大きなバケツをそのままひっくり返したかのような勢いの雨が下北沢に降り注いでいる。無数の『てるてる坊主』がライブハウス『STARRY』に寂しく吊るされていた。
私……後藤ひとりは湿気で怨霊じみた顔になっている『てるてる坊主』達を見ながら路上ライブのことを思い出していた。
チケットノルマに絶望していた私の前に現れたお姉さんが呼んだのは一人の学生だった。酔っ払いと学生という一体どういう関係なのかイマイチよく分からない二人だったが、どこか息が合ってる二人だった。
酔っ払いのお姉さんが彼を引っ張って、彼が彼女の世話を焼く。性格の凸凹具合がちょうど収まったような印象を受けた。
その後、別れ際に彼の名が『遠坂 健治』ということを知り、私は衝撃を受けたのだ。彼の語った言葉がパズルのピースのようにあてはまっていくのを感じた。
虹夏ちゃん達が語ったかつて一緒に遊んだ友達『健治さん』の特徴と、彼がかつて一緒に遊んだという『ロックが好きな友達』という特徴……点と点が線になって繋がる。
それに気づいた私は帰ろうとする彼に思わず声を掛けていた。あまりにも行き当たりばったりに声をかけたせいで、振り返った彼になんて言えば良いかよく分からず、それでも勇気を出して彼をライブに誘った。
今思えば彼は相当困惑しただろう。彼は『バイトでライブは見に行けないけど応援してる』と既に公言してくれていた。それでも尚、誘う私の姿は彼の目にはとても奇妙に映っただろう。
思い出すと途端に恥ずかしくなってくる。
だが彼は、困った様子でありながらも最終的に『店長に聞いてみる』と言ってくれた。立ち去る彼を見て、名前の似てる別人かもしれないと不安になり、ちゃんと本人確認をするべきだったとも思ったが……。
『はぁ……やっぱりですか。ほらこれ帰りの電車賃です』
『健治くんいつもありがとねぇ〜。来月……いや再来月には絶対返すから』
『それ言われて返されたことありませんよ……ほら水飲んでください。吐きそうになったら言ってくださいよ……ところで、また居酒屋でツケ払いにしてないでしょうね? してたら言ってくださいよ? 帰るついでに払いに行きますから……』
二人の会話とリュックから水とエチケット袋を取り出す様子で私の心配は杞憂だったと察した。
(ほ、ほんとうに貢いでる……)
店長さんが『健治』という人物が『あのまま成長してたらこうなるだろう』と予想で言っていたが、本当に
彼の今後が初対面ながら心配になった。だが、これによって彼が虹夏ちゃんとリョウ先輩の小学校の頃の友達と確信することが出来た。ここまで情報が揃えば流石に本人だろう。
虹夏ちゃんとリョウ先輩に伝えようかと思ったが、本当にライブに来れるか分からないので確定してから伝えることにした。
でも、よく考えたら彼の連絡先を知らなかったのでライブ当日になるまで来れるか来れないか分からなくなってしまったが。
どうか今日のライブに来てくれたら……私がそう考えてると喜多さんが声を上げる。
「あ〜私の友達も来れないみたいです」
喜多さんが残念そうに私達に報告する。事前にライブチケットを売っていた私達だったが、やはりこの台風のせいで皆来れなくなってるようだ。
そうなると彼のバイトが仮に休みになっても来てくれないかもしれない。私がそう思っていると虹夏ちゃんが明るい声を出す。
「もうしょうがないよ。切り替えていこう!」
やっぱり虹夏ちゃんはすごい。暗くなりかけた空気を明るくしようとしてくれている。
私もそれに続いて盛り上げようとサングラスとタスキを取り出したが、真面目なライブなので辞めるように言われてしまった。これは別の機会に温めておこう。
だが、それはそれとして喜多さんの様子を見た私はリョウさんに小声で話しかける。
「あ 、明るい喜多さんに戻ってくれましたね……」
以前はリョウさんに『男の影』が迫っていると勘違いして、照明の光を奪うほどに暗くなっていた喜多さんだったが時間が置いたことで落ち着いてきたようだ。
「うん。あの時の様子は面白かったから直って残念。もう一度からかおうかな」
「や、やめてくださいよ……」
せ、性格が悪い……これからライブが控えてるというのに喜多さんに暗いボーカルをしてもらう訳にはいかないだろう。
これが『丑三つ時に五寸釘打ち付ける』ような曲なら似合ったかもしれないが流石にそんな曲を喜多さんに歌わせれない。
「冗談冗談。まぁ、一時的に忘れてるだけでしばらくしたらまた思い出して暗くなると思うよ」
「え、えぇ!? ま、まだ誤解解いて無かったんですか!? そろそろ辞めとかないと……」
てっきりもう『男の影』の誤解を解いてるものだと思っていた。そろそろ誤解を解かないと見かねた虹夏ちゃんや店長さんがバイオレンスな説得をしかねないだろう。
「言い出すタイミングが無くて……」
リョウさんが目を逸らしながらそう言うと、虹夏ちゃんが私達の近くにやってくる。
「リョウ〜? ちょっとライブ終わったら話があるからね〜」
「ウッ……」
どうやら私達の会話を聞かれていたらしい。リョウさんがか細い悲鳴を上げる。
「ぼっ、ぼっち……お願い一緒に来て。他人の目が無いところだと虹夏が何するか分からない」
リョウさんはそう言いながら、助けを乞うような視線を私に向けてくるがどうしようも出来ないので私は目を逸らした。
自業自得である。しっかり虹夏ちゃんのお説教を聞いて反省してもらうべきだろう。むしろ店長さんの耳に入る前に虹夏ちゃんに説教して貰えるなら不幸中の幸いだろう。
虹夏ちゃんは優しい。店長さんは怖い。当然の心理である。結果的な説教による心理的ダメージとしては虹夏ちゃんからの方が軽いだろう。ここはしっかり一人で絞られてもらって真っ当な人間に生まれ変わって欲しいものである。
「あ、はい」
まぁ、私がそう考えていたとしても、頼まれ事を断れる筈も無いんだけど。リョウさんは私の手をガシッと擬音が付きそうな勢いで掴んでくる。
「ぼっち……愛してるッ!!」
「は、はい……」
リョウさんの今まで見たことない必死さに思わず後ずさってしまった。人からお金借りる時も、空腹に耐えかねて雑草を食い出した時もこんな必死さは無かった。
私がついリョウさんの懇願に同意してしまったので虹夏ちゃんが抗議の声を上げる。
「も〜〜! ぼっちちゃん困ってるでしょ! ぼっちちゃんもリョウのこと甘やかさなくて良いよ!」
近くに居た喜多さんも私達の会話が途中から聞こえてきてたらしく、抗議の声を上げる。
「リョ、リョウ先輩! 私も一緒に行きます! だから私にも……!」
「ん、喜多。愛してる」
「きゃ〜〜〜〜♡」
喜多さんが黄色い声援を出しながら倒れる。結構な勢いで後ろに倒れたので勢いよく頭を床に叩きつけてしまっている。ライブ前なのに大丈夫なのか……!?
それにこのままだとリョウ先輩に虹夏ちゃんが説教してる間、隣に私と喜多さんが居ることになるんだけど流石に構図がおかしくないだろうか。
そうこうしていると勢いよくライブハウスの扉が開かれる。
「ぼっちちゃんきたよぉお〜〜〜〜〜〜!」
「あっお姉さん……」
静寂を打ち破るような軽快な声がライブハウスに響く。声に振り返ってみるとあの時、一緒に路上ライブした酔っ払いベーシストのお姉さんだった。
(ほ、本当に来てくれた……!)
ライブチケットを事前に買ってくれていたとはいえ、この台風の中で本当に来てくれたと思うと胸が熱くなる。
「えっお前、ぼっちちゃん目当てで来たのか?」
「そうだよぉ」
店長さんが驚きながらお姉さんに話しかけている。詳しく聞いてみると、どうやら店長さんとお姉さんは大学時代の先輩後輩の関係のようだ。
店長さんと言い、遠坂さんと言いお姉さんの交友関係は広い。
「あ、当日券でチケット買うね〜〜」
「えっ前に買ったチケットは……? ど、どこの居酒屋に置いてきたんですか?」
「なくしてないよ! 大事にしてたよ!」
お姉さんが慌てて弁解しているが信用出来ない。彼女は自分の魂と豪語するベースを居酒屋に忘れる系ベーシストなのだ。チケットの一枚や二枚置き忘れていく様子は想像に容易い。
「ち、違くて……ほら、彼にあげたんだよ」
「え、そ、それって……!」
彼女の言う『彼』とは十中八九、路上ライブにお姉さんが呼んだ『彼』だろう。彼にチケットを渡したということは来てくれるということだろうか。
私はお姉さんの後ろに『彼』が続いてライブハウスに入ってきてくれることを期待して、しばらくライブハウスの扉を見ていたが……待ってみても開かれる様子は無い。
「あ、あの……お姉さん。来てくれてありがとうございます……それで、その健治さんは……?」
私がおずおずと聞くと廣井さんはあっけらかんと答える。
「あー彼ね。もし行けるようになった時の為にチケットは渡してたけど……やっぱりバイトが忙しかったみたいでさー」
「…………そ、そうですか」
自分の口から漏れ出た声の落胆具合に思わず驚く。分かっていた筈だ。彼は元々ライブの日にバイトが入っていると語っていた。
バイト先の店長に聞いてみてくれると言っていたが、別に確実に行ける訳では無いのだ。
それなのに私はこんなに落ち込んでいる。虹夏ちゃんやリョウ先輩にかつての友達と再会させることが出来なかったからだ。
あの時、帰ろうとする彼に勇気を出して声をかけた。だが、それでも足りなかった。連絡先を聞くべきだっただろうか。でも初対面でいきなり聞いてくるのは迷惑じゃないだろうか。
お姉さんなら彼の連絡先を知ってるだろうか。今からでも聞いてみるべきなんじゃないか。そういった考えが頭の中に溢れてきて考えが纏まらない。
そうしているとお姉さんが口を開く。
「そんな顔しないでぼっちちゃん。大丈夫だよ」
「……? お、お姉さん?」
何故だろう。お姉さんの表情はいつもと同じ酔っ払って頬が緩み、紅くなってるのになんだかいつもと雰囲気が違うように見えた。
「彼はもう『熱』を求めてしまってるからね」
「……熱? それって一体どういう……」
私はお姉さんの喋ってる意味がよく分からなくて、さらに詳しく聞こうとしたが遮るように彼女が口を開く。
「それよりも! ライブに集中した方が良いよ。お客さんは私だけじゃないんだからね」
「え……?」
お姉さんの視線の先を見るとライブハウスの入り口に見た事のある人達が立っていた。あの時、路上ライブでライブチケットを買ってくれた二人だ。
この台風の中、本当に来てくれたのだ。再び胸が熱くなるのを感じた。まだライブは始まってないのに。既に私はこんなにも嬉しくなってしまっている。
そんな私の様子を見ていたお姉さんはニヤニヤしながら話しかけてくる。
「それじゃあ私はチケット買い直してくるねっ! ぼっちちゃんはファンの子達に挨拶してきなよ〜〜!」
そう言ってお姉さんは店長さんの方へと突撃しに行った。私は緊張半分嬉しさ半分の心情で路上ライブに来てくれた二人の元へと歩むのだった。
────その後、ファンが来てくれたことによる嬉しさのあまり後藤ひとりが暴走してしまったのは言うまでも無い。