吐瀉物の匂いと共に   作:山田木耳

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前話の感想にて原作との矛盾を指摘してくださった方が居ました。ありがとうございます。

今後も原作との矛盾があれば遠慮なく教えて頂けると幸いです。

※今回二話連続投稿になっているので後編も読んでくれると嬉しいです。



30.『相対するは怪異か、或いは素面か・前編』

 

 

 カラスの鳴き声が閑静な住宅街に木霊する。夕暮れが俺の身体を照らし、足から伸びる長い影を、子供たちが踏んだり避けたりして遊んでいた。時間があれば、子供達が満足するまでこの場に留まっても良かったのだが、今は気がかりなことがあるので彼等に構ってあげることが出来ない。

 

 悪いと思いつつ、子供達に気付いていない振りをして歩を進める。しだいに子供達の声もカラスの鳴き声も聞こえなくなり、俺の足音と布が擦れる音だけが耳に届くようになっていく。

 

 そうしてしばらく歩いて辿り着いたのは、見覚えのある陰気なアパート。廣井さんが住んでいるあのアパートである。本当は今日来る予定は無かったが……あの、あまりにも奇妙なロインを見てしまってはここに来ざるを得なかった。

 

「この部屋……だよな?」

 

 廣井さんの部屋に訪れたのは一度だけなので、どの部屋か分からなくなっていないか少し不安だったが……御札と何かの督促状が貼られまくってるドアを見て杞憂だったと悟る。

 

「わっっっかりやすぅ〜〜〜〜」

 

 心の中で言ったつもりが、思わず口から漏れ出ていた。例え、数年ぶりに廣井さんの部屋を訪ねることになろうとも、この御札と督促状が貼られたドアを目印にすれば迷うことは無いだろう。こんなものを目印にしたくはなかったが。

 

「廣井さーん。いますか?」

 

 ノックをしてみるが返事は無い。

 

 試しにドアノブに手を伸ばしてみるが……鍵がかかっていて開けることが出来ない。通常なら、この時点で部屋に入ることを諦めるところだが……俺の手には既に通常ならざる手段が握られている。

 

 ──大袈裟に言ったが、要は俺の手のひらにある鍵束だ。我が家の鍵、叔父の実家の鍵と並んで、昨日新たに仲間入りを果たした鍵が一つ。

 

 案の定、それは廣井さんの家に入る為の鍵だ。

 

 俺と廣井さんの家はそこそこ離れている。それにわざわざ家に行くような予定も無い。だから、貰っても使うことは殆ど無い思っていた。だが、まさか……こんなにも早く使うことになるとは。

 

 そんな風に考えながら俺は鍵穴に鍵を差し込もうとして……外れる。金属同士(鍵とドアノブ)が擦れる音を聞いて、俺は小さく息を吐いた。見ると手は震えていた。

 

 どうやら自分が思っている以上に俺の身体は緊張しているようだ。別に許可無く複製した非合法の合鍵ではなく、しっかり所有者から譲渡された合法な合鍵ではあるのだから、やましい事は一切無い。だが、頭では分かっていてもそれはそれとして緊張するのが俺という人間なのだ。

 

 それに、前回お邪魔した時に『廣井さんとはそういう感じにならない。なりかけても酒と嘔吐と金で全てを台無しにするのが廣井さんだ』と(たか)を括っていたら、ハグ(あれ)だったので余計に変な緊張が俺の中で生まれている。

 

「……大丈夫。相手は廣井さんだ。何も特別な相手じゃない。ただ、友だちの家に行くだけだ」

 

 俺はそう言葉を口にして……鍵を差し込み、ゆっくり回す。そして金属が擦れる音と共に、扉は開放される。

 

「お邪魔します」

 

 俺は一声かけた後に部屋の中を覗く。扉の先は真っ暗で、一見すると人は居ないように見える。

 

 だが、廣井さんの場合『居るけど電気代が払えなくて電気付けれない』だとかそういう理由で暗いんじゃないかと疑ってしまう。とりあえず奥に行ってみようと、歩を進めると……。

 

『ウアアアアッ! マタキタッ! ココロノ準備ガ必要ダカラアポ取ッテテエエエ!!!!』

 

「あっ、なんか、すみません……」

 

 廣井さんと同居……同居と言うのは正解なのか分からないが、とにかく廣井さんの部屋に住んでると思われる幽霊(推定)が苦しみの叫びを上げた……気がする。声が聞こえづらいのであくまでそういう雰囲気があるというだけだが。

 

 気まずい。見えてる存在にすら気を使って生活している俺が、見えない存在にも気を使わなければならなくなるなんて思いもよらなかった。

 

 というか、やはり気のせいなどでは無く、本当に幽霊(推定)は俺に反応している。余計な心労を増やしたくないから気にしないでおこうと思ったが廣井さんの家に来る度これでは流石に無視することも出来ない。

 

 廣井さんの知り合いに心霊(そっち)関係で詳しい人が居るらしいから話を聞いてみようかという選択肢が頭に浮かぶ。最も、目下のやるべき事は廣井さんの様子を確認することなので今は幽霊の皆様方には我慢してもらうしかないのだが。

 

「後でお詫びに何か持ってきますね。塩大福と塩昆布と塩味のカップラーメンのどれが良いですか?」

 

「ナンデヨリニヨッテ塩統一ナンダヨッ!!」

 

 聞いておいてなんだが、幽霊(推定)がなんて言っているのか俺にはイマイチよく分からない。俺が何か言うと部屋の壁や床が軋む音が聞こえるので、何らかの反応はしてくれていると思うのだが。

 

 まぁ、多く持っていくのに越したことはないだろうから、お詫びの時は全種類持っていくとしよう。

 

「廣井さーん……? いないんですか……?」

 

 おそるおそる俺は進んでいく。部屋らしき場所に辿り着いても暗くてよく見えない為、手探りで電気のスイッチを押そうとすると……。

 

「…………ここにいます」

 

 突如、横から声をかけられる。その声はとてもか細く、雰囲気も相まって一瞬、幽霊そのものかと錯覚しそうになるが……普段から聞き慣れた声だった為、俺はすぐにその正体に気づく。

 

 ──そこに、『廣井 きくり』は居た。

 

「うわっ。びっくりしたぁ……いるなら電気付けてくださいよ廣井さん」

 

 俺はそう言いつつ、電気を付けて廣井さんの顔を覗き込むと……なにやら顔色が悪い。

 

「……もしかして具合悪いんですか?」

 

 よくよく観察するといつもより廣井さんのテンションが低い。いつもの彼女ならパーソナルスペースという言葉をガン無視したコミュニケーションを図ってくる筈だが……俺がそう思っていると、彼女が口を開く。

 

「い、いえ……具合は悪くないです。気分は悪いですけど」

 

「それは具合悪いに入らないんですか……? ロイン見ましたよ、何があったんですか?」

 

「……ひょっとして、私のメッセージ見て心配になって来たんですか?」

 

「はい。まぁ、そうですね」

 

 こうして話しているとやはり違和感がある。口数は少なくて、声量も小さいし、身体を縮こませている。いつもより明らかに雰囲気が重い。だけど具合は悪くないという。そして何より……いつもより態度がよそよそしく、敬語で喋っていた。

 

 それを見て何故かチクリと痛む胸と、掻き乱される思考を抑え込んで、俺は彼女を観察し続ける。

 

 ──それは廣井さんが俺に初めて見せる姿……の筈だ。

 でも何故か、初めての姿の筈なのにやけに見覚えがあった。実は忘れてるだけで廣井さんがこの姿になってるのを過去に見たことがある……とかそういう話じゃない。

 

 今まで見てきた中で、これによく似た状況に遭遇していたような……そんな既視感を感じるのだ。どこで見た姿なのかまでは思い出せなくて、その姿をよくよく観察しつつ思考を回す。

 

 ──頬には一切の紅潮が無く寧ろ少し青白くなっている。常に冷や汗が溢れているかのような余裕の無さ。四方八方に泳ぎまくる視線、いつもの螺旋を描いてるくすんだ瞳孔ではなく極々一般的な常人の目の輝き。

 

 テンションは明らかに低く、普段の間の抜けた喋り方では無い。そして、普段の様子では考えられないくらいやけに丁寧な喋り口調を用い、陰気な雰囲気を漂わせている。

 

「あ」

 

 ──そうだ、今の廣井さんは何だか後藤さんに似てるんだ。

 俺がそれに気づいた時……『廣井 きくり』が口を開く。

 

すみません……。昨日やったことのお詫びのつもりだったんです。高校生に気遣わせちゃうなんて社会人失格だよね。普段から介抱して貰ってるのに昨日はあんなことしちゃうなんて……というか、良い年した大人が高校生に介抱させてる状況もおかしいし、それに気づいていながら今までなあなあにしてきたのも反省するべきだよね……。お金だって何万、いや数十万円も返してないし、高校生にお金借りて返さないなんて本当に情けないよね……こんな社会人で申し訳ありません……

 

 急にまくし立てられたネガティブ思考のオンパレードに俺は思わずたじろいだ。

 

「ちょっ……! ちょっと待ってください……廣井さん、やっぱりなんだか今日は様子がおかしくないですか!? いや、普段が全くおかしくないのかと言われれば違うかもしれませんけど!」

 

 俺は混乱していた。

 今の廣井さんは明らかにいつもの……『遠坂 健治が知ってる廣井 きくり』では無い。

 

 ──まさか双子か? という思考が一瞬、頭をよぎる。廣井さんに兄弟や姉妹がいるという話を聞いた事は無いが、言動が普段とあまりにも違いすぎるので『有り得るかもしれない』と思いかける。

 

 だが、瞳孔は螺旋を描いていないが、それでも麗しく輝く瞳が、最近毎日シャワーに入っていることでサラサラになってきた髪の艶が、俺と身長差がありすぎて肩を組むのも難しいその背丈が、心配になるほど痩せすぎな腕が……あまりにも廣井きくりに似すぎている。

 

 なにより、今まで毎日のように共に過ごしてきたことで培われてきた俺の感覚が『彼女が廣井 きくり本人である』と告げていた。

 

「その様子まるで……まる、で……」

 

 そこまで言いかけて、この部屋に絶対、必ず、確定であるはずのある物が無いことに気づく。

 

 常に廣井さんの手元に鎮座し、命より大事だと豪語するベース(その割にはちょくちょく居酒屋に置いてきてたりするが)と同価値に置く例の物が無い。

 

 何も特別な物ではなく、物によってはコンビニで百数十円で買えるもの……つまり、酒だ。この部屋には酒がなかった。きっと、昨日の時点で飲みきってしまったんだろう。それなら、ひょっとして今の廣井さんの状態は風邪などでは無く──。

 

「……廣井さん、俺が今から言うことが全くの見当違いだったなら、笑い飛ばしてもらって構いません」

 

 ──俺は今から有り得ないことを言う。

 屏風の虎を縄で捕まえるかのような実現不能。

 蓬萊(ほうらい)の玉の枝を持ってくるかのような無理難題。

 (くう)をキャンバスに絵を描くかのような摩訶不思議(ファンタジー)

 

 そんな、本来有り得べからざる超常であり異常。それでも、頭に浮かんだその疑惑を、俺は口に出さざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひょっとして今、素面(シラフ)なんですか……?」

 

「は、はい。そうです……」

 

 ──彼女は『肯定』した。なんてこともなさそうに。

 それを聞いて俺は思わずよろめき、後ずさっていた。それは決して負の感情によって起きたものでは無く、信じられない存在を目の当たりにしたことによる反射的な行動であった。

 

「な、なんてことだ……そんなことが本当に有り得るんですか? ドッペルゲンガーとか、スワンプマンだとかが実在した……って言われた方がまだ信じれますよ?」

 

「そ、そんなに……? 私の事どう思ってるの……?」

 

 心外だ、とばかりに廣井さんが困惑しているが、普段の言動を鑑みれば俺がこうなるのは当然だ。まるで……『瓢箪から駒』あるいは『空飛ぶ豚』のような話だ。あの廣井 きくりが、どれだけ酒を控えることを勧めても一向に酒を辞める気配の無かった彼女が……素面(シラフ)になるなんてッ……! 

 

 時代と身分さえ違えば慣用句として歴史に残っていたに違いない。『廣井きくりの素面』みたいな感じで。意味は勿論『本来起こり得ないことが偶然が重なって起きてしまった』ことを表している。

 

 ……いけない、話が脱線してしまった。スマホで『慣用句 新しく 作る』と調べようとした手を止める。どうやら大分混乱していたようだ。落ち着く為にも一息吐いてから言葉を発する。

 

「ま、まぁ、とにかく。具合が悪いとかじゃないなら良いです」

 

 一旦心を落ち着かせる意味も込めて俺がそう言うと……何故か彼女の顔が曇る。

 

……心配かけてすみません。やっぱり私ってどうしようも無いやつだよね……。もう大人なのに遠坂さんにも迷惑かけて……しまいにはき、昨日みたいなことしちゃうなんて……申し訳ありません……

 

「うわぁ。やりづらすぎる」

 

 思わず口から率直な感想が出てしまい、廣井さんが『うぅっ……!』と呻き声を上げた。悪いと思いつつも、普段の廣井さんを知っているとあまりにもギャップがある。

 

 なんといっても卑屈すぎるのだ。

 ただの気遣いの言葉ですら丁寧に拾い上げ、磨き上げ、拡大解釈して、ネガティブ思考を二度漬けして返してくるその様は個性を通り越して心配になってしまうレベルだ。

 

 そういえば以前『学生時代は陰キャだった』と言っていたが……まさかこの状態のことを言っていたのだろうか。だとしたら確かにこれは生粋の陰キャ……というより陰キャを超えた『何か』だった。

 

「というか……敬語やめませんか? 普段はもっとラフな呼び方してくれてますよね?」

 

 そして、さっきから気になっていたことだが、口調が固すぎる。これでは初対面の頃の方がまだ遠慮が無かった。見ず知らずの相手に水、酔い止め、しじみの味噌汁、おかゆ、天日干ししたばかりのふかふかのベッドを要求してくる図々しさが嘘のようだ。というか今思うと本当に図々しいな、普通に反省した方が良い。

 

 まぁ……それが廣井さんと一緒にいるうえで感じる『楽しさ』なのかもしれないが。

 

「は、はい。分かりました……健治さ……いや、健治くん」

 

 まだ固いが少しは普段の廣井さんの口調に近づいた。その様子を見て、少し胸の痛みが和らぐ。タメ口で話してた友人が突然敬語で話し始めるのは心臓に悪かったのだろう。

 

 ──こうしてみると、俺にしきりに下の名前で呼ばせようとする伊地知達の気持ちが分かった。距離が空いてかのようで、寂しいのだ。それが親しい相手ともなればそのショックは大きいだろう。

 

 伊地知達には悪いことをした。次からは下の名前で呼ぶようにし……いや、でも、いきなり変えると今更感があってちょっと小っ恥ずかしい。どうにか自然に下の名前を呼べないものだろうか。

 

 俺がそんな風に考えていると……廣井さんがおずおずとした様子で口を開く。

 

「あ、あの……そういえば私、そろそろお酒買いにいきたくて……」

 

 言われてみれば廣井さんからすればさっさと酔って素面から脱却したいところだろう。俺としては、健康の為にも飲酒の方を脱却して欲しいところだが。

 

 というか……正直、素面の廣井さんは非常に新鮮な上に、この先見る機会に恵まれるかどうか分からないのですぐ酔っ払い(いつもの姿)に戻るのは少々名残惜しい。多分、金環日食よりも頻度が低いんじゃないだろうか? 写真とか撮っとこうかな。

 

「もう飲んじゃうんですか? 折角素面になったんですからもう少し肝臓休めても良いんじゃ……」

 

 ここまで言ったタイミングで気づく。この言葉は果たして自分の本心だろうか、と。

 

 健康を気遣う言葉の裏に、少しでも『素面の姿を見ていたい』という気持ちが無いと言い切れるのだろうか。

 

 そう、まるで母のように……アナタの為と言いながら、自らの行いを正当化させ、実際は自分の願望を満たすだけに動くような人間に、俺はなりたくない。

 

「……というのは半分建前半分本気で、素面の姿が新鮮で面白いのでもう少しそのままでいませんか?」

 

「それ言う必要ある?? というか、そ、そろそろ限界なので、ちょっと……」

 

 だから正直な思いを伝えてみたが、かえって混乱させてしまった。ままならないものである。

 

 それに駄目元で言ってみたがやはり限界らしい。酒は控えて欲しい気持ちは本当だが、無理に禁酒させようとするとストレスになるだろうし今回は諦めるとしよう。

 

「分かりました。それなら、一緒に付いていきますよ。そろそろ暗くなってきて危ないので」

 

「は、はい……よろしくお願いします……」

 

 そうして俺と廣井さんはコンビニへと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そうだ。今の廣井さんの写真撮っても良いですか?」

 

「絶対嫌です」

 

 ──何気なく聞いた言葉は、今まで聞いた事がないくらい強く拒絶されたのだった。

 

 ■■■■■■■■■■

 

 コンビニまでの夜道を俺と廣井さんは並んで歩いていく。二人の間を夜風が通り抜け、街灯がスポットライトのように灯っていく。廣井さんの歩幅に歩くペースを合わせるのも、今はすっかり慣れていた。

 

「……さ、寒いです……いや、寒いね」

 

「そうですね。防寒着新しくしたかったら言ってくださいね、買うので」

 

「……だ、大丈夫。け、健治くんは学校どうで、どうだった?」

 

「いつもと変わりませんよ。席を離れてる間にシャーペンが新品になってましたし、用を足していたら扉に聞き耳を立てられてました」

 

 何気無い会話を続けていく。会話が盛り上がっていないとネガティブになるし、かといって会話が過度に盛り上がっていると気疲れしてしまうようなのでほどほどの盛り上がりを維持して会話を続けていく。

 

 俺は廣井さんとなら、例え会話が続かなくても寂しさだとか、気まずさとかは感じないのだが……当の本人は違うらしい。他者との会話が苦手であろう素面()の状態で何度か話題を出そうと試みて四苦八苦してる姿が見て取れた。

 

 ──素面()の廣井さんだから気まずくなっているのか、酔っ払い(普段)の廣井さんでもこの状況なら気まずくなってしまうのか……どちらか分からなかったが少し寂しく感じる。

 

 だが、それはそれとして普段の恐れ知らずの廣井さんばかり見ていると、こういう弱々しい姿は非常に新鮮だった。

 

 なんというか、見ていて面白いというか、飽きないというか、いつも以上に世話を焼きたくなるというか……しばらく見ておきたくなるような……。

 

 ──余計な言葉を省いて簡潔に言うと、今の廣井さんは可憐だった。

 

 当然、普段の廣井さんも可憐だと思っているが……ギャップのせいだろうか? それとも弱々しい雰囲気のせいだろうか? いつもよりも構いたくなってしまう。

 

 おそらく、普段とは可憐さの種類(ベクトル)が違うのだろう。酔っ払い(普段)の廣井さんが『我が道を爆走する子犬』なら素面()の廣井さんは『捨てられた子猫』のような印象を受ける。

 

 多分、見慣れてしまえば、どちらの廣井さんも平等に可憐だと思うのだろうが……はたして俺が素面(シラフ)の廣井さんを見慣れる日が来るのだろうかという疑問はある。

 

 そんな風に考えているうちに俺達はコンビニに着く。

 

 廣井さんは店内に入るやいなや、一目散に酒類コーナーに突き進んで行った。道中、他にも客がいたが華麗な足捌きで誰にもぶつかることなく最短で酒類コーナーに辿り着き、迷う素振り無く次々と酒をカゴに入れていった。

 

「プ、プロだ……」

 

 その無駄のない動きに思わず関心してしまう。後から俺が追いついた時には既に目当ての酒類を取り終えていた。

 

 レジ待ちで並んでいる途中、廣井さんは賞味期限が近いのに安売りシールが貼られていないおにぎりを見て『日本は過度に食品作る前にフードロス問題を何とかしないと……』とブツブツ囁いていた。

 

(そんなところまでネガティブ思考で走っていってしまうのか……)

 

 確かにフードロス問題はどうにかするべきだと思うが、今このタイミングで悩み始める必要ないだろうに。

 

 こうして見ると素面の彼女を非ネガティブのまま連れ歩くのは不可能に近いだろう。新宿でも歩こうものなら、早々に耐えれなくなり、後藤さんのように物理的に爆発四散するんじゃなかろうか。今のところ廣井さんに人外の挙動は見られないが、後藤さんに似てるし実は出来るのかもしれない。

 

 ──見知らぬ人との会話で緊張して物理的に崩壊した廣井さんをチリトリと箒で回収する様を想像して……いや、流石にナイナイと、思考を振り払う。

 

 人間として有り得ない挙動をするのは後藤さんだけで十分だ。ただの女子高生が人間として有り得ない挙動してるのもおかしな話だが。

 

 そうしてコンビニから出る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。夏も終わったことだし、これからの時期はどんどん日が暮れるのが早くなっていくだろう。

 

 廣井さんがいち早く飲みたそうにしてたので近くの公園に寄って、ブランコに腰掛けながら飲むことにした。俺はブランコの近くにあった手すりに身体を預け、彼女の様子を眺めている。

 

 この位置取りなのは廣井さんか酔っ払う瞬間見たかったからだ。素面の彼女が酔っ払いの姿いつもの姿に変わる様子がどうにも想像できなくて興味がある。

 

「どうぞ」 

 

 そんな風に考えながらパック酒を廣井さんに手渡そうとした時……ふと、俺の口から言葉が漏れる。

 

「それにしても意外でした。まさか廣井さんが素面になるとここまでギャップがあるなんて」

 

 受け取ろうとしていた手がそこでピタリと止まった。どうしたのだろうと思い、彼女の顔を見るとそこには複雑そうな表情が浮かんでいる。

 

「……失言でしたか?」

 

「いや、そんなことは無いで、無いよ……? ただ……」

 

 廣井さんはしばらく言いにくそうに目を泳がせていたが……やがて項垂れた様子で言葉を紡ぐ。それは『意を決した』とかでは無く『耐えきれなくて漏れだした』かのように俺には見えた。

 

「…………本当はね、健治くんに素面の私を見られたくなかったんだ」

 

 静寂のせいだろうか。その廣井さんの言葉が、やけに俺の耳の中で響いていた。

 





※今回二話連続投稿になっているので後編も読んでくれると嬉しいです。
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