花に嵐   作:上枝あかり

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「人生というやつには矛盾が多いので、やれるようにしていくよりしようのないものだ。ただ、永久に生き、創造し自分の滅びやすい肉体を……」
サン・テグジュペリ『夜間飛行』



夜間非行編(秋~冬)
夜間非行 1


 甘露軍荼利明王(カンログンダリミョウオウ)軍荼利(クンダリ)さんの、明陀での正式な名前です。

 甘露とは、インドにおけるアムリタの中国での名前。アムリタも甘露も、西洋においての名前は、エリクサー。

 

 

 朝の光が、明るくまぶたを透かすので目が覚めました。白っぽく眩しい光の感じからして、もうおひさまも登りきった朝です。目を開けて、身動きしようとしても体は動きませんでした。

「鶯花……? 起きたんか?」

「……青ねえさま?」

 目を開けた先では、青ねえさまがこちらを覗いていました。何故ここに、というかここはどこでしょう。

(あて)がわかるんやな!? 待ってて、すぐ医工騎士(ドクター)呼んでそれ解いてもらうからな!」

 青ねえさまはそう言って扉を開けて走っていってしまいました。それ。私は、拘束衣を着ていました。

 改めて現状を確認します。どうやら病院の個室にいるようです。布団でよく見えませんが着せられているのは確かに拘束衣で、両袖が自分を抱くような状態で固定されています。足を動かせばジャラリと鎖の感覚。どうやら手錠……足首につけられているので足枷でしょうか。そんなものをつけられているようです。

 私、エリクサーを打たれたんでした。打たれて、屍人(ゾンビ)になりかけてました。でも今、どこも痛くありませんし、五体満足、余分もなしといった感じがします。しかし撃たれたはずの肩口すら痛くありません。包帯を巻かれている感覚とか、そういうものすら、ありません。頭の方もすっきりしていて、青ねえさまが肉に見えるということもありませんでした。

 引き戸が開きました。顔だけそちらに向けると奥村先生でした。こちらに早足でやってきてベッド脇の椅子に座ります。後ろの青ねえさまはそわそわと奥村先生の反対側に陣取ります。

「おはようございます。現状を認識できていますか?」

「現状、ってどこからですか? 稲生に任務で来て、エリクサーを打ち込まれたからここに寝ているんやろうなってことはわかります」

「それで結構です。続けて質問しますが、貴女のお名前は?」

「冬隣鶯花です」

「僕の名前は」

「奥村雪男先生」

「あちらは?」

 奥村先生は青ねえさまを指しました。なんだか直近にやった覚えのあるようなやりとりです。

「宝生青……」

「はい結構です。そして……お腹は空いていますか?」

「お、お腹。まぁ、それなりには……」

「食べたいものなどはありますか?」

「普通にご飯とお味噌汁なんかが」

「はい。……大丈夫です」

 奥村先生は、それを青ねえさまに向かって言いました。青ねえさまは「よかった!」と叫ぶと、布団をめくって私の腕の拘束をとります。奥村先生も足側からめくって、足枷を外してくれました。青ねえさまは腕の拘束を外し終わると起き上がった私の頭を抱き込みます。

「よかった、よかったぁ。怖かったやろ?」

「おん、それなりに……っていうか今めっちゃ混乱しとるんですけど、何で青ねえさまおるん? ここどこなん? 皆は……」

「彼女は稲生制圧のための増援部隊です。監視の必要な貴女を夜通し見ていてくれました。ここは稲生の病院で、皆さん無事ですが大小怪我はあるので一応ここに入院しています。……貴女が起きてくれて、安心しました」

 眼鏡を外して眉間を揉む奥村先生が一通り全部答えてくれました。皆、皆って、どこまででしょう。それを聞く前に、奥村先生の携帯が鳴りました。

「はい奥村。……ええ、今目覚めたところですが……。大丈夫です、会話ができて状況を認識できますし、食人性も認められません。……え、今からですか!? そんな……。!? ……はい、わかりました。すぐに支度します」

 奥村先生は携帯を閉じます。何が今からなのでしょう。色々聞こえる物騒な言葉も頭を上滑りしていきます。

「今から冬隣さんにはこの病院屋上に迎えに来るヘリコプターに乗って東京に向かってもらい、東京からは鍵でKRCラボに行って精密検査を受けてもらいます」

「い、今から!? それにKRCラボって確か国外にあるんですよね!?」

 青ねえさまが言いました。こ、国外。私、そんなところに行く前にみんなに会いたいんですけども。

「そうです。いきなりの事で申し訳ないんですが、上からの指示で……。今からゆめタウンの方をヘリが出発するそうで、すぐにこちらに来るようです。あまり待たせられません。着替えや食事は東京でお願いします。立てますか?」

 言われて、ひとまず立ち上がったら普通に立てました。運動機能も今のところ問題なさげです。スリッパを用意してもらって履いている間に、机にあったカバンを奥村先生が持ってくれました。

「なんや都合もあるんやろうけど横暴やな……! 鶯花、大丈夫やで。(あて)ら皆あんたの味方やからな」

 扉を開きながら、手を握った青ねえさまが言ってくれました。ヘリポートに行く前に、皆に会えるといいんですけど。なんだか自分の事なのに他人事みたいで、子供みたいに手を引かれるまま二人について歩いていきます。

「先生……鶯花!!」

 廊下の交わるところで、坊の声が聞こえました。見れば、向こうには坊、とそれから皆います。青ねえさまの手を抜け出して、廊下なのに走り出しました。安いスリッパが片方脱げかけたのを後ろに飛ばして、もう片方も脱げかけたのに躓いたら抱きとめられました。

 一度強く胸に押し付けるように抱きしめられて、それから肩を掴んで離されて顔を見られます。

「無事か」

「はい」

 坊です。日頃の険の抜けた、眉尻の下がった泣きそうな顔でした。距離の近さにどきどきするのに、坊は私を何とも思っていないから、そのままもう一度ぎゅうと抱き込められます。顔の当たるTシャツの奥の心臓はやや速くても私ほどではありません。存在を確かめるように、息ができないくらい抱き潰す、その体は少し震えています。震えを止めたくて抱き返して、背中をトン、トン、と叩きました。肩を握る手の大きさに、ついおとついの小夜を思い出します。この人は、私を、私とは違う意味でだけど、大好き。それは、きっと。

 感傷に浸るほどの時間もなく、坊は抱きしめるのをやめて、私の肩を掴んで後ろを向かせました。泣きそうな子猫さんがいました。子猫さんは私の拘束衣の長い袖から手を出してきて、ギュッと両手で握ると、私の肩に頭を預けました。

「よかったぁ……」

 メガネが額の方にずれているせいか、ほんの少しだけ拘束衣の肩口がぬるく湿ります。私も子猫さんの手を握りかえして肩に頭を預け、その骨の硬さを、体の暖かさを感じました。きょうだいのような子猫さんの、なつかしいぬくもりでした。

「青、着いててくれておおきに」

「いいえ、疲れとった竜士様が着いとるわけにいきませんし、(あて)も鶯花のねえさまみたいなもんですし。それより、奥村さん……」

「……冬隣さんは、これからヘリに乗って東京に行き、それから鍵でKRCラボに向かって検査を受けます。ヘリが来たら出発します」

 頭をあげると、泣きそうな出雲さんと涙目のしえみちゃんがいました。肩口の子猫さんは、まだ頭を上げられずに鼻をすすっていました。奥村くんはそんな子猫さんの背中を心配げにさすりながら、私に笑みを向けます。

「……KRCラボ……? ル、ルーマニアですか。そんなところまで……? 日本支部じゃあかんのですか?」

屍人(ゾンビ)がKRCラボに運ばれるので、そちらでデータをとりたいそうで……」

「鶯花を屍人(ゾンビ)と一緒に検査するんですか!?」

 奥村先生と話していた坊が声を荒げ、私の肩を掴んで後ろに引っ張りました。よろけた子猫さんを今度は私が抱きとめます。

 いまいち理解できていなかった頭が、やっと動き出しました。今は、今は私、何ともありません。でも私、不死の薬を打たれて、屍人(ゾンビ)になりかかってて、今から行くのは、ルーマニア。……ルーマニアって、ヨーロッパのどこ? そんな遠いところに、一人で、この、わからない体を、屍人(ゾンビ)と一緒に調べられに。ぎゅっと子猫さんの体に縋るように抱きつくと、子猫さんはよろめいた体勢を直して顔を上げて、抱き返してくれました。奥村先生は言います。

「すみません。言い方が悪かったです。エリクサーに関するデータは全てKRCラボで扱いたいということです。あんなものを見た後では不安かもしれませんが、ラボは騎士團直属の組織です。祓魔倫理や医療倫理はきちんと守られていますから何も心配ありませんよ。騎士團の頭脳の最高峰ですから、しっかりした検査が受けられますし、色々わかることもあるでしょう」

「じゃ、じゃあ、あて頑張ってきますね!」

 子猫さんを放して、坊の手からも抜けて、皆を見て言いました。私がわがまま言ってる場合じゃありません。

「病院慣れてますし、大丈夫です! 何もわからんまんまでおられへんし、一緒に帰れへんのが残念やけど、先帰っててください! って、あっ! 奥村先生すみません荷物貸してください」

 思い出しました。奥村先生の持っている大きい荷物の中。一角に、あの包みがあります。仲直りはまだの気まずさをおして、出雲さんに手渡しました。

「これ、朔子ちゃんから預かっとった制服……」

 出雲さんは手を出して受け取って、それから袋を握って言いました。

「……早く帰ってきなさいよ。……待ってるから」

「せや、僕もこれ……」

 子猫さんが、ポケットを探って差し出したのは私のピアスでした。慌てて耳たぶを触りますがそこに穴はありません。

「あれ、何で……? あて外したっけ」

「え、覚えとらん?」

「何の話?」

「そっか、やっぱりあれ憑依状態やったんやね……。鶯花さんが刀抜いて真言唱え終わった後、急に鶯花さんの動きが止まって鱗が体に出て、その後自分の体の、その、余分なところを刀で切り落としてって、そしたら皆元通りになったんや。その時にピアスも外して放り投げて、耳たぶの余分を落としはったから、ピアスだけ拾っといたんよ。キャッチは見つからへんかったんやけど……。全部きれいになったところで、鶯花さん髪の毛もいくらか切って、それから『こんなのはもう無いと伝えておけ』て言わはった思たら鱗消えて気絶したんや」

「そうやったん……ありがとぉ……」

 どうやらかすかな連想ゲームの果に思い出した軍荼利(クンダリ)さんが私をひとまず屍人(ゾンビ)にしないでくれたようです。五体満足はそのおかげでしょう。しかし召喚しようとした悪魔に憑かれるって、遊び半分で儀式を行ったド素人レベルの失敗です。祓魔師(エクソシスト)としては論外ですが、それでも、軍荼利(クンダリ)さんは私を助けてくれたようです。ピアス穴はまだ定着していなかったので、無理やり塞がってしまったのでしょう。だから、そう、命にかえれば、ピアスがないくらい。

 ぎゅっとピアスを握れば、ヘリコプターの音がしました。奥村先生が窓の外を見ていけないと呟きます。

「ヘリコプターが来ました。もう行きましょう」

「はい」

 青ねえさまが拾っておいてくれたスリッパを履いて歩き出します。皆屋上まで見送ってくれました。奥村先生の方に急かす内容の電話が入って、慌ててヘリポートに向かいます。

「い、行ってきます」

「……おう、行って来い」

 荷物を受け取ってヘリコプターに近づくと、風でワンピース型の拘束衣の裾と長い袖がバタバタはためきました。開いた扉から乗りこむと、乗っていた祓魔師(エクソシスト)さんがヒッと息を呑みました。私の顔は、そういえばもう化粧が落ちています。昔はよく、ミイラだのフランケンシュタインだの言われました。屍人(ゾンビ)になりかかった人間がそんな体をしていたら、やっぱり驚いてしまうでしょう。

「お待たせしてすみません。東京までよろしゅうお願いします」

 頭を下げると、座ってシートベルトをするよう言われました。言われたとおりにするとパイロットさんが指差し確認してからドアが閉まってヘリコプターは動き始めます。窓の外に向かって、軽く手を振ると、しえみちゃんだけ悲しそうな顔で振り返してくれて、他はみんな心配そうな目で見ています。ヘリコプターが上空に到達した後、拘束衣一枚では流石に肌寒かったのでカバンからショールを出して羽織りました。後ろの貨物室からはよく物音がしましたが、祓魔師(エクソシスト)の人もパイロットさんも話しかけてこなかったので、手の中のピアスだけ握っていました。

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