吐瀉物の匂いと共に   作:山田木耳

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祝!モンスト!ぼざろコラボ決定!
あんまりモンスト詳しく無いのですが演出が凝っててすげー!ってなってます。早速、廣井姐さんを運極にしてきました。


それとぉ……申し訳ないのですが今回の話、9000文字くらいありまして……。時間ある時に読んで頂けると幸いです……。

いつも感想、お気に入り登録、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。ここ好き登録して頂けると、読んでくださる方々がどういうのが好きなのか参考に出来るのでやってくれると嬉しいです。



28.『夏の終わりは貴女と共に・後編』

「いっ……!」

 

 首筋に感じた痒みに思わず顔を顰める。スマホの内カメラで確認してみると、首筋の何ヶ所か赤くなっていた。夜風を浴びに外に出たのは良いが、そのタイミングで蚊が俺の首を刺してきたのだろう。

 

 明日から学校だと言うのに目立つところに刺してくれたものだ。蚊にとっては首から吸うのが美味いとかあるのだろうか。

 

「戻るか……」

 

 折角外に出たというのに、俺は早々に廣井さんが待つ部屋に戻ろうとしていた。まだ1分くらいしか経ってない。外に出ても本当に顔の火照りが収まるのを待つくらいしかやることが無い上に、それも意外と涼しかった夜風で早々に収まってしまった。加えて少ししか外に出てないのに蚊にも刺された。これ以上、外にいる理由は無い。

 

 一旦外に出たのにすぐ部屋に戻ることに少し気恥しさを覚えつつも、俺は廣井さんが待つ部屋へと戻っていく。

 

「えへへへへ〜健治くん飲んで※■♨☆△◎〜?」

 

「うわぁ。酔いすぎじゃないですか廣井さん」

 

 俺が帰ってきてみると、いつの間にか廣井さんはすっかり出来上がっていた。いや、飲み会を始める前から既にある程度酔ってはいたのだが……それにしたって酔い方が尋常じゃない。

 

 外に出たのはほんの一瞬なのに今日は飲む速度も、酔いが回る速度もいつもより早い気がする。俺は水の入ったペットボトルを差し出しながら、テーブルを挟んだ向かい側に腰掛ける。

 

「大丈夫ですか? 水飲みます?」

 

「お〜〜! ありがとね〜〜気が利く〜〜! う〜〜んスッキリした!」

 

「廣井さん。それは水じゃないです、お酒です。もしスッキリしたとしたらそれは気のせいですよ」

 

 俺が差し出したペットボトルをつかもうとして……通り過ぎ、テーブルに置いてた酒を取っていた。だいぶ酔ってそうである。

 

 その様子に呆れながらも……俺は確かに、この状態を楽しんでいた。廣井さんと過ごす日々は全く飽きることは無く、いつでも新鮮で心地良かった。

 

 だが、この楽しい時間も夜明けが来れば終わる。

 

 夜が更ける。夏が終わる。

 夏が終われば学校が始まり、また舎弟のような話し方をするクラスメイト達と相対しなければならない。それはきっと酷く面倒で、辛くて、退屈で。溜め息が絶え間なく口から溢れてくるような日々だろう。

 

 嗚呼、どうか、もう少しだけ、1秒でも長く。この時間が続いて欲しい。明日にならないで欲しい。廣井さんとずっと過ごしていたい。

 

 廣井さんと笑い合って、愚痴を言って、ご飯を食べて、彼女の演奏を聞いて、たまに彼女の吐いた吐瀉物を処理して……そうやって過ごしていたい。

 

 勿論、そんなことが叶わないって分かっている。物事には何事も終わりがあり、楽しいことほど早く終わるように感じるものだ。

 

 だけど、それでも、今だけは時がゆっくり進んでしまえば良いと思わずにはいられない。

 

「…………明日、学校行きたくないですね」

 

「お! 健治くんがそういうこと言うの珍しいね! いいよいいよ〜〜! そういうの出してって出してって!」

 

 当の廣井さんは何故か嬉しそうにしながら酒をさらに飲む。俺の愚痴を肴にして飲んでるのだろうか。

 

「珍しいって……俺だって普通の高校生ですよ。夏休み明けの学校行きたくないな〜〜ってくらい思いますよ」

 

「それならさぁ、健治くんは学校のどんなとこが嫌なの?」

 

 愚痴を言うのは、相手に気を利かせてしまいそうで基本はあんまりやりたくない。だが、廣井さんは酔っ払ってるせいで明日まで記憶を持ち越せているかあやふやな人だ。

 

 仮に覚えていたとしても、廣井さんは明日になれば俺の愚痴にあまり触れてこない。それが、俺にとって心地良くて……つい、話してしまう。

 

「……廣井さん、覚えてますかね? 俺のとこのクラスメイトを」

 

「あ〜〜あの独特な子達? 健治くんがバンチョーみたいな感じだった……デスヨネ」

 

「なんで急に敬語になってるんですか」

 

 どうやら覚えていたようだ。廣井さんが俺のクラスメイトを見たのは一度だけだが、言動が言動だから印象に残っただろう。

 

「……とにかく、あの独特な彼ら彼女らが……まぁ、目下の俺のストレス要因ですよ。どうにも好きになれません」

 

「ははは、そっかそっか。どんなとこが苦手なの?」

 

「……邪な好意を俺に向けてきます。私物を持ってかれたりとかは日常茶飯事ですよ」

 

「そっかぁ」

 

 廣井さんは下を向いて少し考える素振りをした後……再び顔を上げる。

 

 テーブルを挟んで向かい側に座っていた彼女がハイハイの動きで俺の隣にやってくる。そのまま……その螺旋を描いた瞳で俺を覗き込みながら廣井さんは言葉を発する。

 

「それなら……サボっちゃう?」

 

 廣井さんがこてんと首を傾けながら聞いてくる。可憐な顔を酒で火照らせている。キャミワンピースの紐は肩からずり落ちそうになっており、露出の多い肌は妖艶な雰囲気を纏っていて……俺はそんな彼女から目を逸らしながら言葉を紡ぐ。

 

「…………サボりませんよ。俺がそういうことしないって知りませんか?」

 

「え〜〜? 知らないな〜〜? 健治くんって子はライブの為にバイトサボったり、皆に内緒で家に通ってくれって言うような子だからな〜〜」

 

「うっ……」

 

 痛いところをつかれた。そうだ、昔はこんなんじゃなかったのだ。バイトをサボったことなんて無かった。年上の異性を家に上げるなんて考えたことも無かった。

 

 それなのにどんどん俺はおかしな方向に向かっていってる。廣井さんはそんな俺を『ロック』だと言うけど、これがはたして本当に『ロック』なのだろうか? と疑問に思ったりする時もある。

 

 まぁ、そもそも『ロック』って何なんだ? と聞かれたら答えられないのだが。

 

「はっはは。意地悪言ってごめんごめん。でも今の健治くんの方が前よりも良い感じだと思うよ」

 

「良い感じって……」

 

 この人、適当に言ってるんじゃないだろうか。俺はため息混じりに声を漏らす。

 

「……全部廣井さんのせいです」

 

「そうかなぁ……はははっ! そうかもねぇ」

 

「なんでちょっと嬉しそうなんですか」

 

 自分で言っておいてなんだが別に廣井さんは悪くない。だから『え〜〜!! 私関係ないよぉ!』とでも言って抗議してくるかと思ったが……廣井さんは認めてしまった。しかも、何故か嬉しそうに。

 

「別に俺は本気で全部廣井さんのせいだと思ってるわけじゃないですよ?」

 

「でも実際、健治くんを唆してバイトサボらせてるし。健治くんの提案にだって断らずに乗っかっちゃってるわけだからねぇ、私」

 

「そんなこと言っても結局選択したのは俺なので」

 

「あ〜それなら……うん。やっぱり私達は共犯者(ベストフレンド)だね」

 

 廣井さんは小悪魔のように笑う。共犯者(ベストフレンド)と呼ばれた事に内心喜んでることを悟られないように廣井さんから視線を外すと……視界の外で彼女はおもむろに立ち上がる。

 

「よーし、それなら私が一肌脱いじゃうぞ〜〜!」

 

「……? 一体何、を……って廣井さん!? なんで急にお酒飲むペース早くしたんですか!?」

 

 俺の視線の先で廣井さんが凄いペースでお酒を飲んでいる。瓶に入ってるのが実は水でした……と言われても信じる程の速度で廣井さんの身体に酒が入っていく。

 

 人間ってあんなペースでお酒飲めたのか、と感心するのと同時にリュックからエチケット袋を取り出す。『もしも』の時の為に備えようとしたが……『もしも』の時が来る前に廣井さんの飲酒は停止した。

 

 俺はいつ廣井さんが『吐き出す』のか、警戒しながら構えていると……彼女は両手を前に掲げて『ん』と短く言葉を零す。

 

 ──吐く様子が無いのは有難いが……それと同時に彼女の突然の行動の意図が分からず困惑する。俺はおそるおそる言葉を投げかけた。

 

「ちょっと待ってください……。一体なんのつもりですか?」

 

「何って、ハグだよハグ」

 

「………………急にどうしたんですか?」

 

 あまりにも唐突で理解が追いつかない。廣井さんは『やれやれ仕方ないな』と言わんばかりにジェスチャーで反応するが、あれだけで何をしたいか分かる人は探偵にでもなった方が良いだろう。

 

「健治くん知らないの〜〜? ハグってストレス解消に効果あるんだって〜〜」

 

 聞いたことはある。確かハグをすると身体からストレスを軽減させる物質が分泌されるとかなんとか。確か物質名は……オキ……オキシ……いやオシ……? 

 

 多分オシゴトスルヨンとかだったような気がする。寧ろストレスが溜まりそうな名前だと思うのは俺だけだろうか。

 

 それよりも……なるほど。廣井さんは廣井さんなりに俺を気遣って、ストレスを緩和させる方法を模索してくれているのだろう。それは実に有り難いことだ。だからといって俺と彼女がいきなりハグをしだすのは意味が分からないが。

 

「なるほど……。色々言いたいことはありますけど……とりあえず誰の入れ知恵ですか?」

 

「イライザ!」

 

「うわぁ、やっぱり……」

 

 どうにも廣井さんらしくない発想だと思ったのだ。それに俗っぽい。多分漫画か、アニメか、あるいはゲームとか……兎に角そういう創作物で登場したのをイライザさんが見て、それを面白半分に廣井さんに伝えたんじゃないだろうか。

 

 勘弁して欲しい。本当に。

 

「……や、やるなら早くしない? 時間が経つにつれて冷静になってどんどん恥ずかしくなってきた……は、はは……」

 

「そんな緊張するなら無理してやらなくて良いでしょうに」

 

 よく見ると廣井さんは顔を耳元まで真っ赤にしながらはにかんだ笑みを浮かべていた。廣井さんが酔っ払ってるせいでこの真っ赤になってるのが酒によるものなのか羞恥によるものなのか判別が非常にしづらいが……とりあえず、ほぼ羞恥によるものと仮定しよう。

 

 道理で先程、急に酒を飲むペースを上げたわけだ。いくら廣井さんでも、ある程度酒飲んでなきゃハグなんて出来ないわけだ。

 

 俺はそれに少し安心した。

 

 

 

 

 ──安心? なんで俺は今、安心したんだろう? 

 

 ……いや、今はそんな事を考えてる暇は無い。とりあえず廣井さんを止めなくては。彼女は照れてるようだし、どんどん先延ばしにしていけばそのうちハグする雰囲気では無くなるだろう。

 

 そうと決まれば廣井さんに言葉をぶつけていく。

 

「……あのですね、廣井さん。いくらなんでも交際関係でも無い男女が過度な身体接触を行うのは不健全ですよ」

 

「……今更? 夜一緒に過ごすのは良いのー?」

 

「それとこれとは話が別です」

 

「別かなぁ?」

 

 廣井さんが首を傾げる。彼女は疑問に思ってるようだが、俺からすれば全くもって別だ。

 

「そもそも、人間というのはハグなんて非効率的なことをしなくてもストレスを解消する手段を持ってますよ。食べる、寝る、趣味に没頭する……今ピザ食べてる(やってる)のだって立派なストレス解消です。わざわざハグなんてしなくても人間は生きていけるんです、やる必要はありません」

 

「…………急に口数多くなったけど……ひょっとして健治くん、緊張してる?」

 

「……………………」

 

 図星だった。まさかこんなに早く疑われるなんて。というか、流石に早過ぎないか? どれだけ腹芸向いてないんだ、俺。

 

 しかし、まだ疑惑の段階だ。リカバリーは効く……筈だ。ここで廣井さんに『俺が緊張している』と確信を与えるわけにはいかない。どうにか誤魔化すとしよう。

 

「……………………………………………………いや、別に」

 

 今の俺は上手く言えてるのだろうか? それは廣井さんにしか分からない。廣井さんの顔をおそるおそる確認すると『にまぁ〜〜〜〜〜』と彼女は口元を歪ませていた。

 

 どうやら上手く言えてなかったらしい。

 

「そっかそっかー! 健治くん恥ずかしかったか〜〜! 健治くん男の子だもんね〜〜? 私相手だと緊張しちゃうカナ〜〜? ハグの前に手を握るところから始めてあげようか〜〜?」

 

「うっ…………」

 

 こ、この人……。自分だって恥ずかしがってる癖にそれを棚に上げて……。俺が廣井さんより恥ずかしがってることに気付いたことで少し気持ちに余裕が出来たのだろう。

 

 夏休みの宿題が終わって無くて焦っていたら友達は自分よりも宿題やっていないことを知って『この子がやってないのなら自分もそこまで焦らなくて良いか』と少し冷静になる、あの感覚に似ている。

 

 それにしたって廣井さんはめちゃくちゃ調子に乗ってると思うが。

 

「可愛いねぇ〜〜〜健治くん! 仕方ないな〜〜健治くんが緊張するって言うなら特別に段階を踏んであげるよ〜〜!」

 

 廣井さんが俺の頭を乱雑に撫でてくる。可愛がってるつもりだろうか。非常に鬱陶しい。

 

 泥酔した廣井さんを担いで帰路につくことが多いので別に普段から接触する身体の面積自体はハグと大して変わらないが……それなのにハグはおんぶとは違って緊張する。

 

 交友関係の中でもかなり深い関係であることを連想してしまうからだろうか。勿論、普段の俺なら何を言われてもハグなんてしない。

 

「……ますよ」

 

 だが、ここまで言われてしまうと……自分の中にとある感情が蠢いていくのを感じる。それは自分の中にある感情の中であまりにも希薄で、目立たなくて、久しい感情。

 

 多分それは、俗に言う『対抗心』と言うものだった。

 

「え? なに〜〜? 聞こえないよ〜〜健治くんは私相手だと握手でも緊張しちゃうかな〜〜? あはははっ!」

 

 この人にここまで言われて『はい。そうなんです』と苦笑しながら言いたくない、認めたくない……という対抗心。言い方を変えれば……これは()()とも言えるかもしれない。

 

 ──あれ程、母の()()に振り回されて、心底うんざりしていた俺が、こんなことを思うのはおかしいかもしれない。実際、俺が見栄を張ってるんだと気付いた時に胸の奥が針を刺したかのように傷んだ。対抗心に紛れて、暗い感情が溢れてくる。

 

 それなのに、俺は今からその『対抗心』に従って行動を起こそうとしている。何故そうしようとしているのか。明確な理由は分からない。

 

 もしかしたら……今からその暗い感情が帳消しになることを期待しているから、なのかもしれない。

 

「そこまで言うならお望み通りハグ、やりますよ……って言いました」

 

「………………ふぇ?」

 

 先程までニヤニヤしながら俺を見ていた廣井さんの表情が鳩が豆鉄砲を喰らったかのような呆けた表情に変わる。それを見て少しだけ気持ちがスッキリするが……だからといってそれで満足してはいけない。ここまで言って何もしないとなれば口だけの男になってしまう。

 

 俺はそう考えながら廣井さんの方に身を乗り出す。

 

「ちょっ、ちょっと待って! 健治くんおち、おちつ、落ち着いて! 」

 

 廣井さんは逆に俺から身を離す。先程までの姿とは打って変わり、非常に慌ててる様子は可愛げがあった。その姿は天敵に見つかって慌てる小動物のようだ。その様子が少し、面白いと感じてしまった俺は性格が悪いだろうか? 

 

 それでも、ここで止まるという選択肢は無かった。

 

「どうしたんですか廣井さん? 貴女が言い出したことでしょう」

 

「いや、そうだけど! いざ、来られると心の準備が……!」

 

 そうやり取りしてる間にも俺は少しずつ廣井さんの方へと身を進め、その度に廣井さんは少しずつ後ろに下がっていく。

 

 そして遂に、廣井さんの背中が壁に辿り着く。もう逃げ場は無い。俺は彼女の顔をじっと覗き込む。廣井さんの顔が耳の先まで真っ赤に染まる。それが酒ではなく、俺によって引き起こされたものだということに……胸の奥からとある感情が溢れてくるのを感じる。

 

 その感情を指す適切な言葉が頭に浮かぶ前に……廣井さんが慌てながら言葉を吐き出す。

 

「ちょっ! 本当にちょっと待って! 今ので一気に()()()()()()()()()から一旦飲ませて……って、うわぁ! 今の健治くん、すっごい疑ってる顔っ!」

 

 今の俺の表情は廣井さんが話した通りの表情をしている事だろう。自分でも自覚があるし、鏡を見なくても分かる。俺は今、彼女に疑惑の視線を向けている。

 

 酔いが醒めた……? あの廣井さんが? そんなことあるのだろうか。いや、彼女だって人間だ。時にはシラフの時だってあるだろうが……あまりにも想像がつかない。本当は人間のフリをした酒飲み妖怪でした……とか言われても信じそうになる。

 

 ……知り合いに本当に人間か疑わしい人(後藤さん)が居るので余計に。

 

 それ故に彼女の『酔いが醒めちゃった』発言は適当に時間稼ぎする為の嘘なんじゃないかと疑ってしまう。俺は彼女の顔をよく覗き込んで観察する。

 

 ──顔は相変わらず真っ赤だが、呂律もしっかりしてるし、目の焦点もあってる。なにより……適当に話さず、頭が回して話している。

 

 どうやら本当に、本当に信じられないことだが……廣井さんの言った通り、酔いが醒めそうになってるようだ。完全に素面(シラフ)になってるわけでは無く、あくまで『酔いが醒めそう』というだけだが。

 

 それだけ俺がいきなり攻めてきたのが衝撃的だったのだろうか。

 

 俺がそう考えていると廣井さんが手を伸ばして横に転がっていた未開封のパック酒を取ろうとしていた。あと少しで取れそう……というところで俺の手に阻まれる。廣井さんが驚いた表情を浮かべる傍らで、俺は笑いながら答える。

 

「ダメですよ廣井さん。俺もシラフでやるんですから廣井さんも今の状態でやらないと不公平です」

 

「け、健治くん!? なんか今日意地悪じゃない!? 酔ってるの!?」

 

「まさか。そんなわけないでしょう」

 

 今は『対抗心』に動かされてるだけだ。繰り返すが、こんなことは普段なら絶対やらない。それ故に、後から思い出して恥ずかしくなるのは決定事項である。それでも止めない、止まらない。

 

 俺は自他ともに認める恥ずかしがり屋だが、同時に変に頑固であるとも伊知地達に言われている。本当に俺の事を、俺以上に分かってくれてる友人達だ。

 

 既に自分の頬もどんどん熱くなってきているのを感じるので、時間との勝負だ。

 

「で、どうするんですか? やるんですか? やらないんですか? やるんだったら、完全にシラフになってない今の状態のうちにさっさとやった方が良いじゃないですか?」

 

「うぅ〜〜〜〜」

 

 廣井さんに酔いが醒めること(タイムリミット)を指摘して焦らせる。時間制限を意識させることで被害者を焦らせ、深く思考させないようにする詐欺師の常套手段だ。

 

 あんまりこういうやり方はしたくないが、それでもやったのは理由がある。廣井さんに時間を焦らせているが、俺の方だって時間が経てば『対抗心』に『羞恥』が勝って、ハグなんて出来なくなるからだ。

 

 つまり、廣井さんに『早くしないと困るんじゃないですか?』と言っておきながら本当に困るのは俺自身という訳だ。後でバレたら文句言われても仕方ない気がする。

 

 俺がそう思ってる間にも廣井さんは頭を回していた。彼女はしばらく呻き声を上げながら、考えて、考えて……遂に言葉を零す。

 

「や、やるよぉ……」

 

 その言葉は、下を向いている上にあまりにもか細い声で紡がれたので非常に聞き取りにくかったが……確かに『やる』と発音されていた。

 

「……そうですか」

 

 正直、意外だった。てっきり『やっぱり無し!』とか言うと思っていたが……彼女はこのまま進む道を選んだ。俺的には彼女の方から断ってくれたら非常に有難かったが……そう上手くはいかないようだ。

 

 さて、ここで止まっていたら、いつか『対抗心』が『羞恥』に負けてしまうので俺も覚悟を決めて、さっさとやるとしよう。

 

「それじゃあ、いきますよ? 痛かったら、言ってください」

 

「……うん」

 

 俺はそう言うと、おそるおそる彼女の身体の横に腕を通していき、優しくその身体を抱き寄せる。

 

「……」

 

「……」

 

 その後は、二人とも無言だった。廣井さんの顔が見えないので彼女が今どんな気持ちで、どんな表情をしているのか分からないが……俺の方は人生で初めて味わった抱擁と、それに伴う情報量に脳がパンク寸前だった。

 

 ──柔らかい感触が全身に伝わってくる。寸銅では無く、確かな膨らみや凹みのある感触を感じて……俺の頬が火にあぶられたかのように熱くなる。今の俺が、五感のうち視覚では無く、触覚で彼女の身体のラインを認識しているという事実に、言葉に出来ない感情が溢れてくる。

 

 俺の両腕が彼女の背中側で交差したのとほぼ同時に、彼女の細い腕が俺の背中に触れたのを感じた。そのあまりにも細い腕が心配になると同時に、愛おしく感じた。

 

 酒の匂いに混じって甘すぎない匂いが俺の鼻の下を通り、お互いの汗が肌の上で混ざる。嗚呼、抱擁する前に汗を拭いとくんだった、俺の汗が気持ち悪いと思っていないだろうか……と後悔しそうになるが……気づく。

 

 さっき夜風に吹かれたばかりの俺は別に汗をかいていなかったことに。だからこの汗は今、この状態において生じた極度の緊張が原因で出ているのだ。

 

 それに気づいた途端、鼓動が痛いくらい跳ねるのを感じて、頬が紅くなっていく。今の表情がバレないようにさらに身体を深く密着させる。

 

 すると俺の鼓動と重なるように、共鳴するように動く、別の鼓動を感じた。その後から現れた鼓動を出している人物の正体は一人しかいない。身体を深く密着させたことで相手の鼓動まで感じるようになってしまったのだ。

 

 それと同時に彼女の体温も先程よりも鮮明に感じる。俺に負けず劣らずの体温だった。

 

 廣井さんも、俺と同じように緊張し、恥ずかしがりながらも俺と抱擁してくれている。その事実に……俺の中で、またしても言葉に出来ない感情が溢れてくる。この感情の正体が、名前が、分からない。

 

 一体、俺は今、何を考えているのだろうか。

 

 その感情の正体がなんなのか。答えが出ないまましばらく経つと……少しずつお互いの心臓の鼓動が落ち着いていく。それが時間が経過したことで慣れたからなのか、例のストレス現象を謳う物質が分泌され始めたことが原因なのかは分からない。

 

 ただ一つ確かなのは、その後に俺の身体に訪れたのは極度のリラックス状態だったということだ。

 

 とにかく落ち着くのだ。この匂いが、この感触が、この状況の全てが。俺に安らぎを与えていた。

 

 先程まで心臓を激しく打ち鳴らして、頬を溶鉱炉に突っ込んだ鉄のように紅くしていた癖に何を言っているだと言われるかもしれないが、本当に落ち着くのだから落ち着くとしか言いようが無かった。

 

 あまりにも落ち着くものだから……俺の身体を睡魔が襲った。

 

「ふぇっ!?」

 

 廣井さんが驚愕の感情が籠った声を漏らす。俺の身体が廣井さんを抱きしめたまま横に倒れたからだ。当然、廣井さんも巻き込まれるように一緒に倒れ、目をぱちくりさせている。

 

「……健治くん?」

 

 急に倒れた俺に廣井さんは困惑したような表情を浮かべ……ているような気がする。生憎、俺の目はもう瞼に遮られて彼女の姿は映っていない。

 

 俺の身体もう、その睡魔に抗うつもりなど無いのだ。

 

「すぅ……、すぅ……」

 

「う、嘘でしょ!? このタイミングで寝るの!? 健治くん!? ちょっと待って、せめて私の事離してから……え、もしかしてこのまま朝まで!? ちょっとー! 起きてぇ健治くぅん!! 流石に恥ずかしいよぉ!!」

 

 ──廣井きくりの叫びも虚しく、遠坂健治の意識はどんどん夢の世界に落ちていく。それはクラスメイト(目下のストレス)母親(トラウマ)のことなんて一切気にすることなく、思う存分、睡魔を貪ることの出来る完全なる熟睡。

 

 夏が終わる。夏が終われば、再びクラスメイトと相対し、ストレスを感じる日々がやって来るだろう。それでも、今日の出来事(思い出)があれば遠坂健治は少しだけ前向きに学校生活を過ごすことができる。

 

 久しぶりの熟睡は、朝になるまで途切れることは無かったのだった。

 




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