窓の外に広がる風景は夜の様相を呈している。
夜と呼ぶには早すぎる時間にほんのわずかに戸惑う。
肌に感じる気温に忘れがちになっているが、暦の上では晩秋と呼んでも差し支えないのだったとアクアは思い至る。
宮崎から東京への飛行機から乗り継いだ電車に30分程揺られていることになる。
久々の宮崎だった。
雨宮吾郎の生家の様子を見に行ったのはほんの気まぐれに過ぎない。
前世の自分が死んだ場所を確認しておきたいという辛気臭い感情でもなければ、生まれ育った生家が恋しくなったわけでもない。
復讐を終え、名前を変えミヤコの養子になった時点で雨宮吾郎としての人生は完全に途切れたとアクアは考えている。
魂の境界線は曖昧で、「星野アイの子」という容器に「雨宮吾郎」の魂が入って生まれたのが「星野愛久愛海」という認識は半分正解で半分は間違いだというのがツクヨミの言である。
彼女の言葉は迂遠で何処かこちらを煙に巻くようであったが、要約すると完全に空っぽの肉体というものは存在せず、また入り込んだ魂は肉体の影響を受けるというもの(らしい)。
カフェオレからミルクのみを完全に抽出することが出来ないように、コーヒーだけを飲むことが出来ないように、星野愛久愛海として生まれた瞬間からアクアはどう足掻いても雨宮吾郎ではなくアクアだった。
だから、アクアにとって久しぶりの宮崎は帰省と呼ぶほど郷愁を抱かせるものではなく、過去の記録の確認作業にも似ていた。
アクアが一番感じたのは、空き家問題に頭を悩ませている地元の役所の職員に一つ頭痛のタネを提供してしまった申し訳なさであろうか。
肩に感じる微かな重みに視線を向けると、ツクヨミが穏やかな寝息を立てていた。
当初は置いて行こうとしたがごねられたので渋々連れていくこととなった。
大層な旅行ではない、ただ田舎に行って帰ってくるだけだと説明したが聞く耳を持たない彼女に根負けする形で連れて行くことになった。
強引に置いて行った場合、近隣住民にあること無いことを吹聴して回りかねない彼女を野放しにしておくわけにはいかないというリスク回避もあった。
寝顔だけ見れば見事な程に「美少女」という言葉がツクヨミにはよく似合う。
ミヤコ曰く「デビューすれば売れっ子になるのも夢じゃない」とのことだが、過去に出演した映画一つをとっても年齢にそぐわない演技力にこのビジュアルが合わされば過言では無いかもしれない。
年齢的にはギリギリ子役になるが、大人びた空気もあって有馬かなのように張り付いた子役イメージに苦労することも無いかもしれない。
ツクヨミに演じさせるならどんな役柄が良いか、どんな物語が良いのかと想像したところでアクアは思わず苦笑する。
ふとした瞬間に頭の中でドラマの筋書きを考えてしまう。こういうのも職業病となるのであろうか。
脚本の勉強は小さい頃から少しずつ積んではいた。五反田監督の下、「あの映画」の作成のために脚本の勉強をしたのだ。
生涯唯一の作品のためだけのつもりであったが、思わぬ形で生き残ってから再び書く機会が生じた。
鏑木や五反田から依頼が来たのだ。
アクアを芸能の世界に踏みとどまらせたいという彼らの思惑は透けて見えていたが、特に拒否はしなかった。
センセーショナルな話題作となった映画の脚本家を呼ぶのは、話題作りの常套手段だ。
多くは一発屋、最初の話題作以外はパッとしないことが多い。
特にアクアは映画の成功は監督と役者とアイのネームバリューによるものであると思っているし、脚本が形になったのはアドバイスをくれた吉祥寺頼子や鮫島アビ子の尽力が大きい。
二度目の医学生という反則技にも近いアクアは勉強に追われる同級生達に比べると余裕がある。それは知識の量でもあれば、力の抜き方にもよるものでもある。
今まで復讐に駆られて無趣味のまま過ごしていたアクアはちょっとした手持ち無沙汰となっていた。
自分に大層なものが書けるとは思わないが暇つぶしには丁度いい。
五反田にも鏑木にも世話になった恩返しと、迷惑をかけた罪滅ぼしもあった。
「大コケしても知らないからな」
そう一言念を押すと、「ならねーよ」と五反田は笑っていた。鏑木も似たような反応であった。余程作品に自信があるのか、それとも良い役者を揃えたのか。
渡された企画を基に、映画で培ったノウハウを出来るだけ込めて書き上げた。
一度頼まれた以上、決して適当には済まさないのはアクア自身自覚していない長所であった。
結果として、作品はそこそこヒットした。
枠は奇しくも嘗て「今日あま」と同じネット配信。鏑木が持ってきた案件であったので、何処まで偶然なのかは甚だ怪しい。
アクアはエゴサどころかSNS自体に興味が無かったが、朝の情報番組で話題に取り上げられていたことで、自身の手掛けた脚本のドラマのヒットを知った。
「脚本が良いって評判だよ」
そう言ったのは、同居人で自称神様の幼女だった。
アクアよりも遥に俗世に染まっている彼女はどうやら時折エゴサをしていたらしい。
大爆死していたらそれをネタに揶揄うつもりだったのだろうとアクアは睨んでいるが、兎も角SNSでの評判は良かったらしい。
五反田に頼まれた脚本を基に公開された映画もそこそこに話題を呼んだ。
相変わらず低予算の玄人向け映画であったので、映画の規模にしてはであるが。
これにも絡んでいた鏑木は随分と上機嫌であったところを見ると、製作費に対して随分と収益が出たことは伺い知ることができた。
そこからズルズルと脚本家の仕事が続くのは完全に予想外であった。
そして、そのことが嫌ではないことも予想外であった。
暇つぶしのつもりが立派な収入源になっている。
自分の実力が認められたと思い上がるほどアクアは自己肯定感が高い人間ではない。
コネが切掛けで始まった脚本家の仕事で収入を得ていることに罪悪感が無いと言えば嘘になる。しかし、コネも自分の持つ力の一つである。故に微かな罪悪感とも呼べぬ感情はアクアに筆を折らせる毒とはならない。
「んんっ…」
アクアの肩にもたれかかるツクヨミが小さく身じろぎした。
微睡む子猫のような仕草に、無意識にアクアの口元が柔らかく綻ぶ。
黙っていれば可愛らしい少女だ。
乗り合わせた乗客がアクアとツクヨミを微笑まし気な眼差しで見つめているのが良い証拠だ。
最寄りの駅に着くのはもう少し時間がかかる。
出会った時に比べるとツクヨミも成長したものだと感慨深くなる。成長したのはツクヨミだけではない。ドラマではあかねや有馬が飲酒をするシーンもあれば、メルトが煙草を吸うシーンも目にする。
アクアが大手を振って酒が飲めるだけの年齢になったということは、それだけの時が過ぎたことなのだから、今更驚く方がどうかしているのだろう。
ツクヨミの頭がずり落ちてしまわないように、そっと姿勢を直す。微かな振動でさえも銀色に輝く絹糸のような髪はさらさらと靡く。
女子高生らしき少女達がアクア達を見てヒソヒソと話している。「かっこいい」「綺麗」「兄妹かな」そんな会話の断片か僅かに聞こえてくる。言葉から悪口を言われている訳ではないようだ。
少女達のバッグにはお揃いで買ったと思しきストラップがぶら下がっている。
B小町のメンバーをデフォルメしたぬいぐるみストラップは見覚えがある。街中でもよく身に着けているのを目にする。
少女達は3人とも色違いのルビーのストラップを付けているのは全員ルビー推しなのかもしれない。そういえば街中で目にするB小町のストラップもルビーが多いと思うのは兄の贔屓目だろうか。
この数年でルビーの知名度は人気と共に凄まじい勢いで上がっている。
武道館に立つルビーの立ち振る舞いから初々しい緊張が薄れ、代わりに自信と誇りが星の輝きのように放たれるようになっていると気付いたのはいつからだろうか。
子どもだと思っていたルビーの成人式を記念したライブの配信を見て涙腺を刺激されたのは随分前のことである。
こちらをチラチラと見ている少女達にとってB小町といえばきっとルビーなのだろう。
星野アイの名前が出るとしても、それはアイドルとしてのアイではない。
星野ルビーの母であり、「あの映画」の主人公であり、ストーカーに殺されたアイドルとして思い出されることの方が今となっては多いのだろう。
アイの輝きを永遠のものにしたい、アイこそ至高の存在のままにしたい、そんな妄執に囚われた者達自身の犯した罪によってアイの輝きを曇りなく受け止めることが出来る者は誰もいない。
そして、いずれはそれすらも思い出されなくなっていく。
星の輝きよりも小さく、残光よりも淡く、そこに星があったことすら人々の中から消えていくのだろう。
窓から見上げた夜空には星々の煌めきが無数に広がっている。
都心から離れ、街の明かりが数を減らすのに呼応するように星空がよく見える。
アクア達の暮らす街までもう間も無くなのだろう。そろそろツクヨミを起こさなければならない。
見上げた夜空、その中のどれが一番星なのかアクアにはわからなかった。
ファタールの手拍子のリズムでパンパンわからされろよツクヨミ。
このいやらしい鳥畜生が❤︎可愛いね❤︎後ろの門にブルーベリーがいくつ入るかしかと検証されよ。鳥獣戯画。