花に嵐   作:上枝あかり

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夜間非行 13

 神木さんがしえみちゃんのところにお泊りに行ったようです。恋愛の勉強をするのだと言って、神木さんのハマっている少女漫画の既刊全巻を紙袋に詰めて持っていきました。私もよそに行ってしまえばしえみちゃん達とも会えなくなりますし、少し羨ましかったのですが、何せフェレス卿との予定もありましたので一緒に行けはしませんでした。こうやって私が他のことをやってる間に皆が恋愛の話などをしているのは置いてきぼりのような気がしてさみしいのですが、来年からはそんなことも言ってられません。私が選んだんですから。半端なことでは坊が逃してくれないのは、既に知っています。寂しいのも、きっと正気でいられないでいるよりはずっとマシです。

 週明け、お昼は女子で食べてお話を聞きたいなと思いながら登校し、ホームルーム前に廊下で坊達や奥村くんとおしゃべりしていると、しえみちゃんが挨拶してきました。

「みんなおはようございます!」

 やたら大声で、何やらいつもと様子が違います。挨拶を返しながらもどうしたのだろうと思っていると、しえみちゃんが何か言い出しました。

「あ、あのね燐……。お、お、お付き合いの話ですが……」

「ちょ」

 ほわあ。

「おま、こんな皆いるとこで……!」

「あ゛ッ、そ、そうかごめん! ごめん!」

「? あれ、皆どこいった?」

 面食らっている間に坊が私の襟首を捕まえて階段に伏せさせました。皆そろって朝の人通りの多い階段に妙な感じで隠れます。

「ちょっとちょっと! めっちゃ面白い事になっとるやん二人~!」

「いつの間にあんな事になっとったんや……!?」

「ちょっと前に……」

「シッ、静かに……!」

 子猫さんが私達を黙らせるまで、二人は何も言えないでいました。消えた私達のことは気にしないことにしたのか、しびれをきらした奥村くんが言います。

「な、何だよ早く言え!」

「燐……」

 しえみちゃんが言います。な、なんだかこっちまでドキドキしてきてしまいました。

「ごめんなさい!!」

 しえみちゃんは九十度に頭を下げました。ああ……。

「私……まだ恋愛するようなところにいなくて、みんなよりすごく遅くて、絶望的に足りてなくて……だから……」

 奥村くん、お話聞けてるでしょうか。無理そうです。私なら無理です。窓から飛び降りかねません。奥村くんなら大丈夫だとは思うんですけど、それでも魂抜けてる感じに見えます。

「だから、ごめんなさい……」

 しえみちゃんは消え入りそうな声で言いました。きっと振る方も心苦しいのでしょう。しかも、理由が自分の至らなさです。傷つけないためにそういうこと言うタイプじゃありませんが、しえみちゃんはもっと自信を持ったらいいと思うのに。しんみり二人のことを考えていると、志摩さんの押し殺した笑いが聞こえてきました。あんたねえ。

「……なんつーもん見てしもたんや……哀れ奥村……」

「ぽんちゃん予約しときますね……皆で励ましてあげましょ」

 坊と子猫さんは男の友情でもって既に慰めようとしています。確かになんてもの見てしまったんでしょう……。二人が奥村くんを励ますなら、私はしえみちゃんでしょうか。今日もフェレス卿に呼ばれてますけども。どうにか予定を空けるなら、やっぱり昼休みが一番……。

「あれえ」

 雑踏の中でも、その聞き覚えのある気がする声が二人に向けられたのは判りました。一度か二度しか聞いたことはなくても、頭に、何か重要な情報として記憶されているような声。

「そこにいるのは、奥村燐とボクのお嫁さんじゃないですか。お久しぶりです」

 廊下の向こうから歩いてきたのは、アマイモンでした。

 ……アマイモン!? 振り返ったしえみちゃんは固まり、カタカタと小刻みに震えているように見えます。そりゃそうですよね、あんな目に合わされていたらっていうか、お嫁さんって何ですか。いくら八候王(バール)といえ言っていいことと悪いことがありますし、そもそもお嫁さんとか呼んどるくせに目ェ抉ろうとしてたんですか!?

 全員が固まる中真っ直ぐに歩いてきたアマイモンはジャマだと言ってしえみちゃんに当たった後、奥村くんに近づいて因縁つけてます。

「何で学校にアマイモンが……!?」

「何で制服?」

「フェレス卿何考えとるんや……!?」

 ですよね、制服着てますし、つまりフェレス卿の許可がないとここにはいないはずですよね。とりあえず気づかれていないのはごくわずかと言え逃せないアドバンテージです。仕込んであった金剛杭を出して、どうにかする方法を考えます。

「ははァ、無視か?」

「……あ、あれヤバない? アマイモンて確か……」

「ボクは無視されるのがキライだ」

「やっぱり! ここで()()()()や!」

 そんな子供かヤンキーじみた好き嫌いしてたんですか!? っていうかマジでどうしましょう、敵いそうなのは奥村くんくらいですけど……。

「アカン! 奥村(アイツ)フラれて放心状態のまま……」

 そもそもこんな人の多いところで抜刀させるのもアレですし、でも地の王相手にそんなこと言ってる場合じゃないですし、ここはとりあえず周りの生徒と離すための結界でしょう。杭を転がした時でした。

 しえみちゃんが、アマイモンを力いっぱい突き飛ばしました。

 わ、わあ、出たしえみちゃんのここ一番の思い切り……。アマイモンはそのままバランスを崩し転びます。口の中で唱えた真言はとりあえず、アマイモンは防ぐのは無理でも生徒を入れない程度の壁になりました。

「……? 今、ボクを押したか?」

「わ、わ、私の友達に近づかないで……!!」

 アマイモンが転んだまま言った言葉に、しえみちゃんはそう返しました。他の生徒は結界に触ることもなく遠巻きです。だってそれくらい、ヤバイ雰囲気なのです。しかも相手はデコピン一発で私を吹き飛ばせる悪魔の王様、でももうそんな事言ってる場合じゃなくて、敵わなくてもどうにかしなくちゃいけないです。

「へえェ。面白いです。そのユーモアセンスに免じて地面を舐めながら四ツん這いで逃げ出せば見逃してやってもいいですよ」

 完全にやる気です。もうこれ今の私なら私が躍り出るのが一番早くて確実なんじゃないでしょうか。そうもいかないですし杭も投げたら注意を引いて殺されそうなので、孔雀明王経を唱え始めます。

「も……杜山さん逃げて! ここは俺達が……!」

「……私……逃げない。だって、……私、祓魔師(エクソシスト)になるんだから!」

 その声に呼応して、しえみちゃんの髪からニーちゃんが飛び出しました。なるべく急いでいるのですが、まだ序の口のお経は本気になったアマイモンを止められるほどではなく、アマイモンは拳を振りかぶります。

「じゃあ死ね」

「ニーちゃん私達を守って!」

 お経もニーちゃんも間に合わないかと思ったその時、しえみちゃんの背後に庇われていた奥村くんがアマイモンの拳を受け止めました。

「テメーまた現れやがったか。全然変わんねーなウマイモン。こんな所で暴れてんじゃねぇ!!」

 一瞬固まります。よかった奥村くん、気をたしかに持ってくれて。でもその間違いは、この相手には……。

「アマイモンだ!!」

 縛ろうとしているこちらに反動が来てよろけてしまうほどの力。怒ったアマイモンは拳に力を入れ奥村くんを更に押したようでした。間にいたしえみちゃんもよろけて転びます。チャイムが鳴りましたが、少なくともしえみちゃんが立ち上がるまで、理想は理事長が来るまでどうにか縛らないと、と途切れたお経を唱えなおそうとしたその時。アマイモンは舌打ちを一つすると、低くなった姿勢を喧嘩するとは思えないように直しました。様子を見るためお経をやめます。

「今すぐにキサマをブッッッ殺したいところですが……、兄上に“規則正しい学生生活を送る”条件で自由を許可していただいたんです。命拾いしましたね」

 そう言ってアマイモンは結界をまるで足でドアを開けるような程度の力で蹴破り、一年の教室のある方に歩いていきました。き、規則正しい学園生活……?

 とりあえず危機は去ったようです。いや、去ってないんですけど、少なくとも学校が林間合宿の時の森みたいになることはないようです。奥村くんはしえみちゃんに今まで通り友達だと言って、教室に向かうしえみちゃんの背を見送ります。そんな奥村くんを慰める三人。私は、()()があるのでぽんちゃんにはお付き合いできないのですが。もうチャイムも鳴ってしまったことですし、教室に向かおうとしていると、坊が携帯を見ていました。

「あれ、坊?」

「いや、何でもない」

 メールか何かだったんでしょうか。子猫さんと一緒にホームルームにすべりこみます。それにしても、アマイモン相手に為す術なしは少しまずいです。やっぱり、強度というよりそれこそ林間合宿で霧隠先生がしていたような条件系のを練習しないといけません。

 一時間目の終わった後は、規則正しい学園生活ということは同じ屋根の下にアマイモンがいるらしいということで、しえみちゃんの様子を見にB組に行きます。するとしえみちゃんより先に目に入る、明らかに周囲から遠巻きにされたアマイモン。うっそやろ。同じ屋根の下どころかご学友やん。とりあえず、しえみちゃんと朔子ちゃんを連れ出します。話を聞けば、アンブロシウス・ファウストという名前の理事長の甥という身分で転入してきたそうです。それで奥村くんのいるD組ではなくしえみちゃんのいるB組なんですか。何なんですか。二時間目が始まる所で別れて、教室に戻って子猫さんと神木さんに報告し、何か隣から物音が聞こえたらすぐ動ける構えで二時間目を過ごします。

 次の休み時間は、神木さんがB組でしえみちゃんと朔子ちゃんと合流して、子猫さんがC組の志摩さんとD組の奥村くんに事態を伝えに行くと言うので、私は特Aの坊に知らせに行こうと特進の教室に向かいましたが、教室に坊はいませんでした。あれえ。購買かトイレでしょうか。行き先を聞こうにも特Aの知り合いなんてあとは奥村先生しかいませんが、先生はまだ入院中ですし。どうしましょう、誰も知り合いおらへん。ドアの所でとりあえず帰りを待っていると、見覚えのあるような無いような女の子が声をかけてきました。

「……勝呂くんに用事?」

「そ、そうなんやけど……」

「知らないの? 勝呂くん、今日は休みだよ」

「……え?」

 朝、一緒にいましたよね。

「……朝から?」

「朝から。なんだ、あなたでも、勝呂くんのことで知らないことあるんだ」

「そらあるけど……」

 きな臭くなってきました。ただ、これはどちらかというと、アマイモン絡みよりライトニングを疑ったほうがいい気がします。坊、最近ライトニングの仕事を手伝っているとかで、奥村先生のお見舞いの際も呼び出されていましたし、今朝携帯を見ていました。あんな時間に連絡が来るような相手はライトニング以外なら京都しか思いつきませんが、私に連絡が来ていない以上京都でもなかったはずなのです。女の子にお礼を言った後、教室に戻りながら坊に何かメッセージを送ろうとして悩みます。だって、下手なことを送るとストーカーみたいですし、そろそろ坊離れを考えないといけませんし。そのかわり、仕事の関係で聞いていたライトニングの連絡先に、メッセージで坊を連れ出したか聞きます。その後やっぱり我慢できなくて、無事を尋ねる一言だけを坊に送りました。

 そして3時間目の休み時間に昼食を買いに出つつスマホを見れば、ライトニングからはプリインストールのうさぎのスタンプが来ていました。坊へのメッセージにはまだ既読もつかないのに。そもそも何やねんこのうさぎ。3時間目いっぱいかかって考えて出した結論はうさぎ=耳が長いということで耳が早いねでしたが、耳が早いってなんや仮にも同じ屋根の下おるんやぞとムカついて来たので、なんかはぐらかされたんやろなって思うことにしました。そして、はぐらかすということは連れ出したということです。そんなに弟子入りに乗り気でなかったライトニングが学校を休ませて連れ出すなんて、いったい何事でしょう。厄介に巻き込まれているんじゃないでしょうか。

 スマホを気にしながら四時間目が終わり、とりあえず約束していた通り神木さんと一緒にB組に向かってしえみちゃんと朔子ちゃんと合流します。そこで、スマホが震えました。

 確認すれば、坊からでした。『無事や。なんともない』。見ているうちにもう一通メッセージを受信します。『心配かけたな』。今何処にいるのか聞くと、正門をくぐるところだと帰ってきました。

「ごめん、あてちょお外すわ。先食べとって」

「どうしたの? お昼預かっとこうか?」

「お願いしてええ? あ、傘持ってかんと……」

 一度教室に戻り、鞄から折り畳み傘を持ち出して正門の方に向かいます。三時間目頃に降り出した冬の雨は冷たく、小走りの脚で踏みつけた水たまりは跳ねてタイツを濡らします。雨に煙る校舎から人の気配はするものの、雨に閉じ込められて他人事で、坊の影だけ探します。雨音に混じって耳に忍び込む遠雷。そして彩度の低い花壇の横、一人きりで歩く人影は確かに坊でした。しかし、どう見ても傘をさしていません。駆け寄れば膝まで濡れましたが、坊こそまるで水に落ちたようにずぶ濡れです。足音でこちらを向いた坊は、私のことをただ見つめ、こちらに寄りも、向こうへ歩きもしません。ひとまず傘のうちに入れて聞きます。

「坊、傘は……」

「今日は持ってへん」

「ほな、タオルとか……」

「ああ、入っとったはずやけど、もう濡れとるやろうな」

 私のハンカチで拭おうにも、ここではどうにもなりません。ひとまず、食堂から通じるテラスに向かうことにします。折りたたみ傘の小さい中に無理矢理一緒に入れれば、濡れた身体が当たって冷たくて、それでも二人入りきれずにあちこちが濡れます。学園から出たなら出たで、何故途中で傘を買ったりしなかったのでしょう。聞こえる坊の吐息は歩いていただけにしてはやや荒く、白く曇った息は冷え切っていそうです。坊は私から少し離れながら言いました。

「あんま寄ると濡れるで、やめえ」

「ほな、坊が傘持って下さい」

「俺は今更濡れても変わらんからええわ」

「そういうわけには……」

 そう言うと、坊はもうこちらを見ていませんでした。前を向いてはいましたが、何か考え事をしているように見えます。濡れたコンクリートのにおいが鼻を痛いほどに冷やして、そんなものまでもが不安を掻き立てました。

「ねえ、坊、どないしたんですか。ライトニングに連れ出されたんでしょう。こんな平日に、一体どんな厄介事に……」

「いや、確かに師匠の用事やったけど、何もない」

「何もないはずないでしょぉ……」

「すまん」

「心配しとるんです」

「……すまん」

 坊は眉根を寄せて同じ言葉を繰り返します。上の空なだけならまだしも、これは、私が危惧していたような事態のような気がして。なにか、とんでもないことがあったのではないかと思って。それで、我慢ができずに言ってしまいました。

「ねえ! ……坊やないですか。一生付き合うてくれる言うたのは、坊やないですか……。それは、あてが聞いてはいかんことなんですか。あてがどうにかしたいと思ったら、あかんことなんですか」

 こんなこと、今の私が言っていいことじゃないのに。

「……ッ。……あかんことや。機密なんや。それに、……知らんほうがええ。俺は、この件をお前に聞かせたない」

 坊は私から目をそらして言いました。何かあったのは確定でしょう。何か、ひどいことが。

「あはは、いつかの逆ですね……。坊だけあてに、隠し事しはるんや……」

 私、どの口でこんな事言ってるんでしょう。私も坊から目をそらすと、坊は急に歩みを止めます。今度は、前だけ見ていました。前……すぐそこだったテラスから、志摩さんが声をかけてきます。

「あれ? 坊に鶯花さん。わあ~相合い傘やないですか……って坊めっちゃ濡れとる!」

 その声で坊が歩き出したので着いていき、テラスに入って傘を畳んで水を落としてまとめます。そして坊が奥村くんたちの座るテーブルについた所で、何を言うわけでもなくハンカチを渡します。坊は子猫さんらに濡れているのを心配されながらも、買い置きしてもらっていた昼食を受け取りました。……私も、朔子ちゃん達を探さなくてはいけません。何をしていたのかをまたはぐらかす坊を視界の端でとらえてから、人混みの食堂を歩いて探します。じきに合流して預かってもらっていた昼食を受け取ると、何をしに行ったのか聞かれましたが、はぐらかしました。空いた机を探して歩きます。

「あっ、女の子たち~、こっち椅子あるで~!」

 志摩さんの声。確かに陣取っていた机は大きく、私達も座れる広さでした。しかし、男子、というか奥村くんと一緒だと私のしたかった話は出来ないような。坊が濡れているのに気付いたしえみちゃんは言います。

「勝呂くんを迎えに行ってたの?」

「あー、うん、そんな感じ……。あの人傘持ってへんかったから」

「あんた……」

 神木さんがジト目で見てきます。言いたいことはわかりますから。うっすらわかりますから。朔子ちゃんはにこにこしています。人をかき分けて男子のテーブルにたどりつき、やっと落ち着いて座ると志摩さんが言いました。

「今杜山さんの話題しとったんや~」

「えっ!?」

「しえみ、お前何かあったらエンリョしねーで俺達に……」

 奥村くんが言いました。きっと、アマイモンの話でもあったのでしょう。奥村くんの肩に志摩さんが手を置きます。

「奥村く~ん、フラれたんやさかい、そーゆーのもーやめた方がええんちゃう~?」

「えーーフラれたの!?」

「フッたのあんた!」

「志摩テメエ~!!」

 志摩さんの暴露により朔子ちゃんと神木さんが反応し、奥村くんは当然怒って大変な感じです。そんな恋愛事情バラされて平気な人ばっかやないんやで志摩さん。……しえみちゃんと奥村くんにしろ、私と坊にしろ、仲間内ではもう大分公開情報の感じはありますけれども。それでもプライバシーというやつがですね。隣に座った子猫さんが私に言います。

「坊を迎えに行ってはったんやね」

「あ、聞こえた? せやねん、外出てるって聞いたさかい……」

 学校に来ていないことを知っていたのは言いませんでした。それで何が良くなると思ったわけではありませんが、今、何でもかんでも喋るのは良くないと思って。……何でそんなこと、子猫さん相手に思わなくちゃいけないんでしょう。まだ続く同席の騒ぎの横で、黄色い声が聞こえてきました。奥村くんとも聞こえて子猫さんと一緒に振り向くと、そこには腕をつった奥村先生がいました。

「皆さん、ちょっといいですか?」

「雪男!?」

「奥村先生、明日退院じゃ……」

「体調もいいので昨日退院して……、そのまま、騎士団本部で溜まった仕事を片付けてきたんです」

「昨日!? いえよ!」

 同居家族のはずの奥村くんも知らなかったようです。旧寮が広いから奥村くんが気づかなかったのか、奥村先生が忍者なのか、それとも昨日は旧寮に帰らなかったのか。いずれにしても無連絡とは。

「片手じゃ一人で色々大変だったでしょ」

「慣れれば案外大丈夫ですよ」

「ミズクセー奴だな。つーかもっと休んでりゃいいのに」

「そうはいっても三日後に学期末テストだからね」

 奥村先生の指摘で全員ハッとなります。……あかん、どないしよう。高校は他所行っても通信か何かでどうにかしようと思ってましたけど、近々のテストはどうにもなりません。祓魔師(エクソシスト)認定試験も手心なしと聞いていますし、任務に向けての準備もありますし、これはまずい。

「認定試験も大事ですが、高校生としてそっちの勉強もしないと。それはそうと、兄さん、ちょっと……」

「んあ?」

 注目の集まっていた奥村先生が兄弟二人で声を潜めて話しだしたので、皆の興味が離れます。私も食事に手を付けようとして、ほぼ正面の坊の様子がおかしいのに気づきました。誰かと喋るでもなく、パンを食べるでもなく、ぎゅっと拳を握って、前を見つめています。前? ……奥村兄弟ですね。パンを齧る私が観察しているのにも気づかず、じっと前を見つめ、少しずつ顔色が悪くなっていきます。ついには何かに耐えるように目を閉じました。声をかけようとパンを飲み込んだ瞬間、急にビクリと震えて目を開けます。机の上のスマホの画面が明るくなり、着信で震えていました。坊はスマホをとると慌ただしく席を立って言います。

「先行くわ。パンの金明日返すさかい。すまんな」

「坊」

 その背中を、呼び止めてしまいました。振り返った坊に、言葉を探して、結局口をついて出たのが。

「……何やあったら、すぐ電話して下さい」

 ああ、しまった。さっきのままだったら、まるで私が坊に愛想を尽かしたように見えて、都合が良かったのに。皆から離れるために嘘や隠し事をした舌の根も乾かないうちにこれで。そもそも、外にいると聞いた時に何も考えずに会いに行ったところからおかしかったのです。結局傘を持っていなかったので迎えに行った形になりましたが、会ってどうするつもりだったというんでしょう。私、もう、自分がどうしたいのかわかりません。

 放課後、深部の奥、封印係の持っている部屋に向かいます。最近の私は任務でその封印係によく呼ばれているということになっていますが、実際は違います。そういえば、昨日はエレベーターのあたりで坊とニアミスしたのでした。ライトニングと一緒に、一体何の用だったのでしょう。今日の件と関係あるのでしょうか。私には、わからないことですが。

 そして着いた封印係の部屋の扉にノックを、3回、1回、2回。

「理事長さん、理事長さん。お邪魔します」

 そう言ってドアを開けると、その向こうは分厚い赤い別珍のカーテンでした。ここは、フェレス卿の蒐集鬼部屋(ヴンダー・カンマー)。本来は高等部化学実験室でこれをやらないと入れないそうですが、今回特別にこの封印係深部詰め所と女子寮6階トイレからも部屋に行けるようにしてもらっています。ここは、私がフェレス卿に研修を受ける部屋でした。

「お待ちしていましたよ、マイフェアレディ」

 カーテンをかき分けて入れば既にフェレス卿は部屋にいて、私を迎えました。ごちゃごちゃと色々なものがある倉庫じみた場所なのに、分類されて整然としている不思議な部屋。部屋の奥に向かいます。

「前から気になっとったんですけど、そのマイフェアレディってなんなんです?」

「おや、ご存じない? 名作ですよ」

「いや、映画やってことはわかるんですけど」

「あらすじとしては、言語学の権威・ヒギンズ教授が友人・ピカリング大佐との賭けに乗り、下町の花売り娘イライザに正しい英語の発音を教えて、一人前のレディにするというものですね」

「ああ、なるほど。せやからライトニングと賭けしとったんですか」

「あれは若干別件ですね。彼も趣味が悪い」

 そして、部屋の窓際にある黒板の前の古い学校机に着きます。窓の外では灰色の空が強くなり続ける雨脚で霞んでいました。フェレス卿は黒板の前で指示棒を一回しして言います。

「さて、連日嘘のつき方の授業ばかり、というのも飽きるでしょう。というか私が飽きました。今日は男の捨て方を勉強します」

「そんなん任務にないでしょう……」

 呆れました。

 私の任務は、今度の大晦日、京都出張所を襲うことでした。犯行声明は、もう明陀宗は正十字騎士團に所属できないというもの。そして僧正家を回って同じく抜けるように説得するのです。それに対し、誰がどのような反応をするかを見ると聞いています。身分としては適役でも、そんな大それた嘘の付けなさそうで、狂言だろうと誰かの敵になるなんて出来そうにない私に施されているのが、今の授業でした。フェレス卿は指示棒の先をつまんで、楽しそうに言います。

「でも、必要でしょう?」

「……そうかもしれませんけど」

「それに何にせよ、応用というのは効くものですよ。きっと、素敵なレディにしてあげますからね、お嬢さん(フロイライン)

 フェレス卿は目だけで笑いました。悪魔の言う素敵なレディなんてものになりたいのか、なっていいのかわかりませんが、少なくとも、坊からも友達からも離れてやっていくには、心強そうな肩書でした。

 任務という名の授業が終わって、部屋に戻って。祓魔師(エクソシスト)の勉強や学校の勉強をして、筋トレもして、色々ルーチンを終わらせてシャワーを浴びて布団に入ります。前みたいに眠れないということはなくて、とろとろした思考と少しの眠気に身を任せます。

 ……なんとかして、離れんと。つらいだろうし、坊は許してくれへんやろうけど、離れんと。だって、坊と一緒におったら、あて、いつか、嫉妬とかそういうので、だめになってまうし。そうやって、誰も望んでない終わりになるくらいやったら、やっぱり、離れんと。何が欲しいかわからんでも、何が嫌かは、わかるもんなあ。

 ……そのためには、任務成功させなあかんし。任務成功のためには、フェレス卿の授業も聞かなあかんし。で、その後は、騎士團で立派な祓魔師(エクソシスト)に。任務成功したら、きっとあても、騎士團でやってけるようになるやろし。やっぱ、封印係が一番の希望やんなあ。それにしても、どこ行こう。ルーマニアは、今後も用ありそうやから便利やけど、仏教(ブッディズム)系の需要は、中国の方がありそうやし。でも中国は日本に近い気がするし、ルーマニアかて居所バレそうやし。やっぱ、英語圏かなあ。他、言葉全然わからんしなあ……。

 そのまま、ほとんど眠ったのだとおもいます。しかし、スマホの着信音がして、少し意識が浮かびました。ああ、そうだ、今晩はマナーモードにしなかったんでした。起き出して相手も見ずに電話に出ます。

「もしもし……」

「……起きとったんか」

 坊です。そういえば、電話してくださいって私から言いました。だから、マナーモードにしてなかったんですけど。

「んー、寝支度整えてました。ちょっと待ってくださいね……」

 ばれそうな嘘をつきながら掛け布団をごそごそと体に巻きつけて、バルコニーに出ます。もう神木さんも朔子ちゃんも床についていて、寝息が聞こえますから。

「眠いんなら、ええんやけど」

「いいえ。それで、どないしました、こんな時間に」

 本当は寝てましたけど、そんなことを言って、気を遣わせるわけにはいきません。外はまだ雨が降り続いていて一層寒く、布団をより隙間なく体に巻きつけました。

「いや……。すまん。用はないんや。ただ、声聞きたなって」

 珍しいこともあるものです。なんだか完全に目が覚めました。あの坊が、夜中に、私の声を聞きたい? ……照れてる場合じゃありません。厄介ごとのにおいがします。

「今どこにいはるんですか。どうせ、寮やないんでしょう?」

「外や、せやけど……」

「顔見にいきますから。その方が、安心でしょう。あても、坊にお会いしたいですから」

 詳しい居所を聞き出して、電話を切って部屋に戻ります。なるべく急いで、それでも物音を立てないように寝間着の上にショールを羽織って、更に一応スカーフを御高祖頭巾にして顔の火傷を隠します。まあ、見られたら困るような人には会わないように行くんですけど、一応。そしてスマホを懐に入れると、部屋のドアを開けます。そうしたら、ドアの向こうで何か小さいものが転がりました。

 ドアの向こうを確認すれば、転がったのはぽてっとした、小さなきつね。ふかふかのタオルに包まれています。横倒しになったきつねは目を見開いていて、そこで慌ててしゃがんできつねの口を覆いました。しかし、背後からベッドの軋む音。

「人の使い魔に何してんのよ」

「使い魔使って何やっとんの……」

 神木さんが起きてきました。このきつねは、きっと私の徘徊癖をどうにかするための見張り。寝起きの、いえ、きつねの出番となってしまった状況への不機嫌さを隠さずに、神木さんは腕を組みます。こちらを睨んで言いました。

「トイレ……ってわけじゃないわよね。正直アイツの気持ちもわかるわ。あんたって知らない間に何かしてるのよ。味方の時は助かるけど、ろくでもないこと考えてる時は油断ならない。……どこ行くつもり」

 少し考えて、人差し指を唇の前で立てて言います。

「……あいびき」

「ハア!?」

 神木さんは大声を上げました。人差し指で唇にトントン触れます。神木さんは朔子ちゃんの布団を確認すると、私の方を向いて眉をおもいっきりしかめながら小声で言います。

「……なんて?」

「せやから、逢い引き。ハンバーグやないよ」

「わかってるわよ」

「ね、かんにん。ちゃんと学園内やし、相手は坊やし。何も危なくないし、やましくないよ。なんなら、このきつねさんと一緒でもええし。ね、出雲ちゃん。ね?」

「……何で会うことになったの」

「ききたい?」

「あー、もう! わかったわよ、行けば!? どうせ何言ってもどう縛っても行くんでしょ!」

 神木さんは腕を組んだままそっぽを向いて言いました。手だけで招かれたきつねさんは私の手から抜けるとタオルをくわえて神木さんの元に走り寄ります。ドアを開けきって廊下に出ると、しゃがんできつねからタオルを受け取る神木さんが言いました。

「……今のあたしじゃ、あんたみたいな女を止められない」

「……心配してくれておおきに。あて、出雲ちゃんのためにもしくじらへんから」

 ドアを閉めて、後は夜間外出はお手の物でした。そういえば、これがやましくないなんて、確かに少し、まずいかもしれませんね。聞いていた東屋に向かえば、そこには確かに坊がいました。傘を畳んで中に入ります。

「おまたせしました」

「すまんかったな」

 坊は私服でした。学校帰りからずっと出ていたわけではないようです。近くによると、ふわりと香る、かぎ慣れないにおい。

「……?」

 危ない。今、よその臭いがするって言いかけました。流石にそれは、ねえ。

 というかこれ、何でしょう。坊からは嗅ぎ慣れない、でもどこかで嗅ぎ覚えのある匂いです。すんすん鼻を鳴らす私を、坊は困ったように見ています。なんだか高そうだけど人工的なところもあって、香水とも少し違う、柔らかい花のような……。

「あ」

 これ、ファウスト邸のお風呂の匂いです。

「なんなんや……」

「……入浴剤っぽい匂いがする……」

 ファウスト邸のお風呂、と特定するのはまずいですが、それでもお風呂の匂いだと言うまではいいでしょう。それを聞いて、坊は少し目をそらしました。

「まあ、色々あってな」

 しかしすぐに私に視線を戻して、私のことをじっと見ます。特に何も言うわけでもなく。……声が聞きたいとのことで顔を見せに来ましたが、話があるわけではないらしいので当然ではあるんですけれど。見ていて楽しい顔はしていませんが、きっと何かあった後なら、安心はするのかもしれません。言いたいことがまとまっているわけでもないので、薄暗い電灯の下、雨音だけを聞きます。坊が手を上げて、スカーフに触って言いました。

「……これ、外してもええか」

「別に、かまいませんけど」

 顔の殆どを覆っていたスカーフを、坊がしゅるりと解きます。これで、火傷が見えるようになるはずです。火傷を見て、坊は一つ息をつきました。まるで無事を確認したかのようでした。坊はスカーフを握ったまま言います。

「触ってええか」

「どうぞ、何でもお好きなように」

 上を向いたまま目を瞑りました。火傷のある方の頬に、恐る恐る手のひらが触れました。そんなに怯えなくても、もう痛くないのに。

 坊が火傷を触るのは、確かこれで二度目でした。一度目はずっと昔の、私がよく布団に伏せていた頃で、横たわる私のまだ生々しかったそれを、まるでそこにサタンがいて私の命を今も蝕んでいるかのように、今みたいに恐る恐る触れていました。その時もそうだったのですが、坊がこうやって触ることで、私の欠けたものを確かめたいのか、健やかなのを確かめたいのかは、わかりません。ひょっとしたら、どちらでもあるのかもしれませんでした。親指が、火傷の縁をほんの少しだけたどって、そして手のひらごと離れていきました。ゆっくり目を開けると、坊はスカーフを私の顔に巻いてくれます。

「……すまんな」

「別に、かまいません。坊がしたいなら。何があったか聞きたいですけど、あてには、教えてくれへんのでしょう。代わりに聞いてもいいですか、“どうでしたか”って」

「どうって……。……前と同じ火傷やった。いや、昔よりはましやけど、無かったことになっとるわけでも、治っとるわけでもなかった」

「安心しましたか」

「したのかもせん。……そもそも、何で会いたかったんか、よう説明できる気がせんわ。情けない」

「まあ、そんなもんでしょう。人間が思ってること、全部が全部説明できるとは思いませんし」

 ライトニングが学校を休ませるようなこと。坊がうまく説明できないけれど、私の顔を見たくなるようなこと。ひょっとしたら、今日のはエリクサー絡みだったりしたのでしょうか。それにしては、日帰りできる学園外というのはおかしいのですけれど。情報を持っているのはイルミナティか、それか私経由のKRCラボだけのはずですし。そもそも、ライトニングがエリクサーを調べる理由もないはず。それはドラグレスク博士の仕事でしょう。私が考えていると、坊は置いてあった傘を手に取りながら言いました。

「すまんかったな。送るわ」

「ありがとうございます」

 東屋を出て、今度は傘を二つ並べて歩きます。足元が冷えてきて、早く戻らないと寝付きが悪くなりそうです。

「なあ、……気ぃつけえよ」

「……何に?」

 坊は急に言いました。急な割には確かなトーンでしたが、声色に対して内容は漠然としすぎています。

「あんまり、誰でも彼でも信頼したらあかん」

「あて、人見知りな方やと思ってたんですけど。ていうかね」

 これは言っておかないといけない気がして、立ち止まって坊の方を向いて言いました。坊も立ち止まります。

「今はあてより、よっぽど坊ですよ。あては確かに色々複雑な状況になってまいましたけど、何だかんだフェレス卿の結界の中に居るし、あて自身で身を守れます。何ならエリクサーの効能だってあります。せやけど坊は、ライトニングと一緒に自分からようわからんところに行っとる。ライトニングは、坊を守ってくれるようなタマですか。身体だけやない。今日だってあんな、あからさまに顔色悪くして。挙句の果てに夜中に電話してくるなんて、初めてやないですか。機密だとかで事情も教えてくれへん。坊はあてに頼られたがるけれど、本当に頼ったほうがええのは、どっちですか」

 坊はそれを聞いて、しばらく眉間に手をやって考えていました。私は閉じられたまぶたを見ながら待っていました。こんなこと、今の私が言うことじゃなかった。裏切る私を頼れだなんて。でも、言った以上、その結果を聞かないといけません。坊はやっと、口を開きました。

「……ライトニングと一緒に、イルミナティについて調べとる。そのはずなのに、何故か、日本支部と青い夜について調べることになっとった。……ここまでが限界や。やっぱりどうしても、相談できんことはある。それから。……お前が俺に守られるだけやないのは、わかっとるつもりや。それなりにしっかりしてきたし、お前の結界を傷つけられるやつなんそうおらん。身体以外やって、お前には頼るやつ他におるんやろ。……せやけど、そうやないねん」

「と、言うと」

「俺が、お前を、何とかしたりたい……」

 きっと素敵な微笑みを浮かべました。昔から、そうでしたね。お寺の人みんなを幸せにするために、打倒サタンを掲げていましたね。きっと、それは坊の中で、大事な柱としてあることなのでしょう。

 でも、あては、いやです。




 特Aの女の子は外科室7で勝呂くんにダンスパーティーを断られた女の子のつもりです。オリ主ももう少し話したらわかったと思うのですがこの時は勝呂くんで頭がいっぱいなので気付いていません。
 うさぎのスタンプは某アプリのプリインストールではなく先生の自画像うさぎなイメージです。
 ふかふかのタオルは、寒い廊下で不寝番のきつねさんに対してウケさんが気遣った結果出雲ちゃんが支給した布団のつもりです。
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