花に嵐   作:上枝あかり

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夜間非行 14

 部屋に戻った時、神木さんはベッドで横にはなっていても眠れてはいなかったようで、おかえりと言ってくれました。ベッドに近づいてそっとただいまを言うと、神木さんは重たそうな瞼を降ろしました。私も眠って、翌日。テストや塾を終わらせて、フェレス卿との約束までにまだありましたから、最後の授業のあった皆と合流して、待ち合わせらしい食堂まで歩いていきます。話題は様子のおかしいしえみちゃんについてでした。何と、祓魔師(エクソシスト)にはならずに祓魔屋を継ぐらしいのです。更には志摩さんの言い出した謎の闇鍋みたいなパーティー……クリスマスと一緒に誕生日を祝う会をやりたいと言って、今計画しています。

()()()一体どーしたんだ!? 雪男に強めにいくしえみとか初めて見た」

「……そうだね」

「でも気落ちしてるふうやないし……、いい変化なのかも」

「なあ、これ……フッと思っただけなんだけどまさか……あいつ、死ぬんじゃね……?」

 奥村くんの言葉に皆黙りました。肯定はできません、出来ませんけど、頭ごなしに否定出来ない嫌な現実感があります。笑い飛ばすには、私は少し身に覚えがありすぎでした。

「……何か言えよ……、笑うとか……」

「それ……あたしも思った」

「え!? 出雲も!?」

「お、俺もチラッと……」

「坊まで!?」

「いや……頭カスメたくらいで」

 急な進路変更、明かされない理由、皆との思い出づくり。全部身に覚えがあります。私の場合は実際死んだ後極秘任務を持ってこられて、前々から思ってたことを報酬に求めたわけですが。

「あたしは割と本気よ……! だって急におかしいじゃない……! 祓魔師(エクソシスト)にこだわってたし……反対されて悩んでたのに。何か決心してもう曲げないって目だった。腹くくった目よ。たった一日で何があったらあんな顔になるわけ!?」

「皆さん少し落ち着いて下さい。現実的に考えても有り得ませんよ。杜山さんの健康診断は優良ですし、第一“死ぬ”って何で“死ぬ”んです?」

「そ、そうですよ、“死”って……! よく考えたら漠然としとるわ~!」

 奥村先生と子猫さんの言葉で、皆少し落ち着きました。ですよねえ、祓魔屋のお嬢さんですし、神木さんみたいな悪魔絡みの事情とかもないはずですし。私みたいに恋愛絡みで思いつめるタイプでもないですし。でもそれなら、一体何なんでしょう? よっぽどの事情があるとは思うのですけれど。私は相談してもらえないような。でも、最近の私はとてもじゃないけど相談相手にしたいタイプではありませんでしたし。やっと否定してもらって落ち着いた奥村くんが笑います。

「そ……そーだよな! そう……、そーだ! しえみに直で聞きゃ早いわ!」

 食堂の人混みの中、こっちだよと手を振るしえみちゃん。そちらへ奥村くんが走り出そうとしたのを、奥村先生が止めました。先生、ギプスの腕そんな動かさんでください……。

「本人にする話じゃない……!」

「あんたバカじゃないの、絶対秘密よ!」

 先に授業が終わっていたしえみちゃんは、朔子ちゃんと志摩さんと一緒にパーティーの計画を詰めてくれていました。誰がどの準備を担当するかの割り振りをしてくれたらしく、私にはしえみちゃんと一緒に会場とツリーの準備があてられていたのですが。

「ごめんね、あて任務があって……」

「え!? 今日塾生は任務ないはずじゃ……」

「封印係に呼ばれとるんよ。ほんまごめんね、しえみちゃん一人でもできそう?」

 本当はフェレス卿の授業です。表向きはこういうことになっていて、実際封印係さんの方にもそのように話が合わせてあります。

「うん、ツリーのあてもあるし、朔子ちゃんも手伝ってくれるから大丈夫だけど……」

「塾からじゃなくて個人的になんでしょ? 断れないの?」

「期待でキラキラした目を見とるとどうしてもうまくお断りできんで……。あれ絶対青田買いや。結界が専門の人間なんそう多ないし、お兄を京都に逃したから何としても冬隣が欲しいんやないかなあ」

「あたしも着いてって断ってやるけど」

「ううん、ええの。封印係さんが忙しいのはほんまやし、でもやっぱ楽しいし、勉強になるし。それに、おやつとかも出してくれるん」

「餌付けされとる……」

 封印係さんが顔を出せばおやつを出してくれるのは事実です。詠唱がメインの部署である関係で色々お菓子など置いてあるので、隙を作ると渡されます。向こうもまさか本当にお菓子につられて就職を決めると思っているわけではないと思うんですけど。

「あ、そろそろ時間や。あて行ってくるね」

 行ってらっしゃいと見送られてみんなのいるテーブルから離れようとすると、子猫さんだけ振り返りました。

「鶯花さん、大丈夫なん?」

「……何の話?」

「無理せんでええんよ」

「しとらんよ」

 子猫さんは悲しそうな顔をして、私の手を握るとうつむいて首を横に振りました。何の話でしょう。全然ピンときません。

 今まで、子猫さんが――志摩さんや坊でもそうでしたけど――「ねえ」と一言言ってくれれば、私は子猫さんの言いたそうなことがたくさん頭に浮かんで、続く二言三言でほとんど何の話題かわかったのに。今、何にもわかりません。

「ねえ子猫さん、何のこと」

 わかりませんが、とにかく心配してもらってるみたいです。悪い気がします。

「ほんまに、封印係行くの楽しい?」

「そりゃあ。夢中になれるし、夜中にうろうろするよりずっと危なないし。前向きになれるし」

「ほんまに? ここ一月くらい……封印係に毎日みたいに呼ばれるようになったあたりから? 鶯花さん、何や様子おかしいから」

 やっぱり子猫さんは鋭いです。一月くらい前というのは私がフェレス卿の授業を受け始めた頃。確かにその頃から様子が変わっていてもおかしくないでしょう。

「せやった? どんなふうに?」

「どんな……、うまく言えへんのやけど、何か」

 子猫さんははっきりしません。きっと子猫さんもどのようにおかしいのかは言えないのでしょう。これなら逃げ切れそうです。

「やっぱりエリクサーの件もあるし、いつもどおりではおれんかなあ」

「エリクサーのせいやないと思うん。ほんま最近やし。……何かあったん?」

「子猫さん心配性やなあ。何もないよ」

「ほな疲れてはるのかなあ……。忙しいほうが落ち着くんはわかるけど、いっぺんゆっくりお休みしたほうがようない?」

「明日から冬休みやし、嫌でもゆっくりできるさかい、大丈夫やって。ほな、ごめんね、パーティーの準備よろしゅうね」

 まだ何か言いたげでも呼び止めない子猫さんを置いて支部に向かいます。

 今日は23日。明日からは冬休み。決行は大晦日なので、あと一週間だけ皆と一緒にいられます。調子の悪い祖父の様子が心配だから帰省すると言ったのですが、皆は帰省しないようなことを言っているので私もぎりぎりまでは東京に残ろうと思います。フェレス卿からは査問係の先遣隊として塾生と奥村先生を送ると言われているのでもう少し顔を見ることは出来ますが。たとえば他所の支部に行ったって、皆が祓魔師(エクソシスト)になるのなら何かの任務の折に会うこともできるのではと思っています。とはいえ、坊に居所が知れたらただで済まなさそうなので、坊以外の皆ということになりますが。でもしえみちゃんが祓魔師(エクソシスト)にならないというなら会えなくなりますから、お手紙を送るために祓魔屋の住所を控えておかないと。帝子さんの連絡先も、すでに控えてあります。

 そして廊下の先の封印係の詰め所から、蒐集鬼部屋(ヴンダー・カンマー)へ。別珍の分厚いカーテンをめくると、今日もフェレス卿は既に部屋にいて、ガラスケースにしまわれた見目は綺麗でもどこか禍々しい品々を眺めていました。

「こんにちは」

「はいこんにちは。ではまず、宿題の確認でもしましょうかね。アインス、ツヴァイ、ドライ!」

 フェレス卿はどこからともなく傘を取り出すと、その傘の先端を私の影にあてて、声に合わせて二度コツコツ叩き、三度目でずるっと影を釣り上げるように引きずり出しました。

 フェレス卿の影が、私の影の中に入っていたのです。詳しい仕組みは知りませんが、こうしていると影からフェレス卿がいろんな物を見聞きしたりできるようになるそうなのです。本番もこうやって査察すると聞いています。プライバシーとつぶやいたら「紳士を信じなさい」と言われましたが、まあ言うだけ無駄な相手ではあります。他にも、悪魔落ちした藤堂がやっていたような瞬間移動もフェレス卿の本領発揮として出来るようになったり、影を通して東京のフェレス卿と話せたり、また影が動いて身体を引っ張ることで運動機能の増強の効能もあるそうで、確かにひ弱な塾生が出張所に喧嘩を売るには全部必要そうなのです。情報を整理するためかしばし目をつむっていたフェレス卿が、目を開けてにっこり笑いました。

「ずいぶん上手に嘘を付けるようになりましたね」

「及第点ですか」

「ええ、ぎりぎりですけどね。さあ、席について。今度は復習です。教えたとおりに笑ってご覧なさい」 

 フェレス卿がここで最初に教えたのが、笑い方でした。笑い方さえ学べば、他の表情は後からついてくるという話でした。唇の角度、頬の上げ方、目の細め方。鏡を見せられることはなく、フェレス卿に手袋越しに触れられながら直された笑い方は、もう自然にできるようになりました。

「素敵ですよ。……ええ、とっても素敵になりました。今日は、綺麗なごまかし方を勉強しましょうね、マイフェアレディ」

 フェレス卿は笑います。部屋の中には私とフェレス卿だけです。二人きりになるのが嬉しい相手では決してありません。事務的な、淡々とした空気なのが唯一の救いでしょうか。それでもこの部屋のずっと動かなかった空気が私の周りで淀んで、ホルマリン漬けみたいに標本にでもされる気分でした。そしてそれを、フェレス卿が眺めるのです。そんな妄想が浮かぶと子猫さんの言っていたことが思い出されます。――楽しい?

 フェレス卿はうきうきと教鞭を振り、私はそれを復唱したり例題に答えたりします。窓の外の冬空の下、皆パーティーの準備をしているのでしょうか。羨ましくないと言えば嘘です。

「そういえば、ちゃんと考えてます? 塾生の対策」

 授業の終わりがけにフェレス卿が言いました。京都出張所の人たちや塾生の皆に歯向かうということで、私はそれらの攻略法と言うか、班単位で来られた場合にどのような順番、方法で対処するかを考えておかないといけません。出張所の人たちの対策はフェレス卿が一緒に考えてくれたのですが、塾生の対策は宿題にされていました。

「考えてはいるんですけど、やっぱりあてに出来るのかなぁ、て」

「資格を持った祓魔師(エクソシスト)を相手取れるやり方も教えたでしょう? 資格を持ってない塾生のどこが怖いんですか」

「奥村くんに刀抜かれたら、どうすれば」

「だったらまず奥村くんを縛ればいいでしょう。刀を抜く前ならあなたでも十分だと思いますよ」

「せやけど……」

「いいですか」

 フェレス卿が私の両肩をそっと掴み、長身をかがめて私と目線を合わせました。口元は笑ってはいなくても穏やかで、見たことない表情です。

「貴女を選んだのは確かに、私の使える東京にいる團員で、明陀宗の上位の家系であるけれど跡継ぎではなく、他の任務についていなかったのが貴女だけ、という消去法ではあります」

「存じ上げております」

「しかし、貴女には私がいます。この一月、色んなことを教えたでしょう。それで自分が変わっている実感もあるのでは? 貴女は時の王サマエルが、悪魔の手練手管を手取り足取り教え込んだ人間なのです。つまらないコンプレックスは捨てなさい。もっと胸を張って。この私の叡智の元、暗がりにおいて貴女は無敵だ」

「……はい」

 フェレス卿の目元も笑ってはおらず、とても穏やかで、これはひょっとして、優しい表情というやつなのでしょうか。頷いた私の肩を離して背筋を伸ばすと、フェレス卿は今度は笑って、大げさに腕を広げて言います。

「思い出してご覧なさい! 嘘のつき方、蠱惑的な表情、男の捨て方。すべて覚えているでしょう? 今や貴女はどこに出しても恥ずかしくない、立派な淑女(レディ)!」

「でも、その……、そういう、嘘とかって、ほんまに強いんでしょうか」

 私の中で強いと言えば、思い浮かぶのは和尚(おっさま)とか、兄とか、隠し事はしても嘘はつかない美徳の人たちです。嘘偽りのような小手先で、あの人達に勝てると思えません。フェレス卿は身をかがめてこちらに顔を近づけて言います。

「はあ? 今更何を。私が授けた()()以外に、貴女が何を使えると? 目的を遂げたいのでしょう。使えるものは使いなさい。持てる全て、いえ、持たないものすら武器と心得なさい。それらの武器を扱うコツは()()であることです。ただ貴女の、内なる欲望のみを指針にして、奔放に、他の何にも縛られることなく」

「内なる欲望……」

 欲しがって欲しいというあれは自家中毒を起こすたぐいのもので、指針としては見なかったことにしたいのですが。

「ええ。本当は見えているのでしょう? 欲しいものだけ求めなさい。破滅など恐るるに足りません。悪魔の薫陶を受けた貴女はそんなもの鼻で笑って蹴り飛ばせる。それだけの力がある。それに、本当にどうしようもなくなったら――」

 フェレス卿は再び私の肩に手を置きました。肩を抱くと言ったほうが正しいくらいのやわらかさで。

「この私が、かわいそうな教え子(貴女)を迎えに行ってあげますから」

 それはいっそ、父性と例えるのが正しいやわらかさでした。しかし私は知っています。これは父性ではありません。実の父こそ物心付く前に亡くした私ですが、和尚(おっさま)や兄や、八百造様や蠎様や、ひょっとしたら坊のそれとは、肌触りがまるで違います。しかし、私に父性を教えた人たち全員を裏切るのに、頼るのはこの見た目の色合だけ似た何かしかありません。目を閉じて頷いて「はい」と言うと、フェレス卿はぱっと離れて、それから言いました。

「ところで、私に渡すものありません?」

「……? 研修費が要るなら出世払いでお願いしたいんですけど……」

「いえ研修費は私のシュ……ごほん、ボランティアですのでお気になさらず。じゃなくてですね、もっとこう、ワクワクする感じの」

 今シュミって言いかけとった……。やっぱあかんわアレ……。そして、ワクワクするような。ワクワク? まったく心当たりがありません。

「生憎、悪魔のワクワクするようなものはわからなくて……」

「もー! 鈍いんですから! わかりましたよ、そういうことならこちらにも考えがありますから!」

「……ようわからんのですけど、もう帰っても? 門限の前に済ませなあかん用事があって」

 フェレス卿は子供のように拗ねて見せながら私を見送りました。さて、しえみちゃんの作ってくれたパーティーのしおりを開きます。1000円以内のプレゼントを用意しないと。あまりがっかりしない素敵なもので、誰に渡っても困らないような、性別や趣味を選びにくいもの。……それに、残るものはよくないでしょう。思い出させるといけませんし。なんだか憂鬱になってきました。行かなくちゃいけないでしょうか。内なる欲望とやらに正直になったらブッチ一択なんですけど。

 ……でも、破滅すら恐れずに考えるのなら。

 最後の思い出に、楽しく過ごしてみたいです。

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