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その日は酷く疲れていた。
一日中、慌ただしく動いていたからだろう。
伊地知と山田がそのうち家にやってくるのだから掃除くらいはしておこうと思っていたのだ。特に酒類が散乱しているであろう廣井さんが寝泊まりしている部屋を。
これまで、廣井さんが寝泊まりしている部屋……即ち、俺の元寝室だった部屋は仮にも女性が寝泊まりしてる部屋ということもあり、積極的に入って掃除してこなかった。
そうやって後回しにしてきたツケがやってきたのだろう。部屋を開けた時に広がっていた惨状に俺は思わず顔を顰めた。
パック酒が四方八方に散らかっており、廣井さんの脱いだ服が散乱していた。定期的に手前の方にあったパック酒を片付けてたりしていたが実際奥まで見ると、相当な数を溜め込んでいたようである。
「これは……しばらく見てない間に中々凄いことになってますね」
「あはは……いや〜〜それほどでもっ!」
「別に褒めてないです」
廣井さんが頭に手を当てて『テヘペロ』とでも言わんばかりに舌を出している。容姿も相まってとても可憐だが、それで誤魔化される訳にはいかない。
「自分の寝泊まりする部屋くらい自分で片付けてください。俺も手伝いますから」
そう言いながら、俺は飲み終わった酒パック等ゴミ類を袋に入れていく。放置されていた衣服類には俺は触れず、廣井さんにお願いして洗濯機に持って行ってもらう。
直接は見てないが…………上着以外の物も混ざっていそうだった。仮に気のせいだったとしても、万が一でもそんな可能性がある衣服類には怖くて触れられない。廣井さんは『別に気にしなくて良いのに〜』と言っていたが、そうはいかない。気にさせてもらう。
廣井さんの好みが分からなかったので何種類か洗剤を用意していたが、今の酔っ払ってる廣井さんに洗剤の区別がつくのだろうか。かといって、俺が洗濯する訳にもいかないので難しいところである。
そういえば、少し前に廣井さんがリクエストしてきた小さい冷蔵庫を結局買ってしまった。
廣井さんには『星歌さん達に秘密で家に来てもらう』という危ない橋を渡ってもらってるので、そのお礼のつもりだったのだが……それを見た廣井さんから『えぇ……本当に買ってる……健治くん、私の事好きすぎじゃない……?』と困惑されてしまった。
廣井さんの様子を見ていると頭の中に友人達が浮かんでくる。伊地知は『また貢いで……』と顔を顰め、山田が知れば『貢ぐ物が流石にロックすぎない?』と笑っていた。
二人には冷蔵庫を買ったことは言わないでおこう。
ただ、今回ばかりは流石にやりすぎたと俺も反省している。廣井さんも少し引いてただろう。以前なら例え小さくても冷蔵庫なんて買わなかった。ひょっとして……俺の中で『金銭感覚』のハードルが低くなってるのでは無いだろうか。
由々しき事態である。俺はお金を貯めないといけないのに。それに、貢いでると思われるのも良くないだろう。
そんな事を考えながら、俺は冷蔵庫を客が普通来ないであろう場所に設置し、まだ中身が残っている酒類は纏めてその新しく買った冷蔵庫に入れていく。
しばらく掃除等をしていると廣井さんが洗濯を終えた衣服類を持ってくる。室内用の物干しを
「酔っ払ってフラフラだから健治くん干してよ〜」
「本当に勘弁してください、お願いですから」
「え〜〜いつもお願いしたらなんだかんだ聞いてくれるのに〜〜〜」
俺の必死の懇願に廣井さんは不思議そうな顔をする。俺からすれば上着ならともかく、それ以外を干す可能性があるのなら怖くて触れられない。
というか流石に酔っ払っいすぎじゃないだろうか。いつもなら流石の廣井さんでもここまでやらせない気がする。
(ひょっとして、酔っ払いすぎて羞恥が消えているのだろうか……?)
もし、その考えが正しいとすると最後に廣井さんが酒を飲んだ時間から逆算してそろそろ酔いが軽くなっても良い頃なのだが……。
そう思っていると廣井さんがじっと洗濯物を見て……少し考える素振りをしてから呟く。
「ん……? あ、そういうこと……?」
その直後、酔っ払って紅潮していた廣井さんの頬がさらに紅くなるのが見えた。どうやら酔いが少し覚めたことで、上着以外が混じってることに気づいたようである。
洗濯した時に気づいてくれとも思ったが
というか、この場合は気づいた方が良かったのか気づかなかった方が良かったのか……いや、結局そのうち酔いが覚めて気付いてしまうので『羞恥が消えるくらい酔っ払ったまま干し終わる』がこの状況での最適解だったのだろう。
尤も、残念ながら今回はそうはいかなかったが。
廣井さんが気まずそうに頬を紅くしながら言葉を続ける。
「あ、あはは〜〜その、なんか、ごめんね?」
「……いや、こちらこそなんか……すみません」
お互いにそう言った後、しばらく沈黙が続く。
気まずい。廣井さんと過ごしていて、ここまで気まずくなったことが今まであっただろうか。
ここまで気まづいのは、初対面で吐瀉物を吐いてるのを目撃した時以来じゃないだろうか。
俺がそんな事を考えていると、廣井さんが場の空気を断ち切るように声のトーンを上げる。
「そうだよねっ! 健治くんも男の子だもんね〜〜?」
「その言い方は辞めて下さい」
場をなごめようとしたのだろうが、青少年にその言葉は悪手だろう。余計気まずくなるだけである。
その後は、廣井さんは『あ、あはは〜〜! そ、それじゃあ! 私、干してくるから〜〜!』と逃げるように寝室の方へと入っていった。
寝室に入る前に洗濯物と一緒にパック酒を持っていったので『
正直このまま居られても何も喋れなかったと思うので助かった。俺も先程の会話のことを思考から追い出そうと黙々と掃除に没頭していく。
そうやって掃除や洗濯をしていくと、いつの間にか外が暗くなっていた。
「しばらくやってたらもう外が暗くなってますね……今日は終わりにしますか」
「やった〜〜〜って、今日はってことはこれで終わりじゃないの??」
時間が経っていたお陰か、廣井さんが幸せスパイラルしたからか先程の気まずさはすっかり解消されていた。
「
廣井さんの衣服類の洗濯だけは彼女にやってもらうしか無かったが、それ以外の細かい掃除なら『客人』はやる必要は無いだろう。
廣井さんは困ったような表情で言葉を紡ぐ。
「でも私結構な頻度でこの家に通ってるからさ〜〜」
「それはまぁ……、そうですね」
そう言われてみると廣井さんの場合は通いすぎて素直に『客人』と呼んで良いのか微妙なところだ。ルームシェアとも同棲とも違うし、なんて形容すれば良いか微妙なところである。
「……まぁ、今は良いです。それより夕飯食べて風呂はいって早く寝ましょう、疲れました」
「おっけ〜〜」
そうして、考えるのを放棄した俺は廣井さんと食べる夕食を用意して適当に風呂に入った頃には既に疲労困憊で倒れるように眠ってしまったのだ。
これで後は後日やってくる伊地知と山田に別れの挨拶も無く去ってしまった理由を言うだけである。それさえ言えれば、肩の荷が少しはおりるだろう。そう考えていた。
……どういう訳か、人生では何故かそういう時にこそ良くないことが起こる。
あと少し経ったら一段落、あと少しやれば終わりが見えてくる……何故かそういう時にこそ良くないことが起きてしまうのだ。
疲労が理由だったのか、先日廣井さんに俺の両親について聞かれたからなのか、あと少ししたら伊地知と山田に色々話をしなければならない不安からなのか。
本当の理由は分からないが……とにかく俺はその日、夢を見た。
昔の、あの時の夢だ。
──過去というのは本人が忘れかけていたタイミングで再び目の前に立ち塞がってくる。時に現実に、時に思考に、そして今回は……夢に。
別に大きなきっかけがあった訳じゃない。ただ些細な『嫌』の積み重ね。楽しかった思い出も確かにあった。だけどいつの間にか辛かった思い出に侵食されていく。
つまるところ……これは俺の夢である。だけど、過去に確かに起こったことでもある。
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俺の母は……決して悪い人では無いのだと思う。説教をする時に暴力なんて振るわれたことは無いし、暴言も浴びせられたことは無い。運動会や授業参観には必ず来てくれたし、月一でゴミ拾い等のボランティアに参加していた。
ただ……誰よりもプライドの高い人だった。
「健治。これからは私の事を『ママ』じゃなくて『お母さん』って呼ぶのよ」
「どうして?」
「だって幼稚園児の頃から『ママ』じゃなくて『お母さん』って言ってるなんて、なんだか利発そうに見えるじゃない♪」
物心付いてしばらく経った日、母に言われたその言葉を今も覚えている。当時は特に気にしていなかったが、今思えばこの会話こそが母の性質を端的に現しているのだろう。
今の俺が母を一言で現すなら……『極限の承認欲求』である。母は他者からの評価を酷く気にする人物だった。他者から下に見られることが耐えらない人だった。
ただ、相手から下に見られたくないからといって過度にマウントを取ったりはしなかった。
過度なマウントは一時的に評価を上げることが出来ても、長い目で見ると他者からの印象が悪く、結果的に他者からの評価を下げるということを理解していたからだ。だから、母は相手の鼻につかないように自然とマウントをして悦に浸る人だった。
母は父のことを愛していたとは思うが、父を選んだ理由に自慢のしやすさもあっただろう。
父は実の子から見ても非常に容姿が整っており、それでいて金持ちだった。どんな仕事をしていたのかは知らないが、日中は家に居ることが多かったので夜勤だったのかもしれない。
そして、当然。旦那を自らの自慢の為に選んだ母が俺に何もしない訳が無かった。
「敬語で話しなさい健治。友達にも『さん』付けするの。そうすればきっと賢そうに見えるわよ」
最初は『そうなんだ』と思った。子供にとって両親が全ての手本であり、両親の言う通りにしていれば間違いないと思っていたからだ。当時の俺は『賢そうに見える』がそこまで重要なものであるように感じなかったが、それでも親がそう言うなら、と俺はその通りにしていた。
『いつも思ってたけど、なんでそんな丁寧に話すの?』
ある日、伊地知にそう言われた。彼女と山田の勢いに負けてタメ口で話し始めた時は、そのうちすぐにまた敬語で話すようになると思っていた。
だが、敬語を止めた時の彼女達の嬉しそうな表情を見て……俺はその時、敬語が必ずしもコミュニケーションの正解では無いことを悟ったのだ。
────それと同時に、両親の言ってることが絶対に合ってるとは限らないということも。
母は俺が伊地知達にタメ口で話してるのを見て、激しく怒った。
母の説教はまずは軽い注意から始まり、それでも聞かなければ語気が強くなり、それでも変わらなければ泣き出し、ヒステリックに『私が間違っているっていうの!?』と怒り出す。
人前では泣く所まではしないし、人前で無くても暴言や暴行をしてくる事は無いが、それでも母の説教は苦痛だった。ネチネチしていて、自分の意見を決して譲らなかった。
伊地知達に対するタメ口もすぐに敬語に戻すように言われたが、彼女達の表情を見て心情の変化が生まれていた俺は母の前でだけ敬語を使い、伊地知達の前だけではタメ口を使うようにした。
所詮、子供のやってる事なので隠しきれず、何度かタメ口で話してる事がバレて激しく怒られることもあったが。
そうしていくうちに俺は幼稚園を卒園して、小学生になる。そこでも伊地知達とはタメ口で話し、先生やクラスメイトには敬語を使って生活していた。
初めての授業参観日の帰り、クラスメイトの保護者が俺の母親に話しかけてきた。
「遠坂さん家の健治くんって本当に優秀ですよね〜〜! 本当に小学生!? って思っちゃいますよ〜〜ウチの子も健治くんを見習って欲しいんですけどねぇ」
「いやいや、そんな事ないですよぉ〜それを言ったら貴女の家の子だって……」
俺は母の隣でそんな会話を聞いていた。会話に夢中になってる母の表情は今まで見たことないくらい嬉しそうで、悦に浸っていて、自慢げだった。
その表情は決して俺に見せたことの無い表情だった。俺の誕生日の日や卒園式、入学式、俺を褒めたりする時もそんな表情はしなかった。
どこまでも幸せそうな、満ち足りた表情……その表情を見た時、母が俺を自慢の材料にしていることが察した。
俺は母にとってのアクセサリーなのだろう。自らをさらに良く見せる為の道具。だから母は
母によるマナー講座、勉強、伊地知達と遊ぶ、勉強。
「おかえりなさい、健治。今日から家事の練習を始めましょうか」
母によるマナー講座、勉強、伊地知と山田と遊ぶ、家事、勉強、勉強。
「おかえりなさい、健治。今日から習字とかもやってみましょうか。字が綺麗だとかっこよく見られるわよ♪」
母によるマナー講座、勉強、伊地知と山田と遊ぶ、家事、習字、勉強、勉強、勉強。
「おかえりなさい、健治。今日から英語の勉強もしましょう。小学生の頃から英語がペラペラだったらきっと賢く見えるわよ♪」
母によるマナー講座、勉強、伊地知と山田と遊ぶ、家事、習字、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強…………。
息が詰まる毎日だった。
俺の子供時代は自由時間があまりにも無かった。友人達と遊ぶ事が許されていたのは『社交的な方が人気が出るから』という理由だった。
それ以外の時間は常に勉強、勉強、勉強の毎日。
子の評判=親の評判である。母は他者から良く見られるように俺を教育しているのだ。
今のところは友人達と遊ぶのが許されてるだけで、成績次第で『もっと勉強した方が良いから友達と遊ぶのやめましょうか』とか言われるんじゃないかと心配で俺は気が気じゃなかった。
この状況で伊地知と山田と離されてたまるかと必死に勉強にくらいつくようになっていった。
傍から見ても必死さが伝わっていたのだろう。ある日、見かねた山田が俺に声をかけてきた。
『健治は忙しすぎるね、そんなんじゃ息が詰まるよ。私がサボ……休憩のコツを教えてあげる』
そう言う山田からの教育で俺にはサボり癖が生まれた。ただし、母の目もあるので大っぴらにサボるわけにはいかず、その結果生まれたのが『サボりのスイッチ』である。
それは、他者から見えるところでは真面目に取り組み、自分だけしか見ない所は極端にダラけるというものである。
例えば母も見る机の上は綺麗にしておくが、引き出しの中は全く整頓していなかったり、他者も読むノートは綺麗に書き、自分しか読まないメモ帳は雑に書く。
親が居る時だけ勉強して、親が居ない時は勉強しない。
そうやってスイッチを切り替えるが如く、俺の行動を切り替える。毎日勉強漬けの俺にとって『サボっても良い』のだと伝えてくれてるようで気持ちが楽になったのを覚えている。
実際、
俺が人に見られてないところでサボってるなんてことは知らない母は成績の上がった俺の通知表を見て、満足そうに笑うのだ。
「『悪い子』にならないでね。ずっと、ずぅぅと『良い子』で居てね、健治。私を失望させないでね」
それが母の口癖であった。
よくある言葉だが、母が言うとおぞましく感じる。
俺の身体に、精神に、その言葉が擦りこまれていくのを感じるのだ。
母がする行動の全ては他者から良く見られたいが為にある。
月一のゴミ拾いボランティアだって母からすれば、他者から良く見られたかったからやっているに過ぎなかった。
それでも、やらぬ善よりやる偽善。
ゴミ拾いボランティア事態は悪いことじゃない。寧ろ、やっている方が良いだろう。
──だから、当時の俺は……今のままでも良いと思っていたんだ。
母は『極度の承認欲求』を抱えている。だとしても、それが少しでも世のため人のためになるのなら。誰にも迷惑をかけないのなら。厳しい教育も俺の為になれば良いと思っている気持ちが少しでもあるのなら、容認しよう。当時の俺は、そう思っていた。
そう思うことにしていた。
──そんな考えは直ぐに打ち砕かれるとも知らずに。
過去話メインのつもりが前半の廣井さんと健治くんとの会話パートが楽しくてつい長くなってしまいました。こういう緩い会話が書きたくてこの小説書いてると言っても過言じゃありません。
ただ、長すぎるのも読みづらくなるよな……と思っているので長くなりすぎないようにします。
あと、過去話は一話に纏めようと思ってたのにいつの間にか一話で纏めれなくなっちゃいました。ままならないですね。