裏では、坊らが段ボールを縛っていました。奥村くんもいますが、目の端に捉えた瞬間に息がもつれたのでそっと視線を外します。ああほんまどないしよう。
「おかわり持ってきましたえ。どこ置けばええです?」
「そこにサイズごとに頼むわ」
「はぁい。お願いしまぁす」
全部輸液の段ボールでしたので、まとめて同じサイズの箱の置いてあるところに積んで、それからまた仕事に戻ります。
「じゃあ、あてこれで」
「ああ、待て鶯花」
「はい?」
……戻ろうとしたら、坊に呼び止められました。坊はしばらく視線をさまよわせてから、諦めたようにため息を付くと言いました。
「お前十分かわええからな」
「は」
ぶわぶわ、と耳元で花でも咲いたように熱く赤くなるのを感じます。固まる私とこちらを凝視する奥村くんをよそに、子猫さんと志摩さんまで続けます。
「おん、鶯花さんはかわええよ」
「メイクしとったほうが絶対かわええけど、しとらんでも愛嬌あるしなあ」
「……ヘ? なにこれ気色ワル!! えっ、熱中症!? 普通に怖いですわ、何なん……ああ! お兄の差し金ですね! あの人起きたんか!」
でなければ坊らの唐突な奇行に説明がつきません。ウワ赤面通り越してさぶいぼ出てきた……。
兄は私がお化粧していることについて、あまり良く思っていません。だから今回化粧を落として歩かせようとか企んで、妙なことを坊らに吹き込んだのでしょう。兄はどうやら、お化粧で痕を隠さずとも普通に暮らせるのを目指しているようですが、それはまあ無理というものです。痕を隠したいのは、単純に醜くて嫌いなのもありますし、それで人から嫌われたくないのもありますし、そして気を遣わせたくないのもありました。痛みやら周囲の目について気遣われるのはもちろんですが、特に青い夜を体験した人にとって、私の火傷はあの惨劇を思い起こさせる効果があるのです。
「そうや。柳から伝言や。仕事終わって夕飯も風呂も終わったら墓参り行くでって」
「つまり化粧落としていけって意味ですね……」
少し、考えます。予定では、いつも寮でやるとおりにみんなが落ち着いた頃にすべての用事を済ませてからお風呂に向かい顔を見せずに布団に倒れ込もうと思っていました。でも。
きっともう潮時なのです。私が杜山さんとお友達になりたい以上、杜山さんに火傷を見せなくてはいけません。杜山さんは、きっと心配こそすれど私に対する扱いを変えることはないでしょう。神木さんだって、奥村くんにああだったのですから、火傷程度で態度を変えるとは思いません。
そう、奥村くん。奥村くんの秘密を思うと、私は火傷程度隠していられません。なんだか、自分が火傷の痕がある程度でうじうじ大きな秘密を抱えた気になっていたのが阿呆らしくすら思えます。
「……まあ、落として行きますわ」
「……その、ええんか」
坊が、気遣わしげに言います。
「もう、潮時ですよって。大丈夫、こわくないです」
「……ならええ」
三人に伝言のお礼を言って、今度こそ仕事に戻ります。
その後も何かと働きました。虎屋のつくりを完全に把握していたので、あちこち動くにあたりその点についてはお役に立てたと思います。今日の分のお仕事が終わって、出張所から戻ってきた霧隠先生に仕出しを頂いてから、お風呂をいただきました。杜山さんと神木さんに火傷の痕を見せることを決心しても、他の
お風呂を上がって浴衣に着替えた後で兄のいた大広間に行くと、兄は軽く手を上げて「案外元気そうで安心したわ、犬っころ」と言いました。だからその話どこから漏れてるんですか。兄の様子は髭こそまだ伸びているものの、昼よりはマシな顔色をしていて安心します。お墓の方はお掃除もお花替えも最近したとのことで、蝋燭とお線香とマッチだけ持って下駄を出します。庭先を歩いていると、縁側に坊が座って、船を漕いでいるのが見えました。
「お、坊や坊や」
兄が何やら嬉しそうに坊の方に寄っていきます。兄もそれなりに坊のことが大好きなので、とりあえず声がかけたかったのでしょう。近づいてみれば、横には虎屋の仕出しを入れている弁当箱と缶ジュースか何かが置いてあります。
「疲れてはるんやろか」
「色々あったから気ぃ張ってはったんよ」
その時、坊の体がぐらりと傾いで、横になりました。缶を倒しそうだったので慌てて取り上げます。すると、若干中身が残っていました。いびきまでかいて眠っているのを起こすのも忍びないけれど、もったいないのでもらうことにして口をつけ、一口飲み、……。何ジュースやろこれ。缶の表示を見ます。
「……お兄、これあげる」
缶の側面には巨峰と書いてありました。が、同時にお酒と大きく書いてありました。
「ああ、これ酒やん。酒っちゅうにはジュースみたいなもんやけど……。また坊がどないして」
「坊が知って飲むとは思えんし、知らんで掴まされたんちゃうかなあ。今、あてらの先生に霧隠先生っておってこの増援部隊の隊長さんやってはるんやけど、前勤務中にお酒飲んではったからあの人が持ち込んだやつかもしれん」
そういえば仕出しと一緒に飲み物をもらう時、何故かノンアルコールであることをやたら確認していた気がします。
「ん? 待て、霧隠言うた? ひょっとして霧隠シュラ?」
「え? そうやけど、知っとるん?」
「おん、あの頃の塾では有名やったから。懐かしいなぁ。実力はあるはずなんにいつまでも
「今も裸みたいな格好しとるえ」
「はは、そうなん? まあ霧隠さんはええわ、明日嫌でも会うやろし。先に坊やな、お部屋運ばんと。坊のお部屋が近いしそこでええな」
言って、兄は弁当を回収してお酒をぐい、と飲み干します。兄が荷物を持つ以上どうやら私が運ぶようです。坊を運べるように鍛えていると兄に言っていたので、お手並み拝見ということでしょうか。下駄を脱いで縁側に上がります。
しかし坊を運べるように鍛えているとは言っても、坊は私に抱っこなぞさせてくれないし体重も教えてくれないので、坊を持ち上げるのはこれが初めてなのです。しかも意識がないのを運ぶとなると、どないしよう。少し考えて、なんとか持ち上げます。
「おお、見事なファイアーマンズキャリー。ちいと待て。こっち向いて笑え」
兄はそう言うと携帯を出してカメラ機能で撮影しました。
「変なところで使わんでよ」
「使わんよ、こういうのは隠し持って元気ない時に眺めるもんやから」
私の秘蔵写真と同じ用法を言っています。うわあ、これが血は争えんというやつでしょうか。
そのまま坊の部屋まで運んで、今度は布団にどう下ろすか困ります。ファイアーマンズキャリーは肩の上に相手の体を抱え上げるので人体最大の筋肉である背筋で運べて意識のない人間を運ぶのには適しているのですが、これどうやって下ろせば。しばらく坊の大きな体と格闘します。ああこんなに大きくならはって……。筋肉もようついてはるし、ついでに言うとファイアーマンズキャリーは相手の足の間に腕を入れて安定させるのですがあてはもうドッキドキですよ。
「よいしょっ」
「お、ええな。もう一回こっち向き。はいちーず」
いわゆるお姫様抱っこです。坊の意識がない以上全体重が腕にくるので長くはできそうにありません。
「……お兄後でその写真送って」
「ええよ、ファイアーマンズキャリーも着けとくな」
兄が空弁当片手に携帯をいじっている横で、坊をベッドで寝かせてネクタイを解いて抜きます。部屋はよく掃除されていて、布団も既に夏布団になっていました。女将さんも二度と戻らん覚悟やなかったんかとは言っていましたが、坊が帰省するのを待ってはったんでしょうか。それとも衣替えの時に一緒にやっただけなのか。それにしてもこの人全然起きんな。お酒が入ると眠りが浅くなると聞きますが、合宿からこっちずっと気を張っていたので疲れているのでしょう。カチューシャを外し、くしゃと癖の着いた髪の毛を下ろすと少し幼気な、無防備な感じになります。というか、未成年で疲れもあるとはいえあんなジュースみたいなお酒一杯でこれって大丈夫なんでしょうか。将来的に飲み会とかで女の子に持ち帰られたら責任取るとか言って何もなくともそのまま結婚してしまいそうです。あかん、一人にできん。ピアスもひとつずつ丁寧にキャッチを外して、やわい耳たぶの穴から細い芯をツウッと抜いていきますと、なんだかいけない気分になるような、そうでもないような。
「ベルトも抜いたらんと苦しいやろ」
「ってかこれ普通お兄の仕事やない!?」
「あ、写真送っといたえ」
「ありがと」
声を抑えつつ怒鳴るという芸当を披露した私を兄は適当に流します。そして確かに懐の携帯がマナーモードで震えました。
「ホンマは制服しわになる前に脱がしたほうがええんやろうけど、まあ夏やし替えくらい持ってきてはるやろ」
「わかったて、脱がせやあええんでしょ、ええわあて
半ばヤケです。ベルトに手をかけ、カチャカチャと、あかん他人のベルトなん外したことないから案外むずかし。
ふと、本当に自分でも何故かはわからないのですが、坊の顔の方を見ると。坊と目が合いました。
「鶯花?」
寝起きの、低くかすれた声。いつもキリッと開いた瞼は少しとろけて、眉間の皺はありません。耳まで熱が一気に登ります。
「や、これ、違うんです、寝てはったから、そのっ」
「坊、ぼん、寝るならこっち着たって下さい」
お兄の助け舟です。慌てて体を離して、お兄が寝間着を渡すルートをつくります。
坊は寝間着を受け取ると、体を起こしてベッドに座り、シャツと肌着を脱いで上を着ます。ああやっぱええ筋肉しとる。胸とか特に。脱いだシャツを畳もうとするのを受け取って畳んでいると、坊はスラックスも脱いで下を履きます。こういう時、目をそらしたほうがいいんでしょうか。そらさないほうが
「あれ、ピアス、外してくれたんか」
「はい。枕元置いときました」
枕元を指します。坊はうとうとしながらうなずきました。
「では坊おやすみなさい」
「おう、おやすみ」
「おやすみなさい」
兄が私の腕を掴んで立たせながら言いました。私達が坊の部屋を出かけると、坊はベッドに横になります。障子を閉めて、しゃがみ込みました。
「アァー……、お兄のアホ」
「なんやアホて」
「いや普通身の回りのお世話とか同性がするやん……」
「舞妓はんの着付けは男衆や」
「酔っぱらいの世話の話しとんねん」
「お前がやりたそうやったから」
「嘘や」
「ええから墓まいり行くえ。いや、先に弁当の空厨房に届けて水もろてきた方がええやろか」
「水?」
お墓参りのための水なら厨房でもらう道理はありません。
「酔っぱらいには水飲ませるんや。アルコールの分解には水が必要やからな。覚えとき。あの分やと夜中にもまだ起きはるやろ」
そう言って厨房で水差しとグラスをもらってくると坊の部屋の机の上に置き、兄が水を飲むようにと言う旨の書き置きを残しました。寄り道もしましたが、墓参りに向かいます。夏の薄い闇と青い夏草と鈴虫の声の中、兄がぽつんといいました。
「なんや、今回の件の犯人が明陀におるんやないかって、関係者と当主集めて詮議するらしいんや。冬隣当主で僕が呼ばれてなぁ」
「へぇ」
兄が当主……僧正位を継いだのは一昨年のことです。若年故継いでからも祖父が色々面倒を見てくれていましたが、今はもう頼れません。祖父は病気をして介護が要るようになったのですが、今うちには働く兄しかいない上、叔母は遠方に住むので、施設にいるのです。弁当をもらった時に霧隠先生が明日は
「はぁ、嫌や嫌や。絶対僕も疑われる。現場にこそおらんかったけど、冬隣は封印解くのも得意やし、藤堂とも関わりあるし」
「お兄、藤堂と関わりあるん?」
「あの人昔塾の先生やっとったから習っとったんや。柔造兄さんや蝮姉さんも生徒のはずやけど、あの人魔法結界の家やさけ、僕かなりまとわりついたから……」
……それなら私もまとわりついたと思います。それにしてもそんな後の危険人物を教育者にするなんて正十字騎士團大丈夫なんでしょうか。つまり今の先生も本当に信用していいんでしょうか。でも、その前に一応聞いてみたいことがあります。
「……ちなみにお兄、現場におらんでも解けるん?」
兄は深部にも頻繁に出入りする封印係の勤務です。冬隣は結界と封印の家ですが、兄はことさらに上手く、祖父すら凌いで最早右に出るものがいません。兄は声を小さくして言いました。
「……ここだけの話、やろうと思えば。解いた後の回収も使い魔滑り込ませればええし。でも、動機がないわ。何であない危ないもん解き放たなあかんねん。そりゃ確かに封印解くのはパズルみたいな楽しさあるのは否定せんけど、身内の封印なん半分ネタわかっとるし第一モノがモノやろ」
「そんなん言うたら、誰も動機なんないわ。お寺にテロリストなんおるわけないやん」
「……まぁ、せやな。目的が瘴気源としての右目の入手なら、な」
「他に何やあるん?」
「今のところ思いつかんけど、誰もその目的やないなら、他の目的があるはずやん」
「……その言い方、まさかお寺の誰かを疑っとるん?」
むっとして、立ち止まって言いました。兄も立ち止まって、呆れたように言います。
「そうやから詮議開くって話になっとるんやろ。今朝まで警備しとったけどな、あの右目の封印破るなら、まずうちの寺の技術が必要や。話によれば、現場におったんは全員明陀の人間らしいし」
「せやけど、その場におらんでも解ける言うたんお兄やん! じゃあ何? お兄誰やと思っとるん? 柔造兄さんが、蝮ねえさまが、八百造さまが、蠎さまが、そない危ないことやった思っとるん!? 同じ現場で働いて、同じ塾で勉強しとったんやから、他の誰かが技盗んどってもおかしないやん!」
「……せやな、皆、そない危ないことは、せんやろうな。明陀も、正十字に所属してもう十年になるしな。ありえん話では、ないな」
兄の言い方は、駄々を言う私をなだめる時のものと、全く同じでした。それに気づいて、少し冷静になります。
「せやけどな、鶯花。お前の今言うた話は、信頼が根拠になっとるから、他所の人の説得は、できんえ。これは明陀だけやない、正十字騎士團の話でもあるんやから、他の人にうちの寺の無実訴えたいなら、もっとちゃんと考えや」
遠回しに、寺の人間を疑わないのは、お前が寺の人間だからだ、と言われました。そうはいっても、誰かを疑えるはずがありません。でも、お寺の外と付き合う以上、理論的な訴えも考えなくてはいけないのでしょうか。うつむいて歩く私と対照的に、兄は少し上を向いて、危なくないこと、右目、明陀、可能な人物だのブツブツ言っています。そのブツブツが急に止んで、兄は一言いいました。
「蟒さま?」
前を向くと、妙なところに蟒さまが立っていました。蟒さまは私達の方を振り向くと人差し指を口元で立てます。その向こうに、三輪家のお墓の前に向かう子猫さんの背中が見えました。兄が小声で聞きます。
「子猫に明日の詮議の話を?」
「おん、でも急ぎやないし出直すわ」
蟒さまはそう言って踵を返しました。蟒さまには帰ってきてからろくに挨拶していなかったので、軽くご挨拶してから見送ります。
お墓は、確かに既に掃除されていて、お花もまだ新しくありました。マッチを擦ると、リンのにおい。蝋燭を灯せば、あぶらのにおい。お線香に灯せば、香木のにおい。落ち着く、うちのにおいです。夏の夜のにおいに混じって、蝋燭の光が空気の湿りでぼやけます。すぐそこにいた子猫さんがこちらに気づいて、軽く頭を下げた後、また小声でお父さんとお母さんとお話をはじめました。私と兄も、声を揃えて短いお経を上げた後、父と母と祖母に、色々伝えたいことを伝えます。
父と母はどちらも青い夜で死んだので、私と兄は祖父母に育てられました。祖母は私が中学の頃に他界したので、このお墓というと、どうしても祖母に意識が行きがちです。父は、青い夜の晩、真っ先に起きて結界を張るため飛び出したと聞きます。母は、私を抱いて避難誘導していたと聞きます。ぼんやりと、父母は一緒に死ねて幸せだったのか考えて、不謹慎なその考えを打ち消しました。勇敢さなど大抵はその美徳しか語られない、少し遠い二人の話の、言外に含まれる期待と評価に、私はいつも、応えられているのか不安に思います。