朝、朔子ちゃんは見送りに駅まで一緒に来てくれました。駅までの道すがら、歩く朝の道はまだざわついていましたが、体の調子の方は悪くありません。
「あのね、朔子ちゃん」
「なぁに?」
「あて、神木さんとは喧嘩しとるけど、それとは別で、神木さんいなくなるのは嫌やから、安心してね」
「……うん」
「どれくらいで帰れるかわからんけど、部屋、掃除しといてもらえると嬉しいわ。いや、早う戻ってくるつもりやけど、学園祭でバタついてちょお散らかした覚えあるし……」
「うん、任せて」
……これじゃだめです。話の蚊帳の外にいる時の悔しさやるせなさは判ってるつもりですが、今の朔子ちゃんの気持ちを、安心させることは出来ません。だって、神木さんはいなくて、でも、朔子ちゃんは留守番なのですから。
「えっと、それから、戻ったら、神木さんとええかげん仲直りしたいし、朔子ちゃん、その……」
「大丈夫」
朔子ちゃんが立ち止まって言いました。私も止まって振り返りました。
「大丈夫だよ。……私が言っても、全然意味ないかもしれないけど」
大丈夫。まっすぐ目を見て言われた言葉は私の中に飛び込んできました。神木さんとか廉造さんとか、色々ぐちゃぐちゃ冷たく絡まっていた頭に、大丈夫という言葉が落ち着いて、さっきまでの私は落ち着いていなかったのがわかります。
「……いや、落ち着いた。おおきに朔子ちゃん。あて、がんばる」
「無理は、しないでね」
「もう昨日無理したしなあ。せめて勝算ある無理しかしとうないわ」
一緒にもう一度歩きだしました。曇りの朝の街は彩度が低く、普通の通勤ラッシュに普通じゃない慌ただしさがひっそり間借りしているのは、確か不浄王の件のときに似た雰囲気です。
「あ、せや、理事長の結界。組成確認しようしてもいっつもセーフティかかっとんねん」
「もう調べたことはあるんだね……」
真言を唱えて調べてみますが、網目のような構造があるのがうっすら判るだけで、詳しいことがわかりません。ちっ。流石やな。今現在も編まれ続けているようですが、少しキラリと光って見えるだけでした。うまいものです。
そうこうしているうちに駅につきました。人混みを見渡せば坊の長身が見えて、そっちに行きます。全員は揃っていません。具体的には、まだ奥村兄弟としえみちゃんが居ませんでした。朝の挨拶をするも、昨日より空気は重いです。坊に至っては生返事しか帰ってきません。そんな坊がケータイを出したので何かと思えば、どうやら女将さんに電話するようです。……私も、兄に電話してみましょうか。どうやら京都出張所も日本支部と同じく攻撃を受けたようですし、兄の安否が心配でした。あと、志摩さんのことが不安で、誰かお寺の人の声が、聞きたかったのもあります。電話は意外と早くに繋がりました。
「何や」
第一声。眠たげな声ですが、少なくとも立て込んでいるときのものではありません。
「攻撃受けた聞いて、大丈夫か思て」
「……昼勤で帰ったのに夜中に呼び出されて、そのまま臨時夜勤で徹夜明けや……」
「何や不浄王ん時もそないやなかった?」
「まぁ、しゃあないわ。結界貼り直しとかあるし。お前はどうや」
あくびが聞こえます。うん、結果だけ言えば。
「あては元気。大事ないよ。今も人手不足や言うて任務駆り出されるところ」
「坊は?」
「坊も元気や」
「猫は」
「子猫さんも……もう、塾生がそうそう危ない目合うわけないやん」
次に来るだろう言葉を先手打ってふさぐと、兄は恨めしげに言いました。
「前科二犯……」
「……何のことやら。そっちの様子はどうなん? 怪我人とか、おらん?」
「幸い軽傷者だけや。夏よりはずうっとマシやな。今は立て込んどるけど直に立て直せそうやし、心配すな」
「良かった。……あんなぁ、お兄」
「何や」
廉造さんがな、スパイなんやって。
イルミナティってお兄知っとる?
八百造さまは、志摩の人は今どうしとる?
いつかお寺で皆幸せに暮らせるんかなあ。
――全部、声にはなりませんでした。
「……いや、何もないわ。皆元気ならええんや。元気なら」
……元気なら、何しとっても、ええやんなぁ。廉造さん、元気やろうか。前に
「何やそりゃ」
「……せやけど、そう言われて育ったんやもん」
「まぁそれ言うとったの僕やな。……ほんま、兄ちゃんはお前が小学校入るくらいまで、お前が明日も生きとるかずっと怖かったんやで。元気でおっとってもらわんと困るわ。そっちも結界破られたらしいし、お前なら大丈夫やと思うけど気ぃつけるんやで。ついでにいつも通り坊らにひっついて結界張っとったら百点満点やけど、ほんまボーッとしとったら危ないんやからな。蝮姉さんから聞いたけど、何や変な男に付きまとわれとるんやって?」
「そっちはどうにかなったわ。それに、今はボーっともしとられへん。お兄こそ気ぃつけて。ほなあて、任務行くな。うん、ほな」
電話を切ります。電話をしているうちに奥村兄弟が来て、あとはしえみちゃんだけでした。待っているうちにしえみちゃんも来て、いよいよ出発します。改札をくぐったら、朔子ちゃんが言いました。
「私には何にも出来ないけど、みんな……気をつけてね」
「ああ、まかせろ!」
「ごめん、部屋だけ頼むわ」
「うん、頼まれたよ。……! しえみちゃん!」
朔子ちゃんはしえみちゃんを呼びました。何か喋っているようですが、奥村先生がしえみちゃんを呼び戻して電車に乗りました。
そこでようやく教えてもらった目的地は、島根県稲生大社付近だそうです。この後乗り換えて羽田空港に向かい、そこから飛行機で島根に入るようです。何故神木さんが島根にいるかわかったかというと、宝くんの仕事だそうです。宝くん何者なんでしょう。考えるとキリがないのでやめておきます。それが本当の情報かは不安が残りますが、他にあてもないでしょうし、島根、特に稲生は神木さんと朴さんの出身地だと聞いた覚えがあるのでまるっきりデタラメでもなさそうです。巫女の血統と聞いた覚えもありますが、稲生大社の巫女さんなのでしょうか。
乗り換えの大きな駅に着いて、そこで奥村先生が何故か唐突に発狂しました。
「皆さんこれから僕を隊長と呼ぶように!」
え、はあ、はい。発狂と表現するにはまともですが、奥村先生の普段からすれば発狂と言いたくもなります。そして隊長はんの指示に従って坊がぺんぎんマークのICカードを買いに行ったり、しえみちゃんが乗り換えについて駅員さんに聞いてきたりします。私は隊長はんのそばで大人しく坊としえみちゃんの荷物番です。
「隊長さん、今お話えーですか?」
「ハラへったよたいちょ~」
「奥村くん隊長はん今子猫さんと話しとるから。でもどっかにキオスクか何かあるんやない?」
「……すみません僕が間違ってました」
「え? 何が」
「呼び方は普段通りで結構です……」
奥村先生は赤面しながら言いました。確かに隊長と呼ぶことで幼稚園の遠足感が出てましたね。でも、よく考えればこの隊、最高年齢は高2の宝くんで大人がいないのです。霧隠先生はあれでもちゃんと大人でした。奥村先生も出張任務で引率を任されてしまって悩むこともあるのでしょう。私達もしっかり隊長はんを支えなくてはいけません。
そんなこともありましたが、無事羽田空港に着きました。志望含む
「コッ、コエーーッ! 飛んだ!! おい飛んだぞ雪男!」
「兄さん静かに」
「あっ私! お弁当作ってきたんだけどみんな食べる?」
「しえみさん水平飛行に入ってからです」
両脇を塾生の最強兵器に固められた奥村先生が何やら大変そうです。しかし私としては坊が気にかかります。必要最低限以外の言葉を、朝体調を気遣われた他に聞いていません。
シートベルト着用サインが消えて、奥村くんも落ち着いた頃、奥村先生が現状について話し始めました。しえみちゃんお手製のお弁当も子猫さんから回ってきて、坊に回します。
「昨夜、正十字騎士團本部・全支部・出張所は、イルミナティによる
それは、理事長からうっすら聞いたので私も知っています。
「……昨夜から明陀の人達と連絡つかんのんですけどそれは……」
「恐らく京都出張所も攻撃を受けて混乱しているはずです」
「朝、寝落ち五分前みたいな兄に電話通じたんですけど、そんな感じみたいです。不浄王の件の時よりは軽いという話でしたけど」
「ああ、それならまだ……」
「全体での被害状況はまだ不明ですが、本部の
「……!」
「日本支部でいうと破られた結界の修復と群がる悪魔の駆除、一般マスコミへの対応に追われてます」
結界の修復、あの後も作業する
「ウェブニュースにはなってますね。『原因不明の爆発事故、テロの可能性……!?』」
「……まあ、あながち間違ってもいないですね」
思想を押し通すための暴力ですしね。
「“イルミナティ”って……一体何なんです!? 名前だけは知ってましたけど……まさか本当に実在する組織やとは思ってませんでした」
たしかに、そんな光の王がボスでテロをするような組織なんて、今まで騎士團で捕捉していなかったのが不思議です。イルミナティなんて、テレビで安く特集される陰謀論みたいなものだとしか思っていませんでした。と、そこで隣から紙のすれる音がします。坊がしえみちゃんのお弁当の包みを開けていました。中はサンドイッチのようです。……いや、お話中にどないしたんですか坊。
「イルミナティは二百年以上前に設立された有名な秘密結社の一つです。……ですが、現代では間違いなく消滅が確認されていました。……自称イルミナティはごまんといますけどね。騎士團は世界中の結社や
確かに現状からわかる情報がほとんどですが、十数年前、つまり私達が生まれたばかりからの情報を普通に話されると奥村先生は物知りで大人っぽいなあと思います。そして坊はいよいよサンドイッチを口に運んでいます。お話を聞いているかわからないような態度で食事をしだしました。奥村くんが寝ているのは奥村くんなのでわかるのですが、坊です。ほんま大丈夫やろうか。ひょっとすると夏の京都より追い詰められてるんじゃないでしょうか。
「テロ集団……。志摩さんは……そんなとこにいってしもたんか」
子猫さんが言います。そんなところにいった廉造さんの安否はたしかに気になります。さらわれた神木さんも当然。子猫さんの手にぐっと力がこもりました。
「……何が参謀や。僕は何一つ志摩さんのこと判っとらんかった。みんなのこと人一倍見てる気ぃでいた自分が恥ずかしい……」
「子猫丸……」
ああ、子猫さん、裏切られたような気分になってるんですね。私は、どうでしょうか。廉造さんが私の事敵とみなしていないようなので、そんな気はしないのでしょうか。
「……て、笑顔で去ってく志摩さんを見た時は、そう思ってたけど、でも、僕は。子供の頃から見てきた志摩さんを信じる。僕自身の目を信じる。……そのくらいの自負心持っとらんと参謀なんて目指されへん……」
……いや、私は、たぶん廉造さんが敵でも何でも、廉造さんが元気だったら、それでいいのです。……でも、それは、ひょっとしたらとっても薄情なんじゃないでしょうか。
「そ……そうだよ。わ、わ、私は、三輪くんに言ってもらった事的を射てたもの! だからきっと……!」
「杜山さん……ありがとう……」
しえみちゃんのフォローで、子猫さんが持ち直したところで、皆でしえみちゃんのお弁当をいただくことになりました。包みを開けて、どうやら具材は薬草系のようです。薬膳みたいなやつでしょうか。いただきます。
……にがい……。
あの、苦い、苦いです。半端なく。口の中がシュッて勝手にしぼみます。唾液がめちゃくちゃ出てきます。
「草の味じゃねえか!!」
そう、それです。っていうかこれ、坊も同じもの食べてるんですよね? 確認しますが同じ具材に見えます。子猫さんがサスペンスの毒物を飲んだ被害者みたいになってる食べ物を、顔色一つ変えずに食べてはります。
「つーか勝呂よく喰えるな!? 舌破壊されてんじゃねーの」
「坊、飲み物いります……ぅぁ」
あかん口開いたらよだれ垂れた……。唾液が過剰に無限に出てきて口ん中いっぱいになる……。でも坊は返事もせずにサンドイッチを食べています。気圧でやや膨らんだペットボトルはとりあえず喉を両手で抑える子猫さんにパスしますが、これはあかんやつです。
体にいいものしか入っていないとのことなので意地で完食した頃、飛行機は着陸態勢に入りそして稲生お稲り空港につきました。同じ飛行機に乗った人はとっとと荷物を受け取って出ていきましたが、私達一行は銃火器刀剣類など貨物扱いで運んだ荷物の受け取りに時間がかかって、ロビーを出た頃にはもう誰もいませんでした。親切な清掃員さんによればもうバスもタクシーも出払ってしまったらしく、歩いたほうが早いとか。あまり大きな空港でもなく、一緒の飛行機の人の波に乗り遅れた以上そうなるのかもしれません。
空港の外は田んぼ以外殆どなんにも見えない田園風景で、のどかと言えば聞こえは良いのですがいささか辺鄙です。歩いても歩いても田んぼ。奥村先生が農作業をしている人を見つけて、道を聞きに行きました。さっきから、坊、本当になんにも言いません。どうすればいいでしょう。心配で見ていると坊の背中に奥村くんの足がめり込みます。
「くっれーぞ! 勝呂ォおオオオ!」
「!?」
「元気出せ元気! そんなんじゃ誰も助けらんねーぞ!?」
飛び蹴りしてきた奥村くんは見事着地しましたが、坊は地面に転がります。ア゛ーー! 助け起こそうとすると坊は自力で立ち上がりました。
「ぼ……坊!」
「燐!!」
そして、切羽詰った顔で怒鳴ります。いつかのような諦めもない、本当に追いつめられた声で。
「うるさい……。俺はお前らとは違う!!」
「お前って……いっつもすぐ怒るよな」
「俺にとってあいつは……家族なんや。
坊は脇に立つ私をちらと見ました。いえ、私ではなく、私の背中を、その痣を、仲間に傷を負わせた廉造さんを。
「あいつを殺して……俺も死ぬ!!」
……死ぬとか滅多なことやめてくださいよ。坊から廉造さんと坊自身両方守るとか難易度高い。
「ブッはーー! ブははー!」
「!? な……俺は真剣やぞ!!」
奥村くんは馬鹿笑いをはじめました。坊は当然怒りますが、さっきまでの張り詰めすぎた感じはもう消えています。奥村くんは馬鹿笑いをやめて言いました。
「さすが勝呂だ」
「あ……!?」
「俺の時もそうだったもんな。あの時は嫌われたんだと思って悲しかった。――でも今思ってみりゃ結局、みんな俺のこと諦めないで食らいついてきてくれたんだ。怒ってくれる人間がいるってありがてぇよ。志摩にだって多分、そーゆー奴が必要だ。だからお前はそうでなくちゃ」
……そう、ですね。そう。私はたぶん、廉造さんが本当にサタン復活をもくろんでいようと、廉造さんが元気ならそれでええやって思ってしまいます。何なら、応援もしてしまうかもしれません。その為に神木さんを攫うならそれはきっちり止めますが、多分それだけです。だから、坊が、アホなことするなと怒るのは、きっと大事です。
「……ッ、お前には、ほんまに……」
「お? お? 泣くのか? 俺の名言が心に響いちゃった? 照れんなー」
「んなワケあるかボケェ! 志摩め八つ裂きにしたるぁ!!」
「おお! 勝呂やっとチョーシ出てきたな! まぁ志摩がありがたいと思うかは別だけどな」
「知ったことか!!」
前略、イルミナティにいるであろう廉造さん……良かったなぁ、坊はあんたとの心中考えるくらいあんたのこと好いとるよ。正直何にも考えずに言えばうらやましいわボケ。あてが殺されんあたりで止めたるから、ちゃんと適度に殴られてな。具体的にはあての背中と神木さんの気絶分くらいは殴られてな。あての気絶分は負けといたるからな。とにかく元気な顔見せてな……。かしこ。
道を聞いていた奥村先生が帰ってきて、私たちはまた歩き出しました。見えた看板には大社まであと4kmとあります。さっきよりずいぶん空気が良くなって、奥村くんのガス抜き能力はひょっとしたら戦闘力より稀有かもしれません。どこまでも続くかのような稲穂の海。時折秋風が金色の波を作って駆けていき、うねる実りはさらさらした音を立てて豊穣の神様の存在を感じさせます。大社のお膝元たるこんな美しい場所の、一体どこに神木さんは囚われているのでしょうか。