悪いな。俺はアイ一筋だから」
さり気なく頭を撫でられて、それだけでなんとなくこの人ってモテるんだろうなとわかる。
あと、こういうことしてると、勘違いした女の子にいつか刺されるか監禁されるんじゃないかな……なんてことをちょっと思った。
「でも、メムちゃんみたいな娘がいたら楽しいだろうな」
「あぁ~~それルビーちゃんとエメちゃんが聞いたら拗ねますよぉ~?」
「それは大変だ。でも、うちの天使ちゃん達がヤキモチ焼く姿見たいなぁ。可愛いだろうな」
そうやって初心な女の子だったら蕩けてしまうような笑顔をするんだもん、やっぱりいつか女性関係で痛い目見るよこの人。
アイさんがやっぱり羨ましいかも。こんな素敵な人が旦那さんで。
ルビーちゃんとエメちゃんが羨ましいかも。こんな優しい人がお父さんで。
ちくんとした胸の小さな痛みには気付かないフリをして、私は暫くゴロ先生に撫でられるがままにされていた。
「ピヨォォォォォォンホォォォォォ―――――!!!」
ぴえヨンさんはまだ悲鳴を上げたままフローリングの上をのたうち回っていた。
●MEMちょ(16)
母の再婚相手がゴローと勘違いして焦る。
けれど、ゴローが父親だったら、一緒に買い物に行ったり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりするのだろうか、それは悪くないなとまんざらでもなかった。
違ったんだけどさ。
ネットで人気急上昇中の苺プロ期待の新人アイドルにして、初のネットアイドル。
校則が緩いので絶賛金髪。notプリン頭。
ゲーム実況やヘタウマな歌ってみたの他、初々しいメイク練習動画に女性ファンが多い。
また、たまに動画に映る母親に男性ファンが多数存在。
バブみを感じたファンのスパチャ代は通称「ミルク代金」と呼ばれている。世も末だ。
●MAMちょ(4■)
オーディションに受かった娘の契約に同席。その際に、真剣に自分の身を案じてくれた若い医師(ゴロー)に好印象を抱く。
その後も定期的に娘の活動報告を兼ねて訪問しては、簡単な診察をしてもらっているうちに、忘れかけていた「女」が疼く。
「アナタごめんなさい…でも、私も寂しいの…」
女盛りで夫を失った女性は色々大変だ。
ゴローが既婚者と娘から聞かされてショックを受ける。
他人様の家庭を壊すつもりは毛頭無い常識ある大人の女性なので、何も起こらない。
けど、診察の時に「奥さん…ほら、もっと開いてよく見せてください」と迫られたら………不可抗力だよね?
●雨宮吾郎(35)
オーディションでMEMちょ(13)を見つけた瞬間に、面接に同席することを社長に希望。
如何に彼女が可能性に満ち溢れ、好奇心と挑戦心を持った気概のある少女であるかを熱弁。
パワーポイントによるプレゼンを行った結果、見事に採用。
全力バックアップをし、MEMちょのアイドルデビューを前倒しした。転生アドってこういうこと?
なお、奥さんをほったらかしにしてパワーポイントを作成したことで、奥さんが軽くヘラることになるが、それはまた別の話。
MEMちょはゴローの推しの子認定が苺プロ内で浸透する。知り合った時のアイの年齢が12歳だったのも……色々……ねぇ?
●ぴえヨン
最近のバズッた動画は、半裸でスクワットをしながらおでんを食べてみた。
糸こんにゃくが色々絡みついて、大変だった。
●B(ベイビー)小町
最近ゴローの子を(想像)妊娠する子が出てきた。
★雨宮アイ(23)
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ゴロー……若い子が好きなの?