花に嵐   作:上枝あかり

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少女地獄 2

 目が覚めたのは、まだ夜中のようでした。空気の冷たさ、暗さ、静けさから、まだ眠れると思ったのに、どうにも目が覚めているようで体を起こします。いつも携帯で時間を確認していたので一瞬探しましたが、そうだった、置いてきたんでした。今頃、中身見られたりしてるんでしょうか。こうなることがわかってて買った時計を見れば、深夜と未明の間の時間。

 体を起こして足をソファベッドの下におろして、影をフェレス卿につなぎます。

「もし、もし、起きてはりますか」

「ええ、起きてますよ。あなたの起きているような時間はね」

 影はフェレス卿の形になって言いました。膝の上に肘をついて言います。

「起きてまったんで、お手紙届けに行ってきます」

「承知しました。ではこちらからも連絡事項を。計画通り、こちらに襲撃された報告が来ています。今日塾生と奥村先生に知らせ、明日に京都に到着します。ただ、勝呂くん三輪くん志摩くんには先に京都から連絡が行ったようで、勝呂くんと三輪くんは今日そちらに向かうようです。出迎えがしたいなら10時5分くらいに駅に行ってください」

「まあ、予定通りですね。志摩さんはお仕事が?」

「ええ。ちょっと東京(こちら)でやっていただきたいお仕事が残っていまして」

「あんまり酷いお仕事やないといいんですけど」

「裏切った幼馴染の捕縛よりはマシですよ」

「あはは、それは何より」

 笑いました。少し眠ったおかげで、また気分が良くなっているようでした。

 着替えてからベールを被って、影で出張所の横の路地に行きました。流石にこの時間なので門は閉じられていて、中からは人の気配がしますが、外には幸い誰もいません。小走りで郵便受けに向かうと、茶封筒をコトンと投函しました。

 中身は、明王陀羅尼宗はもう正十字騎士團に所属できないというもの。夏の蝮ねえさまの主張なども取り入れつつ、悪魔の添削指導のもとヒステリックかつ論理的に書いた檄文です。正十字騎士團は信用できない。我らは信用されていない。なら、もはや下にはつけない。質となっていた代々の秘伝は取り返した。今こそ僧正血統が座主を支え、明王陀羅尼宗を立て直すべし。そんなことを書きました。

 投函してしまえば後は戻るだけですが、少しお腹が空いたので、直接隠れ家に戻らずに先斗町に行きました。しかし流石に夜が更けすぎて、もうお店はどこも開いていません。隠れ家に食べなかった夕飯分の食料があるはずなのでそれでいいでしょう。そのままバーのあるビルに向かって歩きます。どうもお腹が空くと、寂しい気がするからいけません。

「こんぴらふねふね、おいけにほかけてしゅらしゅしゅしゅ……」

 小さく口ずさみながら、明かりの消えた繁華街の真ん中を歩きます。私がこういう花街の歌など知っているのは、和尚(おっさま)の影響です。夏に宝くんが言っていたときには黙っていましたが、実は私、知り合いの芸妓さんがいます。有名な祇園ではなくこの先斗町に。和尚(おっさま)の紹介でした。私が化粧を始めた頃に、和尚(おっさま)が知り合いだという芸妓さんに会わせてくれて、いろいろ落ちにくいコツなど教えてもらったのです。お寺の人は、薄化粧がほとんどでしたから。

 紹介されて会いに行ったのは一度でしたが、何かの用事で和尚(おっさま)を探したり、和尚(おっさま)にわけもなくくっついたりして先斗町に行きました。遊びに行くと流石に和尚(おっさま)に子供の来るところではないと言われたりしたので、殆どは探しに行ったと言うべきですが。

 和尚(おっさま)を探しに行くのは忙しい大人か、そうでなければ中学生になった私でした。その頃には、坊はすっかり反抗期に入っていましたから。携帯を持たない和尚(おっさま)を探しにこの街に来て、達磨和尚を知らないかと訊けば、女の人も男の人もみんな喜んで教えてくれました。そして和尚(おっさま)を見つければ、花街の人は笑いながら和尚(おっさま)を見送り、私に飴など持たせて、「こんな子に探させちゃだめやないの」と言うのです。僧形で遊ぶ坊主というのもあって和尚(おっさま)はたいそう顔が広かったようですが、あの親しげな様子には、やはり和尚(おっさま)は慕われているんだな、と思ったものです。迎えに来られちゃ仕方ない、お日さんの落ちる前に帰ろか、と言うその袈裟姿の背中を、あーあ、今、思い出さなければよかった。

 隠れ家で冷たくてぱさついた食事を口に押し込みます。今日はやや夜更かししなければいけないので、その後は仮眠を取りました。

 今度は起きようと思った時間までぐっすり眠れて、起きたのは昼前でした。顔を洗って化粧をして、今日はそんなに動かないはずですし振袖を着ようと思います。振袖一枚だけしか持ってきた覚えはありませんでしたが、畳んでおいた振袖の下にいつの間にか帯に襦袢に全部一式が用意されていました。……本当に力をなくしているんですよね? でも、振袖を着るという本来の用途絡みですし、人の精神をたぶらかすよりは魔力を使わないのでしょうか。襦袢まで着て振袖に袖を通すと、後はするすると着付けられていきます。まるで、何人もの人がいるみたいに。

「うれしいわ」

「やっと袖を通してくれるのね」

「とっても似合うわ。素敵、素敵!」

 金襴緞子の帯までしめられて、とん、と背中を叩かれて、それで静かになりました。手鏡しか持っていないので確認はできませんが、きっとそれなりに仕上げてもらっているのでしょう。ベールを被って、そろそろ時間ですし行かないと。

 向かったのは京都駅、新幹線の改札口です。振袖姿にウェディングベールというトンチキな格好でたいそう目立っているようですが、そういう撮影とでも思ってもらうしかありません。フェレス卿の情報によれば坊らの新幹線は10時5分着。坊らはこの改札口を使うはずです。目立つ羞恥心みたいなものはややありましたが、それでも些細です。折角なんですし、とびきり楽しまないと。悪い人というのは案外楽しいものです。やってはいけないことが楽しくなかったら、誰も禁止しないんですから。

 5分になって、人が降りてきました。その中に坊と子猫さんの姿も見えます。私服姿でカバンを持って、何か話していましたが、何せ目立つ格好をしていますので、二人ともほぼ同時に私を見つけたようでした。二人とも人をかき分けて走ってきます。そんなに慌てなくたって、私、あなた達を待っていたのに。切符を出していなかった二人が改札の手前で立ち止まったところで、先に口を開きました。

「おいでませ京都! 長旅お疲れ様です!」

「お、まえ……」

 どこから話したらいいのかわからないのでしょう。言葉が出ないのをいいことに、微笑みながら会話の主導権を握ります。

「お話はもう聞いていますよね。ですから、ご挨拶だけ。わたくし冬隣鶯花、このたび明王陀羅尼宗の未来を憂い、正十字騎士團よりの脱退を提案させていただきました。若座主の竜士様には、直接にご報告を。悲しいことに今は追われる身ですから、これにて失礼します」

「待てぇ!」

 坊が機械改札の中に入り、ばたんと改札が閉じました。幸い、尋常でない雰囲気に駅員さん含めみなさま少し遠巻きです。

「坊、キセル……やないですけど、無賃はちょっと。切符出さな」

「何でや、おまえ、何でいきなりこんな……」

 坊は閉じた改札ぎりぎりまで来て、歯を食いしばるような必死の表情で言いました。少し心配ですけど、セクシーです。ああ、こんな表情もええなあ。私は機械改札のギリギリまで近づいて、坊と後ろの子猫さんに聞こえる程度に声を低くして言います。

「言うとらんから知らんでしょうけど、もうあての右手、昔あなたたちと繋いだ右手やないんです。先月生えたやつです。前のはイルミナティに切り落とされて、黒妖犬(ブラックドッグ)が食いました。……せやけど、そうは見えんかったでしょう? 採皮痕もタコも、前のまんまや。あて、今そういう体なんです」

 右手をゆっくりと撫ぜながら言うと、坊は息を呑んで腕を伸ばしました。とん、と後ろに跳ねて続けます。

「蝮ねえさまは、夏に右目も信用も仕事もなくしました。志摩さんはイルミナティに行かされて、いつ殺されるかわかりません。次は誰が、どこをなくすんでしょう。……あてはもう、そんなの耐えられません。もう、騎士團にはいられません。そういうわけです」

 右手の手の甲から中指の先までたどって、ぱん、と両手を合わせました。坊は行き場をなくした両腕を下ろして、うつむき気味に、唇をほとんど開けずに言いました。

「いつからや」

「え?」

 坊は顔を上げました。じっと、私の奥を見ようとしているようでした。嫌やなあ、照れちゃいます。そんなに覗いたって、見せてあげるわけにいかない場所が、いくつもあるのに。

「いつから、そんなこと考えとった」

「いつから……。そうですね、明確になったのは、前にメフィストと話した頃でしょうか。ああ、この人はあかん、って思ったんです。坊も同じようなことを聞いたなら、似たようなこと思ったんちゃいます? あの人の……ああ、人やないか。とにかく、あれの言いなりになっとったらあかんって。志摩さんは好きでスパイやっとるのかもしれませんけど、あねさまの何もかも、もう戻らんでしょう。そりゃ、好きな人は好きにやったらよろしいですよ。でも、あれは人を勝手に駒にするんです。そないなの、あかんわ。少なくとも身内を勝手に捨て駒にされるのは、もうたまりません。虚無界(ゲヘナ)の権力者か知らんけど、物質界(アッシャー)の法治国家で好きなことは出来んでしょう。あてはやります」

「それ、全部、お前が自分で考えたことか」

「坊が考えたことでは、なさそうですねえ」

 その時、改札を走って抜ける影がありました。子猫さんです。坊の後ろで切符を出して、私達のいるところから離れた改札を通ったのでしょう。しかし、今の私にはそれでは遅い。

「ほなそういうことで、あて、お待ちしてますね」

 子猫さんが走り込んでくる間に言い切ると、子猫さんの伸ばした腕の届く前に影に飛び込みました。

 喧騒の中から急に静かな隠れ家に戻るのは、まだ少し慣れません。はぁ、と息を吐いて、肩が凝ったときみたいに首を回します。

「いのち短し恋せよ少女(おとめ)ー、朱き唇褪せぬ間にー」

 口ずさみながら、盗んできた風呂敷を開けました。中には出張所に預けてあった明陀の経本一式が入っていて、私が読んでも問題なさそうなものを探します。こんな歌うたいながらお経を探すのも妙ですし、盗んできておいて読んでいいものか気にするのもなんだかおかしくて、くすくす笑えてきます。

「熱き血潮のー、冷えぬ間にー」

「ちょっと、冬隣さん」

「明日のぉ!? フェレス卿、こんにちは」

 影が動いて、フェレス卿の形をとっていました。そういえばフェレス卿の方から繋がれるのは初めてです。ノックの一つくらいしてくださいよ。

「話し相手がいなくて口寂しいなら、一人で歌ってたほうがもっと寂しいでしょうに」

「嫌やなあ言わん約束でしょう」

「悪魔相手に契約の捏造とは蛮勇ですね。隠れ家にいるということはお出迎えの帰りですか?」

「はい。予定通りのことは全部喋ってきました。そちらはどうなっていますか」

「あなたのお手紙も無事に届いて、こちらに連絡が来ましたよ。それから、午後六時から僧正の方で集まって会議をするそうです。場所は虎屋の鶯の間。内通者に探らせるつもりではありますが、あなたも一応ご挨拶してきなさい」

「はい。ということは、先に和尚(おっさま)に会ったほうがいいですね。今頃虎屋の方は騒ぎになってそうやし、……僧正会議の偵察も兼ねて五時くらいに向かいましょうか」

「では、そういうことで」

 影がとろんと元の形に戻ります。さて、気を取り直して経本を読んでいましょうか。後のお仕事は僧正を中心に色んな人に騎士團なんて抜けようと声をかけることなのですが、僧正会議の方が終わらないうちは少しフライングでしょうから。

 祓魔師(エクソシスト)試験を控えた身ではあるので、経本を読んで気休め程度にお勉強の真似事をして、そして予定の五時頃虎屋に向かいました。

 虎屋と言っても、その屋根の上です。こんなところ登ったことありませんでした。なんだかお夕飯の支度をするいい匂いもします。瓦屋根の上を歩くのは少しコツが要りましたが、なんだか前に誰かが登って過ごしたような跡すらありました。しばらく改めても、まだ結界のようなものはないようです。先手をうって下ごしらえをしておいても相手に兄がいる以上無駄でしょうが、それでも一応小細工を弄しておきます。その後は和尚(おっさま)を探します。どこにいるのだろうと屋根の端をおっかなびっくり歩いて、人の気配を感じて覗き込めば、ちょうどそこには作務衣姿の和尚(おっさま)がいました。ぎゅっと胸の前で手を握りながら屋根の端から飛び降りますと、影のおかげで地面に叩きつけられることなくふんわりと着地できました。和尚(おっさま)が物音で振り向く前に固まった手を解きます。ああ、こわかった。でも、きっとこれからのほうがこわい。

「こんばんは、和尚(おっさま)

「鶯花やないか。……ちゃんと冬休みの宿題は終わっとるんか? 今、竜士らの宿題見とるんや。勝手にどっか行かせんようにて頼まれてなぁ。せやけどもう竜士も子猫丸も、私の教えるようなことあらへんなあ……、ナハハ」

 和尚(おっさま)の言い方は、私の格好もやったことも何もかも見ないような言葉でした。だから、和尚(おっさま)が一番こわいのです。気を取り直して、縁側の和尚(おっさま)に言います。

「あのね、和尚(おっさま)、冬休みの宿題は、もういいんです。あては正十字には戻りません。明陀のために騎士團を抜けます。せやから和尚(おっさま)にご挨拶に来たんです」

「ああ……そうなん?」

「ええ。私達は騎士團にもういられません。騎士團は私達のことを信じていなくて、私達は騎士團を信じていない。ほな、一緒にいるのはもう無理でしょう。和尚(おっさま)が決断した十年前は、それ以外方法がなかったんでしょうけど、今は悪魔も活発化してそうでもないですし。ね、和尚(おっさま)和尚(おっさま)もそう思うでしょう」

「ああー、ええ、ウン……話はちゃんと聞いたわ。挨拶に来たんなら、それでええやろ」

「私、和尚(おっさま)からお返事が欲しかったんですけれど」

「……私は返事できんよ。僧正会議にも呼ばれとるけれど、出ないつもりで竜士らのところから出てきたんや。鶯花のこと信じとるから、私はしばらく顔出さんようにしよう思っとる。ここで私らが会ったことも、内緒にしておこな」

「……和尚(おっさま)?」

 なんだか雲行きが怪しいです。私を信じている? から、この件には不干渉を決めようとしている? 

「あてのこと信じてくれはるのは嬉しいんですが、あては明陀を騎士團から独立させたいんです。座主の和尚(おっさま)が何も言わんと、あては困ってしまいます。困って、無理やりどうこうしてまうかも」

 和尚(おっさま)は人目をはばかるようにあたりを見渡しました。嫌な予感がします。だって私、和尚(おっさま)に、勝てるはずが、いえ、いえ!! 和尚(おっさま)は声を小さくすると言います。

「……本気やないんやろ?」

「まさか!」

「まだ、どういう理由でこんなことしとるのかはわからんから、この後調べる気やけど……、鶯花のやることにしたら杜撰で攻撃的やし、何より……」

「何やっていうんですか」

「早めに帰ってきたのは、柔造と蝮の結婚式の為やって、言うとったやないか。そんなこと気にする子が、今こんなこと本気でやるはずないわ。鶯花、これ、誰に言われてやっとるんや。私は味方や。絶対、なんとかしたる」

 ばれとる。

 いつかと同じです。そんなの関係ないって思って迂闊に言ったことを拾われて、ここまで追い詰められて。

 その時、足音がしました。

和尚(おっさま)どこ行きはったんやろ……、もう八百造様らも来とるのに」

「これで心当たりも全部やな。もうすっぽかすとも思えへんけど……」

 とっさに和尚(おっさま)の手を掴んで引きます。縁側から庭へ、ぐらりと傾いだ和尚(おっさま)を視界にとらえた、角を曲がった坊と子猫さん。

和尚(おとん)!?」

 そのまま影に飛び込みました。




引用元
金毘羅船々→日本民謡(PD) ゴンドラの唄→吉井勇(PD)
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