「う」
「鶯花!」
頬の痛みで目が覚めました。目が覚めたという事実、つまり、それまで眠っていたという事実と、“そこ”にいない
「あ、ああああ!」
落ちていたのはごく一瞬、きっと刹那に満たない間と状況が語っています。でも、とりかえしつかないことをしてしまった!
自刃したように前に倒れ込んでいた姿勢を起こし、頬にチクリと刺さった懐剣にその血を塗り広げようとした時、坊が言いました。
「やめえ。無茶や。命に関わる」
言われた途端、アドレナリンで無視できていた疲労を認識してしまいました。もうきっと、戦えません。そして、坊はうつむいたまま。
「もう、終いやな」
坊のそんな声、初めて聞きました。
「鶯花、動けるか」
坊の、いつも通り通った、でもよわい声。確かめる必要もなく足は萎えています。首を横に振りました。
「なら奥村に……」
断片的なつぶやき。なのに、何を考えているのか、もはや勘としかいえないレベルでわかってしまいました。やめて、
「あては」
日本語が外国語のようにわからなくなり、自分が何を言わんとしているかすら。
「ずっと
ただ、いつかの言葉だけ。それだけ。嵐の後のように、ほんとうに、それだけ残っているのです。
「……そうか」
ねえ坊、ごめんなさい、背負わせてまったやろか。でも、あて、これでええんです。これがええんです。あなたより後には死にたくない。
「堪忍」
ぽとんと落とされた言葉、堪忍て、ははは、何のことやろう。
「奥村! 俺の結界が
奥村くんの返事は聞こえません。血を吐くように坊は言います。
「行け!!」
静かでした。本当は、いろいろな音聞こえていたのでしょうが、誰の声も聞こえませんでした。ただ、死出を覚悟した人たちの、張り詰めた時間だけありました。
「……あー……、あれ! 何だっけ……」
やっと聞こえた奥村くんの返事。
「ああ、そうだ! 京都タワーだ!」
……へ?
「俺京都タワー登りてーんだ! 明日お前ら案内してくれ! 地元だし詳しいだろ? タワーなのに風呂あるらしーじゃん! スゲー気になる! 皆も誘ったら来るかな!?」
やたらめったら明るい声。場違いなまでの陽気さ。
「なので京都は無事じゃねーと、正直困る。皆が無事じゃねーと俺は困る。勝って、帰るんだ」
勝つ。勝って、帰る。みんなで、みんなのもとに。そのほうが、ここで、ふたりぼっち死んでいって、街に瘴気を流すより、ずっといいに決まってます。でも、でもね奥村くん。
「な……んで……、よりによって京都タワーやねん!!」
そう! そこ!!
「え!?」
「いっぺんも登った事ないわ! ちぃーと恥ずかし思てるくらいや!」
せや! 坊もっと言うたって!!
「京都他に名所ぎょーさんあるやろ!!」
「俺、寺とかあんましわかんねーし、むしろオシャレスポットかと……」
「あっはっはっは!!」
坊の笑い声につられて、私も笑えてきます。さっきまで、口もきけないくらい疲れてたのに。くっくと忍び笑いを漏らし続ける坊の方に首を動かすと、笑った明るい瞳と目があって、そのまま顔を見合わせて笑い続けます。
「すっ、勝呂サン……? 鶯花さーん? もしもし? ……ど、どったの……?」
そして坊は顔をあげます。雨降る天を見上げて。
「あー……、もうええわ……。どうでもええわ! お前のそのカラ元気に乗っかったるわ」
坊は奥村くんの方を見ました。雨で落ちた前髪、その隙間から奥村くんを見つめて。
「友達やしな。……奥村。お前を信じる」
坊は二重の構えをしていた左指を、地から離しました。私達を覆っていた赤い渦が千切れて消えて、腕を振った後に赤い軌跡が残ります。坊自身を、きっと預かっているという意識もあろう私の身すら賭ける形の信頼。それは、私達が倒れる前に奥村くんが不浄王を倒すと信じてのもの。そのために必要な時間を捻出する行為。私も異存はありません。ええ、きっと奥村くんならば。不浄王は炎の結界がなくなったのでこちらに向かってきます。懐剣を手放してポケットに手を入れて。
今度は漁るまでもありませんでした。ポケットから出した、
「オン・クロダノウ・ウンジャク!」
燃え上がるように展開する赤い炎が私と坊を包みました。それは間一髪不浄王の腕を防ぎます。顔を上げれば、剣を抜いた、青い炎を纏った奥村くん。
「奥村……」
坊が名前を呼びました。奥村くん、剣、抜けたんか。奥村くんはこちらに駆けてきて、結界を押しつぶそうとする腕を切って燃やします。傷から全身に青い火が回った不浄王。大きな青い炎に息が荒くなる前に、金剛杭を握ったのと逆の手で坊の
「……奥村……!」
「言うたやろ、背後は任せて!!」
荒い呼吸を
「オン・シュリマリママリ・マリシュシュリ・ソワカ!」
「シュラ!」
覆っていた菌塊が燃え尽きました。奥村くんの声でそれが霧隠先生であると知ります。子猫さんと志摩さん、間に合ったんや。顔がもう上がりません。金剛杭だけ握ります。握って、結界の形だけ考えます。体力が奪われて全力疾走したように荒い呼吸は、薬がきいた分だけは楽です。
「鶯花、おい聞いとるんか! もうええ、霧隠先生が護衛してくれる!」
――こんな時なのに、ゆうべ、坊の体を抱いた時のことを思い出しました。あの、腕に心にずしりとくる重さ、肌を暖め魂を燃やす温さ、息を吸ってはふくらみ吐いてはしぼむ胸の動き、私の指の先から臓腑の芯まで響く鼓動、枕濡らしたくなるような表情。眠って物言わぬ姿ですら、あんなにいとしいのに。
烏枢沙摩の真言万能説。原作では召喚も炎の強化も火生三昧もクナイで発火もだいたいシュリマリママリ。結界については特性的に火生三昧の方が近い気がしたのでクロダノウの方にしています。結界維持が楽なのは本当は種子字の効果というより、錫杖の火のような烏枢沙摩が召喚されたことによる加護の方が大きい設定です。