吐瀉物の匂いと共に   作:山田木耳

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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。十二月中に出すのを目標にしてましたが中々書き終わらず結局一月になってしまいました。

感想を返すのも遅くなってしまい申し訳ありません。
皆さんの反応をモチベにエタらないように頑張っていくので評価・感想等もよろしくお願いします。

※今回二話連続投稿になっているので、前編読んでない人は是非前編からお読みください。



31.『相対するは怪異か、或いは素面か・後編』

 

「……そうだったんですか?」

 

 いきなりのカミングアウトに俺は面を食らった。だが、そう言われてみると……以前、廣井さんが学生時代の話をしていた時にあまり踏み込まれたくなさそうな雰囲気を出していた。

 

 彼女にとって素面の自分とはそれほどまでに他者に見られたく無いものなのだろうか。

 

「……理由を聞いても大丈夫ですか?」

 

「だって、見ての通り素の私ってクソ真面目で、自信が無くて、つまらなくて、頼りないから……こんなかっこ悪いところ見て欲しくなかったんです」

 

「いやいや、そんなこと……」

 

「あるよ。だって、今の私は多分、健治くんが落ち込んでても何もしてあげられない」

 

「────」

 

 咄嗟に反論しようとした俺の言葉は……彼女の即答に遮られた。

 

 その確信めいた反応に俺は思わず息を飲んでいた。まるで『素の自分がつまらないのは確定路線』とでも言わんばかりで……。

 

 ──嗚呼、分かった。なんでこの人がこんなにも卑屈なのか。

 

 自信が無いのだ。酒を飲んでない時の自分に。

 

 未来への不安に押し潰され、耐えられない。己が酷くつまらなくて、ちっぽけな存在に思えてきて耐えられない。 

 

 だから、酒を飲んで誤魔化す。

 

 明日への不安を。つまらない自分を。

 酒で全て忘れさせる。 

 

(……嗚呼、同じなんだ)

 

 俺もそうだ。自信が無い。これから先、どうなるのか不安で仕方が無い。俺は両親と暮らしていたあの頃から、何か少しでも変われているのだろうか? 

 

 俺は今、捨て子とは思えないほど良い思いをさせてもらってる。叔父さんが良い人で生活の面倒を見てくれた。幸運にも奇妙な出会いで親友が出来た。昔の友人と再会できたし、後藤さんや喜多さんという新しい出会いもあった。バイトの収入も悪くないし、勉強にだってついていける。日々の心労(ストレス)さえ見て見ぬ振りして幸せな生活と言えるだろう。

 

 ──でも、その後は? 

 

 いつまで、これが続けられるのだろう。

 

 舎弟のように話す人々が、いつか消える日が来るのだろうか? 

 

 今、廣井さんには家に通って貰っているが、いつまで通ってくれるのだろう。もし俺よりも優先したい人が出来てしまったら、通わなくなってしまうに違いない。その時、部屋の静寂に俺は耐えられるのだろうか? 

 

 結束バンドは日々努力して、ライブを成功させたが、反対に俺は少しでも何かを成せているのだろうか? そう考える度に、あのライブステージで見た、後藤さんの姿を、思い出す。あの時の猫背が、目に焼き付いて消えてくれない。

 

 誰よりも臆病な彼女の『このまま終わってたまるか』と言わんばかりの、心の叫び。後藤さんが頑張ってるなら俺だって……という気持ちだけ浮かんで、具体的に何を為せば良いのか分からない。俺には叶えたい夢も、何かに本気になって努力するような情熱も無い。

 

 ──唯一の『熱』は、あの聖夜のライブハウスで貰ったが……それは、あくまで趣味であって夢では無い。目指すべき目標(ゴール)が俺には無いのだ。

 

 そんな自分に嫌気が差して、未来への不安に押し潰され、日々のストレスに疲労し、精神はすり減っていく。

 

 一種の得体の知れなさのあった廣井さんが今、少しだけ理解出来た。

 

 言ってしまえば、今まで俺が見てきた廣井さんは『根拠の無い自信』に溢れていた。その様子に呆れることもあったが、嫌いではなかった。寧ろその前向きさに元気を貰えていた。

 

 だが、そもそもそれは酒によって生み出された自信だった。だからこそ、今の廣井さんは俺に姿を見せたくなかったのだ。

 

 ──それは理解した、理解したけど……まだ、分からないことがある。

 

「……すみません。こんなこと言っちゃって。出来れば今言ったことは忘れてくれると嬉しいです。今からお酒飲むので安心してください。そしたら、いつもの私に戻るから……」

 

 俺が感じた違和感など知らない廣井さんはそう言って、今度こそ酒を受け取ろうとして……俺は咄嗟に手を引っ込める。

 

「け、健治、くん……?」

 

 酒を掴むはずだった手は空を掴み、彼女は困惑した表情で俺を見ていた。

 

「すみません……つい……ただ、言いたいことがあって」

 

 嘘だ。気の利いた言葉なんて頭に浮かんでなんかいない。浮かんでくるのはどれも漠然とした励ましの言葉で……こんな安っぽい言葉で彼女の気持ちが晴れるとは思えなかった。

 

 俺は自他共に認める不器用だ。この状況で廣井さんを元気付けられる言葉が咄嗟に浮かんできて、彼女の心労を少しでも和らげる……なんて芸当、俺には出来ない。

 

 それに、廣井さんからすればこの会話は、ネガティブ思考が空回りして言ってしまった『余計な一言』かもしれない。彼女の言う通り、忘れてあげた方が良いのかもしれない。廣井さんが普段、俺の愚痴を忘れてくれるように。

 

 だけど、それでも。この廣井さんの言葉に無反応でいるなんて、俺には到底出来なかった。ここで何も言わなければ、彼女の言葉に肯定したと捉えられてしまう。そうなれば、素面の廣井さんを蔑ろにすることになってしまう。

 

 俺は必死に思考を回して、喋りたいことを纏め、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「……こ、これから廣井さんに言いたいことを二つ……いや、三つお伝えしようと思います。よ、よろしくお願いします」

 

「本当にどうしたの?? 今からパワポでも見せられるんですか??」

 

 だが、実際に自分の口から出た言葉が想像以上に不器用なものだったので思わず頭を抱えそうになる。だが、本当に頭を抱える訳にも行かないので気持ちを切り替え、息を吐く。寧ろ、初っ端に失敗したお陰で少し緊張がほぐれたかもしれない。

 

「お望みなら、本当にパワポ付きでやりましょうか? 慣れてないので1週間、いや2週間待ってもらうことになりますけど」

 

「なんでそんな乗り気なんですか?? だ、だったら今言って貰った方が良いです……」

 

 素面の廣井さんでも俺の冗談に返してくれるんだ、と少し嬉しく思いつつも、表情に出さないようにして言葉を続ける。

 

「それなら、まず第一に……大前提として俺は廣井さんにいつも助けられてます」

 

 例えそれが、廣井さんが酒を飲んで、いきあったりばったりで言った言葉だろうと、後から聞いてみたら忘れられていたりしても、構わない。その言葉に助けられたのは事実だからだ。

 

 俺の言葉に廣井さんは暗い顔で返す。

 

「……それは酔った私だから」

 

「たしかに廣井さんが酔ってるから言えた言葉もあるかもしれません。でもいくら別人のように性格が違うからといって『素面』と『酔い』で別々にカウントする必要は無いと思います。結局、同じ廣井さんから出た言動に助けられたので」

 

 俺は片膝を付いて、廣井さんの顔を覗き込む。彼女の瞳は揺れていた。今の廣井さんの目は決して螺旋を描いていなかったが、それでも俺は吸い込まれるかのような錯覚を得ていた。

 

 何故だろうか。あの吸い込まれるような感覚は、彼女の異様な瞳孔のせいだと思っていたのに、どうやら俺は素面の廣井さん相手でもこうなるらしい。ひょっとして、瞳孔がどうとか雰囲気がどうとか関係なく、相手が廣井さんだからそう感じるのかもしれない。

 

「そして第二に……今の廣井さんが最高に面白い、ということです」

 

「え? え、えぇ……!? ど、どこが!?」

 

 廣井さんが心底分からなそうな雰囲気で俺を見ている。

 

「簡単です。普段の言動と今の言動をよく思い出してみてください」

 

「え……う、うーん。借金だらけで未成年からお金借りて……常に酔ってて……かといって素面になるとクソ真面目でつまんなくて暗くなって……あれ? そう考えると私って素面でも酔っていても傍迷惑な大人なんじゃ……嗚呼、こんな社会人でごめんなさい……」

 

 彼女に自身の『面白さ』を理解してもらう為に思い出して貰ったが、今の彼女には悪手だったかもしれない。というか、改めて彼女の口から語られるとなんてどうしようも無い大人なのだろう。普通に反省した方が良い。

 

 ──だが、そういうところが。

 

「ネガティブ思考は余計ですけど、まぁ俺が言いたいことは大体合ってます。つまり廣井さんの言動を思い出してみると……」

 

 ──常に酔っ払っていて、すぐに機材をぶっ壊して、未成年から金を借りて、路上で吐いて。命を引き合いに出すほど大事にしてるベースを居酒屋に置き去りにする。

 

 ようやく素面になったかと思えば今度はあまりにも陰気すぎて、常に悪い方向に考え、拡大解釈で更なるネガティブ思考に走っていくなんて……そんなの、そんなの……。

 

「……どう考えたって、面白すぎるじゃないですか!!」

 

「け、健治くん? 今何考えてた? 多分だけど到底一般人からすれば理解できない感性と感覚で私のこと褒めてない?」

 

 廣井さんがすっごい疑惑の視線を向けてくる。そこそこ信頼関係を結べていたと思っていたが、思い違いだったかもと不安になるくらいにはすっっっごい疑ってる視線だった。俺は弁明するために手を振りながら言葉を紡ぐ。

 

「まさか。俺のような一般的かつ常識的で、どこにでもいる平均的男子高校生の極々普通の感性で言ってますよ」

 

「健治くんの自認ってそれなの!? 余計疑わしいよぉ……! 自認アニメキャラより信用出来ないよぉ!」

 

 よし。疑惑の視線は消えた。代わりに『うわぁ! やっぱり!』と言わんばかりの確信の視線が生えてきてしまったが。何故だろう、本当に分からない。

 

「別に特別なことは何も思ってませんよ。ただ『酔って機材ぶっ壊してる姿も、素面でネガティブになってる姿も面白いな』と思って」

 

「け、健治くん? それって本当に褒めてるんですか!? それとも貶してる!? 貶してるなら貶してるって言ってもらった方が……」

 

「貶してる訳ないでしょう、100%本心からの賞賛ですよ。というか、普段の言動じゃないですか」

 

 そういえばいつの間にか、素面なのに随分といつも通りの口調が混じってきていて……思わず笑みが零れる。多分、勢いが無くなればすぐ元の敬語口調に戻ってしまうのだろうが、それでも嬉しいものは嬉しい。

 

「廣井さん、俺は……貴女と居て楽しいんですよ。それは素面とか酔ってるとか関係なく『廣井 きくり』が面白くて面白くて仕方ないから楽しいんですよ」

 

 俺を見る廣井さんの目が『信じられないものを見る目』から徐々に変化が生まれる。

 

「そりゃあ、呆れることもありますよ。幸せスパイラルとか健康にも悪いんでやめて欲しいです。でも……呆れるところも含めて楽しいんです、面白いんです……こんなこと言うなんて悪い奴かもしれませんが」

 

 ──今の俺を母が見たらどう思うだろうか。

 悲しむかもしれない、怒るかもしれない。もしくは……一度捨てたアクセサリーなど覚えていないかもしれない。

 

 きっと母には廣井さんの良さなど、一生かけても理解出来ないだろう。『廣井さんの良いところ』と『母が良いと思うところ』は全く合致しない。その事実が、なんだか心地よかった。

 

 あんなに自慢家で、自慢の材料を探し続けてるあの人が、こんなに魅力的な友人の良さに気づけないなんて。なんだが、おかしくておかしくて、笑ってしまう。

 

 ──ふと『いっそのこと俺だけが廣井さんの魅力を分かっていれば良いのに』という浅はかな考えが一瞬だけ浮かんできて……すぐにその思考を振り払う。山田が言っていたが、これって確か『後方腕組み彼氏面』って言うんだっけ……と苦笑いした。

 

 彼女は特別な人だ。彼女の在り方に魅了される人間が俺だけ……なんてことある訳がない。

 

 ──だからこそ、いつか廣井さんが俺の元から離れていくことを覚悟しなければならない。

 

 だが、それはあくまで『いつか』だ。どれだけ不安だろうとも、今を楽しまない理由にはならないのだ。

 

 とにかく俺にはこんなに素敵で、面白くて、自慢できる友人がいるんだと、誰でも良いから声高々に宣言したくなって……気持ちが昂ぶる。立ち膝を止めて、両の足を地面に付けて、腕を広げて笑う。

 

「断言しますよ廣井さん。『廣井 きくり』は酔ってようが、素面だろうが……最高に面白くて、最高にイカしてて、最ッ高にロックだってね!!」

 

 廣井さんの瞳の中に俺の顔が映る。そこにいる俺の顔が、あまりにも明るく、どこまでも澄み切った、心からの笑顔だったので『嗚呼、俺ってこんな顔も出来たんだ』と他人事のように思った。

 

 見ると、廣井さんの頬が朱色に染まっていた。酔っ払っていない廣井さんの頬は無地のキャンバスのようで、非常に感情の移り変わりが分かりやすい。感情がコロコロ変わる様は非常に可憐で……またしても素面の廣井さんの良いところが見つかってしまった。

 

「そして最後、三つ目です! 『何もしてあげられない』ってなんですか? 確かに廣井さんにはめちゃくちゃ助けられてますけど、助けて欲しいから介抱してる訳じゃないですよ。ひょっとして、俺が家に通ってくれって言ったのも助けて欲しいから言ってると思っていたんですか?」

 

 彼女にとって俺は目の離せない、手のかかる子供に見えていたのかもしれない。実際助けられてばかりだからそう思われてても仕方ない。だからこそ、その考えを改めさせなければならない。自他共に認める不器用である俺は気の利いた言葉なんてかけることは出来ないから、素直な感情を口にすることしか出来ない。

 

「……俺はただ廣井さんに傍にいて欲しかっただけですから」

 

「え……?」

 

 廣井さんが固まった。そんなに驚くことだろうか? と少し笑ってしまう。あの時『伊地知達に内緒で家に通ってくれ』と言った時から察せそうなものだが。

 

 ──俺はもう、家から出る時に『いってきます』と言えば『いってらっしゃい』と返ってきて、家に帰る時は『ただいま』といえば『おかえりなさい』と帰ってくることを期待している。

 

 そして、それを言ってくれる相手が貴女であることも。貴女がいつか俺の前から居なくなることを考えると不安になるほどに。

 

「だから酔っ払ってるからとか素面だからとかはあんまり関係ないんですよ。どっちでも一緒にいられるのは変わりないでしょう? だから傍にいてくれるだけで助かってる……あれ? これだと結局助けて貰ってますね、俺」

 

 助けて欲しいから一緒にいるわけじゃないのに、結局助けて貰ってる。とんだ甘ったれかもしれない……と思っているとか廣井さんのか細い声が聞こえる。

 

「わ、分かった……分かったから……健治くん、一旦待って。今自分で何言ってるか分かって……る? 結構、その、恥ずかしいこと言ってる……ますよ? 健治くんはその、お酒で記憶飛ばせないのに……」

 

 そう言う廣井さんは顔を下げて、今の表情がこちらに見えないようにしていたが……耳まで真っ赤に染まってるのが髪の隙間から見えた。青白くなっておらず、寧ろ紅くなっている素面の廣井さんの顔は是非とも見てみたかったが、無理矢理表情を見る訳にも行かないので我慢する。

 

 ──今更だが『お酒で記憶飛ばす』ことがナチュラルに選択肢に入り込んでるのは良くない事なのではないかと思いかけたが……本当に今更なので黙っておくことにした。

 

「飲んでるわけないでしょう。ただ、どうやら廣井さんは素面の自分に自信が無いみたいなので。それなら廣井さんの良いところをどんどん言っていこうかと」

 

 不器用な俺はこういうことしか出来ない。気の利いた言葉をかけてやれない。それでも、やらないよりは良いだろうと自分に言い聞かせて言葉を紡ぐ。

 

「俺は素面の廣井さん結構好きですよ。廣井さんには悪いですけど俺は正直ラッキーだと思ってます。俺が知らない廣井さんの一面を知れたんです。ちょっと特別感があって嬉しいですよ」

 

 廣井さんは羞恥と同時に酷く困惑しているようだった。今まで面と向かって『素面の状態が好き』と言われた事が無いのだろう。自信を付けさせる為にも今後は定期的に言ってあげた方が良いのかもしれない。これでは好意というよりも、餌やりのような感覚だが。

 

 ただ、本人が好きじゃないところを他者が幾ら『俺は好きだ』と言ってもあまり信じて貰えないだろうし、響かないし、効果も薄いだろう。

 

 俺の思いは伝えた。なら後は廣井さんの暗い感情を払拭することを優先した方が良い。それには別のアプローチが必要だ。ならば一つ、カードを切るとしよう。

 

「それでも、嫌な気持ちが続くようなら……代わりと言ってはなんですが、俺の身の上話でも聞いてみませんか?」

 

「え……?」

 

 廣井さんが一瞬固まった。目をぱちくりさせて、ゆっくりと言葉を咀嚼して、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「それって……多分、健治くんはあんまり話したくないんじゃないの……?」

 

「まぁ……そうですね」

 

 やっぱり廣井さんは勘が良い。俺がやろうとしてる事に気づいている。

 

 俺は過去の話(こういうこと)を他者にあんまり言いたくない。気を遣わせてしまうし、どんなに月日が経とうとも、あの頃の母親は未だにトラウマだった。

 

 話すとなれば、否が応でもあの頃の日々を思い出すことになる。

 

「い、いいよ別に無理しなくて、健治くんまで……」

 

 それが分かってるから廣井さんも気を遣って、極力触れないでいてくれるし、止めようともしてくれる。その気遣いは非常に嬉しく思う。

 

「廣井さんが俺に見せたくないものを見せてしまったのなら、俺だって見せたくないものを見せますよ。だって俺達、親友(ベストフレンド)で、共犯なんでしょう?」

 

 だが、俺の身の上話を廣井さんへの慰めに使えるなら喜んで差し出そう。どの道、いつかは話さなければならないことだった。

 

 廣井さんはあんまり覚えていないかもしれないが、この前『共犯』と言ってくれたこと、俺は嬉しかった。一心同体な感じがして、本当に親友という感じがして心地良かったのだ。そして、本当に共犯なら嫌なことも嬉しいことも共有してこそじゃないだろうか。

 

「弱みを握り合う……では無いですけど『自分だけじゃない』って思うと少しは気が楽にはなりませんか?」

 

 廣井さんの目が揺れ動く。考える素振りをして、迷って、葛藤して、逡巡して……最後には俺の目を見て口を開く。

 

「……うん、ありがとう健治くん」

 

 俺はその言葉を肯定と受け取り、頷いて、一息吐いてから話し始める。

 

「……これは俺の身の上話です。伊地知にも山田にも星歌さんにも詳細は話してない……正真正銘、俺しか知らない話です」

 

 そう前置して、言葉を紡いでいく。母と父、そして東北に置き去りにされた時の感情を思い出しながら。

 

 ▫▫▫▫▫▫▫▫▫▫▫▫▫

 

 俺の身の上話が終わり、辺りには静寂が包まれていた。廣井さんが何かを言葉を絞り出そうとして、止めて、また絞り出そうとして……を繰り返している。恐らく何らかの慰めの言葉であろうそれを……俺は手で制止する。

 

「慰めの言葉は不要です。俺はただ、廣井さんと一緒に弱みを共有したかっただけですから」

 

「……うん。聞かせてくれてありがとうね、健治くん」

 

 廣井さんの表情が少し穏やかになっていた。自分で話しておいてあれだが『弱みを握り合う』為とは言え、俺の身の上話の後に暗い表情をされていたら非常に心苦しくなっていたことだろう。だが、今の廣井さんはそこまで暗くなりすぎて無いようなので内心ホッとする。

 

 寧ろ、お互いの弱みを握りあったことで、より絆が深まり、精神的に落ちつくことが出来た……と思いたい。実は、廣井さんにただただ気を遣わせたとなれば夜も眠れなくなる。 

 

「……」

 

「……」

 

 二人の間を沈黙が漂う。慰めの言葉を制止したせいで、今度は何を話せば良いのか分からなくなったのだろう。酒を渡せば一発でテンション上がって話題とかポンポン出てくるんだろうが……俺から振った身の上話なのでどうせなら、こちらから話題を提供したい。

 

 ──そこでふと思った。今の素面の廣井さんになら、変に誤魔化さずに素直な気持ちを話してくれんじゃないだろうか、と。

 

 ここでひとつ、ずっと気になっていたことを聞いてるとしよう。素面の今だからこそ、変に誤魔化されず、正直な考えを聞けるかもしれない。

 

「そういえば昨日のこと、しきりに謝ってましたけど……ひょっとして廣井さんは後悔してるんですか?」

 

 それは今日の朝からずっと聞きたかったことだ。

 

「えっ、いや、その……大人が高校生にあんなに接触するのは世間一般的に見ていかがなものかと……」

 

 違う。俺が聞きたいのはそういうことじゃない。

 そんなの全然『ロック』じゃない。

 

 素面とはいえ、貴女が『廣井 きくり』だというのなら根底にあるはずなのだ。その誰よりも個性的で鮮烈な『ロック』な在り方が。

 

 世間一般的な常識とやらを足蹴にして、酒を吹きかけ、吐瀉物を浴びさせるのが廣井きくりなのだと俺に見せてくれ。

 

 その為に……ダメ押しを与える。

 

「ちなみに俺は昨日のこと後悔してませんよ。廣井さんはどうですか? 嫌じゃなかったですか?」

 

「えっえぇ……!? そ、その……!」

 

 廣井さんが目に見えて動揺し始める。彼女は何かを口に出そうとして、止めて、また出そうとして、やっぱり止めて……を繰り返している。静かな公園にブランコの金具が擦れる音だけが響き続けていた。

 

「……これ酒です」

 

 言い淀む彼女に助け舟を渡す。いけると思ったが……流石に素面の時に言うのは無理があったのだろう。それならせめて、酒の勢いに任せても良いから正直な考えを聞きたかったのだ。

 

 廣井さんは一瞬、目を見開いた後、おずおずと手を伸ばす。

 

 そうだ、それで良い。

 

 分かりきってたことだ。廣井さんは悪くない。この場に悪者が居るとしたら勝手に期待して、勝手に問いかけて、勝手に少し落ち込んでいる俺だけだ。

 

 そうして彼女が酒を受け取ろうとした手は……届く前に引っ込められた。

 

「えっ」

 

 予想外の行動に俺が目を見開くと同時に……ブランコが激しく揺れた。何が起きたんだと思っていた矢先……いつの間にか、俺の胸の中には廣井さんが居た。

 

 その柔らかい感触が、嗅ぎ慣れた匂いが、艶やかな髪が俺の心を掻き立てる。あまりにも痩せすぎな腕は俺の脇腹を通って、背中に回っていて……否が応でも、昨日の出来事を鮮明に思い出させる。

 

 そして、布が擦れる音と、自由になったブランコが揺れる音に混じって、か細く、消え入りそうな声で、答えを口にする。

 

……私もね、別に嫌じゃなかったよ

 

「そ、それって……!」

 

 俺が聞き返そうと、身を乗り出したその時……廣井さんが腕を動かす。

 

「隙あり……!」 

 

「あ」

 

 スーパーボールが跳ね返ったかのような勢いで廣井さんが俺から離れる。何が起きたんだと思い、彼女の様子を見ると、その腕には何本もの酒類が抱えられていた。近づいたタイミングで俺の腕にかけていたレジ袋から抜き取ったのだろう……と気づいた時には既に廣井さんはそれを凄まじい勢いで飲み始めていた。

 

 ──肌はみるみると血色が良くなり、陰気な雰囲気は吹き飛び、表情は明るくなる。テンションは高くなり、ネガティブ思考は吹き飛ばされ、瞳孔は螺旋を描く。いつもの廣井きくりが、現れる。

 

「ぷはーっ! これこれ!! 廣井きくり完・全・復・活!! 幸せスパイラルゥ〜〜〜!!」

 

「うわぁ。もう少し素面でいてくれても良かったのに」

 

「酷っ! そんなこと言ってこの私が恋しかった癖に〜〜! このこの〜〜! 素面の私ってクソつまんないから寂しい思いさせちゃったかな〜〜〜? よ〜〜しよしよしよし!」

 

 本当に鬱陶しい。

 あの一瞬でここまで人は酔えてしまうのか。

 

 というか、この人はまだ自分の素がつまらない人間と思っているらしい。長年培い、育て上げてきた『つまらない』という自信は一朝一夕で治るものではないだろう。

 

 それなら俺は、彼女が自信を持てるようになる日まで言い続けるだけだ。

 

「どっちの廣井さんも素敵ですから恋しいとかはないです。あと面白かったですよ、素面の廣井さん。弱々しい姿が特に」

 

 一瞬、廣井さんが固まった。関係の薄い者なら感知しようの無い僅かな間。その後、何事も無さそうに口を開く。

 

「……はっはは〜〜! どうしたの急に? モテ男の自覚急に生えてきた? 間違えて飲んだりしてないよね?」

 

 それはあまりにも自然的な口調で、先程感じた僅かな間が自分の気の所為だったのでは無いかという疑念が浮かびかけるほどだった。

 

「そんなんじゃないですよ……でも、たまには素面になってください。休肝日も大事ですし……普段振り回されてる分、弱ってる様子を見るのはしてやったりな気分なので」

 

「ああ良かった! いつも通り、ちゃんと優しいけどちょっと辛辣な健治くんだ!」

 

 そんなイメージを俺に持っていたのか。この場合、優しいと思ってくれてることに喜ぶべきなのか辛辣だと思われていたことにショックを受けるべきなのか分からない。

 

「ところで……廣井さん、さっき言ったことは本当ですか?」

 

「さっきって?」

 

「ほら、昨日このこと後悔してないって言う……」

 

「えー覚えてないなー? ほら私酔っちゃってるから! 昨日のことなんて頭から抜け落ちましたよーだ!」

 

 廣井さんはそう言うと、ケラケラ笑いながら酒を口に運ぶ。

 

 幾ら廣井さんでもここまで短時間で忘れる訳が無い。明らかに誤魔化している。

 

 普段の俺なら、ここで深くは踏み込まずに引き下がるところだが……何故か今日は魔が差した。

 

「そうですか。なら今日も昨日みたいな事やって良いですか? 覚えてないなら思い出させてあげますよ」

 

 俺がそう言うと、廣井さんは目をぱちくりさせてしばらく呆然とした後……耳の先まで真っ赤に染めた。

 

「絶対ダメ! 健治くんのエッチ! スケベ! エロ魔人!」

 

 廣井さんの叫びが閑静な公園に響く。別に一線を超えたりしていないというのに、随分と語弊のある言い方だ。幸いなことに周囲に人がいないことに安堵しつつ、俺はからかうように……いや事実、からかいの意味を込めて笑う。

 

「なんだ、やっぱり覚えてるじゃないですか」

 

 こんなこと言ってしまって恥ずかしくないのか……と言われれば当然恥ずかしくはあるのだが、昨日の廣井さんの調子乗ってる姿を思い出すと、これくらいの仕返しは許されるだろうとも思うのであった。

 





素面廣井さんは前から書きたかったのですが、普段酔っ払ってる廣井さんしか書いてないので素面の廣井さん書くの凄く難しかったです。原作&深酒日記とにらめっこする日々でした。

そしてやっと夏が、原作コミックにおける第二巻冒頭が終わります。長かった……。これからはもっとコンパクトに出来るように努力します。
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