花に嵐   作:上枝あかり

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外科室 5

 私の左耳は火傷のケロイドで形が崩れていて、周囲に髪の生えない場所もあるので、髪の毛で両耳とも隠して晒したことはありません。だから、耳のアクセサリーは私にとって無意味です。魔除けだとか、そんな意味があるなら別ですが。

「なんで今さら開ける気になったんや?」

「んー、気合い、ですかねー」

「気合いって、何のためや」

「えーと、二学期で実習とか始まりましたし!」

「ホンマの理由は言わんか」

「……」

 黙ると、坊はドラッグストアの袋の中身をベッドの上に出します。朝から一緒に出てドラッグストアでピアッサーなど必要なものを買って、今は旧男子寮の借りた部屋に居ます。ピアスを開けるならその辺でやる訳にはいかないですが、男子寮も女子寮も異性の入寮を許さないのでどうしようと言っていたら、奥村くんがうち来れば、と言うのでお言葉に甘えたのです。坊はもんじゃを食べながらずっと困惑していましたが、私がねぇええでしょうと甘えるので根負けして、開けてくれることになりました。

「これがピアス用の消毒液。ジェル状になっとるから塗りやすいし、あんまり染みん。穴が定着するまで一月くらいかかるさかいちゃんと朝晩これで消毒せえよ。で、こっちがピアッサー。俺もこれと同じので開けたけど別に不都合なかったしええやろ。……穴開けるんも俺がやるんか?」

「やってくれへんのです?」

 首を傾げてみせると、坊はため息をついて言いました。

「……わかった、開けたるわ。しゃあないなあ。――あとは、この綿棒。さっきのジェルをこっち着けてから消毒するんや。そんで最初の消毒用のガーゼも、一応」

 綿棒もガーゼも部屋にありますが、持ってきていませんしまあ腐るものでもないですし。ドラッグストアで買ったのは以上なので、ビニル袋を畳んで結びます。

「で、開けるんは耳たぶのどこや。真ん中でええんか」

「真ん中でお願いします。他に開ける予定もないし」

「それ言うたらそもそも見せる予定もないやろ。ちぃと待て」

 言うと坊は自分の鞄から筆箱を出して、更にその中から油性ペンを出しました。

「ヘアピンあるか?」

「はい」

 自分の鞄から持ってくるよう言われていたヘアピンを出して渡すと、坊は私の耳にかかった髪をヘアピンで留めて、油性ペンでちょんちょんと私の耳に印をつけます。

「こんなところでええか」

 言われて鏡を出して耳を見ます。きれいな場所に描いてあったので頷くと、坊は一脚だけあった椅子をベッドの横にセッティングしてから洗面所に向かい、石鹸で手を洗いました。私も一緒に洗って、借りた部屋に戻ると坊は椅子の方に座って、私にベッドに座るように言います。膝の触れるような距離で、坊は私の足を挟むように足を広げると、ピアッサーを手に取りました。

「あれ、氷とかで冷やさんのです?」

「氷買うとらんやろ。冷やしてもちぃと鈍くなるくらいで、後から余計に痛なるからやめとき」

「へえ。坊の実体験なんです?」

「せや。一つ目開けた後でネットで調べたらそう書いてあって、二つ目で確かめた。……その、今更やけど、ほんまにええんか?」

「はい、お願いします!」

 笑って言うと、坊は常駐させている眉間の皺を、更に深くしました。

「お前、最近何や悩んどるやろ。穴なん残るんやから、悩み事の勢いで開けるもんやないで」

 ……本当に、坊は私の悩みに気づいていたようです。いえ、別に子猫さんを疑ったわけではないのですが、実際に目にすると少し面食らいます。やたら近い距離、確信に近い言い方、きっと変わった私の表情。隠し通せるとは思えません。なので。

「……勢いやない、とは言いませんけど、開いとってもええかなって思ったから開けてもらうんです。誰にも見せんオシャレって、ええやないですか」

 遠回しに肯定はしますが、内容は言いません。それに、ねえ、誰にも見せない残る穴を、開けてくれたのが坊だと思ったら、きっと、素敵じゃないですか。きっと、はらわたが満足するじゃあないですか。誰に何を言われても、それを聞く耳には、坊の開けた穴があるって、思うだけで優越感があるでしょう。この人は何も知らないのだと再確認できるでしょう。こんなこと坊には言わんけど。言えへんけど。全部飲み込んでいると、坊は予想外の言葉を言います。

「悩み、俺には言わんのか」

「……坊、言うてほしかったんですか」

 なので、私も半分無意識で言うと、坊はぐ、と唸ってから、消毒ジェルのボトルを取りました。これで、わかりました。坊だって、意識して私を避けていたのです。なのに、何で今日、ピアス開けてくれるんでしょう。例えばさっき、俺が開けるのかと疑問形にせずに、「俺は見とる」とでも断言すればよかったのに。

「ええって言うまで動くなよ」

 坊は私の右耳をつまんでジェルで消毒しました。ひやりと気化熱で冷えるそこが、ピアッサーを当てられてそわそわします。一思いにやってほしいような、ゆっくり怖くないようにしてほしいような。

「ほんまはな」

 坊はぽつりと言いました。何の話でしょう。緊張している私の気をそらすためでしょうか。坊は手元ではなく私の目を見ています。その目を見て次の言葉を待ちます。

「お前が不浄城で、ずっとここにおる言うた時。俺は、お前が一緒に死んでくれるなら安心や、って思ったんや」

 カシャン。

 耳に痛み。

 二つの衝撃に混乱して、口から一言「え」と漏らすと、坊は「動くなて」と言います。

「それで奥村にお前を連れて行くよう頼めんかったんや。俺は、お前を殺すところやった。そんなん、あかんやろ。せやから思うてん。俺もお前も、ちょお距離とるべきやなって。連れてく気やった俺も、着いてく気やったお前も、どっちもちぃと自立すべきや」

 言いながら、坊は私のピアスの刺さってじんじんする穴をもう一度、今度は綿棒を使って消毒します。耳に触る温かい手の優しさが、聞かされる本心が、やっぱりしみる耳の痛みが、全部全部ないまぜになって、頭がぐちゃぐちゃになっていきます。

「それでここんところ、お前と距離おいとった。説明もなしに避けとったんは悪かったな。すまん。もうちょお自然に少しずつ、て思とったんやけど、上手くいかんかった」

 坊は綿棒を離して穴とピアスを確認してからガーゼを取って、もう片耳を消毒します。

「でもな」

 「ぼん、ぼん」待ってと言いたくて呼んだ声は、お願いする前に、「だから動くと変な所に穴空くで」の言葉で殺されました。目を瞑りたかったのに、どうしても目をそらせませんでした。嬉しくてよそ見できないのでしょうか。それとも、恐ろしいものから目を離せないのでしょうか。

「避けとった俺が言う事ちゃうかも知れへんけど」

 坊は右手で私の左耳にピアッサーを当てて、左手を私の目の前を横切らせる形で耳をつまみました。私が目をそらすまでもなく、坊の顔が見えません。もう、いっそ怖い。

「お前がそやって自分の悩みを隠しとるのが、猛烈に腹が立つ」

 かしゃん。

「自立とかそういう話は一旦やめや。そもそも、こんななるんやから多分無理やな。薬屋行く時、塾の外で仲ええやつも出来た言うとったし、別に、それほど悪い事態にもならんやろ。ええわ。一生付き合うたる。一生面倒見たる。嫌か」

 坊は左耳を消毒しながら言いました。穴を開けてもらって、はらわたに詰まったのは満足感どころではない何か。今、何か、もっとすごいものを詰められています。やっと渇いた目を閉じることが出来て、言いました。

「嫌や、ないです。……お願いします」

「俺も気ぃつける。せやけどお前、俺に殺される覚悟もあるんか」

 顔色を伺えない中で落ちてきた言葉。そんな、今更。

「はい。……なるべく生き残ってみせますけども、覚悟なら」

「ほな」

「でも、言いません。判ってください。あては、この件を、坊に知られとぉないんです」

 だめです。だって、ここまで私を思う人に、会わせてはいけない人です、アレは。これは、甘ったれの私の中の甘えちゃいけないラインを、超えた件です。私が言い切ると、坊は私の耳から手を離して言いました。

「……わかった。ならこっちも考えがあるわ。お前が俺に隠し事、出来ると思うなよ」

「思ってませんて。……せやし、頑張らんと」

 やっと目を開けて言って、息をつくと、痛みに気づきました。ようやく痛いことが分かるくらいに余裕ができたのです。少し眉を顰めると、坊が言いました。

「痛むか」

 頷くと、坊はカバンの中をゴソゴソやって、棒付きキャンディを出しました。これ、ぽんちゃんで見た覚えあります。包装を剥いて差し出されて、そのままぱくりと口に含みます。

「その、なんや、舐めとれば気くらいは紛れるやろ」

 坊は日頃飴を舐めません。でも飴というのは大抵袋にたくさん入って売っているもので、だから一つずつ売っている棒付きキャンディを、昨日のうちに買っておいてくれたのでしょう。……ピアスを開けたら痛がるだろう、私のために。

 飴のべたっとした単純な砂糖甘さと、坊の砂糖より甘い優しさと、その甘さで骨まで溶かされそうな事実と、それでもやっぱり痛い耳たぶ。それから坊の向ける大きなエゴに、それを望みながら悲鳴あげてる私の中の恋心。全部全部が旧寮の少し埃臭い空気の中で一斉にやらしく騒ぎ立てて、混乱して涙が出てきました。今、嬉しいのか悲しいのかすらわかりません。

「どないした、嫌なら言えや。大事なことなんやから」

「ううん、嫌やありまへん。全然。ただ、頭ん中が、いっぱいなんです。少し、静かにしとってもいいですか」

 うつむいて目を瞑ると、坊は私の揃えた両手を包むように握ってくれました。慣れた人肌、すっかり大きくなった手は、いつかよりずっと固い。

 ああ、痛い。そう、これは痛いのです。でも、耳なんか何でもありません。体の表面の痛みなんて、火傷と手術のせいで慣れっこです。飴をもらえなくたって、耐え方くらいちゃんと知ってます。悪口だって言われ慣れてるから精神の痛みも、昨日の件で魂の痛みも知っています。でも、今のこれは、そのどれでもありませんでした。

 じっと考え続ける私の、落ちていく額が、身を寄せてくれたらしい坊の胸板で止まります。感じる鼓動に、もう考えごとすらできなくなりました。

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