花に嵐   作:上枝あかり

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いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。
太宰治『女生徒』



女生徒編(入学~林間合宿直前)
女生徒 1


 一つだけ、大事にしている記憶があります。誰にでもあるのではないでしょうか。良きにしろ悪きにしろ、自分にとってはとても大事なことなのに、言った相手はきっと忘れているような記憶。私のそれは良い記憶です。そして、相手が忘れていても、別に、かまわない記憶です。

 確か、小学校に入るか入らないかの頃でした。あの頃の私はよくお寺の外の子供にいじめられては泣いていました。あの日は、私を泣かせた子たちは私が泣き出したのを見ると逃げていって、私は一人座り込んでべそべそ泣いていました。

 そんな私を最初に見つけたのは志摩さんでした。志摩さんは私とお寺の外で一緒にいるのを煩わしがっていましたが、それは私がいじめられていて関わると面倒になるからでしたので、まわりに誰もいないのを見ると、私に、また泣いてるん? と声をかけてきました。私が頷くと、志摩さんは、悪口言われるのなん、いつものことなんやから、泣き止んでや、いちいち気にしとったらあかんよ、と言いました。私がそれに首を横に振ると、志摩さんは困ったような声で、坊呼んで来たるから、ちょっと待っとって、と言いました。

 しばらくしないうちに、坊と子猫さんがやってきました。志摩さんは、少し離れたところから見ていました。面倒事は嫌だけど、見捨てたとなるのも嫌だったゆえの折衷案だったのだと思います。子猫さんは、私の背を、先生やお寺の兄さん姉さんの真似をしてさすってくれました。坊は、また寺のことでいじめられたんか、と言いました。私は首を横に振りました。なら、肌のことか。重ねる坊に、また首を横に振りました。じゃあ何なんや、と言うので、私は嗚咽をこらえながら言いました。

「あては、こんなやから、どこにもっお嫁にいけんって言われたぁ」

 今思うと、それはお寺のことでも肌のことでもあったのですが、当時の私はお嫁に行けないと言われたことで性格も何もかもを全世界に否定されたような気分で居たのです。たかが子供の悪口なのに。言われたことを思い出して更にひどく泣く私に、子猫さんはさするスピードを速くし、そして坊は言いました。

「別に嫁にいかんでも、ずっと寺におればええやないか」

 その頃、お寺からは櫛の歯を挽くように門徒が減っていたので、それを受けた言葉であることはわかっていました。でも、それを聞いた途端、私は今まで何を悩んでいたのだろうと思ったのです。なので、ぴたりと泣き止んでしまいました。そう、ずっとお寺にいればいい。お寺には、大好きな坊も、子猫さんも、志摩さんも、みんなみんなおるんやから。

 明陀宗が正十字騎士團に所属し、金剛峯寺を出ることが決まったのは、それからそんなに離れていない日だったと覚えています。

 

 

「まぁた二人ともエラい色に染めはりましたねえ」

 東京にやって来てたった一日で、幼馴染二人の髪の色は一変していました。こうなると変わらない子猫さんの坊主頭の方が目立って見えるものです。

「エラい色て、金髪は普通やろ」

「その染め分けは普通やないですて」

 坊の髪の毛は中央だけ金髪の、ソフトモヒカンになっていました。ただでさえ目付きが悪く不良に見えがちなのに、こんな髪型ではもう言い訳が立ちません。更に耳には複数のピアス。誰と比べても見劣りしない不良の出来上がりでした。どこに出しても恥ずかしくないお寺の坊なのに。

「んで志摩さんは何なん」

「女の子はピンク好きやから!」

「あて別にそこまで好きやないよ」

「鶯花さん狙うてるわけやないし」

「世の女の子の多数が本当にピンク好きやとしても、ピンク頭のおとこが好きかは別やと思う」

「正論ぽいけどやめて!」

 志摩さんが顔を覆って背けたところで、坊が私の肩を叩きました。そして悪い笑顔でいいます。

「ちゃうで鶯花、これ志摩が染めたんとちゃう。地毛や。頭ん中ピンクやから自然に変色したんや」

「お家の目がのうなった途端に煩悩が溢れ出て……?」

「ああ、あの染め粉はカモフラージュやったんやね……」

 子猫さんまで乗ります。

「俺かて頭ん中ピンクばっかとちゃいます! そんな染めるほどないわ!」

「へえ、ならどのくらいピンクなんです?」

「8対2くらい……。ピンクが8やけど」

「十分やんけ」

「で、志摩さんそのもんじゃ屋さんどこなん」

 オチが付いたところで、もともとの目的に戻ります。昨日東京にやってきて荷解きをしたりしたので、今日は四人で夕飯を食べながら明日の入学式と祓魔塾について話そうとしていたのです。

「待ったって、柔兄からメモもろた……、あったあった」

 東京に来たてで右も左もわからない私達に入れ知恵したのは、柔造兄さんでした。どうやら祓魔塾生御用達の店らしく、柔造兄さんの通っていた10年ほど前から今までずっとあるようなのです。メモにある地図の起点となる場所を発見して、4人で春の夜をのんびり歩きます。故郷と違うモダンな街の中、故郷と同じ桜の木があちこちで重たげに薄紅色の花をつけて、障子紙のように街灯を透かしていました。

「そや、鶯花、同室誰やった」

「神木さんと朴さんて子でした。四人部屋やのに三人やから、あの子らも祓魔塾の子かもしれません」

「かも、て話しとらんのか」

 坊が眉をひそめます。その目に追われてついと視線を反らします。

「自己紹介くらいはしました。京都から来ました、冬隣鶯花です、よろしゅうって。二人とも島根から来た言うてましたわ」

「もっと話すことあるやろ」

「神木さんはそれきりあてにはだんまりで朴さんと話しとったし、朴さんも深くは突っ込んでこんかったんですもん。あとは荷解きばっかりやったし、それにおやすみなさいはちゃんと言いましたし。坊らはお部屋誰と一緒やったんです?」

「俺らも俺らだけや。なあ鶯花、友達になってこいとは言わんから、ちゃんと信頼関係くらい築いてこい」

「わかりましたって。努力はしますよ」

 そして逃げるように前の方でメモを覗き込んでああだこうだ言っている子猫さんと志摩さんの背中に追いつきました。坊が私の為を思って言っているのはわかるのですが、どうにも上手く出来る気がしません。ふてくされたような気持ちでメモを見ると、もんじゃ屋さんはここから遠くないようでした。

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