ぼくにはせんせーがいる。
せんせーはとってもやさしくて、きれいで、なんでもしってる。
ぼくはせんせーが大すきだ。
「んー?えっとね、あっくんは先生のこと好き?」
せんせーはぼくのあたまをなでながら、よくそんなことをきいてくる。
ぼくは、いつもおなじことをきくんだなとおもってるけど、それでも、おなじことをいう。
「うん、だいすき」
お母さんのつぎにだいすき。
ルビーおねえちゃんとおなじくらいすき!!
「そっかー。あっくんはお母さんが大好きなんだね」
せんせーはぼくをだきしめる。
せんせーはあたたかくて、やわらかくて、いいにおいがする。
ぼくはせんせーにだきしめられるのがだいすきだ。
でも、かなちゃんは「赤ちゃんみたい」ってイジワルをいう。
「かなちゃんは、あっくんが大好きだから、イジワルしちゃうんだよ」
「えぇ〜うっそだ〜〜。めむちゃんも、ルビーおねえちゃんもやさしいよ?かなちゃんだけだよイジワルなの」
かなちゃんは、いつもぼくにイジワルをする。
お母さんが大好きだっていうと、いつも「マザコンねアンタ」ってイジワルする。
ルビーおねえちゃんはそんなこと言わない。
「お母さんが好きなことは全然おかしくないよ」
っていって、だきしめて、キスをしてくれる。
ぼくは、お母さんの次にルビーおねえちゃんが好きだ。
ルビーおねえちゃんは、ぼくにとってもやさしい。
お母さんがいないときは、いっしょにおフロに入ってくれる。
お母さんの帰りがおそいと、いっしょにまってくれる。
ルビーおねえちゃんは、いっぱいキスしてくれて、
「その髪、可愛いね。もしかしてルビーちゃん?」
「うん!」
ぼくはルビーおねえちゃんがむすんでくれたリボンをせんせーに見せびらかす。
ぼくの髪が長いからって、おねえちゃんがぼくのかみをむすんでくれたんだ。
ルビーおねえちゃんの目の色とおそろいの赤いリボン。
「先生のこともルビーちゃんくらい好きなんだよね?」
「うん!!」
せんせーも大好き。
せんせーはなんでもしってて、ぼくにいろいろおしえてくれる。
おもしろい本もいっぱいくれるし、おべんきょうもおしえてくれる。
えいがもいっぱい見せてくれた。
せんせーのダンナさんが出ているドラマも見せてくれた。
せんせーのダンナさんはもういないって、せんせーが言ってた。
死んじゃったの?ってきいたら、せんせーは泣きながらぼくをだきしめた。
せんせーが泣いたのをはじめて見た。
だから、ぼくは二度とそんなことをきかない。
せんせーにはいつも笑っていてほしい。
「今日はミケちゃんはいないんだね」
「うん…」
ミケっていうのは、うちのおにわに来るネコのこと。
茶色と白がきれいなネコちゃんだ。
お母さんにないしょで、ぼくはルビーおねえちゃんとミケたちにごはんをあげていた。
ノラネコにごはんはあげちゃいけないって、ぼくはせんせーにおしえてもらった。
「あっくん、今日はどんな絵を描いたの?」
「えっとね、カァコとね、ぴょんたとね、あとね」
「女の子だね」
「うん、よくあそびにくるんだ。カァコといっしょに」
「お友達?」
「おともだちじゃないよ。ぼくのおよめさんだよ」
「え?」
「だって、そう言ってたもん。ぼくはずっとまえからダンナさんだって」
せんせーはびっくりしたのか、目を丸くしてる。
えへへへ、なんだかうれしい。
せんせーをびっくりさせたって、ちょっとぼくはとくいになる。
ルビーおねえちゃんもびっくりしてた。
「そっかぁ…なるほどね。あっくん、その子とあんまり遊んじゃダメだよ?」
「えぇ〜〜〜」
「えぇじゃありません。その子はね、とっても悪い子なの」
「そんなことないよ〜いろんなところにつれてってくれるし。カァコもとってもいい子なんだよ?」
ちょっといじわるだけど、いつもぼくの手をひいてくれるんだ。
お人形さんみたいで、とってもきれいですごくかわいい子。
そういうと、せんせーは、むむむ〜ってうなる。
ほっぺをつねられてちょっといたい。
せんせーはたまによくわからないことでおこる。
かなちゃんみたいにいつもおこるんじゃないけど。
せんせーがむずかしそうなかおをしてると、ぼくはつまらない。
せんせーはかんがえこむと、ぼくの話を聞いてくれない。
せんせーのひざにねころがって、ぼくはよみかけの本をよむ。
ぼくのあたまをせんせーがなでてくれる。
せんせーのなでかたは、お母さんともルビーおねえちゃんともちがう。
くすぐったい。
くすぐったくて、きもちいい。
おかあさんはもっとやさしくなでてくれる。
おかあさんになでられるのがぼくは大好きだ。
「あ」
手をふってこっちにくる女の人にぼくはきづく。
すぐにわかった。
ぼくが大好きな人。
世界でいちばん大好きな人。
「お母さん!!!!」
走っていく。
お母さんはいつもみたいに、すごくうれしそうな顔で両手を広げてくれる。
ぼくはこのしゅんかんがいちばん大好きだ。
お母さんがぼくをまっててくれる。
笑がおで、ぼくを受け止めてくれる。
ぼくはお母さんに思い切りとびつく。
お母さんは小さいから、ぼくはだきしめると、持ち上げちゃえる。
温かくて、やわらかいお母さんを思いっきりだきしめる。
お母さんのむねに顔をくっつけて息を吸い込む。
お母さんのにおいだ。
とっても大好きなお母さんのにおいだ。
ぼくはおかあさんのにおいが大好き。
すごくホッとする。
ルビーおねえちゃんのにおいにもにてるけど。
ルビーおねえちゃんもいいにおいだけど。
でも、お母さんがいちばんだ。
お母さんはぼくのかみをわしゃわしゃーってなでる。
いつもみたいに。
ぼくは知ってる。
いつもやさしくなでてくれるお母さんだけど。
こうするときだけは、わしゃわしゃーってしてくれるって。
そんでもって、
アブナイってしかるんだ。
「コラ、危ないでしょ」
こうやって。
でも、この「コラ」はとってもやさしい。
おかしいのかもしれないけど、
ぼくのことが大好きだってわかるんだ。
お母さんに叱られてるのに、ぼくのことが大好きだってわかる。
おなかが、きゅってむずむずして、
むねが、ポカポカあったかくなって、
めがあつくて、泣きそうになるくらいうれしい。
「お母さん、お母さん。ぼくのお母さん」
お母さんはわしゃわしゃーってしながら、ぼくにキスしてくれる。
くすくすって笑ってる。
「本当にもう、大きな赤ちゃんね」
「赤ちゃんじゃないよ」
「赤ちゃんです。…まったく、ふふふ」
ほっぺたをむにむにさわられる。
かなちゃんに言われるのとちがって、
お母さんに赤ちゃんって言われるのは、はずかしいけどイヤじゃない。
でも、それを言うときっともっと「赤ちゃん」って言われるから。
だから、ぼくはごまかして、お母さんのむねに顔をくっつける。
お母さんにかおをみられないようにする。
「本当に甘えん坊ね…
アクアは」
ミヤコさんがこちらにやってくる。
アクアくんはミヤコさんにべったりとくっついている。
髪が伸びたせいで、女の子が甘えているように見える。
「ありがとうね、あかねさん。アクアの相手してくれてたのね」
「いえ、お仕事が早く終わりましたから」
めちゃくちゃ早く収録を切り上げたとは伏せておく。
NGシーンなんて出さない。
自分にできる最高の演技を叩きつけて飛んできた。
最近同じ現場になることが多くて、食事にしつこく誘ってくる俳優が少し強引に引き留めてきたから、少し懇切丁寧にお断りをすることになったけど(なんで、顔を真っ青にして謝ってきたのかはわからないけど)。
ミヤコさんがベンチに腰掛ける。
私がよくアクアくんに本を読んであげる庭のベンチ。
潮の匂いがして、海が一望出来る素敵な場所。
アクアくんはミヤコさんから離れたくないのか、ベンチに座ったミヤコさんの膝に頭を乗せて、猫のように丸くなる。羨ましい。
ミヤコさんが手慰みのように、自然にアクアくんの蜂蜜色の髪を撫でていく。めちゃくちゃ羨ましい。
アクアくんの頭を撫でてあげることも、膝枕もしてあげるけれど、アクアくんから甘えてしてくることはない。
ミヤコさんと、今は来ていないルビーちゃん。
アクアくんが家族だと認識している子にしか、アクアくんから甘えないところが、本当にアクアくんらしい。
私はアクアくんについての報告をする。
読む本のレベルが順調に(という生やさしいレベルでもない)上がっていること
お絵かきが楽しいこと
かなちゃんに泣かされたこと
アクアくんにすっかり懐いている三毛猫ちゃんがいること
カラスを連れた女の子がどうやらアクアくんにちょっかいをかけていること
ここ数日、お仕事で家を空けていた彼女へ出来るだけ漏れの無いように伝える。
これは親御さんへの報告でもあり、同時にミヤコさんへのメンタルケアでもある。
ミヤコさんはアクアくんの頭を撫でながら、一つ一つの報告を嬉しそうに聞いている。
その表情は、何処から見ても綺麗で優しいお母さんそのものだった。
ここは海の見える一軒家
神木プロダクションから取れるだけ取った慰謝料や諸々のお金を元に買い取ったお家。
斉藤親子の自宅。
斉藤ミヤコと斉藤アクアマリンの自宅。
ルビーちゃんは苺プロの事務所兼自宅にそのまま住んでいる。
まだ、本当はすぐにでも引っ越したいというのがルビーちゃんの本音らしいけれど、抱えている仕事の量と、B小町の後進の育成がそれをなかなか許さないらしい。
『アクア、お姉ちゃんのこと忘れちゃだめだよ』
泣きそうな顔で、アクアくんにキスをしたり、伸びた髪に自分の目の色とお揃いのリボンを結ぶのは一般的な兄妹の距離感じゃない。
ていうか、キスはいらないと思うなぁ。
この家にはルビーちゃん、かなちゃん、MEMちょ、五反田監督が足繁く通う。
MEMちょは近々タレント業を引退して、配信業をメインスタイルに戻すつもりらしく、そうなるともっとアクアくんの面倒が見られるので、ミヤコさんは一安心のようだ。
私はただでさえ「おもしろいお姉ちゃん」として懐いているアクアくんが、今以上に懐いてしまいそうで気が気でない。
かなちゃんは皮肉なことに念願の役者としての仕事が増えてきたことが、足を遠のかせる要因になってしまっている。いまいちアクアくんとの距離を測れず、以前のような接し方をしてはアクアくんに順調に苦手意識を持たれて泣きそうになっている。いい気味だ。
いい加減わかっているだろうに。以前のアクアくんならば受け流すか、小気味良い返しで軽い殴り合いのような激しい会話のキャッチボールが成立したとしても、今のアクアくんにはただ剛速球をぶつけられているのと同じだ。それはそうだ。小さな男の子からすれば、大人の女が投げかけてくるきつい言葉なんてただの凶器だ。
それでも明確にかなちゃんを「嫌い」とならないのは、本質的に惹かれるものがあるのだろう。ムカつく。
「あかねさん」
アクアくんはいつの間にかミヤコさんの膝枕で寝息を立てている。
めちゃくちゃ可愛い寝顔。キスしてしまいたい。
「義理立てなんていいのよ?負担になるようなら…」
「負担じゃありません。自分がしたくてしてますから。それに、アクアくんとこうして過ごす時間が私にも息抜きになってますから」
お世辞でもない、心からの本心を伝える。
「そう言ってもらえると救われるわ」
ミヤコさんが視線は膝の上のアクアくんに留めたまま、穏やかに言う。
カミキヒカルに刺されたアクアくんは、発見が早かったために一命を取り留めた。
アクアくんは私達を出し抜いたけれど、こちらも予期してなかったわけじゃない。
アクアくんに取り付けていたGPSと、ルビーちゃんの直感がアクアくんの命を救うことになった。
それでも、救急車を待っている間、血塗れのアクアくんを抱きしめていたルビーちゃんは見ていられないほどに動揺していた。
そして、逃走したカミキヒカルは殺人未遂により逮捕。
アクアくんが世に送り出した映画に端を発したカミキヒカルへの疑惑から、行われた捜査によって殺人の余罪も見つかり、果たして彼が塀の外に出てくる日は来るのだろうかと言われている。
そして、全てが終わったのと同時に、アクア君は全てを忘れた。
まるで、全ての役目を終えたから、不要になったかのように、私達の知っている星野アクアは消えてしまった。
というのが周囲の見解。
私とルビーちゃんの意見は違う。
お兄ちゃんは消えたんじゃなくて、もう一度お兄ちゃんをやり直してるんだよ。
ルビーちゃんはそんなことを言っていた。
ずっと出来なかった当たり前のことを、ようやくやり直しているのだという。
お母さんに甘えること、わがままを言ったり、思い切り笑って、泣いて、自分のやりたいことを力いっぱい主張して、それを周囲に受け入れてもらう。
子供の頃に私達が意識せずに経験し、過ぎ去ってきた時間をようやく彼は始められているのだと。
私も概ね同意だ。まるで母の存在そのものを渇望するような姿、それは失ったものを追い求めるというよりも、始めから無くて憧れていたものを欲するように見えて、アイという母がいた事実と噛み合っていないように見える。
「お母さんって、ずっと呼んで欲しかったの」
ミヤコさんは、心から愛しげな眼差しをアクアくんに向ける。
「アクアが私を信頼してくれているのはわかってた。だけど、決して私をお母さんとは呼ばなかった。この子はアイですらお母さんなんて呼ばなかった。母親と認めていないのか、それとも母親が理解出来ていないみたいで。私はこの子の抱えていた孤独にも苦しみにも寄り添ってあげられなかった。あの事件でつくづく痛感したわ」
くるくると指先で柔らかな蜂蜜色の髪をもてあそびながら、穏やかに笑う。
「だからね、今とても幸せなのよ私。笑顔でお母さんってアクアが呼んでくれるたびに、ずっと満たされなかったものが埋まっていく気がして」
だから、とミヤコさんがアクアくんに向けていた顔を上げる。
「本当に無理してまで来なくてもいいのだからね?」
背筋がピリついた。
微笑むミヤコさんの瞳が笑っていないことに気付いたから。
「私とアクアの生活に干渉するのは程々にして」と、そうミヤコさんの目は物語っていた。
もしかして、無意識なのかもしれない。
けれど、それは我が子を奪われまいとする母親の独占欲だった。
ああ、そうか。
アクアくんが子供をやり直してるように、
この人は母親をやり直しているんだ。
可愛くて可愛くて仕方がない幼い我が子の喜びも、幸福も、愛情も独り占めしたいのだ。
私はそのかいまみえた独占欲に気付かないフリをして笑う。
「全然、無理なんてしてませんから」
だって、私もやり直してるんだもの。
育てて、私の知っているアクアくんにまで育てて、そうしてまたやり直すんだもの。
──── クスクス ────
楽しそうに笑う女の子の声が聞こえた気がした。
楽しそうで、少し悲しそうで、哀れむような、愛おしむような、
そんな不思議な笑い声だった。
よかったねミヤコさん