花に嵐   作:上枝あかり

43 / 72
可愛い娘 6

 どん、と底につきました。真っ暗ですが、ひとまず床があって生きています。ウエストポーチからライトを取り出して点けると、そこはコンテナのような場所でした。確認しますが、ここには私一人で、落ちてきたパイプはシャッターが閉じており、床にある排水溝は浅すぎます。そして。如何にも怪しい、向かいの柵。ライトを物音のするその向こうに向ければ、そこには、異形の屍人(ゾンビ)がいました。

 にく、と唸っているようですが、既に人の姿はとどめていません。人のパーツはあるのに、もう決して人ではありませんでした。巨体には大きすぎる頭部が三つ、頭というよりウミウシのように生えていて、そのあちこちから腕が突き出して無秩序に生えています。下の方には足がびっしりムカデのように生えていて、動きにくそうに足同士をぶつけていました。人間が癒着したともいえない、再生に失敗したとも言えない、いっそ屍番犬(ナベリウス)が近いくらいの異形なのに、どこにも縫合痕はありません。そんなものが、こちらに敵意を持って柵を揺らしていました。

 ひとまず、コンテナの四隅に大きめの金剛杭を設置しました。床に刺さらなかったので置くだけですが、本来目安の部分が大きいため刺さらなくてもひとまず問題はありません。そして、上の結界が一つだけ残っているのでそれを解界します。我ながらあの状態で一つでも残したのはすごいです。そう、きっとすごいので、大丈夫。大丈夫やから。震える手を握り込みます。大丈夫やから。朔子ちゃんが、大丈夫って言っとったから。

「オン・キリキリ・バザラバジリ・ホラマンダマンダ・ウンハッタ」

 コンテナの内側に、結界が展開されました。屍人(ゾンビ)は大きいのでこれでは強度に不安が残ります。なので。

「オン・ビソホラダラキシャ・バザラハンジャラ・ウンハッタ」

 虚空網。結界に網目のような構造が張り巡らされます。これでだいぶ強度は上がりました。屍人(ゾンビ)相手ならこれで大丈夫ではないでしょうか。柵が開いても、上の屍人(ゾンビ)が新しく降ってきても、天井が潰れてきても、水が注がれても大丈夫なはずです。床が抜けるのと焼かれるのにはやや不安が残りますが、これ以上の補強は今の私では難しいです。ひとまず身の安全は確保できたことにして、改めて座って落ち着いて、状況を整理します。

 私の怪我は軽微です。右頬と両手の横が少しすりむけて、後頭部と左肩を軽く打っただけのようです。動くのに支障はありません。荷物も全部揃っています。

 皆はどこにいるのでしょう。私と同じようにコンテナで屍人(ゾンビ)と対面しているのでしょうか。落ちてきた以上ここが目的の地下ですが、皆や出雲さんを探しにコンテナを脱出するのは私には無理です。床に金剛杭が刺さらなかった以上、私程度ではコンテナを壊せないでしょうから。となると、誰かに出してもらうのを待つことになります。味方、例えば奥村くんなんかがコンテナを壊してくれるでしょうか。それとも、出口は見当たりませんがイルミナティ側からアクションがあるでしょうか。……あるとしても、この柵を開けるくらいでしょうけれども。

 ただ座して待てる状況ではありません。しかし、外の偵察をするような事もできません。なら、出来るのは頭を動かすくらいでしょうか。上の屍人(ゾンビ)は実験体でしたが、逃げてきたわけではないでしょう。意図的に、私達の歓迎のため放たれたのです。あんなにたくさんの実験体、そしてここに来て戻らぬ観光客。得られる答えは明白です。あれは、観光客たちの成れの果て。酷いの一言で片付くものではありません。早くこんなところ、潰してしまわないと。

 それにしても、実験とは九尾の憑依実験とばかり思っていましたが、本当にそうでしょうか。観光客という以上悪魔の血の混じっていない普通の人が大半でしょう。九尾だって薬で憎しみなどを忘れた人間に憑くような悪魔ではなかったはずです。そんな成功率の低そうな憑依実験をあんなに繰り返すでしょうか。それに、目の前の異形の屍人(ゾンビ)。これはもう、悪魔の憑依に耐えられないとかそういう次元ではありません。脳幹を破壊しても復活する様といい、何か別の、これもおぞましい実験の結果でしょうか。そもそも、九尾を使って何の実験をしているのかもわかりませんし。廉造さんは、こんな組織にいるのですか。こんなところで、一体……。

 突然、照明がつきました。眩しすぎて目をつぶります。まぶたの血管が見えるような状態から少しずつ落ち着いて目を開けると、ガシャンと音がしました。

 柵が、どんどん開いていきます。しかし屍人(ゾンビ)は結界に阻まれて、こちらには来れません。予測通りこの強度なら問題なさそうです。柵をこすっていた音が消えて、屍人(ゾンビ)の呻きの合間に、コンテナの外の物音がうっすら聞こえてきます。物騒な感じです。皆、無事だといいのですが、特に詠唱騎士(アリア)系の坊や子猫さんは不安です。でも、私はここを出られないから、助けに行けません。

 しかし、私はいずれここを出ていかなければならないのです。そのためには結界を解く必要があって、つまり屍人(ゾンビ)との対決は避けられません。考えられるのは二つ。屍人(ゾンビ)を結界で囲うか、それか。

「……試すか」

 立ち上がり、ライトを消して鞄に仕舞って、代わりに金剛杭を一本握って屍人(ゾンビ)の喉元を指します。

「マ! 孔雀忿怒要訣(クジャクフンヌヨウケツ)断絶末摩境(ダンゼツマツマキョウ)!」

 結界とは世界に壁を挿し込む(すべ)。空即是色、色即是空。空中に壁をつくるのと、相手の体内に壁を作るのと、何の違いがありましょう。要訣集で見たその(まじな)いは応用的で攻撃的な、いかにも祓魔に特化した明陀宗のものでした。原理自体は単純です。結界の中でも物すべてを通さないたぐいのものを、相手の気道に設置して呼吸を阻害する。問題は、分けられるような場所でもないのに目印となる杭を設定出来ないこと、また、封印などしていない相手なら動きますから、動きに合わせて結界をずらさないようにしないといけないこと。必要なのは集中力だけですが、高度な呪いと言えるでしょう。

 この屍人(ゾンビ)は頭が三つ、外からわかる呼吸器官も三つ。二つ目を指して真言を唱え塞いだ時、屍人(ゾンビ)が身を捩って一つ目の結界が解けました。集中、集中しないと。さっきの口を指して、もう一度真言を唱えます。

 そもそも、これでトドメがさせるのでしょうか。生き物は酸素がないと活動できませんから、こんなになっても窒息には弱いはず。再生するにしたって元手が居ると思いたいのですが。

 三つ目の口を塞いだ時、二つ目の口の結界がずれました。解いてやりなおしです。あかん、ほんま、集中せんと。もともと窒息させるのに、無駄に苦しませることになります。

「おな、か、すいたぁぁあ! にく、にく、お゛にく!!」

「あ、あてを食ったってあんたは腹一杯にはならんよ!」

 そう、そもそもこれ、人なのです。なんで、なんでこんなこと。やっぱり、屍人(ゾンビ)の方を結界で囲ったほうが。

「でモほしい゛ぃぃぃ」

 ……屍人(ゾンビ)が、返事を、しました。やっぱりこれ、人なのです。人、なんです。一つ目の口と三つ目の口の結界も解けました。

「っ、せやけど! 何をどんだけ食ってもおんなじや! 残るのはあてを食ってまったって罪と後悔だけ。餓鬼ゆうのは、そうゆうもんやから……」

「おなかすいたタオナかすいたおナカすいだあ゛あ゛あ゛」

「なあ、あんた、もうちょっと大人しゅうできんの。鞄に、チョコレートなら入っとると思うんやけど」

「イ゛けナぁい゛」

「肉は持っとらへんけど、チョコレートならあるし、大人しゅうしてくれれば、どっかで用意だってするえ」

「おながすイダのやだぁあ゛ア゛あ゛」

 噛み合うような噛み合わないような会話。結界に体当たりしてきますが、結界はやはりびくともしません。

「今は無理やって、なあ、ほんま……」

「おにぐおにくオ゛ニ゛く」

「もう、喰うことしか、考えられへんの?」

「たべだぃイいいイ」

 この後。この後騎士團が、ここを潰して屍人(ゾンビ)を見つけて。見つけた後で、どうするでしょう。実験でしょうか。殺すのでしょうか。その間、ずっと、この屍人(ゾンビ)は、絶対満たされない空腹を抱えたまま。

「恨むなら、あてを恨んでな、ってのも、どうなんやろう」

「おなかすい゛たおなかすい゛たおな゛かすい゛タカナシイ゛かなしい」

「……マ」

 喋っていない口を、塞ぎました。続いて、度々呻く口を。最後に、喋る口を。

 もがき身を捩るのにあわせて結界を調整します。集中しなくちゃいけないのに、実際、とても集中しているはずなのに、結界の外で蠢く様子を見ていると、ぼーっとします。そのうえ頭の芯は冷えてて、なんだかいやな感じでした。

 前に、子猫さんに褒められたことがあります。

「鶯花さんはほんまに結界が上手やねえ」

 その時は馬鹿の一つ覚えと返しましたが、もし。もし私が結界を張るのが上手いとすれば、その理由はきっと、“隔たれる”という感覚が私に深く根を張っているという、ただ一点のみでしょう。

 夏の日でした。他の季節にも同じようなことはあったと思いますが、あの夏を一番覚えています。私は風通しが良くて日の入らないお堂の、一番涼しいところに、蚊帳を張って寝かされていました。幼稚園の頃でしたがもう夏休みで、坊らもあねさま達もお寺で遊んだりお手伝いをしたりしていました。

 私は魔神に炙られた内臓の調子が悪かった上に夏バテが重なって、物が食べられなくなってしまい、微熱が出たので、動けませんでした。兄やあねさまらなど皆お堂に会いに来てくれましたが、蚊帳の中には入らず、外から何か欲しいものはないか聞いて、それでまたお手伝いに戻っていきました。蚊帳の中にひとりきりなのが寂しくて悲しくてどうしようもありませんでした。蚊帳は蚊も入りますからそうそう人が出入りするものでないのはわかっていました。皆お手伝いやお仕事で忙しいのも、私が退屈なのだから一緒にいても楽しくなくて、だから一緒にいてくれる人がいたとしても申し訳ないのもわかっていました。わかっていても一人きりに変わりはありません。蚊帳の外では、誰かの遊ぶ声や、足音、蝉の声、読経の声、色々聞こえました。全部、全部遠くにありました。檀家のおばあさんが、お堂の仏様の前にスイカを置いて念仏を上げて、「お下がりは元気になったらお食べ」と、かわいそうなものを見る目で私を見て言いました。絵本を読んだりすると熱が上がるので、蚊帳のてっぺんだけ見ていました。お線香の匂いの中で、ぬるい麦茶だけなめるように飲んでいました。

 そのうち、坊と子猫さんと廉造さんが来ました。蚊帳の中に来て、トマトを出してくれました。八百造様の畑からもいで、裏のせせらぎで冷やしてきたとのことでした。坊が「くわんからげんきになれんのや」と言いました。子猫さんは「トマトがあかなると、いしゃがあおうなるいいますしね」と言いました。廉造さんは「かってにもいできたけど、おうかさんもたべるならおとんもゆるしてくれるやろうし、おいしいで」と言いました。私は体を起こしてトマトを食べました。蚊帳の中に三人がいてくれるのが嬉しくてたまりませんでした。三人とも、今日どこで遊んできたとか聞かせてくれたり、お土産に何か欲しいかとか聞いてくれました。

 しかし、トマトを四分の三ほど食べたときでしょうか。テンションが上って体調が良くなったように感じていただけで、むしろ朝から体調が悪化する一方であった私は、トマトを戻してしまいました。戻すべきところがなくて、麦茶を入れるように用意してあったコップに吐きました。

 三人は慌てて、まず坊が、廉造さんに大人を呼んでくるように言いました。廉造さんが蚊帳から出ていきました。どうしたらいいか焦る二人に、口をゆすぎたいと言うと、今度は子猫さんが、代わりのコップをとりに蚊帳を出ていきました。残った坊が私の額に自分の額を付けて「ねつあるな」と言いました。そして、私の唇にまだ吐瀉物がついているのを見て、ティッシュを取ってくると言いました。

 私は「いかんで」と坊の甚平の裾を、戻した後の震える手で掴んだのですが、坊は「すぐもどるで」と蚊帳を出ていきました。蚊帳の中には、私一人になりました。麦茶のピッチャーの載ったお盆と、布団と、私だけ。蚊帳は、薄布でできていて風が吹けば揺れましたが、それでも――。

 屍人(ゾンビ)が音を立てて倒れました。倒れるということは有効でしょうが、このまましばらく結界は維持しなければなりません。普通の人間は、何分で窒息死するんでしたっけ。ドラマと違って、倒れてすぐではないはずなのですが。

 同じお寺でも、みんなみんな蚊帳の外にいました。皆、別の事情があるのです。出雲さんだって廉造さんだって坊だって子猫さんだって、みんな。皆蚊帳の外で、皆別の事情があって。同じ道は、進めない。

 あの時、ティッシュはお堂の反対の端の机の上に置いてありましたから、坊は本当にすぐに戻ってきて、涙目の私の唇についたトマトの皮を拭ってくれました。その後片付けてくれた志摩のお母さんに皆で怒られて、でも夕方の前に、和尚(おっさま)が三人を連れて、蚊帳の中に甘酒を持ってきてくれました。私は飲み物なら飲めましたから、栄養のあるそれを五人で一緒に飲みました。結局私は次の日病院に連れて行かれて、まだしばらく布団暮らしをしたのですが、よく甘酒をねだっては誰かに付き合わせていました。

「別に嫁にいかんでも、ずっと寺におればええやないか」

 ねえ、皆違う事情があって、別の道を進んでいても、同じお寺に居ると、思っていいのですか。お寺はもう、焼けてしまったのに。ピアスを触ります。まだ安定しないそれをまわして、それから。

 いよいよ動かなくなった屍人(ゾンビ)の為に、コンテナに張った方の結界を解きました。鞄の医療キットからハイカロリーのチョコレートバーを出して、屍人(ゾンビ)の前に置き、念仏を上げます。殺した。殺さなくちゃあかんかったから、殺してあげるしかなかったから。祓魔師(エクソシスト)として間違ったことはしていません。明陀も屍人(ゾンビ)には業を負わせる前に祓ってやることとなっています。何を言って浸ったところで、私の肩には屍人(ゾンビ)を殺した業が乗りました。きっとそれまで、おきつね横丁でおいしいものを食べていた、私と同じような、かなしい誰かさん。ふと思い立って口ずさみました。

「“仏も昔は凡夫なり  我等も(つい)には仏なり いずれも仏性具せる身を へだつるのみこそ悲しけれ”……」

 屍人(ゾンビ)も同じだと、いいんですけど。また、今後に備えて結界を張り直しました。すべて、蚊帳の外になりました。




 例によって釈明しきれない量の捏造アンド捏造ですが、もうそういうことということにしてください。チョコレートは雪山救助犬が持ってる酒とチョコ的なあれです。
 最後に主人公が口ずさんでいるのは平家物語に登場する今様です。似たものが梁塵秘抄にも収録されています。意味合いとしてはみんな成仏できる身なのに区別するのは悲しい的なそのままの感じなんですが、平家物語中では仏御前という後から来た若い女性に夢中になった偉い人に捨てられた祇王さんが歌います。……流石にこちらの意味は彼女も含んでいないとおもいます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。