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後藤さんと廣井さんによる路上ライブから数日経ったある日、俺はリビングで朝食を取っていた。
朝食の内容はベーコンエッグと白米とサラダに味噌汁である。
普段は栄養機能食品やゼリー飲料で済ませているが、昨日の夜にやってきた廣井さんが寝室で寝たままなので彼女の朝食を作るついでに俺の分も作ったのだ。
俺が朝食を口に運んでいると、スマホの通知が鳴る。
一旦箸を置き、スマホを見て……俺は溜息を吐いた。内容はバイト先の店長からのロインの返事だ。そこには『その日にこれ以上休まれるのは厳しいから出て欲しい』と書かれていた。
やはり後藤さんの所属する『結束バンド』の初ライブの日にバイトを休むのは無理そうである。
(……まぁ、そうだよな)
この日はバイトに入れる人が少ない日であり、店長からすればこれ以上は人を削りたくない筈だ。元々、ダメ元で頼んでみたことだったのでこういう返事が来ることも予想出来ていた。
だが思い出すのはあの時の後藤さんの表情だ。何故チケットノルマを達成した状況で、バイトで来れないと分かっている俺をそれでも尚、わざわざ誘おうとしたのかは分からない。
だが、あの人見知りな彼女が勇気を振り絞って誘ってくれたであろうことは分かる。その勇気に応えられないことに胸の中で罪悪感が蠢く。
口の中に朝食の残りを運んで、食器を片付ける。今日はバイトも『SICK HACK』のライブも無い。特にやることが無く、しばらくテレビを見ながらボーッとしていると寝室の扉が開かれる。
「ういぃいぃ……み、水……」
「うわぁ。誰かと思ったら廣井さんですか」
寝室から四つん這いで這い出てくる廣井さんを見ながら溜息を吐く。その姿と呻き声、そして溢れる陰気なオーラによって怨霊にしか見えない。
彼女に合鍵を渡してから、彼女が家に来ることが大幅に増えた。
その大抵は介抱してほしくて駆け込んでくるか、我が家を宿として使われるかである。 たまに用が無くてもやってくる時もあるが結局どれもロクな使われ方をしていない。
廣井さんはよく愚痴を聞いてくたり話し相手になってくれたりするので来ないで欲しいとは思わないが、最近は来すぎな気がする。一週間のうちに自分のアパートに帰ってることの方が少ないんじゃないだろうか。
「今日はいつにも増して重症ですね。昨日何パック飲んだんですか?」
「んー? えっーと……3パック……」
「口では3パックって言いながら指は5本立ってるんですけど」
チラリと寝室の奥を見るが、消費済みと思われるパック酒が10パックくらい放置されている。
昨日飲んだのがどれか分からないので詳細な数は分からないが、下手したら自己申告以上に飲んでそうである。
「はぁ……少しは健康にも気を使ってくださいよ……はい水です。朝食作ってたので気持ち悪さが落ち着いたら食べちゃってください」
「あ、ありがとう……」
水を飲んだ彼女は先程よりは顔色がマシになっていく。指でくるくる鍵束を回す余裕が生まれている。
「そういえば廣井さん。もう夏ですし、合鍵いらないんじゃないですか?」
彼女に我が家の合鍵を渡したのは、冬場に電気の止まったアパートに戻ろうとしたからだ。もう冬は終わっているし、返してもらおうと思っていると廣井さんが困った顔をしながら言う。
「今度は暑くなるし……その……えっと……」
「……ひょっとしてまた電気止まったんですか」
冬の寒さを心配していたら今度は夏の暑さに心配せねばならなくなるのか。ここで合鍵を返して貰ったら、熱中症で倒れてしまうかもしれない。
俺は溜息を吐きながら『……ならまだ返さなくていいです』と答えた。
「ありがとー! いつもごめんね健治くん!」
そう言いながら酒を再び口に運ぶ。さっきまで痛い目を見ていたのにもう酒が恋しくなっているのか。廣井さんには一刻も早く心配しないで済むような安定した生活をして欲しい。
その為にはまず断酒では? と考え酒を取り上げようとするが、読まれているようで俺の腕が届く位置に酒を持ってきてくれない。
流石廣井さん。非断酒において他の追随を許さない猛者である。今度から岩下さんやイライザさんにも協力してもらって酒を取り上げるフォーメーションを構築しよう。
「……もう少し安定した生活してくださいよ」
「へへへ……まぁそのうち……」
「そのうちっていつですか?」
「ははは……それはひとまず置いといて……」
置いておかないで欲しい。この前も大事な話をしようとして置いてかれた気がする。追求しようと思ったが、その前に廣井さんが口を開く。
「あ、そういえば浮かない顔してるね健治くん。何かあった?」
「……なんで分かるんですか」
俺の表情を指摘されるのはこれで何度目だろう。この人は実はエスパーだったりするのだろうか。それとも俺が分かりやすいのだろうか。
俺はロインでの店長の会話を見せながら廣井さんに話しかける。
「後藤さんに絶対ライブに来てくれって言われてたんですけど……やっぱりバイト休めなそうです」
後藤さんの俺を誘ってくれた時の顔を思い出して、罪悪感が胸から溢れる。だが、こればっかりは仕方無い。バイトが急に行かなくて良くなったりしたい限り、彼女達の……『結束バンド』のライブに行くのは無理だろう。
「ですから申し訳ないんですけど、当日後藤さんに『ライブ行けなくてごめん。でも応援してる』って伝えて欲しいんですけど……」
「ふぅーん」
「…………?」
何故だろう。廣井さんが何かを考える素振りを見せている。しばらくするとポケットをまさぐって何かを取りだした。
「はい。これひとりちゃんのライブのチケット」
「はい?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。廣井さんの手を見ると、結束バンドのライブのチケット(適当にポケットに突っ込んでたのかシワシワになっている)が俺の方へと差し出されていた。
路上ライブした時に廣井さんが後藤さんからから買ったチケットだろう。それをバイトでライブに行けないと言ってる俺に何故か廣井さんが渡してくる。
「当日券買うよりこっち見せた方がスムーズに入れると思うよ。私は当日券買い直すから気にしないで」
「え、いや、あの。話聞いてました? 俺ライブ行けないんですって」
一体どうしたのだろう。もう会話が通じないレベルまで酔ってしまったのだろうか。確かに廣井さんはいつもより飲んでいるようだが……と思っていると廣井さんが言葉を続ける。
「それでもチケットは持っといてよ。もしかしたら急にライブに行けるようになるかもしれないし」
「いや、ですから……」
もう一度口に出そうとした否定の言葉は……彼女を見たことで押し黙る。酒を飲んで酔っ払っている筈なのに彼女の瞳は真剣味を帯びていた。
たまにある『ただの酔っ払い
「確信をもって言うよ。君は絶対ライブに来た方が良い。じゃないと後悔するよ。君はもう彼女のギターに魅せられてしまってるからね」
「……なんで、そんな風に思うんですか」
俺が後藤さんの演奏を見たのは一度きりだ。確かに彼女の演奏に『かっこいい』と思った。休日なら勿論行っていたが……彼女達のライブの日はバイトがある。下北沢に引越してからずっと世話になってるバイト先だ。
残念ながら俺はバイトよりもライブを優先するほどの奔放さを持ち合わせていない。廣井さんならそれくれい分かる筈だ。だから彼女がそこまで言う理由が俺には分からなかった。
廣井さん俺を見ながら……何故かニヤけて言葉を漏らす。
「だって一度気に入っちゃったらのめり込むタイプでしょ? 健治くんって。私達のライブに沢山来てくれてるし!」
「…………えっ、ちょっと待ってください。廣井さんのライブに俺が行ってるの何で知ってるんですか??」
俺にはライブ後の『かっこいい』廣井さんに話しかけられたら『ファン』になってしまうという確信があった。だから、わざわざ変装して声を掛けられないようにライブに行っていたのに……と思っていると廣井さんがハッと何にかに気づいたように口を開く。
「あっ、いけね! 喋っちゃ駄目なんだった!」
廣井さんが頭を抱える。その行動は俺が変装してライブに行っていたことが本人にバレていると答え合わせしてるようなものだった。俺は震える声で彼女に問いかける。
「い、イライザさんですか!? 銀さんですか!?」
俺が変装してライブに行っていたことを知ってるのは、この二人の筈だ。どちらかがバラしたのだろうか。この2人が秘密を人にバラすような人物には見えなかったが。
「ははは……いや別にその二人に教えられたんじゃなくて、最初の方から気づいてたんだよ。健治くんって身長高いじゃん?」
詳しく聞くと、俺をライブに誘ったあのクリスマスの夜から普段は見かけない高身長の客が最後列に現れるようになったことで気づいたらしい。
最初はライブ後に話しかけようかと思ったが、イライザさんに『変装して内緒で来てるのヨ』と止められたことで気づいてないフリをしてたのだとか。
つまり、ずっとバレてないと思いながら彼女のライブに入り浸っていたが、本人には俺がライブに来てることは既にバレバレだったということだ。
は、恥ずかしすぎる……。俺が隠していたものは全て本人に筒抜けだったのだ。顔が茹でダコのように真っ赤になっていくのを感じた俺は顔を机に埋める。
廣井さんから俺の顔が見えないようにする為である。クリスマスライブの時の反省を踏まえて、今度は耳まですっぽり隠す。
俺が羞恥に悶えていると、廣井さんが慌てて声をかけてくる。
「い、いや! よく来てくれて本当に嬉しくてさ〜! ほ、ほら! バイト無い日はほとんど毎回来てくれてたし……この前はグッズ買ってくれてたよね!?」
廣井さんは『来てくれて嬉しい』という気持ちを伝えてくれてるようだが、今の俺には全ての言葉が突き刺さって逆効果である。
「ご、ごめんね〜〜健治くん! 内緒にしてて……でも、本当に嬉しかったからさ〜〜!」
本人にバレてることに気づいて羞恥に悶える俺と、なだめようとしてくる本人という傍から見れば意味不明な構図は小一時間続いた。
結局この後、羞恥心が落ち着いた俺は廣井さんの押しに負けてライブチケットを受け取ることになった。彼女は自腹で買い直すと言っていたが、何だか悪い気がして代わりに金を出すことにした。
「別にいいのに〜」
「お金余裕無いんでしょう? 今日の帰りの電車賃はありますか?」
「今日はここに泊まるから大丈夫!」
どうやら泊まることになってたらしい。はじめて知った。この家の住人に一言くらい相談して欲しいものである。溜息を吐きながら『そうですか』と俺は答える。
別に彼女が家に居るのが苦という訳では無いが、もう少し見ていて心配にならない生活をして欲しいものである。
──その日の午後、結束バンドのライブの日に台風が来ることが報道されていた。俺の胸の中に嫌な予感が蠢いていく。
どうか彼女達のライブが無事に終わることを俺は祈ったのだった。
良いお年を。