花に嵐   作:上枝あかり

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少女地獄 6

 宝ヶ池の、周りの森。地に足がついた瞬間に全ての結界を解いて、それから座り込むと、土の湿り気がタイツにつきました。しばらく荒い息をして、めまいを堪えます。

「鶯花! ……大丈夫か」

「ハァッ、……ええ、ちょお、つかれただけです……」

 さいわい、和尚(おっさま)しかいないようです。そのまま疲れて立てないでいると、和尚(おっさま)は私の隣にしゃがみました。意識を刈り取られそうな眠気に目をこすると、和尚(おっさま)は私の手を止めさせました。

「あかん、なんやえらい眠たい……」

「それなんやけどな、鶯花。あんた、蝮からお茶もろたんたろ。……この状況で。金造も寝とらんとか言うとったし、……何か入っとったんやないの」

「……あっ」

 ええ、睡眠薬とか。入っててもおかしくないというか。あれ、緑茶なのに熱湯だったの、そういうことなら、わかるような。でもそれ、もう現役どころじゃないですよあねさま……。そう、志摩家、というか柔造さんなんかに煽られればそのまま応戦していましたが、どっちかというとそういう頭脳戦のほうが得意なはずです。だって、8年も疑念を抱えたまま、調べて作戦立てられる人なのです。やさしく捕まえてやろうという気遣いが、こういう形になってしまっておかしくありません。お茶に薬が入っていたなら、あの時吐いてしまったのは結果的に良かったんでしょうけど、今こうやって眠たい以上、吸収してしまった分もありそうです。

 そう、追い詰められていると言えば、警邏三番隊はどうしてあそこに? 塾生は森の中に散らばっていたのに、警邏隊はあんなわかりやすいところに固まって、まるで囮みたいな。いろいろ修羅場こそくぐりましたが、普通、逆ですよね。警邏三番隊はどういう隊でしたっけ、ええと、確か、そう斥候のような、相手を調べるような方に向いた構成で。つまり囮は塾生の方で、もう無力化させたと思わせて、塾生とたたかってるすがたを。

「えぇと、ええと、どうにしろ、まずはフェレス卿に報告して……それで……今日の寝床、どうにかしたいし、ああ、鬼頭と花巻と冬隣も、今日行かんと……」

 眠たくて考えがまとまりません。この後やることを口に出すと、和尚(おっさま)はしゃがんで私と目線を合わせて言いました。

「鶯花、今日はやめとき。休んだ方がええ。あんた、自分が思っとる以上に疲れとるんやさかい」

「せやけど、はよせんと、結婚式に響くとあかんし……」

「せやったら私が代わりにやっておくさかい。あんたは休み。別に、一人でやらんでええんや。一人やないさかい、な? 今は私がおるし、東京にも京都にも、手伝ってくれる人おるんやろ?」

 和尚(おっさま)は私の肩をさすりました。大きくてふわっとした、温かい手。それに冷えた肩を暖められていると、なんだかまだお寺にいる頃の、子供の頃に戻ったようで、……いいえ。

 違います。私は、この人にとっては、ずっと子供です。

 ハッと振り向くと、和尚(おっさま)は心配した顔をしています。その目つき、その目つき! 私知ってます。ああ、どっちも知ってます。ほんま()()()()親子や、よお似とる!

「まずは今日寝られる暖かいところを探して、その後支部長に連絡しよか。私がやったら問題になるんやったら、内通者がやってもええし……。鶯花は今日はゆっくり休んで、明日から頑張ればええやろ。自分が動けんときは人に任せるってことも覚えんと……」

 和尚(おっさま)の言うことも手もひどく温かく魅力的です。今にもすがりつきたくなってしまう。でもその手をとることは出来ません。

 だって、そんなこと言ったって、あのときお山で動けないのに私達に何もさせようとしなかったのは、和尚(おっさま)やないですか。

 今回だって、和尚(おっさま)がネタに気づいてたのに私が任務失敗しなかったのは、和尚(おっさま)が一人で解決しようとしたからやないですか。

 坊かてそうや、頼れ言うばっかで、全然頼ってくれへん――。

 和尚(おっさま)の手は本当に暖かそうでやさしそうで、なつかしくて、だからその手をとったらきっと、私はなんでここにいるのかわからなくなってしまいます。立ち上がると、和尚(おっさま)は私を見上げました。その肩に手をおいて。

「……でも、これは、あてが任された仕事ですから」

 つま先で影をつつきました。私の影に飲まれて、和尚(おっさま)の姿は消えました。誰もいなくなった夜の森のしずけさ。葉に当たるぽつぽつとした雨音。足元のやわらかい土。……えろう寒い。

「……ちょっと」

 フェレス卿の不満げな声がしました。形を変えた影に向かって釈明します。

「予想より早う隠れ家が見つかりました。あても今薬でも盛られたのか眠うてかないません。今晩動くのは正直無理があります。それどころか、このままだとひょっとすると、任務完遂前に捕まることもあるかも。その為の時間稼ぎです」

 和尚(おっさま)を送ったのは東京のヨハン・ファウスト邸です。和尚(おっさま) と経典は私の持つ質ですが、どちらも拠点をなくした今では荷物になりかねない面があります。

「まあ一理はありますねえ。わかりました、こちらでお預かりしましょう」

「……粗末に扱ったら許しませんから」

「許さないとどうなるんです?」

「……怒ります」

 いまいち声に眠気がにじんだな、と思うも、フェレス卿は嬉しそうにくつくつと笑いました。

「私相手では不足ですが、よくドスを効かせられるようになりましたね。安心なさい。客人として丁重にもてなします」

「はい、お願いします。……フェレス卿、私、この後どうしましょう」

 木にもたれかかりました。上を向きます。確かに外部支援の必要な状況であることには変わりありません。

「その件ですが、まだ尾行されてないと証明できてないなら無闇に隠れ家を明かしたくないんですよね。今日は何とか夜露をしのげるところを探して寝てください。窓ガラス一枚までなら後から騎士團名義で弁償するので割ってもいいです」

「何かないんですか? 凍死しますよ」

「振袖があるでしょう」

「被って寝ろと……?」

「それくらいの加護はあるでしょう、何せ完璧に素敵な振袖ですし。新しい隠れ家は明日の朝お知らせします。その時に一度宝くんも向かわせましょう。それまでは一人でなんとかしのいでください」

「……ええ、なんとか」

 フェレス卿と話し終わって、まず歩き出します。息をする鼻がひどく冷たくて、口呼吸に切り替えました。そのまま少し開けた唇でうたいます。

 月は朧に東山、霞む夜毎の篝火に。夢もいざよう紅桜、しのぶ思いを振袖に。

「ぎおーん、こいしーや、だらりの、おびよ……」

 恋しいのは祇園ではないでしょうに。口元が笑みの形にゆがみます。恋しいのは、たとえば……。

 うん、うん、せやで、しえみちゃん。誰かを傷つけるのは楽しない。力を振るうのとか主導権を握るのはたしかに、ちょっと楽しかったかもしれないけど、それでもやっぱり誰かに心配させるのは全然楽しくない。私っていつもこうです。やっちゃってから、それが欲しいものじゃないって気づく。こんな仕事、したくなかった。

 ――諦めるなら早いうちだよ。

 ライトニングの言葉も頭をよぎります。でも。

 でも、私、一度でいいから仕事をしたい。ちゃんと、私にも出来るって確信したいのです。今の力の大半は借り物でも、持たないものすら武器なんでしょう。

 いつも布団で横たわって、泣いてばかりで、肝心なときにミスして気絶して、私に出来る事なんてほとんどありませんでした。そんなことないって、私だって誰かに頼られるだけの力があるって、私だけは信じたい。そんなこともできなかったら、私、坊から離れてもどうしようもない。あの人から逃げるには、それくらいの自信がないと務まらない。

 それに、あの、あの叶わなかった望みのために。あの、頼らない人たちに頼られたいって望みをそっと埋めてやるために。それが出来たと、信じたくて。

 森を抜けると道に出ました。濡れたアスファルトが街灯でつやつや光って、冬の雨はうっすら霧になって道の先を隠します。車一台通らなくて、変なところに迷い込んだ気持ちでした。冷たくて濡れた空気はどこか、涙を誘う匂いがします。土地勘がなくて左右を見渡しました。どちらも霧で、標識の類いもありません。

 眠気と共にしばらく茫として。連れ添いも、行く宛も、寄る辺も、何もありません。ただ冬の白い夜と、やることだけがあります。そしてやさしい夜の道は、どこまでもどこまでも続いていて、まるでどこにも行かなくてよいようにすら見えました。

 でも、行かなくちゃいけません。私、明陀のうたがいを晴らすんですから。どうしようも無くなる前に、私と坊をどうにかするんですから。私でも出来るって、信じてみせるんですから。ため息をついて、肩からかけた振袖をたくし上げてかき寄せました。どこか、お寺か神社に忍び込みましょう。ひとまず右と決めて歩き出します。

 ああ、夢見た未来はこんなではなかったのに、私、いったい、どこで間違えたんでしょう。花のお寺はうらぶれて疑われ、優しく甘い春は破れて帰らない。これではあまりに寒い。今のこれこそ夢ならば、夢ならば私は……。

 春の夢、邯鄲の枕。

 まさか、これがあの春の夢だなんて、本気で信じているわけではありません。それなのに考えずにはいられませんでした。でも夢ならば、起きて、それから、どうするっていうんでしょう。どうしようもなかったから、今こうやってどうにかしようって歩いているのに。歩けることを、信じていたいのに。

 歩き続けたら少しずつ家が見えてきて、街に生活感が出てきました。どこかの家から、お風呂のお湯のにおいがしました。お日様のにおいみたいに、本当は無臭のはずなのに感じる湯気のやさしいにおいです。かけ湯をしているのか、ザバ、とお湯を使う音もします。暗い夜へと窓から漏れる灯。楽しそうにテレビと一緒に笑う声。炒め物をする音に、換気扇からの夕飯の匂い。

 思わずうつむけば、交互に前に出る、自分の二本の足が見えました。足は、まだ歩いていました。これに、これこそに、これだけに賭けて、ここまで。ぐっと顔を上げて、前を見直します。大丈夫、まだ出来る。こんなに寒くてさみしくて、それでもまだ歩ける。だから――。

 こんなのは、春の夢ではありますまい。




引用元
祇園小唄→長田幹彦(PD)
 蝮さんもまさかお茶を一気されると思ってなかったと思います。飲まない前提、でも一口飲んでくれればくらいだったんじゃないかと。
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