異世界編、最終章の始まりです。
宵闇が空を覆い始めた砂漠を愛理はカミューラに連れられ歩いていた。
世界樹から彼女を連れ出したカミューラはコナミに対して行っていた人間嫌いの皮を脱ぎ捨てたように愛理に優しく対応し、時にふらつく彼女を支えるなどしてその行々を助けていた。
隣で歩く愛理の表情は暗く、太陽が沈み始めその明かりを失うに沿うように彼女の顔からもその精細さが消えている。
何故……と、愛理は行く先も不明瞭なままに内心に問う。
助けに来てくれたコナミくんから離れるようなことをしているのかと。大賢者様とのデュエルを、その結末を見届けようとはしなかったのかと。そして、自分はカミューラさんに連れられてどこへ向かおうとしているのだろうと……。
自問自答は限りなく永遠と続く。
世界樹を飛び出したその時から疲労の抜けきらない体で暗い顔を明るく染めることもなく、その足は砂漠の上を真っ直ぐと歩いていく。まるでその先にこそ自分の求めるものがあると知っているかのように。
そして、ある扉の前にまで辿り着いたことで、途絶えることなく進んでいた足が遂に静止を施行した。
「これは………!」
その扉に私は瞠目する。
薄暗い闇が光を閉ざし始めたことでその扉の詳細を把握することは難しかったが、その禍々しさを覆い隠すことはできない。
一目でそれが異質で邪悪な気配を纏った扉であると見てとれた。その気配はかつて感じた闇のアイテムの気配にも似ていた。
「幻魔の扉に似ているわね。ここがあなたの来たかった場所なのかしら?」
「私の……求めた場所……?」
「ここを目指したのは貴方よ愛理。その様子だとここに扉があるとは知らなかったようだけど、何故貴方はここに来たかったのかしらねえ」
「わたしは……ただ、呼ばれたから……」
なにに……?
口をついてでた真実。それは愛理自身も気づいていなかった行動の原因であった。
「──ッ!?」
一瞬の頭痛とともに幻視する。扉のそばに大賢者様がいた。大賢者様は扉の先に向かうようにと指差している。その先にこそ、私の……私たちの望む未来があると指し示していた。
「カミューラさん、私、この先に行かないと」
「そう、この先に進みたいのね。でも、それは何のためなのかしら」
「なんの…ため……」
「ふう。少し休みましょうか。あの小僧が追いつくにしても、まだ時間はあるでしょうしね」
戸惑う私を置いてカミューラさんが扉の前に近づき階段になっている場所に腰を下ろす。私もまた、それに続くように隣に座った。
「飲むかしら?」
どこから取り出したのか、その手に2つの透明なグラスとワインの瓶を持っていた。カミューラさんの申し出をまだ未成年だからという理由でやんわりと断りどこを見るともなく前を向く。
カミューラさんは特段残念がることもなく「精霊なんだから人の道理に囚われる必要もないでしょうに」と1つのグラスにワインを注ぎ口に含む。
「私は、人ですから」
「魂は精霊でしょうに。自分を偽っても、その事実は変わらないわよ」
鼻で笑うカミューラさんの酷薄な言葉に返す言葉も浮かばず俯く。
私は精霊。そう、精霊なのだ、
彼女のいう通り、その事実は変わらない。肉体がどうあれその魂は精霊のそれから逸脱することはない。
純粋な人間であるコナミくんとは違う。……そして、私の中にいる愛理とも……。
「私は……死んだらどうなるんでしょうね」
「さあ〜? 貴方は特殊だからねえ、普通なら世界に還って生まれ変わるのでしょうけど、人間のように冥界とやらに行くのか、それともどちらにも行かず消滅なんてこともあるかもねえ。もしかしたら元の精霊としての自分に戻るってこともあるかも、それが貴方の悩み?」
無言で頷く。
私は恐ろしかった。死ぬことが怖いのではない。
死んだ後、訪れるであろう別れ。あるいは彼のいない世界を長い寿命が尽き果てるまで生き続けることが恐ろしかった。
「怖いんです。死んだ後、コナミくんと離れて1人で生きてゆくことになるのが、死んだ後、彼と同じ場所へ行けないのが」
「………」
「私の中にいるもう1人の私に取られるのが……怖い」
しかし、別れるのが怖いだの、死んだ後どうなるだの言っても、結局はそこに行き着くのだ。それこそが、私の最も恐れている事象なのだ。
それに比べれば先に挙げた事象など、取るに足らない恐れである。
人は人同士で、精霊は精霊同士で愛し合う。
それが最も自然的な形なのだから。それに外れる行動をすれば相応の苦しみが伴うというもの。
私の中にいる純粋な人としての魂である愛理に奪われるかもという恐怖もまた、その苦しみがもたらす一種なのだった。
ああ、しかしそうだとして、だからと言って、それがわかったからと言ってどうすればいいというのか。
私の中に愛理の魂が宿っている事実は変わらない。いつか私という外様から割って入った存在を追い出して今の立ち位置を取って代わられるかもしれない。
その恐怖と一生向き合い続けるというのか。見て見ぬ振りをして、恐怖から目を逸らし続けるのが正解なのか。
正解がどこにあるのか、私には見出せなかった。そんな私をどう思ったのか、カミューラさんはごく自然なこととしてワインを一口飲み口を湿らせてから漫然とした顔で告げた。
「そうねえ、私に言わせるなら、貴方は逃げているだけね。一番簡単な解決方法があるというのに、そこから目を逸らしているわ」
「それは、どんな……」
聞くべきではない。
その口から吐き出される内容がどれほど悍ましいものかが予感できるだけに。その想像が齎す悪寒は強く、蟻走感が背筋を這いまわり吐き気さえ覚え始めていた。
しかし、そんな私の様子など知ったことではないとでもいうように、彼女の口からは残酷な手段が紡がれる。
「わかっているはずよ? 奪われたくないなら戦うしかないわ。貴方の中にいるっていうもう1人の貴方。それを消すしかない」
「そんなこと、できるわけがないっ!!」
それを突きつけられた瞬間、私の口から怒りとも嘆きともつかない叫びが吐き出された。
「だったらどうするの? 1人の男を2人で共有でもする?」
「そっ……それは……」
しかしその意気もすぐに続いたカミューラさんの言葉に詰まり弱々しく萎んでいく。コナミくんを自分と愛理の2人で共有する姿が思い浮かび、そのイメージによる不快感が許容できる範囲を越えようとしていたために。
「できないでしょ。昔ならともかく、今の時代にそれは一般的ではないし、貴方自身そんなの許せない。許せるならそんなに悩むこともないしね。なら、どちらかが手にするまで奪い合うしかない。そうでしょう?」
不快感から顔を顰めた私にたたみかけるようにカミューラさんの言葉が貫いてくる。彼女の提案は極端ではあったが、正鵠を射てもいた。
歯噛みして口を閉ざした私に言いたいことを言ったと満足したようにさらにワインを含む。
俄かに気まずい空気が流れたが、ゴゴゴッと、それを断ち切る重苦しい扉が開く音が背後から鳴り響いた。
突然開いた扉に驚き背後を振り返る。
開かれた扉の奥から現れたのは見覚えのある緑色の髪をした少年。琥珀のような宝石の如き瞳をしたその少年は緩やかに扉の前で座っていた私たちを見回し、私に視線を固定した。
「あなたは…ヨハンくん?」
「やあ愛理、会えてよかったよ。キミを探していたんだ」
その扉の奥から何食わぬ顔で出てきたのは留学生としてアカデミアに在学していたヨハン・アンデルセンくんだった。
以前着ていたフリルのついた白い服装からは随分と変化しており、インナーの上に袖のない黒いベルトのような服を着ている。
彼を見て私が驚いたのは服装の変化ではなく、彼の纏う雰囲気であった。以前の彼から感じていた天真爛漫な性格はなりを顰め、今は落ち着いた、妖艶とも言える空気を感じさせていたからだ。
「知り合いかしら?」
「え、ええ。彼はヨハンくんって言って私の………いえ、違う、あなたは、ユベル……?」
ヨハンと思しき少年が私の指摘にニヤリと口角を上げた。
今までどうしていたのか……そう聞こうと思い至った私が彼へと視線を移したその瞬間だった。まるで遠い過去の記憶に消えた思い出が解氷されるように、その橙色へと変色した瞳と目が合うことで彼の正体が何者なのかを察した。
「わかってくれて嬉しいよ。やはりボクたちは同じ永遠の愛を求める者同士。惹かれ合うところがあるんだね」
それは紛れもない私の指摘に対する明確な回答であった。
どうやってか、学園で一度だけだが邂逅したユベルという精霊は今、ヨハンくんの身体に宿っていた。それは、私と同じような存在としてここに立っているということでもあった。
「どうしてあなたがヨハンくんの身体に……」
「十代に喜んでもらうためさ。十代はこの男のことが友達としてとても大切にしていたからね。だからきっと、十代も喜んでくれるさ」
要領の得ない返答に眉を顰める。
自己陶酔するように胸に手を当てるユベルはそんな私の疑問を置いてカミューラさんの方を見た。
「それで、キミは誰だい。愛理と一緒にいるようだけど、キミもボクと一緒に来るのかい?」
「私はこの子がここにきたがってたから連れてきてあげただけよ。貴方にも、この扉の先にも興味はないわ」
「そうかい。なら、行こうか愛理。永遠の愛が、ボクたちを待っているよ」
優しく差し出された手をおずおずと躊躇いがちになりながら取る。
そうすることが当然であるように私は力強いユベルの手を引かれながら扉をくぐった。
「カミューラさん! ありがとうございますっ!」
扉の奥へと進む直前、立ち止まり振り返る。変わらぬ様子でワインを揺らしている彼女に感謝を告げた。
ここまで連れてきてもらった恩と悩みを聞いてもらった感謝。彼女はワイングラスを一揺らしして応えた。
「愛理、愛に貴賎はないものよ。愛する人を独占したいという気持ちは人も精霊も、それこそ吸血鬼だって変わらない。自分の気持ちに素直におなりなさい。そうすれば、悪くない最期を迎えられるわ」
これが最後になると、そう感じさせる後ろ姿。
カミューラさんは扉が閉まり切る最後まで背を向けたまま、こちらに視線を送ることはなかった──。
*
重苦しく鈍い音を立てながら扉を閉まる。
ため息を一つ吐きながらカミューラはその扉の奥に向かっていった少女を想う。
人と精霊という異なる種族の恋に悩む少女。
物語の題材として描くとしたらありきたりで陳腐な題材だろう。
一寸の理もないというのにそんな少女に手を貸したのは気まぐれだったのか、それとも以前迷惑をかけた謝罪がわりだったのか。
カミューラ自身、正確なところ理解してはいなかった。
強いてあげるなら、永遠の愛などという年端も行かない少女が抱くそれに憧れを向けて本気で悩んでいるところに何かしら思うところでもあったのかもしれない。
男女の愛など、僅かな拗れでたちまち消え去る儚いものでしかないというのに。そう思ってしまうのは自分が歳をとり擦れてしまったからなのだろうか。
そんなことをしんみりと考えてしまった自分に失笑する。吸血鬼である自分に歳もなにもなかろうにと。
「まあ、どうでもいいことね。………ふう、そろそろかしら」
グラスに残ったワインを飲み干し、瓶と共に遠くに投げ捨てながら立ち上がる。視線を向ける先、遠くから砂煙を上げながらこちらに疾走してくる影を迎えるために。
「──カミューラ!!」
私から少し離れた位置までやってきたそいつは跨っていた音速ダックから飛び降りるようにして私の前に立ち、後ろの扉の存在に驚きながらも私を真っ直ぐと睨みつけていた。
「遅かったわね。もうあの子は先に行ったわよ」
「その先に愛理ちゃんが……カミューラ、何故とは聞かない。興味もない。ただ一つ、そこを退け。僕はその先に用がある!」
砂漠に響き渡るような強い声が叱咤する。
霧が満ちた森の中で拾った頃のような怯えが混じった目は今やどこにもなかった。
「随分と勇ましいことを言うようになったじゃない。大賢者とやらを倒して、自信でもついたのかしら?」
「自信なんて立派なものじゃない。僕は自分のなすべきことを見出した。それを果たすために、立ち止まらない覚悟を決めたんだ!」
「ハンっ! 一端なことを言う。死ぬことに怯えてたガキンチョがっ」
カミューラは心に敵愾心を激らせる。
こちらの煽りを歯牙にも掛けないその姿にコナミの確かな成長を感じたりながら、しかしそれゆえにコナミのことがより不愉快な存在として映るようになっていた。
「カミューラ、退かないと言うのなら貴方を倒して先に進むだけだッ!」
「やってみなさい。アンタを殺して一族再興のための糧にしてくれるわッ!!」
これ以上の問答は必要なかった。2人のデュエルディスクが砂漠の上で広がる。星さえ隠れた夜闇が包み込んだ砂上の上で、張り詰めた空気が膨らみ破裂した──。
「「デュエル!!」」