「貴女、バカなんですか?」
「うう……あてらは
「そういうの全部騙すつもりだったんでしょう、違いますか?」
「せ、せやけど
あの後、私は
「で、でもフェレス卿、こういう時に座主の意向がわからない……私に攫われたのか、着いていったのかすらわからないって、逆にええんとちゃいますか。
「楽観的に言えば今後の試験に好影響でしょうけどね。わかってます? 勝呂達磨も監査対象だったんですよ?」
「もう会った時から
そう、先の私の、今から思えば失言でもない発言のせいで、最初から本気にしていなかったのです。
「知りませんよ。私だってずっと貴女を覗いてるわけではないですし、離れてる影の情報を見ることもできません。所詮は地面の影で、私ほど何でもできるわけではないんですから」
「はーい……」
あら、最終的に全部見られるとは言えリアルタイムのプライバシーは保護されてるんですね。……保護されてないときも多々ありそうな言い草でしたが。フェレス卿は続けます。
「とりあえず、勝呂達磨にはそのまま隠れ家でおとなしく軟禁されてもらうように。内通者にも連絡しておきますから、もうほんと気をつけてください。……貴女に失望はしたくない」
「でもさ、好きにしろって唆したのはお前だろ? 好きにしたのに対して失望するなよ」
フェレス卿は声を低くして言いましたが、影の向こうからもう一つ、聞き覚えのある声がしました。
「……ライトニング?」
「……ちょうど、経過報告で呼んでいましてね。話したいのならどうぞ」
まるで電話でもかわるようなノリですね。影はそのまま座ったフェレス卿の形ですが、ライトニングの声が聞こえてきます。
「やあ、ちゃんとご飯食べてる? 長話も何だし一つだけ。その状況で一番まずかったのは、選択を遅らせて何もかも台無しにすることだった。竜士らに捕まらなかったんだからそれだけで義理は果たしてる。口うるさい悪魔は無視していい」
「あ? 竜士?」
「諦めるにしろやり抜くにしろ、選択は早いほうがいいんだ。その分準備に回せるんだからさ。時間があるのは大きい。特に今のきみみたいに彼我の実力差が大きい場合はそれくらい稼がないと」
「はい、わかりました。わかりましたけど、今竜士って呼びましたよね? 呼び捨て? は? 何で?」
「わかってくれたなら何より! そう、きみは早く決めさえすれば好きにしていいんだ。このままフェレス卿とヴァチカンに従うのもいいし、竜士を攫って駆け落ちするのもいい」
「二回目!」
「いやぁ、ぼくがこんな教育者っぽい発言する日がくるとはね」
「てか二回目呼んだのわざとでしょお! 誰が教育者や、あてで遊んどるわこの人。今決めました、アンタ次会うたら覚えといてくださいよ」
「そう! その素早い決断がきみを救う! がんばれ! きみも竜士を名前で呼べる日は近いぞ!」
「別に呼べるわあほー!! 様はつけるけど!」
そのあたりで
予想通り小細工は全部なくなっているようでしたが、幸い結界のようなものはなく、これなら鶯の間の横にすぐ行けそうです。……まあ、あまり来るとも思っていないのでしょう。罠にはあまり詳しくありませんが、フェレス卿の影ですしよっぽどでなければすり抜けられると思います。鶯の間の横に降り立って、最初に印章を書いた紙を鶯の間外側の四隅に置きます。魔除けの一種で、使い魔の召喚や魔力行使ができなくなるものです。私が悪魔落ちしている設定なので軽いものですが、存在がバレてから一分も持ってくれれば御の字なので問題ありません。続いて鶯の間に続く廊下を封鎖してから襖の隣に座って中の会議を聞きます。
内容は、まあいい意味で予想の範囲内でした。とてもじゃないが言っていることが荒唐無稽すぎる。どこの何にたぶらかされたか知らないが、とっとと捕縛してやらないと騎士團側に迷惑をかける。誰も、私が言ってることが正しいなんて思ってません。お開きの頃になって、壁にもたれていたのをなおして立ち上がると、きしりと廊下の床がほんの少しだけ音を立てました。途端、素早く襖が開きます。すぐさま腕が伸びてきたのを、影に引っ張られて後ずさって避けました。
「みなさん寂しいこと言わはるわぁ。でもね、知ってますよ。こうやって大勢でいるうちは、みんな当たり障りないこと言うんやって」
室内全員、戦闘態勢に入っていました。召喚や魔力行使は封じられたのに気づいたのは蠎さまが真っ先でしたが、錫杖を組み立てている柔造兄さんなんかは関係ありませんし、魔除けに気づいたらしい兄が反対側の襖から飛び出していきました。
「鶯花!
「話する空気やないですし、出直しますね。では、きっとまた後で」
印章紙を回収した兄が走って廊下の角に現れたのによそ見していたら、純粋に腕力で投げられた錫杖が迫っていました。影に逃げ込みます。隠れ家の床にへたりこみました。
わかってはいましたけど、あからさまに敵意を向けられるのは少し響きます。でも、でも、きっと最終的には、皆のためなんですから。迫ってきた錫杖に止めていた息を吐き出すと、背中を大きな手に撫でられました。
「おかえり、鶯花。おつかれ、ご飯食べよか」
「……
顔をあげると、出しておいた保存食はそのまま残っていました。なので
食後は
もくもくと作業して時計を見れば、夜はすっかり更けて、眠れない人の時間になりました。あの人達が眠れているかは若干疑問ですが、この時間に行くと予定していました。一言言ってから出るべきかと思ってバックヤードを覗くと
無事に……ええ、
まずは子猫さんの部屋の前で、中の気配を伺います。当然ですが静かで、明かりのようなものも見えません。障子を開けて中に滑り込むと、子猫さんの寝息が聞こえるようになりました。まずは、声を通さないようにするための結界を部屋に張ります。つづいて、子猫さんの体を布団の上から
「子猫さーん」
呼びかけると、子猫さんは軽く眉を寄せました。
「子猫さん、起きてぇな」
軽く肩をゆすると、目を開けて、それからまた目を細めました。メガネを掛けていない時にやるやつです。
「せやった、見えとらんよね。はい、メガネ」
枕元に畳んでおいてあったそれを開いてかけさせます。子猫さんは目をつむってそれを受け入れて、もう一度開いて私を見ます。
「こんばんは。悪い夢ですよぉ」
その視線に答えて、軽く顔の横で手を振りました。子猫さんは状況をおおよそ把握したらしく、きゅっと口を結んでから言いました。
「何しに来はったん?」
「三輪家はついてくれるよね、って聞きに」
「つかんよ」
「え、何で」
「それ、本気で聞いとるん?」
流石子猫さんです。もう探りに来ています。言ってしまえば志摩さんの二番煎じですし、これくらい冷静でいてくれたほうがこちらもやりやすいのでありがたいです。
「んー、理由の方の予想はおおよそついてます。だって、まだ計画に穴多いもんねえ。でもそのあたりは、子猫さんが詰めてくれるんやろなぁて、あて、思ってて」
「詰めんよ。……確かに僕らはフェレス卿にいいようにされとるんやろうけど、だからって騎士團を抜けるってのは早計や。やり方も全然なっとらんし……。鶯花さん、そんな嫁入りみたいな格好しといて、そのあたり考えてくれる旦那はんもおらんの」
「嫌や、尋問みたいやわぁ。こわいこわい」
立ち上がって、振袖の裾を直しました。今ので影に聞かせる言質としては十分でしょう。くるりと背を向けると、子猫さんは声を上げました。
「鶯花さん! ……いま、ほんまに、鶯花さんは鶯花さんなん?」
「禅問答みたいやねえ。自分とは何か、て、難しいわ。宿題にしてええ?」
振り向かないまま言いました。このあたり、たっぷり疑念を持ってもらわないと、任務に支障が出ます。障子に向かって歩き出す前に子猫さんは続けました。
「一月くらい前……、今月の頭あたりから、鶯花さんの様子がおかしいのは気づいとって。皆で何があったんやろって話して、奥村くんなんかは、その……えろなったとか言うてて」
子猫さんの声は尻すぼみです。えろなったとは、ううん、やっぱりちょっと不名誉なんでしょうか。
「その前から鶯花さんは悪魔に憑かれてもおかしなくて……、この話を聞いた時、反騎士團の
詠唱をしなかったのは、おそらく結界の想像がついてのことでしょう。振り向いて子猫さんを覗き込みました。ずっと笑顔でいましたが、特に笑顔を深くしました。私と違うと、言われても。
「あてね、きっと子猫さんのこと、なんにも知らんよ。子猫さんの写経同好会とか、その部長さんとか、何をどこで楽しんどるのか、何を考えとるのか、知らんよ。せやから、きっと子猫さんも、あてのこと、なんにも知らんよ」
「……それを、あんたが言うん……」
子猫さんは信じられないように言いました。でも、私が認めたくなくて言わなかったこととか、子猫さんは知らないでしょう。そのあたりの
「うん。結界の……境界の話は、あての十八番やもん。ねえ、子猫さん、頑張ってね。頑張って、あてを捕まえてね。皆あてを捕まえようとしとるけど、あては、もし捕まるなら子猫さんがええもん。あてはあてで、心願成就頑張るからね。だから、あてのこと、見ててね」
ふと、今後のことを思ったのです。任務を済ませたら、一度捕まらなくてはなりません。その時、知らない人に捕まるのは少しさみしいですが、坊や兄ではいささか嫌ですから。障子を開けて出ようとした時、子猫さんの返事が聞こえました。
「うん、見てるよ。……絶対捕まえたる。僕は鶯花さんのこと知っとるし、鶯花さんは僕のこと知っとるんやから」
子猫さんの部屋を出ました。そうです。子猫さんのこと知ってるから、頼んだんですよ。子猫さんならきっと、私がよそに行きたがってもわかってくれますよね。それくらい、甘えさせてくれますよね。さて、次は坊です。あの人、子猫さんほど冷静ではなさそうで心配です。どうにか早めに言質を取って、滅多なこと言わせないような話し方をしないと。子猫さんの時と同じ手順で坊の部屋に入って、体を縛ります。
そして起こさず、しばらく眺めました。寝込みを襲いに来ておいてなんですが、眠れているようでよかった。今から、起こしちゃうんですけどね。肩に軽く触れながら、ほとんど吐息で呼びかけます。
「坊」
深くは眠れていなかったのでしょう。坊は目を覚ましました。そのまま身体を起こそうとしたようで、変に体を硬ばらせると片目をすがめました。私はベッドの横に正座で座っていたのを崩して足を流して、そのまま小さな声で言います。
「こんばんは、夜分遅くに失礼しますね」
まだ少し眠たいのか、坊は何も言いません。私はそのまま続けます。
「別に、特に用事があるわけやないんですよ。お喋りしに来たようなもので。でもね、そうですね、いざ来てみると特にないですね。坊からは何かありますか? ふふ、何かどころか何もかもありそうなお顔」
ベッドに頬杖ついて、坊のお顔を眺めます。視線が痛いくらいで気持ちいいなんて、マゾの気でもあったでしょうか。
「……何で、俺に何も相談しなかったんや」
「相談? ああ、そうですねえ、そういう発想、なかったですわ。相談したら、一緒にやってくれましたか? 独立運動」
何食わぬ顔で言いましたが、一番核心の言葉を言ってしまいました。ここで、もし、坊が“やった”なんて言ってしまったら、取り返し付きません。でも、言わないといけないのです。影はすぐそこで一緒に無感動に答えを待っていて、坊の唇はすぐに動きましたが、その音を聞くまで、あまりに心臓がうるさくてうるさくて。
「……さあ。相談されんかったからな。わからん。そもそもお前、何でこんなこと」
ああ、よかった、坊が、かしこいひとで、よかった! 脱力して首がこてんと傾いて頬杖の手になついたので、小指で自分の唇に触れながら返します。
「何で、って、ちゃんと説明したんですけどねえ。でも、聞きたいのはそういうことやないんでしょう? 特別にお教えします」
アドレナリンと動悸のせいで、なんだか気分が高揚して、一つ、熱いためいきをしました。まるでときめいているようで、暗い部屋がちかちかしていました。
「あなたのためです」
「そんなこと、俺は望んでへん」
坊はすぐに返しました。そこで怒らないのは、弟子入りとかで大人になったからでしょうか。あーあ、どんどん素敵になるんやから。もう、私、何回惚れ直しても足りなくて、どんどん惚れっぽくなっちゃうじゃないですか。
「知ってますよ、それくらい。さすがにわかります。……でもね、坊。好意って相手の思い通りにするわけやないでしょう。奥村くんも言うてはったやないですか。坊が志摩さんを連れ戻すって言うた時に。私たち、好意がそんなに綺麗なだけでいられないって、ちゃんと知ってて、そのくせなかったことにしたがりましたねぇ」
勝手に私たちと言いました。でも、そうでしょう。違うなんて言わせません。暗闇の中、顔をぐっと近づけます。
「坊、あては嫌でした。あなたにどうにかしてあげたいと思われるのは嫌でした。あなたのどうにかは、あての望むものではありませんでした。坊は前に言いましたよね、坊の望む関係ばかりで、あての望みはどうなんやって、言いましたよね。せやから、ね、どうか喜んでください」
昔から、口の回る人は、そんなに喋るほど本当のことがあるのかな、半分くらい嘘なんやないかしらん、って、思っていましたが、いま、分かりました。あんまり口が回ると、途中から、自分の言っていることが嘘なのか本当なのか、境がぼやっとしてくるのです。そういうの、よくないんですけどね。境界ってのはちゃんと引かないと、うまい結界はできませんから。
「坊はね、何も心配しなくてええんですよ。あてが全部、なんとかしますから。だからそうやって、あてのことを何もできん女の子にしないでください。全部あてにお任せください。きっと悪いようにはしません。だからどうか笑ってください。とびきり楽しく行きましょう。ね?」
「できるか、ぼけ」
坊はやっと口を開きました。何もツッコミ入れてくれなかったのでずっと私一人で喋っていて、少しさみしかったのでうれしいです。
「何が“特にない”や。一人でべらべら喋って。ツッコミどころ多すぎてツッコみきれんわ。全部任せろて、このままお前に任せてどうなるっちゅうねん。どうにもなりそうにないから捕まえようとしとるんやろが」
「え~、捕まえるだけですか? あてのことは殺していっしょに死んでくれへんのですか?」
「お前がほんまにお前やったらやぶさかでもないけどな」
やぶさかでもないですって。照れちゃって思わず笑いました。
「えへへ、偽物扱いや。認めたくないんですか、鶯花がこんなこと考えてたって」
「鶯花が
私が
「あんな風に、って、嫌やなぁ。合意ですよ、一応」
正しくは事後承諾ですけど。
「……合意?」
「気になります? 坊かて調子出てきたやないですか。もう少しお付き合いしたい気持ちもありますが、何せ夜は短くて。最初の目的は終わったので、帰ります」
「帰るって、お前どこにや」
立ち上がって踵を返せば、坊はそう言いました。どこに。色々な言い方がありますが。
「……あなたのいないところですよ」
「逃げる気か」
「……へえ、逃げる」
かちんと来ました。振り向いて、横たわる坊に近づきました。坊はかわらず私を強く見つめていました。しかし、いつかの私みたいに布団に横たわって、指先一つ動かせないままでした。その状態で何も出来ないのは、私が一番知っています。立ったまま見下ろして言いました。
「今のあなたに、何ができますか。私は何であなたから逃げなきゃいけないんですか」
好きで好きで大好きで、ひっくり返って大嫌い。いつか悪魔に言われた私の弱さ。子猫さんの知らない私。認めて素直になってしまえば、とても醜くて、同時にとても心が
「ね、東京でいろんなこと学んで師匠を持って、今何ができますか? このままやったら坊、一人でご飯も食べられへん」
とびきり楽しい気分でした。人差し指をぼんの唇に押し当てました。むに、とした感覚にほんの少し胸が高鳴ります。役得やんなぁ。
「坊なんかきらいです。あてのこと頼ってくれなくて、あて以外とばっかり仲良くするんやもん。しばらくそうやって寝ててください。でも大丈夫ですよ、坊が心配するようなことは何一つありません。だって私、とびきり楽しくて、とっても元気で、特に危険でもないですから」
これ以上いると余計なことまでしてしまいそうです。今度こそ障子の方に向かって立ち上がろうとした時でした。人差し指に痛みが走って生ぬるい。振り向けば、坊は唯一自由だった口で、私の人差し指を噛んでいました。
「何してはるの、癒着したら危ないやないですか」
ちょっとやそっとでは抜けないように、坊はそれなりの力で私の人差し指に噛みついていました。体ごと動けば別に引き抜けたでしょうが、ひとまず舌を指先で捏ねてみます。濡れた柔らかい粘膜は、生娘と生息子には、ちょっと刺激が強いんやないでしょうか。
「ああ、危ないって言っても、あてはそんなに危なくはないですね。それにまだ楽しいし、元気ですよ。もう、こんなはしたないことしたって、ものもろくに言えんやないですか。こういうの、やめたほうがええですよ。だって、みじめなだけでしょう」
ときめきの酩酊、愛憎の半狂乱、指先の適悦。負けず嫌いのこの人の弁を聞いてあげようとして、洒落にならないと思いとどまる理性は、きっと見られている緊張感からでした。その点はプライバシーのなさに感謝しなくてはいけないのかもしれません。
「こんなして引き止めて、何が言いたかったのかくらいは、聞こうと思ったんですけどね。言わぬが花ですし、たぶん私は聞きたくありません」
そのまま一言
「ほな、あてはこれで。あんまり頭が痛くなる前に、ちゃんとお薬飲んでくださいね」
ぐっと力を入れて引き抜くと、指先が濡れてすうすうしました。拭く気にもなれませんが、まさか口づけるわけにも行きませんし、どうしましょう。対処法を考えているようで、考えていません。感じた恋しさのかけらだけ離さないで、未練がましく握っていました。
カルネは京都のパン屋さんで有名っぽいのでフェレス卿が宝くんに指定したんだと思います。
被甲護身は被甲護身ごと蛇に食べられちゃうのでまずかったやつです。
志摩家・宝生家については最初日本家屋を想定して書き始めたものの、8巻回想でチラ見えした志摩家子供部屋がどうも日本家屋じゃなさそうなので、微妙にぼかした書き方になってます。それまで不動峯寺に住み込みだったとすれば、山を降りた当時は財政難ですし、確かに日本家屋的なお宅でないほうが自然なんですよね。