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※筆者の勘違いで一部キャラの呼び方が原作と違ったので直しました。教えてくれた方ありがとうございます。
「ほんとに寝ちゃった……」
静かになった部屋で私……廣井きくりは呟いた。
その隣には見慣れた若い男が寝てる……と言うと語弊がありそうだが、別にそういう関係の相手が居るわけでは無い。友人である健治くんが心地良さそうにすやすや寝息を立てている。
同じ家で寝るくらいなら毎日のようにしているが、今回は何故か、なんやかんや色々あって私の体に腕を回した状態で寝ている。本当になんでこんなことになってしまったんだろう。ほぼ私のせいだから文句を言おうにも言えないのだけど。
だが、こんなに近づくのは……なんというか、その、良くないんじゃないだろうか。
あまりにも身体を密着しすぎて、この身体の熱さが、酔っているからなのか、もしくは彼の身体から出ている熱なのか、あるいは私の身体から出てる熱なのか……もう私には判別付かなかった。
幸いなのは、そこまで腕の力が強くないので抜け出そうと思えば簡単に抜け出せるということだ。本当は恥ずかしいから今すぐにでも抜け出したいけれど、今はまだ健治くんの眠りが浅いだろうから、ここで動くと起こしてしまう。折角、熟睡できそうなんだから極力邪魔はしたくなかった。
ただ、電気代が勿体ないから健治くんが寝静まったらこっそり腕から抜け出して電気を消そう。その後は、お互い離れて別々に寝る。流石に抱き合って寝るというのは恥ずかしさ的にも倫理観的にもNGだった。
そんな風に考えていると……ふと、甘い匂いが鼻の下を通る。匂いの発生源はひとつしかない。穏やかな表情で寝息を立てている彼の身体だ。同じ石鹸を使ってる筈なのにどうしてここまで匂いに差があるのか不思議で仕方ない。どうも落ち着くというか、心地の良い匂いだった。
──こうして直接触れてみると想像よりもずっしりと筋肉があり、健康的なプロポーションをしている。端正な顔立ちと若々しさに満ちた肌はいつまでも見ていられそうで、長いまつ毛や潤いに満ちた艶やかな唇がやけに色っぽく、寝息を立てる姿なんて可愛げすらあって……いや、何を考えてるんだ私は。
いやいやいやいや、ナイナイナイナイ。
PAさんじゃあるまいし、私はそういうのじゃない。
──ただ、改めてまじまじと見てみるとお顔が大変宜しいのだ、健治くんは。健治くんの周りに集まるクラスメイト達が彼に熱烈な視線を向けている気持ちが少し分かってしまう。
健治くんからしたらたまったもんじゃないだろう。だって彼の日頃の
──だから、私くらいは……何も知らない、何も分からない、例え聞いたとしてもすぐ忘れる、ただの酔っ払いとして彼の傍に居てあげた方が良い。
……いや、そういえば私以外にも居た。彼に熱烈な視線を向けずに、対等に接する友人が。言わずもがなそれは
先輩は分かる。小さい頃から見てきているせいでそういう目で見れないのだろう。だが、同年代の二人はどうなのだろうか? 彼の端正な顔立ちや穏やかな立ち振る舞いなら少しくらい気になっても良いと思うが……何故か全然そんな雰囲気は無い。
あれほど男女関係無く注目を集める健治くんと仲良くしていて、少しも心が揺れ動かないのには何か理由があったりするのかな? 一度頭に浮かんでくると、なんだか無性に気になってくる。今度、会ったら聞いてみよう。
「……眠れないなぁ」
ちょっと経てばそのうち寝れるかも……と思っていたが、どうやら浅はかだったみたいだ。寧ろ時間が経てば経つほど、積み重なっていく考え事と溢れ出てくる羞恥が眠気を妨げてきていた。
──ふと、隣で眠っている彼に視線を向けた。相変わらず私の苦悩など知らず、呑気な顔で眠っている。
というか、何故彼はこの状況でここまで熟睡出来るんだろう。健治くんも少しくらい『緊張して眠れないよ〜〜!』みたいになっても良いんじゃないだろうか。これじゃあ、まるで私だけ意識してるみたいで面白くない。
彼だって最初はあんなに初心な雰囲気でドキマギ緊張していたというのに。私の中で段々と、そして沸沸と羞恥よりも不満が勝ってくる。
……まぁ、その後一転攻勢に出てこられた時は流石に参ってしまったけれど。それに最近寝不足気味だったようだから、ここで熟睡出来てることなのは非常に喜ばしいことではある。
それでも『何か面白くない』という感情は変わらない。仕返しにくすぐってやろうか。これだけぐっすり寝てるんだから少しくらいくすぐっても起きないだろう。私がそう思って彼の脇に触れようとして……許可無く脇に触るのもそれはそれとして……その……なんだか、いやらしく感じてしまって手を引っこめる。
うん、別におかしくない。そもそも未成年の身体に過度に触るのは不健全だし。別に恥ずかしくなって止めた訳じゃない。私が理性ある大人だっただけだから。
「っと……そろそろ寝静まったかな〜……?」
こんがらがった思考を遮るように、わざとらしく声を上げる。私は身体を縮こませ、彼の腕から抜け出した。置いてあった酒を一口……いや、二口……勢い余って二缶と三パック飲んでから電気を消す。
本当はそんなに飲むつもりなんて無かったけど、この状況では酒を飲まないと、余計なことを考えてしまっておちおち眠ることも出来ないから仕方ない。決して、飲んでみたら止まらなくなったとかでは無い。
心地の良い酩酊が身体中を巡り、思考はちゃらんぽらんになっていく。思わぬ攻撃によって与えられた羞恥を鈍らせ、私の身体に眠気を抱かせる。一時はどうなるかと思ったが、これで安心して夜を迎えることができそうだ。
「おやすみなさい、健治くん」
私はそう言って、少し離れたところで寝転がる。そのまま目を閉じ、酩酊に身を任せて惰眠を貪ろうとした時……背中に何かがぶつかった。
酒瓶でも転がってきたのかと思って振り返ってみると……そこには先程離れた筈の彼が居た。
「えっ、えぇ!? 健治くんさっきまであっちに居なかった!?」
私の問いかけに、健治くんは寝息しか返してくれない。その瞳は閉じていて、呼吸は自然で、とても寝たフリをしているとは思えなかった。
──まさか、私が離れたそばから寝相でここまでやってきたというのだろうか。
「えぇ……健治くん、私の事好きすぎない……?」
思わず口から漏れでた言葉は勿論100%の本心ではなく、冗談……冗談ではあるが……そのあざとさすら感じる寝相に頬が熱くなったのは確かだった。
「……どうしてこんな風になったんだっけ」
その羞恥を忘れたくて、今の状況をできるだけ考えないようにしようとして……私はふと、こうなったきっかけを思い出していた。
──可能であればこの酔いが覚める前に、夢の世界に行けていることを祈りながら。
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──話は少し前に遡る。新宿にあるライブハウス『FOLT』の一角に集まる三つの影があった。スタッフやロックバンド駆け出しの少年少女が遠巻きにその影を見つめている。
一人は、椅子を二つ並べてベッド代わりに寝転がり、アイマスクと枕、さらに毛布まで持参している酔っ払いベーシスト、廣井 きくり。その姿はまるで、限界ギリギリの社畜がオフィスで仮眠をとってるかのようだった。もっとも、横に置かれてるのは栄養ドリンクとかじゃなくて酒瓶なのでただ酔い潰れてるだけのようにも見えるのだが。
もう一人は、その横で本を開いて物語を朗読しているオタクギタリスト、清水イライザ。読み聞かせをしているのだろうが、肝心の読み物が絵本とかでは無く彼女の所有する
そして最後に、その様子を怪訝そうな顔で見ている菓子折り常備ドラマー、岩下 志麻。その眉間には確かに皺が出来ていた。
彼女達こそ、インディーズで有名なバンド『SICK HACK』のメンバーである。本来なら、その圧倒的な演奏技術と高いカリスマ性、人徳諸々によって後輩から尊敬の視線を一身に集めていることだろうが……今だけは、ただの珍妙な集団にしか見えなかった。
後輩達が遠巻きにこちらを見ながらヒソヒソ何かを話している。見慣れているスタッフは『また何かやってる』という笑い半分、呆れ半分のような視線を、見慣れていない後輩達は『先輩達一体何してるんだろう……?』といった困惑した視線をそれぞれ向けてきていた。
その視線を受け、志麻は他人の振りをしたい欲求が溢れてくるが『このライブハウスに来てるなら私がこいつらの関係者だと知られてるな』ということに気づいてしまったので諦め、眉間に手を当て、一息吐いてから考える。
──今日は『SICK HACK』の打ち合わせの日だった筈だ。志麻だけ電車の遅延で到着が遅れてしまい、先程まで二人に申し訳なさを覚えていた筈だが……それもこの光景を見たら吹き飛んでしまった。困惑が勝利したのだ。
「……何やってるんだ?」
志麻は絞り出すように問いかけると、その声に気づいた廣井はアイマスクを指で上げた。イライザは相変わらず漫画の解説をしている。
「あっ! ちょうど良かった〜〜! ちょっと相談があるんだけど〜〜」
「相談……?」
突然切り出された『相談』を不思議に思いつつ、志麻の口から咄嗟に言葉が出る。
「金なら貸さないぞ」
「志麻って私が何か相談する時、お金しかないと思ってる??」
「ははは、そんなこと無いぞ。この前は終電まで寝過ごしたから迎えに来て欲しいとか言ってきたしな。平日の、真夜中に」
「うっ……そ、それは一旦置いといて……出来ればそのまま水に流して……」
流すわけが無い。流すわけ無いが……廣井相手にいちいち突っ込んでいても意味が無いので志麻は黙って廣井の話に耳を傾ける。
「……遠坂くんが寝不足気味? 嗚呼、成程。さっきのはそういうことか」
詳しく聞いてみると、最近寝不足気味の遠坂くんを気遣って質の良い睡眠法を模索しようとしていたらしい。ライブハウスでやるのは目立つから止めろとか、読み聞かせで寝るような年でも無いだろうとか思わなくは無いが、とりあえず理由は分かった。志麻は顎に手を当て、思考を回す。
「普通に酔っ払いの介抱がそろそろ面倒になってきたんじゃないのか?」
「酷っ! 健治くんは優しいからそんなこと思わないし……」
「相手の優しさに甘えてると知らず知らずのうちに人が離れていくぞ」
「うっ……正論が胸に刺さる……今すぐお酒で緩和しないと……!」
そう言いながら廣井は
「そろそろ遠坂くんの介抱にも休みを与えるべきだろ。一旦酒を抜いてみたらどうだ? 遠坂くんに素面のお前を見せたことないんだろ?」
「うっ……い、いやーそれはちょっとハードルが……今まで築き上げてきた『頼れるお姉さん』のイメージが崩れちゃうし……」
「絶対お前にそんなイメージ無いから安心しろ」
何言ってるんだコイツ。ツッコミ待ちか? と志麻は思ったが、廣井の話し方的にどうやら本気らしい。酔っ払いの『介抱』と『時々吐き出す吐瀉物の処理』のどこに『頼れるお姉さんのイメージ』がつくというのだろう。
「いやいやあるあるあるって! 志麻ちゃんにも見せてあげたいな〜〜健治くんが私に向ける尊敬の眼差しを!」
「未成年に金借りて、四六時中酔って吐いてる相手に尊敬の眼差しなんて向ける訳ないだろ。仮に本当に向けてたら普通に心配になるぞ。遠坂くんの感性が」
──志麻はこう言うが、実際『遠坂 健治』は『廣井 きくり』のことを信用しているし、尊敬もしている。ただ、普段の言動が足を引っ張りすぎて全く信じられていなかった。
「というか健治くんだって素面の私なんかに会いたくないよ。志麻ちゃんは知ってるでしょ。素面の私がクソつまんないこと」
「お前……」
そう言う廣井の表情は暗い。『素面の自分への自信の無さ』という一点に置いて、廣井きくりはどこまでも確信めいた言い方をする。
──遠坂 健治が廣井 きくりの素面の姿を見てどう思うかなんて、誰にも分からないと言うのに。
「……まぁ、良い。それ以外なら……寝具を変えてみるとか?」
「志麻もそう思う? 私もそう思うんだけど健治くんって私に絶対ベッド譲るからな〜ベッドもう一個買う訳にも……いや、健治くんならやりかねない……?」
買わないだろう流石に。仮に本当にベッドくらいの値段のものをポンポン買ってたら、普通に遠坂くんの金銭感覚が心配になる。
「……ん? ちょっと待て。確か前の話では……お前は家に通わないようにしたんじゃなかったか? それならお前が使ってたベッドを使えば良いだけじゃないか?」
──遠坂 健治が高校生であること。その事実を志麻達が聞かされたのはつい最近のことだ。この中で一番関わりのある廣井ですら最近まで気づかなかったのだから、志麻達が知らなかったのも無理は無い。
ただ、その事実が分かると『遠坂 健治に廣井 きくりを養わせよう』としていた志麻も自重せざるを得なくなった。流石に高校生に成人済みの大人を養わせる訳には行かない。絵面的にも倫理観的にも。
一時は廣井が遠坂 健治の家に通いつめてることを知り、廣井にも春が来たかと浮かれていた志麻だが……残念ながら、そんな簡単な話では無くなってしまった。
──だが、今の廣井の言い方だと……。
「えっ……あっあ〜〜〜! そうだったよねぇ!? うんうん、分かってた、分かってた! じゃあ健治くんには私が使ってたベット……まぁ、元々健治くんの物だったんだけど、そっち使ってもらえばオッケーだね! うん! い、いや〜〜! 解決解決! さっすが志麻! かっしこ〜〜い!」
「……」
多分の『ぎこちなさ』を纏った、雑な褒め言葉に志麻は怪訝な表情を廣井に向ける。明らかに様子がおかしい。まさか、ひょっとして……。
「お前……もしかして、まだ遠坂くんの家に通ってるのか?」
「うっ……はい……通ってます……」
廣井はガクりと項垂れた。こんなにも分かりやすい奴だっただろうか。嘘をつくにしても、もうちょっとバレにくい嘘をついていたような気がするのだが……一緒に過ごしてるうちに遠坂くんから影響でも受けたのだろうか。そうなると、遠坂くんもそのうち、廣井に影響受ける時が来るのだろうか。確実に悪い影響だと思われるので、あんまり想像したくはないが。
「話が違うじゃないか。未成年って知らなかった時なら兎も角、知った後だともう擁護出来ないぞ。何かやらかす前に通うのやめた方が良いだろ」
廣井は志麻の言葉にバツが悪そうにたじろぐ。正論を言ったつもりだ。いつもなら廣井は俯いて、反省して、出来るかどうかは置いておいて一応改善しようとするが……今の廣井の顔には何とも言えない表情が浮かんでいる。まるで『それはそうなんだけど……』と言わんばかりの表情と態度……そして、まだ何か隠し事のある顔だ、と直感的に志麻は気づいた。
廣井はしばらくもじもじしながら、視線を泳がせ、適当に話を変えようとしていたが……志麻の視線に観念してため息を吐く。
「………………誰にも言わないって約束してくれる? 特に健治くんには」
「場合による、早く吐け……一応言うがゲロじゃないぞ?」
「いらない心配だよ!? このタイミングで吐くと思ってるの!?」
いつも唐突に、脈絡無く吐く癖によく言うものだ。それにしても一体今度は何をやらかしたのだろうか。志麻は家にある菓子折りのストック数を頭で数える。
──既に廣井が何かをやらかした前提で思考を回し、志麻は頭を下げる覚悟を固めていた……が、結果的に菓子折りのストックが減ることはなかった。
「実は……そのぉ〜〜、皆に内緒で家に通ってくれって健治くんにお願いされてぇ……」
「…………なに? 健治くんの方から?」
──それは、話が変わってくる。
廣井のその言葉によって、漫画に熱中しすぎてもはや朗読せずに普通に読み始めていたイライザすらも手が止まった。志麻とイライザは無言で目線を合わせ、頷き合う。
「……ちょっとタイム。イライザと作戦会議させてくれ」
「急にどうしたの?? というか、なんの作戦会議?」
両手で『T』の字を作りながら、身を翻して、志麻はイライザと共に部屋の端に移動する。酔っ払いに聞こえないように、声を絞って言葉を紡ぐ。
この際、廣井が遠坂くんのことをどう思ってるかは関係無い。志麻の頭にあるのは『どうにか遠坂健治に廣井きくりを養わせたい』という思惑だけだった。
「おいおい、前に話した時は養うなんて考えなさそうだったのに今は随分積極的になってるんじゃないか……で、どう思う? イライザ」
「日本の百合漫画を多数読んできた私から言わせて貰うと……これ完全に脈有りデスヨー! 日本って何歳からOKなんでしたっけ? 今はセーフなんですカー?」
志麻には思惑があるが、イライザに関しては普通に身近で恋バナを聞きたいだけだった。
「アウトだよ。というか正直、遠坂くんがそこまで積極的になるイメージ湧かないんだよなぁ……恥ずかしいからって変装してライブ来るような子だぞ?」
そんな少年が廣井に『家に通ってくれ』と言うのは、志麻にはあまりイメージつかなかった。そんな積極的ならバレバレな変装をしてライブハウスに通ったりしない。
「でもイメージは兎も角、実際そうなってますヨー?」
「そうなんだよな……何か心境の変化でもあったのか?」
──少し大胆になれるような心境の変化が。例えば、誰かの背中を見て勇気が出た、とか。
気にはなるが、このまま考えても志麻には分からないことだったのでとりあえず思考の外に飛ばす。今は重要なのは遠坂 健治がどう思っているか、だ。
「そもそも本当に恋愛感情みたいなのを抱いてるかも分かんないぞ。だってあの廣井にだぞ。未成年から金借りて、四六時中酔っ払って、路上で吐く廣井だぞ?」
自分で言っておいてなんだが、改めて口に出してみるとますます有り得ない気がしてきた。遠坂くんの考えが分からない。廣井のことを友人だと考えている……と思うのだが、友人にしてはやけに入れ込んでいるようにも思える。かといって恋してるかと言われれば……それもまた違う気がする。
志麻が頭を回していると、イライザが口を開く。
「じゃあ……そうなるように、意識させちゃえば良いんじゃないデスカー?」
「嗚呼、なるほど。それなら──」
二人はさらに密着し、小さな声で作戦会議をして……ようやく身を翻して廣井の元へと戻る。
「またせたな」
「別に良いけど……何話してたの〜〜?」
「まぁ、大したことじゃないから気にするな。それよりも、遠坂くんの寝不足の原因はストレスとかなんじゃないか? なにか嫌な事とかあったとか」
「……あ〜〜、それはどうだろうね〜」
──先程までコロコロ表情を変えてた廣井が一瞬固まったような気がしたのは気のせいだろうか。
あまりにも的はずれなことを言っているからそうなったのか、何か心当たりがあるからそうなったのか志麻には判別つかなかったが……そちらに思考が回る前にイライザが横から割って入る。
「それなら私、良いストレス解消方法知ってマース!!」
打ち合わせ通りに切り出したイライザの口調には一摘みの『ぎこちなさ』を感じたが、酔っ払っいに気づかれてる様子は無い。
「ズバリ! オキシトシンハグですヨー!」
「おきしとしん……?」
頭にハテナマークを浮かべる廣井にイライザが嬉々として説明していく。日本のオタク文化にすっかり染まったイライザによって齎された知識によって、最初は純粋に疑問を抱いている顔をしていた廣井の顔が徐々に微妙そうな顔に変わっていく。
「い、いや〜〜それはちょっと……」
それは気恥ずかしさと、困惑が混じったかのような顔だった。なんて答えようか迷っているような……そんな表情だ。隣で聞いていた志麻も神妙そうな顔付きで口を開く。
「イライザ……流石にそれは……」
──この時、廣井 きくりは内心安心した。自分だけならイライザに押し込まれてしまうかもしれないが、志麻が一緒に否定してくれるならその心配も無い、と。
「そ、そうだよね……志麻。流石に……」
「めちゃくちゃ有りだな。天才か?」
「そうそう。流石に無い……って、えぇ!? あ、有りなの!?」
──だからこそ、まさかの裏切りには廣井は本当に度肝を抜かれた。
廣井が驚愕と困惑が入り交じった声で叫ぶ。本来ならこんなこと、岩下 志麻なら絶対止める。肯定する筈がない。だが、
打てるべき手は打っておくし、撒くべき種は撒いておく。この時撒いた種が数年後の二人の関係に花を咲かせているかもしれないのだから。
志麻は困惑している廣井にさらに畳み掛ける為に、相手の肩を掴んで言葉を紡ぐ。
「良いか廣井、男子高校生にとって一番ストレス解消になるのは異性との身体的接触だ。それもアブノーマルな方が良い」
「そうなの!?」
別に全員が全員そうでは無いだろう。遠坂くんにだって好みはある。だが、どんな趣味があろうとも……今から
「それに睡眠には当然、寝具も重要だ。遠坂くんはソファで十分と言っているそうだが、それは妥協であって最善じゃない。最適な寝具を選択するべきだ」
「じゃ、じゃあ……やっぱり私が普段使ってるベッドを健治くんに使って貰って、私はソファで寝るってことで……」
「いや、もっと良い方法がある。お前も遠坂くんが一緒のベッドで寝れば良い」
「い、一緒のベットで!? きょ、今日どうしたの志麻!? そんなこと言うタイプだっけ!?」
言うわけが無い。だが、彼には廣井を養って貰わなければ困るのだ。その為なら多少強引になろうとも、遠坂くんに廣井きくりを意識させる必要がある。
「そうすれば最適な寝具の確保とストレス解消を同時に行えて一石二鳥だ。廣井って遠坂くんにツケちゃんと返してんのか? こういう困ってる時こそお前が一肌脱ぐ時だろ。ああ、もちろん比喩の方な?」
「えっ、えっとぉ……そのぉ……」
廣井の目が泳ぎ始める。急に突きつけられた選択肢に混乱しているのだ。さらに酔っていてる脳みそでは冷静に判断するのも難しいだろう。あともう少し、もう一押し、もう一息で廣井は完全に折れる。志麻はトドメの一撃を口にしようとして……。
「──アンタ達、その辺にしときなさい」
ふと、後ろから投げられた声に遮られる。志麻達が振り返ってみると、そこに居たのはこのライブハウス『FOLT』の店長、吉田 銀次郎だった。
「イライザは兎も角、志麻まで。そんなことしたら健治くんだって困っちゃうわよ」
銀次郎の呆れ顔にイライザは『ぶー! ぶー!』とブーイングしつつ、反論する。
「エー? 困りませんヨー! ただ前途ある若者の性癖が『年上の酔っ払い』に固定されるだけデ」
「それが困るって言ってんのよ!! 健治くんの好みがねじ曲がったら責任取れるの?」
「責任ならきくりが取りマス」
「貴女ねぇ……」
銀次郎が頭を抱える。その様子を見て、志麻も流石に冷静になってくる。
「すみません、焦りすぎました」
「嗚呼、志麻! 貴女なら話せば分かってくれると思ったわ」
それを聞いたイライザは『エー!? 裏切るんですか志麻! あと、もうちょっとなのに、どうしてデスカー!』と不服そうに抗議する。
「勢いで押し込もうと思ったけど流石に無理があったよ。というか、廣井の方から攻めさせようにも遠坂君が卒業してからだ。もし『SICK HACK! メンバーの一人が未成年淫行で逮捕!』とかなったら最悪だろ」
「うっ……それは、確かにそうデスケド……」
他人事のように楽しんでいたイライザだったが、自分達に関係のある話となると流石に止まらざるを得なくなった。その様子を見て銀次郎はホッとする。
「……という訳よ。仲が良いのは喜ばしい事だけど、くれぐれも貞淑な関係を心がけてね。まぁイライザ達と違って、きくりちゃんにそんな思惑無いだろうけど」
銀次郎はそう言って廣井を見るが……返事は無い。
「……ハグ……ハグかぁ……」
「……聞いてる?」
「あっ! いや、うん! 全然聞いてる聞いてる! 大丈夫大丈夫!」
「そ、そう……? なら良いんだけど……」
──そうして、廣井 きくりが小さく何かを呟いていることに『SICK HACK』のメンバーや吉田銀次郎は気づかなかった。
その後、彼女が酒の力を借りて本当にオキシトシンハグを敢行することになるとは、誰一人思ってもいないのだった。
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