あれは小学校に上がったばかりのことでした。私はその時運動場の隅で泣いていて、確か違うクラスだったはずの坊が三人のいじめっこに立ち向かっていたのです。原因は忘れましたが、どうせ寺か肌のことでしょう。私はいじめられたこともですが、坊一人矢面に立たせていることも嫌で泣いていたと思います。口論になっていた時に、突然、人目の付かない場所であったそこに当時5年生の錦ねえさまが駆け込んできて言いました。
「金造が来るから逃げえ!!」
いじめっ子達は突然現れた祟り寺の娘その2の言動に困惑していましたが、私と坊は錦ねえさまの言いたいことを即座に把握して頭から血の気が引き、坊が私の手を取って逃げようと駆け出しかけたのです。
しかし手遅れでした。何か雄叫びを上げながら当時6年生の金造兄さんは走ってきて、私達と同級生、つまり1年生のいじめっこに飛び蹴りをかましたのです。小学校6年生と1年生では大人と子供、は言い過ぎにしてもそれなりの体格差があるにかかわらず、金造兄さんは三人相手に一人で暴れまわりました。錦ねえさまが金造兄さんを止めようとしながら、最初吹き飛んだいじめっこを見て動きの止まった私たちに先生を呼んでくるよう言ったのは、覚えています。
もちろん色々大騒動になりました。どうやら金造兄さんは同級生や縦割り班など交友関係に片っ端から、坊がいじめられていたらすぐ報告するように言っていたらしいのです。それで金造兄さんに報告した縦割り班の5年生の子が、金造兄さんのただならぬ様子に怯えて錦ねえさまにも報告した結果あの状況になったそうです。金造兄さんが八百造さまにそれはもうキツく絞られたにもかかわらずあまり反省していない以上、再発防止は自分の役目だと私は思いました。
しかし再発防止といっても、いじめないでくださいと言っていじめられないなら最初から問題はありません。結果、ああなったのは坊を巻き込んでしまったからだという結論に至り、私は坊らを避けるようになりました。
それで黙っていなかったのは坊です。坊は1日目には困惑し、2日目には私を追いかけ、3日目には家にやってきて涙目で私に怒りました。何故避けるのか、どこへ行くつもりか、嫌いになったのなら言えと。私は私で泣きながら言いました。嫌いになったはずはない、だけど坊の居ないところに行く、坊を巻き込みたくないと。すると坊は、巻き込みたくないなど薄情なことを言うなと怒るのです。結局私は坊や子猫さんや志摩さんといられない寂しさもあって根負けし、それ以来坊らにべったりで過ごしてきました。
今や坊は私に同性の友達が居ないのを心配しています。どうやら、女の子は女の子と仲良く遊ぶべきだと思っているようです。宝生のあねさま達などお寺の人は家族枠のうえ年が違うので、私に同い年の同性で心許せる人が居なかったのは事実ですが、坊らがいれば別に友達などいなくてもいいと、思っていたのです。
*
塾生の女子に当てられた部屋の襖の前で、深呼吸をしました。心臓がどくどくいっています。腕珠の房を手で弄びました。お守り兼実用に持たされているこれは父の形見らしいのですが、会ったこともない父に勇気を借りるためにいじることがたまにあります。あなたの娘は、かわいいでしょうか。かわいくなくとも、あなたの娘なのですが。もう一回だけ息を吸って、今度は吐かずに声を出します。
「その、冬隣やけど、ふたりとも起きて部屋におる?」
「うん、いるよ」
「別に着替えてないからとっとと入ってきなさいよ。それともまた仕事?」
「ちゃうよ、ただ、その、ちょっと、エグいもん見せるから、ごめんね」
襖を開けると、わざわざ話しかけたから当然なのですが、二人がこちらを見ていました。二人の視線を真正面から受けて、視線を右下に移します。そのまま部屋に入って後ろ手に襖を閉めて、誰も何も言わないうちに口を開きました。
「昔の火傷やねん。今はもうほとんど何もないけど、痕だけ派手に残ってまって、普段は化粧で隠しとるんやけどね、顔以外もだいたい左半身にあるんやけど、右は植皮するために皮膚をとったからその痕が残っとって、そっちは長袖とかタイツで隠しとるん。ああ、皮膚移植って、今でも本人の皮膚しか合わんのやって。内臓なんかはドナーゆうて他人のでも合うのに皮膚はダメなん変な話やよね。でも」
「ねえ!」
杜山さんが、声を上げました。私はテンパって喋りすぎたことに気づいて、杜山さんを見ます。
「……痛く、ないの?」
「ほとんど。場所によっては、グリグリされると痛いけど……」
「そう……」
杜山さんが、目をまんまるにしたままで私を見ている横で、髪の毛を降ろした神木さんが言いました。
「アンタの言ってた嫌われるかもしれないことって、まさかコレ?」
「うん……」
立って見下ろすのも何なので、座ります。神木さんはなんだかちょっと怒ったように言いました。
「
神木さんは言い切って、それから少し視線をそらしながら言いました。
「……ところで、昔の、って、青い夜?」
「うん」
「ああ、繋がった。刷り込みみたいなもの? だからアンタあんなに青い炎に怯えてたわけ。ふーん」
神木さんは視線をそらしたまま、得心したように言います。少し考え事をしているような顔。そこで私はやっと当初の目的を思い出して、少し放心したような雰囲気すらある杜山さんに声をかけました。
「あ、あの、杜山さん。あて、杜山さんに謝りたくて……」
「あ、謝る!? 冬隣さんが、私に!?」
杜山さんが驚いて大声で言いました。大声過ぎてちょっとびっくりしました。神木さんが呆れた様子で、布団に横になりながら言います。
「まだ話すなら外でやってくんない? 私寝るから、そーゆー友情ごっこに巻き込まないで」
「はい……」
荷物から例のハンカチを出してから、杜山さんと一緒に部屋を出ます。適当な場所、縁側まで出て、庭に足を出して座りました。どこかから蚊取り線香のにおいがします。隣に座った杜山さんの方を見て、杜山さんの手にハンカチを握らせて、息を吸って一気に言いました。
「杜山さん、この間、あてが転んだ時、心配してくれたのに振り払ってまって、ごめんなさい!」
「う、ううん! 私も事情も知らずに服を脱がそうとしてごめんなさい!」
「い、いや、杜山さんただ心配してくれただけで、あてが何にも言ってなかったんが悪いんやから……」
「でも、冬隣さんがいいって言ってるのに私ったら強引に……あ、あと、ね」
「なん?」
「その、虫を入れられてたときのこと、私、覚えてるからね」
「え!! ……ほんま?」
それはちょっと予想外でした。反応がなかったのでてっきり意識自体もないものかと。色々こっ恥ずかしいようなことも言ったような記憶があります。
「うん……。だから私、もう冬隣さんには謝ってもらってるの。私はきっと、ごめんねじゃなくてありがとうを言わなきゃいけなくて。冬隣さん、あの時、私の事助けに来てくれたんだよね。ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
なんとなく、これで相殺といったところでしょうか。二人でもじもじしていると、虫の声が聞こえてきます。私は、もう一つ言わなきゃいけないことがあったのです。
「杜山さん、あて、火傷隠しとったから、お友達になれんのやないかって、思っとったの。だから、杜山さんに、どう接すればええのかわからんくって。でも、ねえ、杜山さん。あて、こんなやけど、お友達になって、くれるやろか」
「も、もちろんだよ! 私ずっと、冬隣さんとお友達になりたかったんだもん! あ、でも……」
「でも?」
「私は、冬隣さんとお友達になりたくて、でも、気を許されてないのはわかってて。だから、あの時友達って言ってくれて嬉しくて。……でも」
杜山さんはうつむいて、涙をにじませました。若草色の目が、うるりと水気でつめたい夜光を抱きます。
「私なんかでいいのかなって思って。だって、私、頼りないし、役立たずだし、ニーちゃんも出てきてくれないくらいだし……」
「杜山さん、別に頼りなくなんかないえ」
言わなくてはいけないと感じて、そっと、杜山さんの手を握りました。杜山さんの、柔らかく、それでも働き者の掌は、こんなに暑い夏の夜なのに、不快感なく暖かでした。杜山さんはうつむいていた視線を、私に戻します。
「杜山さんに、優しくしてもらって、あて、嬉しかったから。誰かを心配するのって、ほんまはすごく難しいんよ。あて、こんなナリやから、色んな人に心配されてきたけど、下心で心配する人も多いん。自分がよく見られたいとか、かわいそうな人を見て自分は大丈夫って思いたいとか。でも、杜山さんは
杜山さんの目は涙が決壊して、雫がぽろぽろ赤い頬を滑り落ちます。慌ててハンカチを探しますが所詮寝間着です。杜山さんは袖口で涙を拭いました。
「ありがとぉ……。……そっか、私、洗濯以外にも出来ること、あったんだ……」
杜山さんは、一旦収まった涙を拭うのをやめて、杜山さんの手を握ったままの私の手をもう片方の手で握ります。
「ねえ、私、ほんとに役に立つかな? 皆が大変な時に、どうにかできるかな? 燐も雪ちゃんも、何も言ってくれなかったのって、頼りないからじゃないかな?」
“何も言わない”件については、私にも心あたりがあるので少しぎくりとしました。でも、だからこそ言えることがあるはずです。
「秘密を言えんのは、たぶん杜山さんやなくて相手の問題やよ。あての時は、杜山さんが信頼できるとか、頭になかったんやもん。ただ自分の問題だけで頭いっぱいで、杜山さんがどう思うかなんわからんかったから、言えんかったんやと思う」
「自分の問題で、頭がいっぱい……」
杜山さんは、庭の方を見ました。そっちには、特に何もないように見えます。
「杜山さん?」
「うん、私も、そうだ。心配できるのが私の長所なら、ちゃんと皆のこと、見なくちゃ……」
少し表情が明るくなって、月光色の髪の毛がさらさら夜風で揺れます。瞳は、確かに明るく前を見据えていました。少し思い切って、声をかけます。
「……しえみちゃん、元気出た?」
「!」
杜山さんは勢いよくこちらを振り向きます。目尻に溜まったままだった涙が、キラキラ宙を飛びました。顔は耳まで真っ赤で、唇を噛み締めています。
「ご、ごめん、嫌やった?」
「ううん! 私も鶯花ちゃんって呼んでいい!?」
ぐい、と杜山さんはこちらに身を乗り出してきました。後ずさることも出来ずに、頷きます。こちらまでなんだか、ほっぺが熱くなってきました。杜山さんは柔らかく、ほころぶように笑います。
「ふふ、嬉しい……。燐が名前で呼んでて、ちょっと羨ましかったんだ……」
「奥村くん、いつの間にか呼んできよったから……」
「燐……。ねえ、鶯花ちゃんは燐のこと、怖い?」
杜山さんは握ったままの手を握りなおして、私の目を覗き込みます。透んだ目の中に、言葉だけで怯えた私が写りました。後ろめたさに目をそらそうとして、それも出来ずに杜山さんの深い瞳孔の奥を眺めながら言います。
「青い炎が怖い、て言いたいんやけど、奥村くんと青い炎が、結びついてまって。奥村くんいい人やし、怖がるのも悪いて思うんやけど……」
「あのね、サタンの炎は怖いかもしれないけど、燐の炎はきっと大丈夫だよ。今日
至近距離で言われたその声があまりに優しくて、私は子供のように聞き返します。
「……ほんま?」
「うん!」
すべすべの頬が赤く染まって、杜山さんは笑いました。その笑顔を疑えるはずがなくて、こんな優しい杜山さんとお友達になれた私はきっと幸せものです。好きな人がたくさんいる私はきっと、京都一の幸せものなのです。でも、好きな人がたくさんいるのは、きっと、ほんのすこしだけ、こわいことでした。
火傷の後遺症としては見た目以外に、一部ぐりぐりされると痛いのと、一部植皮が引き連れて動かしづらいのと、それからやや炙られて内蔵が弱いというのを想定してますが、生活並び仕事に支障はないレベルってことになってます。こちらもインターネット知識がメインで申し訳ない。お話が破綻しかねないのである程度何かしらのご加護があったことにはしていただきたい。