花に嵐   作:上枝あかり

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少女地獄 8

 さて。

 案内された鞍馬の隠れ家とやらは山で働く人の休憩用であろうプレハブ小屋でした。支援物資を受け取って、宝くんから最新の情報のリークも聞きます。これから会わなくてはならない花巻と鬼頭と冬隣は今日は自宅待機ということで、おそらく私をおびき出すためなのでしょう。向こうも私が僧正家を回っていることはわかっているのです。日付ももう28日で、こちらとしても夜になって家に帰ってから狙う、なんてのんきなことは言えなくなっていますから望むところです。

 宝くんが帰ってから朝食を摂ります。清姫にもすすめてみましたが断られました。残ったコンビニのおにぎりはここに置いておきますが、昨日の反省で携帯糧食は無理やりポケットにねじこみます。いつ何時襲われて帰れなくなるかわかりませんから。そうこうするうちに普通に人の活動する時間になって、覚悟を決めて花巻の家に影で行きます。

 向かった先は花巻の家の、さすがに屋根の上でした。下を覗き込むのも危なそうだと気づいて、鏡で確認すると。

 青い炎がゆらゆらしているのが見えました。鏡越しでも見間違いようありません。まじかい。

 いや、ええ……。確かに向こうも来ると思ってるなら、そこに人員を配置するのは当然ですし、私が青い炎苦手なんで臨戦態勢も兼ねて待機させるのは戦術的に正しいです。京都出張所の人は夏の不浄王討伐で奥村くんの青い炎が自分たちに危害のあるものでないと身をもって知っているわけですし。

 考えていると、内ポケットの清姫が服を引っ張りました。あわててあたりを見れば、背後に花巻当主の使い魔がいました。

「!」

 仕込んだ杭に手をやったときです。

「奥村くん、その炎消してくれんか。あの子が動くも何も、出てこられへん」

「いや、俺はいいけど……」

「坊のことは気にせんでええ。……ほら鶯花、降りてきい。話あるんやろ。降りられんなら、降ろしたるけど」

 返事もしないうちに背後の使い魔が私の襟首を咥えると、私を屋根の下におろしました。地面に足がつくと使い魔は離れましたが、間合いからはおそらく出ていません。

 家の中を見れば、花巻の兄さんと刀を納めた奥村くんとクロと、それから目の据わった神木さんがいました。

 ……あかん、あかんあかん殺される。神木さんに殺される。神木さんあれは殺さない程度に殴ってでも連れ戻すって感じです。ただ、私を殺さない程度が一般的には死んじゃう程度なだけで。

 それでも動揺を出さないようにして、花巻の兄さんだけ見ます。

「嫌やわ兄さん、猫の子やないんやさけ自力で降りられました。その様子やと用件はわかってはるんでしょう? 騎士團はもうだめです。独立しまょう。思ったことなかったとは、言わせません」

「ああ、いつの間にか大きゅうなるもんなんやなぁ。昔は軽に詰め込んでも余裕やった子が」

 花巻の兄さんが免許を取って中古の軽を買ったと言って、子供連中を七人も詰め込んで遊びに連れて行ってくれたことがありましたっけ。懐かしい。もう十年も前になるでしょうか。もうあの七人は一緒に軽自動車に乗れません。

「いややわ兄さん、この期に及んで時間稼ぎなんて。それともそこの人らが邪魔?」

 畳の縁を利用して軽い結界を張り奥村くんらを隔離します。簡単なものですから青い炎に頼るまでもなく触れれば崩れますが、話し声を遮断する程度の効能はあります。

「その件についてはアンタさんに先に聞かな、うちとして答えが出せん」

「へえ、なんです?」

「出張所の行動が筒抜けや。誰ぞ内通者がおるとしか思えへん。そのくせ、お前の言うことをまともにとるやつはおらん。……影で味方しとる奴は誰なんや。明陀のもんか。それとも、寺の外か」

 内通者。確かに居ますが明陀でもなければ私に賛同しているわけでもない、関係ない人間です。それを探るのは現行犯でも抑えない限り不可能に近いでしょうが、そういう疑惑を掛け合う空気の悪さはフェレス卿の狙いです。

「明陀のもんやと思てはるんでしょう」

「……正直に言えば」

 花巻の兄さんは後ろをちらりと見ました。結界はまだ破られていません。

「塾生を疑っとる」

「あは! ……安心してください。塾生ではないです。廉造さんでも子猫さんでも、坊でもありません」

 いやまあ、塾生(宝くん)も内通者なんですけど。花巻の兄さんはさらに続けます。

「ほな、あんたの兄さんか。和尚(おっさま)を隠せる人間は、そう多ない」

「兄も違いますよ。あの人が味方してくれるんやったら、あてもこんな面倒なことせんかった」

「ほな誰や」

「……さあ?」

「それを聞ければ、考えたんやけどな」

 奥村くんたちを囲った結界が破れました。奥村くんが刀を抜くより、花巻の使い魔が動くより先に、神木さんが叫びました。

「逃げるな!!」

 奥村くんと花巻の兄さんも予想外だったのか、神木さんの方を振り返ります。私は予想していないわけではなかったので、あたりの気配を探りますが、花巻の使い魔すら動きません。

「二人も動かないで……戦おうとしたらコイツ、逃げます。あたしは、……その。……友人、として……話がしたいんです」

 言葉の最後は振り絞るようでした。いつかと同じに睨むようなぶれない灯明、赤葡萄の蔓のように捕らえて離しません。ああ畜生、分が悪い。

「……そうだな、俺たち友達として話すなら、こういうのはナシだ」

 奥村くんは降魔剣をすぐには手に取れないところまで放りました。花巻の兄さんもそれを見て、使い魔を一度消します。奥村くんは正座から立ち膝になって神木さんの方に乗り出すと、一応口元を手で覆って言いました。

「出雲のときと同じだよな。話しかけて呼び戻さないと……」

「ううん、そんな悠長なことしてる暇ない。憑依されてるのを言葉で呼び戻すならあたし達じゃ足りないでしょ」

 うつむき気味に奥村くんに返事してから、神木さんは顔を上げてまっすぐ私を見て言いました。

「あんた、あたしに嘘ついたの」

「……」

 表情だけは変えません。さっきの煩わしそうなそれのまま。

「何よ、そのざま。あんたそんなことしたかったの? 悪魔を利用する悪魔落ちだったら百歩譲ったわよ。でも完全に憑依されてんじゃない。あんたのこと馬鹿だと思ってた。でも、……信じてたから、あんたの大丈夫だって言葉、信じたのに、……ッ」

 神木さんの睨む目から涙が溢れました。袖で無理やり拭って、涙声で、すごくいたましい。影に飛び込んで、神木さんの目の前に行きます。

「神木さん。あては大丈夫やさかい泣かへんで」

 ポケットには一応ハンカチが入っていました。それを神木さんの頬にあてながらわらいます。

「せやけど馬鹿は、関西人にはやめたってな」

「ッ、こんな冷たい手で何が大丈夫なのよ!!」

 神木さんはバッと私の手首を握りました。後ろに勢いよく倒れることで払います。そのままの足で体を支えるのと同じに影を踏み、影の中を行きます。

 鬼頭の家の外、木の陰です。握られた手首をもう片方の手でさすります。強い力ではありましたが、跡になるようなものではありません。

 それでも冷えた手に残る温かさで、あの神木さんの涙で、ただただ気分が重い。でも今できることは一つだけ。みんなのためにも、早く仕事を終えないといけません。鬼頭の家の方を見ます。

 表向き誰が待っているわけではないという点では志摩の家と同じでした。少し考えてから正当に表でチャイムを鳴らします。

 少し間がありました。

 そして出てきたのは、いつもの鬼頭のおばさんではなく鬼頭の当主の兄さん。それを見た途端玄関の中に押し入って、杭を撒いて結界を張ります。影はちゃんと内側に、同じ轍を踏みません。

「い、いきなりやな……」

「ええ、いきなりです。邪魔はされたくなくて」

 兄さんの後ろを見ます。まだ出てきませんが、きっとここにも誰かいるのが予想できます。疑われていたことを思えばおそらく明陀の三人ではないでしょうから、奥村先生やしえみちゃん。どちらも昨夜一泡吹かされた相手です。

「もう用件はわかってはるでしょう。鬼頭がついてくれれば花巻も考えを変えます。騎士團にいるのはもう無理です」

「わ、私はそう思わん」

「なぜ」

「むしろ逆に、ここでなびかんことを証明せんと、騎士團にはおられんようになる……! せやからここで捕まってくれ、な?」

 眉間にシワが寄ります。そう、ここで証明してほしいのです。しかし、それに気づかれてしまっては困ります。

「いいえ、ここではまだ、です」

 私の後ろ、玄関の外に気配を感じて振り向くと外には戸口を塞ぐように木が生え、枝をこちらに伸ばしていました。鬼頭の兄さんも錫杖を取り出し、後ろでは奥村先生が銃を構えています。予想通りすぎます。影に引っ張られて錫杖をかわして、姿勢を低くしたそのまま地面に倒れ込んで影に入りました。

 今度は流石に一度、鞍馬の隠れ家に戻りました。これでいよいよ次は冬隣、つまり兄のところですので色々と気合入れないといけないのです。少し時間をおけば冬隣のところに主要な戦力が集まるでしょうから、そこで捕まればちょうどいいでしょう。いよいよ見えるたびの終わり。そして終わったら、たぶん独居房に入って、少しの間黙秘すれば、東京から査問係と和尚(おっさま)がやってきて、そうしたら私の身柄も東京へ、同時にネタバラシできっと神木さんも、私が私のままで好きにしたからこうなったって思ってくれる、けれど、その頃にはもう会えなくて。

 でも、もう今さらです。胸の中の重たい感傷、寂しさと名のつけたくないそれを全て承知で私はここまで来て、そしてその先に行きたい、行かなきゃならない。

「……の前に、とりあえずお昼食べよ」

 腹が減っては戦は出来ぬ。置いていったおにぎりを同じく差し入れられていたお茶で飲み下します。一応清姫にも聞いてみますが、やはりいらないということでした。

「そんなしけたおにぎりいらないわ。でもね、そうね、さっき働いたし、あなたの恋のお話が聞きたい。あなたの好きな人のこと教えて?」

「ええー……」

 少し考えてみれば、話して清姫に怒られそうなのは私の方です。ちょっと憚られますが、「さっき敵を教えてあげたでしょ」と言われれば困ります。あんまり長話も出来ないと前置きしてから始めます。

「ええとね……、あてはその人のこと好きなんやけどね、その人はそういうふうにあてのこと見てへんし、恋愛とかするつもりもないんよ」

「わかるわ、ひとごととは思えない」

「うん……それにね、それはそれとして向こうもあてのこと好きでね、あてのこと一生面倒見る気でおるん」

「わあ、生殺し! わかるわわかるわ、蛇的に辛いわ」

「それでね、正気でおれる自信がなかったさかい、あて、あの人から逃げようと思って、今、それのための仕事なんよ」

「そうなの? つらいわ、まだ好きなんでしょう?」

「うん……」

「つらいのね、つらいのね。身が焼けそうなんでしょう。かわいそうに」

「あれ、怒らへんの」

 清姫は私にひどく共感してくれているようでした。制服の上着の内ポケットから這い出て私の腕に巻き付いた姿勢でうんうん頷いています。

「どうして? ああ、あなたが相手から逃げようとしているから? そんなことないわ。あなたの恋は絶対ただしい。これだけは私は絶対否定しない。あなたが恋に狂ってする行動も、全部ただしい。もしあなたが間違ってたって、あなたの好きだけは絶対誰も文句を言えない。わたしが言わせない。だから安心して、好きなことをしなさい。その結果がどんな莫迦みたいなことだって、あなたは正しいんだから」

「……そう言われると、元気出る気ぃするわ」

 実際、神木さんを泣かせた私が正しいとはあまり思えません。でも、悪くないと言われてそのまま突き進む愚かさが今はきっと必要です。椅子に座っていたのを立ち上がりました。伸びをしながら独り言を言います。

「あ~、嫌やな、でも行かなあかんしなぁ……」

 そして影を踏んで向かった先。私の実家、冬隣家。

「……あれ」

 家全体が結界で覆われています。兄のです。しばし口元に手を当てて考えます。それから結界の四隅を見に行きました。金剛杭が刺さっていますが、それについている札を改めて、もう一度。ううん。

 結界自体を詳しく改めたわけではありませんが、これ、中に兄どころか誰も居ないんじゃないでしょうか。これは多分中に生き物をいれない、という性質のものです。しかしおそらく強度が異常に弱く作られている。だから、中に生き物が入ったらこの結界は壊れます。

 つまり考えられるのは、私がどこからともなく現れるのを知った兄が、私が家に戻ればわかるようにこの結界を張ったということです。それだけなら納得できるのですが、金剛杭についた札が湿っていたのが気になります。つまりこの結界、昨夜の雨のときには既にあったはずなのです。

「……あの人いつから帰ってないん」

 というか今何処にいるんでしょう。そこがわからないとどうしようもありません。一度隠れ家に戻ってフェレス卿から内通者の連絡を聞いたほうがいいでしょう。影を踏んで鞍馬に戻りました。

 隠れ家に戻って、影を叩いてフェレス卿に連絡をとろうとした時です。振袖からほんのかすかに声がしました。

「誰か居るわ」

「息を潜めてる」

「外から気配がする」

「……え?」

 顔を上げて見渡しますが、冬の山は静かなものです。たまに吹く風の音しか聞こえません。

「女は一人ね、まだ若い」

「男の数は私達にはよくわからない」

「でも、近くにいる」

 ……何かしらでまた居所がバレたのでしょうか。ついた瞬間を狙わないのは、そう、向こうは今内通者を探してるんですから、その現場を押さえたかったのでしょう。連絡する前に教えてもらって助かりました。周りに杭を撒いた時です。

「させるかぁー!!」

 ドアを大きく開いたのは金造兄さん。でも、私の結界のほうが早い。

「オン・キリキリ・バザラバジリ・ホラマンダマンダ・ウンハッタ!」

 そして息継ぎせずに続けます。

「オン・ビソホラダラキシャ・バザラハンジャラ・ウンハッタ」

 強化してもこれではまだ弱い。おそらく一小隊は来ているんですから。しかし今なら私には清姫がついています。

「ねえ、ちょお火ぃ貸してください……オン・アサンマギニ・ウンハッタ」

 金剛火院・密縫。炎で持って結界を密封します。今まで炎を貸してくれる悪魔がいなかったのでできませんでしたが、今なら出来る。これでもってこの形の結界は完全となります。焼香などしていない為完璧とはいいませんが、きっと金造兄さんらは防げます。初めて成した結界の出来に満足しました。すべての攻撃がここには決して及ばない。

 しかし、防いだところでフェレス卿に連絡が取れない事実には変わりありません。私は今きっと居所を特定できるような何かをつけられているんですから。第一優先のフェレス卿への連絡のためにはその盗聴も出来るかもしれないものを外さねばなりません。ここで外してもいいのですが、私の第一目的である兄に会うためには、居場所のヒントを撒いてもいいでしょう。

 なのでひとまずはどこか移動しなくちゃいけませんが、さて、どこに行きましょう。とっさに行く場所が浮かびません。フェレス卿からは、影を使った移動をする際には明確に場所をイメージするように言われていました。でないと迷子になるそうです。一応京都市内だと思っていれば大丈夫だと言われていましたが、……私、この京都に行きたいところなんてありましたっけ?

 でもそんなの、わからなくても進まなくちゃならない。

 目を瞑って影に潜り込みました。京都市内の何処か。目を開けて立ち上がれば、見上げる五重塔。

 東寺です。冬の午後の憂鬱な空、踏む白砂。出張所に近いここは時間稼ぎという点なら不安ですが、ひとまず出張所にいると仮定される兄に近いといえば近いです。そういえばさっきの鞍馬に誰がいたかは見ていませんが、少なくとも兄はいないでしょう。兄なら私を逃しません。

 今回は賭けて兄を待つことにして腰掛けます。しかししばらく後、来た中に目当ての人間が居ないのを見て次のところに行きました。

 また考えなしに移動して、今度は山の中でした。どこやここ。流石に京都市内だとは思うんですけど、ちょっとわかりません。でもここなら誰もすぐには来れないでしょう。体をごそごそ探っていると、清姫が内ポケットからするりと出て襟の後ろのあたりをつつきました。ベールの外、ちょうど、花巻の使い魔に咥えられたあたりです。指先に触れる硬いもの。剥がしてみれば小型の機械のようです。

「普通に発信機かい」

 見れば小さい穴も空いています。やはり下手に喋らないで正解でした。ベールの外側なので、真言は拾われていないと思うんですけど。……花巻の後からなら、そういえば私、恋バナなんかもしましたっけ。ベールの内側で完結した会話でしたし、聞こえてないといいんですけど。色んな意味で。とりあえず踏み潰してから影を叩きフェレス卿に繋ぎます。

「フェレス卿、鞍馬も駄目でした。発信機をつけられてて、それはまあいいんですけど」

「いいんですか、追い詰められてるじゃないですか」

「今更眠る場所は必要ありません。それより、非番のはずの兄が家にいないんです。たぶん昨日から家にすら帰ってない。どこにいるかわかりますか」

「そうですね、妹の貴女から見て、家にも帰らない冬隣柳は実際休んでいると思いますか?」

「いいえ」

「働いているなら話は複雑です。内通者から、内通者対策で各班の行動が伏せられるようになったと連絡がありました。しかも冬隣柳も所属する封印係は結界のプロとして各班に散らばっているとか」

「とにかくどこにいるのかわからないんですね。……なら、あちこち動いて色んな班に会うしかないってことでいいですか」

「まあ、そういうことですっ。すみませんね、内通者対策が取られてしまうと後は現場判断マシマシでお願いすることになります」

「いいですよ、わかってました。私が兄を見つけるか、兄が私を見つけるかって、それだけですね。……ところで、ベールの会話を有耶無耶にする機能なんですけど、外にはどこまで聞こえませんか?」

「本来言葉を通さないものなんですよ。しかしベールの外に向かって言っている、という明確な意志に反応して言葉を通す。どうしました、何か恥ずかしいことでも言いました?」

「ええ、まあ少し」

「アラつれませんね。いい感じですよマイフェアレディ」

 フェレス卿は喉の奥で笑いました。からかいに反応するのも、今更といった感じがします。

 会話を打ち切って、日の傾いていく森でしばらく座っていました。時折どこかから物音がしましたが、山の生き物だったのか人間がこちらに来ることはありませんでした。特に怖いと思わない自分をぼんやりと見つめる心地です。でも、今の私がそうそう傷つくわけがない。相手がたとえ野生動物でも、山に住む悪魔でも、本職の祓魔師(エクソシスト)でも。傲慢な考えになっているのは気づいていましたが、それくらいの実力だと思っていなければやっていられません。

 しばらくして黒妖犬(ブラックドック)がやってきました。結界と影であしらって、その結界が破られる気配がないので影に潜り込みました。

 目を開ければ、今度はどこか小さなお社の隣に立っていました。日没の頃にしてはほんのり明るく、人の気配がします。鳥居の外に出れば見えるのは古い町並みに小さな川。祇園白川でした。

 無意識ですがまた人通りの多いところに来てしまいました。京都で一二を争う観光地なんじゃないでしょうか。足取りがつかめなくても、ここなら見つかる可能性も高いでしょう。浮かれたような格好で歩き出します。橋の欄干にもたれながら、早めの夕食代わりに隠しておいた携帯糧食を食べます。もうちょっと温かいものなんか、食べられるとうれしかったんですけど。そう、たとえば――、いいえ、やめておきましょう。

 格好にひと目を感じるのに、なかなか出張所の人は来てくれませんでした。日の沈むのを眺めて、川沿いのぼんぼりが灯るのを見ながら、することもなく低く歌をくちずさみます。そのうちどんどん人通りがなくなって、それに勘付きました。

「あにさまはいますか?」

 待ち飽きた足で橋の真ん中に踊り出ます。もはや橋の周りに人影は一つもありません。こんな繁華街に人間がいなくなるなんて、誰かがここを封鎖していて、私を見ているに決まっているのです。

 しかし、待った兄は出てきませんでした。代わりに銃弾が飛んできます。例の奥村先生と同じやりくち。足元を狙ってろくに影を踏ませてくれません。徐々に包囲網は狭まります。しかし、私もそれくらいは想定していました。勝手に跳ねる足の向かう方向を体重移動でずらして、そして欄干を飛び越えて川に飛び込みます。白川はちょっとした塹壕になるような形をしていて、真上からでなくては撃ち込めません。水面の影に入って、それで。

 今度は石畳を踏んだと思った瞬間でした。すぐに感じる誰かに見られているような感覚。ばっとあたりを見渡しても見えるのは土塀とか生垣でした。そもそもここはどこなのか。それにしたって嫌な予感がします。予感の正体を探ろうと暗くなる中目を凝らせば、生垣越しに孔雀と目が合いました。しまった!

 即座にあたりを結界が囲みました。すごい圧です。駄目元で足下の影に潜り込もうとしますが、足は石畳を蹴るばかり。上着の内の清姫に声をかけてみましたが、力が封じられていると言います。とんでもない結界を張ってくれました。どう見ても兄です。私が金剛深山でやったような、事前に区域を把握することで即座に結界を張ることを、この私がどこかわからないような、つまり兄も特別土地勘のあるわけではないはずの場所でやっていて、しかも本人が視認しなくても使い魔が代わりに見ていてくれて、その上私のよりずっと縛りが強い。

 叩きのめされたような気で結界を調べます。とはいっても四隅を見ればすぐに想像がつく。四天王勧進による結界。要訣集で見た覚えがあります。こんな、こんな大げさな! 四天王をわざわざ召喚するようなこんな大技、塾生一人捕まえるには十分すぎます。人が来る前に真言をとなえて結界を調べます。でも。

 強い。

 思わず眉間にシワが寄ります。どんな、どんなにやったって、私は結局兄に勝てません。役に立てると胸を張って言うことができません。

 半端な人なら、私にも同じことが出来るだろうと言うでしょう。一つや二つ覚えていない技があっても、少し練習すればきっとすぐに出来るようになるというでしょう。

 違うのです。

 そもそもの精度が、あまりにも、違う。

 私が同じものをやったって、こうはなりません。おそらく鍛錬による慣れとか魔力行使をしている悪魔との結びつきなどが原因としてあげられますが、一番は緻密な精神力と集中力。詠唱や召喚における基本です。それが、手ブレの誤差も万物の干渉も許さずに理想を現実に投影させている。兄はきっと砂上に楼閣だって建ててみせます。

 これを抜けるのは無理です。冬隣柳の本気の結界を破れる素の人間なんて、この世にいません。ライトニングにだってきっと勝ってみせる。唯一抜け道があるなら、それはきっと兄の精神を揺さぶること。実妹の私にはそう難しくありません。しかしそもそも、こんなことをしでかした妹を追い詰めるというのは既に兄の精神に多大な負荷をかけてるはずです。そのハンデ付きでこんな完璧な結界なんて、少し、少し。

 少し腹が立ちます。

 足音が一つして顔を上げました。彼はそれまで走っていたのに、私を見て一度足を止めました。

「むかえにきた。……もう、帰るで」

 ゆっくり歩いてきた兄が、姿勢を低くした私を結界越しに見下ろしました。その表情の抜け落ち。

「いいえ、まだ。あにさま、一緒に、お寺を」

「言うな。わかっとるから、もう、言うな。お前は、僕と帰るんや」

 口調は結界と同じでまったく揺るぎません。おそろしいほどの集中力。きっと、私が喉でも掻き切って見せれば、流石に揺らぐでしょう。現状の私は素の人間にフェレス卿のオマケがついてるわけですし、並の悪魔なら駄目でもフェレス卿の影の移動能力ならそのゆらぎを抜けることも出来ます。

 でも、そんな必要は全くありません。もう、やることは全て済みました。今はただ、本当のことが私が東京に移送されるまでにバレなければいいだけ。やっとの旅の終わりです。兄の目元の深いクマ。再びうつむきます。あの手元の火傷痕は、一度も詳しく聞いたことがありませんが、赤子の私を助けようとしてできたもの。私は兄に、えらくいつくしまれて育ってきました。きっと、私が今、喉を掻き切ったって死なないと知ったら、既に一回墜死したと知ったら、たいそう、悲しむでしょう。……今、こうやって裏切り者の身にあるので、手遅れですけど。

 兄の後ろにやっと人が追いついて、兄に話しかけました。まだ元気な私をどう結界から出して移送するか段取りを話しています。奥村くんと神木さんの姿も見えます。どうやって待ち伏せたのでしょう。

 そうだ、私も今のうちにやることがありました。ヴェールを消さなくてはなりません。もっともみくちゃになって捕まると思ってたのに、あっさり捕まってしまったからタイミングが計れませんね。流石にいきなり戦意を喪失したら不自然ですから、結界が解けた時に暴れてみるべきでしょうか。

 ……自分以外の結界に閉じ込められてるのに、わざわざ解いてもらうまで待たなくてはならないのでしょうか?

 いえ、いいえ。結界ってそういうのではありません。そんな勝負ごとじゃあないです。でも、私の取り柄ってこれくらいで、それなのに、やりもしないで負けを認めるのは、流石に少し、……ほんの少しだけ、腹が立つ気がしました。

 何に腹立ててるって言うんでしょう。でも、でもですよ。今の私がこの後よそにいって、うまくやっていけるでしょうか? 友達なら出来るかもしれません。だって東京でも出来たんですから。でも、坊にも和尚(おっさま)にも頼られない私が、兄に挑む前から負けたつもりの私が、いったい?

 だからこれは、必要なことなのです。私がこの後やっていく上で。自信を持つために。恋心に決着を付けるために。そういう時の私は、誰がなんと言おうと正しい。

 自傷で精神を揺さぶるとか、そんなずるはなしで、冬隣柳の結界を破る。ぞくぞくする響きです。なんだ、どんな理屈つけたって、私も結局眼の前に結界があったら壊さずにいられないんじゃないですか。そんなところはきっと兄譲りです。出来ないことはないでしょう。兄は今弱っているはずで、私だって冬隣で、 今は時の王がバックについてて、 それに。子猫さんも言ってたじゃないですか。私、結界、得意ですから。

「ねえ」

 そうとなればまずはリソースの確保です。 振り袖を頭まで(かづ)いてしゃがんで、外に様子が見えないようにします。 小声で内ポケットに向かって声をかけました。

「ほんまにどうにもならないの」

「わたしはできない。ぎっちぎちに縛られちゃってるもの。でも、あなたの炎は、わたしのじゃない」

 蛇といえばそそのかすと相場が決まっていますが、その声はまさにそんな響きで微笑を含んでいました。

「ああ、例の……」

「そう、あなたの恋の成れの果て。かってに期待して、かってに裏切られた女の、ひっくり返った愛と憎しみ……」

 うっとりした声はポケットから這い出てくると、制服のリボンをかきわけてシャツ越しの胸に頭を押し付けます。

「いつでもいいわ。つかって見せて。恋はこの世の小地獄。やさしい蜘蛛はわたしが食べた。落ちたあなたの悶える炎!」

 力さえあれば、あとは完璧のひずみを見つけるだけです。四隅を守る四天王によってなされる結界。四天王は上級悪魔相当ですから当然強い。本来分担するべき結界を一人でやるなんて、我が兄ながらどういう神経してんでしょう。狙うべき(ひずみ)は四体で結界を作るが故に発生する、各々の担当分のバランス調整のズレですが、そんなの複数人で調整するより一人のほうが完璧にできるに決まってます。だから冬隣柳は伊達じゃない。それでもきちんと調べれば、やっぱり四つの集まる真ん中が弱い。

 ひっくり返すのは単なる力では足りません。いくら炎があろうと、そんな正面から狙うものではない。結界に無理やり結界を重ねて干渉させます。集中を向けられたら手に負えなくなるので勝負は一瞬です。もうやり方も力も手元にあって、あとの勝算は愚かさで代用して。

 立ち上がって真言をとなえ結界をねじ込みます。時の止まるほど集中する一瞬、あかあかした炎が渦巻いて、完璧に重なって形をなしたら影を踏みました。

 落ちていく体に、あふれる達成感。




 花巻のご当主は不浄王編の明陀の詮議の時に子猫さんに達磨さまに懐いてはったもんなあって言ってる人のイメージです。兄さんと呼ぶにはやや年かさに見えますが十年前の時点でお兄さんだったのでお兄さん呼びです。あと軽に子供7人は当然違法です。
 出雲ちゃんの殺さない程度~のくだりはオリ主の想像ですが、オリ主がエリクサー服用者であるというよりオリ主が結界でダメージの通らない女という意味ではあります。
 鬼頭のご当主は同じく詮議の場でそういえば確かに私にも嗾けてるふうにみえましたって言ってるお兄さんのイメージ。
 オリ主にとって兄貴は最強の認識なのでライトニングにも勝つというのはそういう認識の現れで、実際勝つかはわかりません。ルールによりそうです。オリ主のこのあたりの思春期って感じの歪んだ自己認識(とその改善)は私の好むところなので濃い目に書きました。たのしかったです。
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