花に嵐   作:上枝あかり

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夜間非行 9

 スーツの女性は顔面蒼白でした。結論から言えば、あの後逃げ出した男は、女性が叫びながら指差していたがためにラーメン屋から出てきたおじさんに捕らえられました。現状街灯の下で正座させられた男と、叫んでくれた女性と、捕まえてくれた男性と私が中心となってお話し合いです。顔の火傷を隠していたガーゼを止めたテープが男ともみ合っている時に剥がれて、火傷が見えるようになってしまったので直したいのですが、いかんせん空気が重すぎて出来そうにありません。人通りの少ない時間ではありましたが、人通りの少ない通りではなかったのか、ちらほらと通りすがりの人が集まってきては野次馬に加わります。何があったのかとか、何の罪で捕まえられるのかとか喋っています。ご近所の方も出てきているようです。なぜか湯飲みに入ったあったかい緑茶の差し入れをもらいました。

「お父さんやお母さんの連絡先は? 迎えに来てもらえる?」

 緑茶を渡してくれたおばさんが言います。そんなもの、こっちが知りたいくらいです。答えられずにそっぽを向くと、スーツの女性が言いました。

「だいたい、何でこんな年頃の子がこんな時間に歩いてるの? こんなところ歩いてたら、襲われるに決まってるし!」

「いや悪いのは全部こいつだ。全く男の風上にも置けねえ。勤め先と家はどこだ?」

「出来心だったんです! お金なら払うので、連絡だけは……」

 ……なんかもう、全部めんどくさくなってきました。抱きついてきた男の今後とか、抱きつかれた私の精神ダメージとか、もう全部どうでもいいです。警察が来て補導されても困りますし、どうやって逃げましょう。遠い目で人垣の外を眺めます。

 ……げえ。

 見間違いであってほしいです、見間違いであってほしいのですが、あんな目立つ色の頭のスパイがそう沢山いても困ります。人垣の向こうに見えるのは、学園側に向かって歩いてくるピンク頭で、志摩家的な顔立ちをした、志摩さん的背格好の男の子。いや志摩さん的なんてぼかさなくてもあんな浮かれポンチな髪で垂れ目の男も他にいないでしょう。てゆーかこんなところで何やっとんのあの人。

 おそらく志摩さんは夜道を歩いてきて、こちらの人だかりを普通に気にしました。あーなんかやっとるなぁ〜って感じです。気づくな、気づくな!

 その念が届いたのか、たぶん志摩さんはチカンかいな、ケーサツ来ても困るしはよ帰ろ、とばかりに視線を逸らして、……それからこっちを二度見しました。あかん。

「あ、ちょっと!」

 緑茶の湯呑みをおばさんに突き返して、人垣をくぐるように抜けて走り出しました。走って走って、人垣を抜けて人通りの少ないところまでは逃げるのに成功したのですが、まあ普通に捕まりました。逆に、ゆっくり話のできるところまでわざと逃された感すらあります。

「鶯花さん!」

「ひ、人違いです」

「んなわけあるかぁ! こない大火傷のある冬隣家的な顔した女他におらんわ!」

「もう門限過ぎとるで、あんたこんなところで何やっとんの」

「エッそりゃまあお察しくださいと言うか……いや、あんたこそ!」

「しゃ、しゃあないやん、眠れんのやもん。落ち着かんのやもん。確かにちょお危ないことして確かめようってのが最初やったけど、今はちゃうし」

 一気にまくし立てる私に、志摩さんは少しぎょっとして、それから肩の力を抜いて言いました。

「……とりあえずなんか飲む?」

「飲む……」

 自販機で二人ともコーンポタージュを買います。閉まった喫茶店の前にあったベンチに座って、開封してまだ熱いそれを飲みますが、志摩さんは何も言いません。沈黙の中、頭が冷えて事態をやっと認識できてきました。

 ああ、やってもうた。遂にトラブルに巻き込まれました。元々そういうのを引きやすいって知ってたのに。いつかこうなるって知ってたのに。坊が知ったら何て言うでしょう。私を責めてくれればまだマシですが、自分が弟子入りしたせいとか、寺には帰れないって言ったせいだとか思ったらどうしましょう。確かにそのあたり根に持ってないとは言えないでしょうが、違うのです。あれは当然のことで、坊は悪くなくて、結果を受け入れられなくて根に持ってるだけなのに。神木さんも、あんなに、心から心配してくれて、ドスをきかせて言っていたじゃないですか。子猫さんだってこんなことになったら責任感じちゃいそうです。志摩さんがスパイだった時も自分を責めていましたし。志摩さんだっていつもと違うくらい心配してくれて、他もみんなみんな……。私が自分を粗末にするのは私を心配してくれる人を粗末にすることなのに。なんで私。

「で」

「分かっとんの、夜中に出歩くなんて正気でやることと違うわ、皆心配しとんのやって知っとる。あてかて皆に心配かけんの嫌やけど分かっとるけどどうしようもないねん、分かっとるから! 分かっとるから言わんで……」

「……いや、俺まだ何も言うとらんし……」

 志摩さんの顔は困り果てていました。……ですよね、志摩さんまだ、何にも言ってません。口を抑えると、志摩さんは眉尻を下げて言いました。

「……俺は坊と違うし、家出少女やっとる鶯花さん捕まえても、説教するのもおかしいしって困っとるところや。だって、危ないことして危ない目あったって、わかっとんのやろ?」

「おん、わかっとる。……いや」

 どうなんでしょう。本当にわかっているでしょうか。……だってさっき、めんどくさいばっかりで、他はどうでもよかったじゃないですか。

「……わかってへんのかも。イルミナティとかそれこそ性犯罪とか、今、どうでもええ。全然現実感あらへん。……せやけどしょうがないやん、あて、今、何にも危なくない。危ないて何? 命が? 尊厳が? そんなもん、あてにまだあるの? 生きとるならそれでええし、あて、死なへん」

 何かがあったって、私はお嫁にいけないなんて泣くことはありませんでした。嫁にいけなくてもお寺にいられたからです。でも、お寺に帰れない私は、一体何を嘆けばいいのでしょう? 帰る場所がなくても死ななかったけど、一体何が悲しいのかはわからなくなりました。いえ、東京は、寮は、騎士團は、私の帰るところなのでしょうが、それでも、無理です。私は、騎士團をそうとは思えません。騎士團にお友達が居ても坊が居ても、あのサマエルのいるような騎士團には、私の心の、きっと大事なところを置けません。

「ウワ、予想以上にこじらせてはる……。難しい話しとるけど、もっと簡単でええんとちゃう? 奥村くんも言うとったやん、考えすぎやって。今は夜遊びの話をしとるから、考えるのそこだけでええって。鶯花さんが夜遊び楽しいなら、もっと明るいところ通るべきやし、楽しくないんなら、そんな嫌なことせんでええって話やない?」

「夜遊び……?」

「……待って、鶯花さん今晩目的地どこやったの? こっち、ロクに遊べるところないやん」

 志摩さんがまさか、と言わんばかりに言いました。

「目的地なんないわ。道歩いとっただけ……。店とか怖くてよう入らん」

「……それ楽しいん?」

「……あてほんまは、嫌いなもん仰山あるの。せやけど言えへんの。言えへんからもう、わからん。好きなものも仰山あるけど、言えへんの。嫌なこと見ながらにこにこして……夜歩きもそうなんかもせん、どこが楽しいのか、どこが嫌なのか、わからん」

 楽しいこと、嫌なことって何でしょう。何だか目をそらし続けていたことのような気がしました。あの悪霊(イビルゴースト)の言ったことを、真に受けるわけじゃありませんけど。坊が良ければそれでいいなんて言ってたくせに、私は坊が嫌がるだろう夜歩きを繰り返していました。……それは何故? 志摩さんは理解できないとばかりに頭を抱えて唸って、アカンとかテニオエンとかメンドイとかひとしきり言ってから、顔を上げて缶を空けてからこっちを向いて言いました。

「……せやったら寮帰ろ?」

 寮に帰る。ひどく抵抗感のある言葉でした。

「帰るなんて言わんで。あて、寮には帰りたない。たぶん、それで夜歩きしとる……いや、ちゃうの、神木さんも朔子ちゃんも、いい子やの。ちゃうの、ただ、あては、あそこを、()()()()()やと思いたない。ねえ、志摩さん、帰るってどういうことやと思う? 寝るところとは違うやろ。病院もホテルも泊まるけど、帰るところと違う。志摩さんは、帰る言うたらどこ考える? 京都? 騎士團? イルミナティ? 志摩さんはどこにやったら()()()? いや、ちゃうん、ちゃうんよ、答えんでええよ、でも、あて、あて……志摩さんみたいにはなれへん……」

 泣けてきてしまって、ぐすぐす嗚咽を飲み込んでいると、志摩さんがつぶやきました。

「……俺できることないし、先帰ってええ?」

「ええよ……」

「……」

 そんなことを言ったくせに、志摩さんはベンチを立たず、私の背中を、なんだか恐る恐る、為す術なくしたように撫で始めました。慣れない手つきで、そういえば志摩さんにこうされるのは初めてかもしれません。……心配、されてるのです。心配されても持ち直せない自分の虚しさに更に泣けてきて、それでも、慣れない手つきに、どうにか応えたくて。手に促されるように、ぐちゃぐちゃの頭の中を言葉になおしました。きっと、それが今の次善でした。

「寮は、あてにとっては、帰るところちゃうよ。……せやけどお寺には、もう帰れへん。騎士團は、帰るところやと思えへん。思おうと思っとったけど、無理や。あんな、得体の知れん……。……あて、どこ帰ればええん。たぶん、あてには、帰る場所がいるのに」

「……エ、何、そういう系なん? 原因坊のあの言葉なん?」

「……」

 あの時の電話先にはみんないたようですが、志摩さんもいて、坊が喋ったことくらいは聞こえていたのでしょう。志摩さんは、私が返事をしなかったのを肯定ととったようでした。

「坊も罪な人やで……。……えー、とりあえず、帰るところないなら、鶯花さんがつくってまえばええんちゃう?」

「……」

 つくる。何を? 居場所を?

 いえ、きっとそうではなくて。志摩さんも子猫さんも、帰るところがなくても楽しそう。そういうことなんじゃないでしょうか。

 私は今まで、自分の楽しいことも嫌なことも考えなくてよかったのです。お寺の楽しいことが私の楽しいことで、お寺の嫌なことが私の嫌なことでした。でももう、そうではありません。お寺は、私の帰るところではなくなってしまったから。子猫さんや志摩さんは、お寺が帰るところじゃなくても、自分の楽しいや嫌をちゃんと、知っています。私に必要なのはきっとそっちです。いつか言いました。坊が良ければそれでいい。なら、私の幸不幸はそこに? でも、今、「坊の幸せが私の幸せ」と言い切るには、私は。

 丸めていた背を起こして、袖口で涙を拭いました。志摩さんが私の顔を覗き込んでいました。

「……解決した?」

「たぶん……。あてにはきっと、お寺じゃない“基準”がいるんやと思う。少なくとも、落ち着いたわ。手間かけてごめん」

「ホンマにな! いっつももっと聞き分けええやん」

 志摩さんは私の頬のガーゼを直してから立ち上がると、伸びをしながら言いました。私は残りのコーンポタージュを飲みながら返事します。あかん冷めとる。

「そりゃ、気いつかっとったし。相手が聞いて、しゃあないなあ鶯花は自分がおらんと駄目やなあって思われるくらいの、ちょうどいい……」

「うーわソレどこのモテテクや! 小悪魔ちゃんか!」

「モテテク、うん、モテテクやんなあ」

 そうやって、愛される存在でありたかったのです。お寺にそういう役目で、いたかったのです。軽く自嘲します。そんな私に対して、志摩さんは明るく言います。

「モテテクならモテテクで今度合コンやろーや。女の子連れてきたって。夜遊びならカラオケとかゲーセンとか教えたるし」

「ところで志摩さんこそ夜中に一人で何やっとん。まさか……」

 お誘いはさらっと流して気になっていたことを聞きました、が、これひょっとしてあんまり突っ込まないほうがいいやつでしょうか。しかし志摩さんは顔の前で両手を振って否定します。

「今日は騎士團側のお仕事やから!」

 そして志摩さんは私の手から空き缶をとって、志摩さんの空き缶と一緒にゴミ箱に捨てながら、缶の落ちる音に合わせて言いました。

「あとな、鶯花さんは俺みたいになれん言うたけど、別に、ならんでええと思うよ。向き不向きてあるし、もっとどしっと重い女やっとった方がええと思う。……さ、送ったるからもう戻ろ、な?」

 志摩さんは振り向いて、まだ座ったままだった私に手を差し出しました。

 私は結局、その手を取りませんでした。ずっともやもやしていたことが、やっと形になってきたような気がしたので、頭を整理するために、一人で帰りたかったのです。ひょっとしたらもう、出歩かなくていいかもしれませんし。志摩さんは、無理矢理連れて帰ることもなく「死ななくてもひどい目合わされたら痛いし、ちゃんと注意してや」とだけ言って帰りました。その背を見送ってから、私も歩き出しました。

 そして、急に、口元を覆われて横の路地に引きずり込まれました。

 その人は、黒い服を着て、黒妖犬(ブラックドック)を二頭連れていました。どこにも所属のわかる要素はありませんでしたが、イルミナティだと思いました。その人は私の口は塞いだまま、胴に手を回すと私を引きずり始めました。さっきの痴漢と比べ物にならないほど、迷いも無駄もありません。腕を剥がそうと抵抗すると、両手を黒妖犬(ブラックドック)に噛まれました。

「あまり歯を立てるなよ。剥がせなくなるかもしれない」

 その人は黒妖犬(ブラックドック)に的確に指示を飛ばします。私のことをわかっているとしか思えない動き。手も口も封じられて、残った鼻で、歌念仏のメロディをなぞろうとしましたが、口をふさいでいた手にそのまま鼻も塞がれました。完全に呼吸が出来ません。敵は私を連れて、知らないビルの外付けの非常階段を登っていきます。ガンガン踏み板に当たる足で踏ん張ろうとしてもどうにもなりません。いきなりのことで混乱していましたが、鼻を塞がれたということは、呼吸が出来なくて、それが意味するのは、この敵は私が死んでもかまわないということ。よくいる悪魔みたいに誰でもいいわけじゃない、明確に私に向けられた殺意に背筋が冷えます。

 唯一自由な足でバタバタ暴れて、鉄製の階段はすごい音が響いていましたが、今度は誰も来ませんでしたし、黒妖犬(ブラックドック)や敵を止めることも出来ませんでした。結構高くまで登ったでしょうか。敵は私をぐいと持ち上げて、手すりの上に載せました。

 落とされる。

 抵抗により力を入れると、黒妖犬(ブラックドック)は私の手を離しました。しかし腕を反撃につかうより、手すりを掴まないと落ちます。手も足も手すりに絡めようとしましたが、黒妖犬(ブラックドック)が邪魔します。そして、両手両足が宙に浮いた途端、敵は私の口から手を離しました。いえ、私の全身を離しました。放り投げるようにして真っ逆さまに落とされて、もがいても手足はもう手すりに届くところにありません。胃袋の浮く感覚に、真言を唱える暇なんてありませんでした。空中の手足は無為、落下は原初的な恐怖。理解するずっと前に見えてる絶望。目をぎゅっと瞑ると、形になるのを恐れる思考を追い越して、記憶がいつかの坊の言葉で言いました。

 ――人は、落ちたら、死ぬ。




 雪男くんを監視していた帰りのスパイ。
 歌念仏はそのままメロディ付きの念仏のイメージです。
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