カツン、カツンと石畳を叩くコナミの鈍い足音が洋館の長通路に響く。
右手の上に置かれた銀のお盆の上には上等な赤ワインの瓶と薔薇の紋様が彫られたワイングラスが乗っている。
お盆を片手に真っ直ぐに向かうのはこの洋館の2階に作られたテラス。
紅い縁取りのガラスドアを開けた先に待っているこの洋館の主人に届けるためのものだった。
「遅いわよ」
「……すいません」
そのガラスドアを開いた直後に向けられた洋館の女主人からの叱責に軽く頭を下げ謝罪し、僕はワインを注ぐべくテラスへと入った。
テラスに入ってまず目に映るのは一面が白く染まり朝か夜かさえ判別するのに僅かな間を要させる濃霧であった。
一日中絶えることなく、薄まることすらなく洋館を、そして周囲の森すらも広く包み込むその濃霧は僕が森で目覚め、この洋館に住まうようになってから絶えたことがない。
軽く宙を見上げ確認するが、濃霧の中でもかろうじて見える太陽の反射光がない。白い濃霧の中でも薄暗さを感じるために、今の時間帯は夜であることが見てとれる。
そしてその次に目に入るのは血のように赤いドレスを着た女主人。長く伸ばされた緑の髪の妙齢の美女。一見して二十代半ばと言って疑われない見た目ではあるが、その若々しい見た目とは裏腹に何百年と生きてきた不死の吸血鬼である。
そう、僕は森で眠りについてから一月、この洋館の主人である吸血鬼のカミューラに拾われ使用人として過ごしていた。
「何か聞きたそうね。言ってみなさい、聞いてあげるわ」
「カミューラ、あなたに拾われてから1ヶ月。大賢者からの敵に襲われることもないし、毎日の衣食住も与えてくれて感謝している。だけど、どうして僕にここまでしてくれるんだ。僕たちは貴方の……」
「敵よ。2年前から変わらない、貴方たち人間は私たち吸血鬼を滅ぼした怨敵。あなたを助けたのはそうね、ただの気まぐれよ」
「………」
ワインを片手に飲みながらこちらを一瞥することもなく答えるその問答は僕がこの洋館で目覚めてからもう幾度も交わされた質問だった。
そしてその返答はいつも同じ、気まぐれだと言う。
善意で彼女が僕を助けるはずがない。そこには必ず目的があり、僕に明かしていない理由があるはずだった。
しかしそれを語るつもりのない様子のカミューラはいつもはぐらかす。
僕もまたそう言った返答が来ることはわかっていたために追求はしない。彼女がその気になるのを待つしかなかった。
「くだらないこと言ってないでワインを置いたならさっさと仕事をしなさい。屋敷の掃除は終わったのかしら?」
シッシッと煙たいものを払うような仕草を僕に向けるカミューラに、黙礼のみを交わしてテラスから出ていく。
ここに住む代償として使用人として働くことを約束した僕にはまだ仕事が残っていた。
テラスから立ち去る直前に立ち込めている霧を見やる。
霧はまだ深く森を覆っている。外敵から守るように、そして館から逃がさない牢獄のように、僕たちを包み込んでいた。
*
「まだいるわね」
テラスから遠ざかっていくコナミの気配。
カミューラはそんな彼を気にすることなく霧に包まれた森を見つめながら呟く。
赤い光を放つその目にはテラスから見える光景とはまた別の光景が写っていた。
(小僧を追って森に放たれた刺客はあらかた消えたけれど、まだ僅かに残ってるのがいるのよね。面倒ね、自分から出てってくれないかしら)
カミューラは今、配下である蝙蝠の視界を通して森の中を彷徨う一つの影を見ていた。
それはコナミの命を狙うアレイスターが差し向けた追手であり、刺客であった。
カミューラが森で気を失うように意識を閉ざしたコナミを自身の洋館に確保してから一月。
その間絶えず森を徘徊しコナミを探していた刺客をカミューラは静かに排除し続けていた。
無論、それはコナミのためにしていたことではない。彼女には彼女の目的があり、そのためにコナミを確保していただけである。
もしこの一月の間に自分のために守ってくれているのかと誤解しカミューラに問いでもしようものなら嫌悪と侮蔑の念をもって森に放り出していたことだろう。
幸いにもそのような勘違いをコナミがすることはなく、彼女に対する警戒心は微塵もなくなることはなく彼はこの屋敷での使用人生活を従事することができていた。
「追加の増員がないあたり諦めた……いやそれはない。霧が出てる間はと見るべきね」
コナミが追われている理由を彼女は粗方知っていた。
彼が星のカードを奪われたことも、恋人の水無月愛理が大賢者によりドリアードへと変質したことも。そして、コナミが死なねば彼らの計画が実行されないことも目覚めた直後のコナミに吐かせたことで把握をしていた。
「霧は結界。立ち入るものを惑わすためのもの。方向感覚を狂わせ、自分の立ち位置さえ見失わせる。しかしその役目ももう終わりかしらね」
ピンと空になったグラスを指先で叩きながら森とは別の、もう一つの場所に視界を移す。
そこに写るのはアカデミアがある島。異世界に取り残されたヨハンやコナミたちを助けるために再び精霊たちの住まう世界に旅立たんとしている十代たちの姿であった。
「あらまあ、せっかく元の世界に戻れたと言うのに。友達を助けるためにまた行こうなんて、馬鹿な子たちね」
十代たちは元の世界に戻れていた。
コブラが復活させようとしていたユベルによりアカデミアごと異世界に飛ばされていた彼らだが、コナミが洋館で一月もの間過ごしている内に紆余曲折あったが元の世界に戻ることができていたのだ。
しかしその代償として留学生のヨハンがユベルと共に異世界に取り残されることになっていたのだ。
カミューラは異世界に残された者たちを助けんと旅立たんとする十代たちを見て皮肉げに嗤う。
危険と知りながら飛び込もうとすることがどれほど愚かしく、馬鹿な行為か。それを悟れない、考えようともしないその愚かしさ。その実に人間らしい行いが滑稽で堪らなかった。
「さて、最後の一匹を駆除したらそろそろ動くとしましょう。あの小僧にも働いてもらわないと、共倒れが1番いい。魔法使い共も人間も、邪魔なだけだからねえ」
呼び鈴を鳴らす。
涼やかな音色を奏でるその金色をした小さな鐘の音色は洋館全体に波及し、洋館内の掃除をしていたコナミを呼び出した。
「何の用ですか、カミューラ」
「喜びなさい小僧。貴方のお友達が貴方を助けにこの世界にやってくるわ」
「僕の………友達?」
掃除用具を置いてテラスへと入ってきたコナミはカミューラに掃除中なんですがと不満げな顔を隠すことなく見せていたが、彼女の友達という言葉に一瞬呆け、眉根を上げて彼女を見返していた。
「赤い服を着たなんと言ったかしら、十代とか言う奴だったかしらねえ。そいつらがこの世界にやってくるわよ」
「十代くんが!?」
「2日後、ここを出るわ。準備だけしておきなさい」
「う、うん。わかった!!」
駆け足でテラスから出ていくコナミにうっすらと笑みを浮かべグラスへとワインを注ぐ。助けが来るとわかった途端、これまでの不満が吹き飛んだかのような反応を示すコナミが彼女には可笑しかった。
やがて注がれたワインを揺らすようにグラスを傾けた彼女は濃く赤いそのワインを飲むことなく森へと放る。
曲線を描きながら放られたグラスは中身を撒き散らしながら地面に接触しガラスが割れる音を響かせた。
「さあて、彼らの到来は誰の追い風になるのかしらねえ。魔法使いか、ユベルとやらか。それとも……。フフ、どれだけ生き残れるのかしらねえ! ウフフ、アーハッハッハッハッ!!」
カミューラは狂笑を上げ蝙蝠たちとの視界を断ち切る。
光に包まれ異世界への扉をくぐる十代たちの道行を暗示するように地面に散りばめられたワインが大地に溶けてゆく。
覚悟なき未熟な人間たちを嘲笑う声は霧に包まれた森の彼方まで響き続けた。
*
「カミューラ、僕たちはいったいどこに向かっているんだ」
「黙って着いてきなさい」
2日後、カミューラに連れられ洋館から出た僕は霧が晴れた森の中を南東へ向かって歩いていた。
一月もの間立ち込めていた霧の影響か、森の中はほんのりと湿り気を帯びてじっとりした空気を漂わせている。
自分たちが洋館から出立する日に霧が都合よく晴れているのはカミューラのお陰なのだろうことは聞かずともわかっていた。
聞いたところで彼女は話さないかはぐらかすかのどちらかであっただろうためにわざわざ確認するようなことはしなかったが、彼女がいたからこの一月無事でいられたことはわかっており、そのことに関しては僕はカミューラに感謝していた。
「ん? どうやら見つかったようね」
「見つかった?」
前を歩いていたカミューラが立ち止まったことで僕の歩みも止まる。
そこは森の出口の直前であり、あとわずか歩みを進めれば森の外、緑豊かな木々とは真逆を行く真っ白な砂の大地が広がっている。
そして彼女が背後へと向けた視線の先から聞こえてきた品性をかなぐり捨てたような笑い声に僕の肩が僅かに震えた。
「ゲヒャヒャヒャ!! お前勇者だな、ここで殺してやる!」
「──ッ! 敵!?」
「私はやる気はないわよ。貴方に用があるわけだし、自分で倒しなさい」
「ゔっ、やるしかないのかッ!」
僕たちの背後から草木を掻き分け現れたその悪魔のような容貌をしたモンスター。その殺意が込められた凶悪な視線は僕だけを見据えており、前のカミューラには一瞥すらしていなかった。
向けられた敵意に心が怯えているのがわかる。
心に連動するように震え始めた身体をなんとか気合いで押し込め僕はデュエルディスクを構えた。
「ゲヒャヒャ、お前を倒せば報酬はがっぽりだぁ!!」
「──くっ!」
依頼されたのだろう。僕を倒しにきたモンスターもまたデュエルディスクを構え、その敵意を剥き出しにしていた。
「「デュエル!!」」
その敵意に耐え難い恐怖を感じながらもデュエルを始めた僕の様子をカミューラの赤い瞳はジッと見つめていた──。
*
「グァアアアアアアア!!?」
嘆きと恐怖が混じり合ったようなモンスターの叫び声が森全体に木霊し、それと同時にモンスターの身体が光となって消えていく。
「はぁ、はぁ。なんとか、勝てた……」
決して強力な力を持ったモンスターではない。
以前までなら危機に陥ることなどなく、肩で息をするほど疲労することなく倒せていた相手だった。
しかしそれでも一歩間違えれば敗北し死んでしまうという緊張感と恐怖は通常のデュエルの何倍もの集中力と体力を消耗させていた。
「貴方、ちょっと見ない内に随分と腰の引けたデュエルをするようになったじゃない」
「ハァ…ハァ…カミューラ……」
膝をついて荒げた息を整えていると、胡乱な眼で見下ろしているカミューラが隣に立っていた。
見下ろすその眼は次第に何かを悟ったように剣呑とした色を増していきやがて感情を削ぎ落としたようにその顔から表情が消えた。
「……予定変更ね。小僧、貴方やっぱりここで死になさいな」
「──なっ!?」
その感情のない絶対零度の如き視線に射抜かれ息を整えていた僕の呼吸が一瞬止まる。
「ど、どうして!? 僕に何かやらせたいことがあるから僕をあの洋館に住まわせていたんじゃないのか!?」
「そのつもりだったわ。でも今の貴方に用はないの。憶えておきなさい小僧。価値というのはそれを示せて初めて意味が生まれるものなのよ」
空気が重たくなっていく。
カミューラが漂わせる雰囲気が変わり太陽までも冷たく曇ってしまったような印象を受ける。
「ぐぅっ!」
膝をついていた僕を強引に立ち上がらせるように胸ぐらを掴み、女性とは思えない力で僕の体を持ち上げる。
吸血鬼の膂力。
人を遥かに超えた力を持つカミューラには僕の体を腕一歩で持ち上げる程度造作もないことだったのだろう。
その腕を森の外へと向けて振り下ろし、その手に掴まれていた僕の体は宙を舞った。
砂地を滑りながら背中から叩きつけられ整えようとしていた空気が肺から溢れでる。
「──カハッ!!」
「腑抜けとなった貴方に価値はないわ。でも特別に私が引導を渡してあげるわ。前回のお礼をしてあげないといけないしねぇ」
「ぐっ……!」
グシャリと砂を握り締めながら起き上がる。
恐ろしい。
デュエルが、怖くて怖くて仕方がない。
それでも受けざるを得ない。逃げられようはずがないために膝が震え、視界の焦点がブレてしまう。カチカチと鳴る歯をなんとか噛み締めて鳴り止ませる。
中腰の姿勢で死にたくない一心からデュエルディスクを広げるが、その立ち姿はなんとも弱々しく、そして情けなく彼女には写っているのだろう。
僕の姿に失笑したカミューラが広げたディスクが音を立てて広がる。いつの間にいたのか、背後の木々の枝に隠れるように逆さまに立っている蝙蝠たちも僕を見つめていた。
「さあ、死にたくないなら足掻いてみることね。デュエ──ッ!?」
デュエルが始まろうとしたその瞬間だった。
僕とカミューラの間に割り込むように、長剣が飛んできたのだ。
その長剣は砂漠の大地に突き立つように直立しており、刃が太陽の光に反射してキラリと光っている。
「双方、剣を納めよ! デュエルをするな!!」
「あなたは……!」
「タ、タニア!?」
デュエルディスクを広げていた僕とカミューラを牽制するように鋭い声が響く。
声の聞こえてきた方へと顔を向けると、そこにはセブンスターズの1人であり、アマゾネスの戦士として三沢くんとかつて戦ったタニアが歩いてきていた。
「そのデュエル、このタニアが預かろう。事情はわからないが2人ともデュエルを始めるな」
剣を投げたのは彼女だったのだろう。歩きながら僕たちを止めるように手を広げ間に入ってくる。
「──先輩!!」
「ああコナミ、よかった。無事だったんだな」
「三沢くん、道長くんも!」
そうして割って入ったタニアの後ろから砂を蹴って2人が走ってくる。
安堵した顔を見せながらそばにきた2人に僕も張り詰めていた息を吐き出し、へたり込むように砂地に腰をつけるのだった。
最初カミューラとのデュエル書こうかなと思ってたけど話上必要なくねと思い変えたんですよね。途中出てきた名もないモンスターとのデュエルもカットです。