花に嵐   作:上枝あかり

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女生徒 7

 案の定、風邪を引きました。起きたときから頭がぐらぐらし、のどが痛い上に咳が止まらず、さらには関節の痛みまで。朴さんが寮母さんを呼んでくれましたが、それすらタオルケットの中から応対し、体温計もタオルケットごしにやり取りしました。寮母さんは私が顔を見せないことについて少しは小言を言いましたが、深くは突っ込まず、今日のところは病人食と風邪薬を用意するけれど明日は医者に行くようにと言いました。朴さんが食堂から病人食と薬とスポーツ飲料の大きなペットボトルを持ってきてくれましたから、またタオルケットの中からお礼を言いました。朴さんと神木さんが登校してしまってから起き出して、焼いた鮭のほぐしたのが乗ったおかゆとお味噌汁を食べました。多分ですが、今日の朝食のおかずは焼き鮭だったんじゃないでしょうか。喉の痛みと熱の食欲のなさで大変でしたが、わざわざ病人食をつくってもらったんだからとなんとか完食しました。スポーツ飲料をコップに注いで薬を飲んで、それからトイレに行ってからベッドに戻りました。

 お腹一杯食べたばかりでなかなか睡魔が来ないので、子猫さんに今日は風邪で休むことと、塾と授業のノートを後で見せてほしいことをメールしました。まだ始業していない時間だったのですぐに返信が来て、そこにはノートの件の承諾と体調を気にする言葉が、ちゃんと養生するようにという言葉でしめくくられていました。

 メールを読んだ後、そういえば、と思い出して腕の湿布を剥がしました。湿布と言っても、杜山さんからもらった弟切草の絞り汁を塗ってガーゼで覆ったものですが。気持ち悪い色の痣こそできていましたが、弟切草のおかげか比較的経過良好に見えます。でも、杜山さんは携帯を持っていないので、御礼のメールが送れません。昨日ひどいことをしてしまったから、彼女にこそ必要なのに。合宿で壊した後、スマホに変えようかとも思ったのですが、また壊すことを考えて買ったガラケー。それに一応フツマヤの電話番号は入っていますが、お店にかけるのは迷惑になりそうですし、そもそも喉風邪であまり電話に向かないのです。前の携帯の無事だったSDカードに入っていた写真を眺めているうちに目眩が強くなってきて、そのまま眠りにつきました。

 

 

 チャイムの音で目が覚めました。携帯で時間を確認するとちょうど昼休みです。昼ごはんは、確かまた部屋に持ってきてくれるようになっていたと思います。申し訳ないと言ったら、インフルエンザのような感染力の強い病気も視野に入れた規則だと言われました。寮と校舎は少し離れていますが、昼間の光とともに人のざわつきが聞こえてきます。この、世界から取り残された感覚が、嫌いでした。コップにスポーツ飲料を注いで飲み干すと、いつ寮母さんが入ってきてもいいようタオルケットに包まって待ちます。私が遠い人々の日常の気配に苛まれる前に、ノックが聞こえました。

「入ってもいいですか?」

「どうぞ」

 と、返事をしたものの、今の声、低くて聞き覚えがあって、……奥村先生? ドアの向こうに聞こえるように大きな声を出したせいで咳をしているとドアが開いて足音が聞こえました。

「奥村先生……?」

「ええ。そうです。喉風邪ですか? 無理はしないで下さい」

 カタン、とお盆を置く音が聞こえて、足音はこちらに向かってきます。お言葉に甘えて、喉を刺激しない声量で訊きました。

「ええと、何で先生が……? 医者にしても、先生は魔障専門じゃあ」

「魔障専門だからですよ。冬隣さんは一応、任務の翌日に倒れましたから、医工騎士(ドクター)が診察することになっているんです」

「任務の翌日言うても……」

「ええ、聞いてますよ。備品の確認と運搬任務だったんですよね? 担当の祓魔師(エクソシスト)の方からも、学園のトラップの風に押されて転んだだけで、雨に濡れた風邪じゃないかと言われていますが、何せ上には魔障ではないって報告書を出さなくちゃいけないので。一応顔を見せてもらえますか? 瞼の裏を見たいので」

 言われて、寝間着の浴衣の襟元を整えて、ちぃと怖いもん見せますよと断ってからタオルケットから抜け出しました。奥村先生には魔障の治療でお世話になっていたので腕の痕は見せていましたが、顔を見せるのは初めてでした。奥村先生は何も言わずに、体温計を渡してからそっと私の下瞼を引っ張って色を確認し、さらにペンライトを使って喉の奥を見ました。そして少し扁桃腺のあたりを触ってから、対悪魔薬学上は問題ありませんね、と言いました。ちょうどそこで脇に挿していた体温計が鳴ったので身八つ口から取り出します。37度9分で、朝よりは下がっていました。

「喉は腫れていますが扁桃腺は問題ないようですし、風邪もそう重症ではないでしょう。このままきちんと食事と水分と薬を摂って、休んでくださいね」

「奥村先生、普通のお医者も出来るんですねえ……」

「いえ、素人診療の範囲内です。何かおかしいところがあったらすぐに医者に行ってくださいね」

「はい」

「ああ、あとお昼はうどんですから早めに食べたほうがいいかも」

「そうなんですか、あかん、じゃあ伸びる前に食わんと」

 ベッドから起き上がり、お盆の置いてあるテーブルにつきます。と、そこにはお盆が二膳ありました。

「奥村先生も食べてかれるんですか?」

「はい、時間がないので。すみませんねお部屋にお邪魔しちゃって」

「ええですよ、お医者さんと家族と聖職者はノーカンって昔から決まってます」

 うどんは当然ですが、関東風の黒いつゆです。墨や。しかし具は細かく刻んだ葱と解いた卵だけの、風邪人向けの配慮を感じるものです。大人しくいただきます。喉が痛いので特別喋らずにうどんをか細く啜っていますと、少し視線を感じます。当然ながら、奥村先生から。

「先生、その、気になるんはわかるんですけど、恥ずかしいんで、すんまへん」

「ああ、すみません不躾に」

「こんなやから化粧も出来んで、顔が出せません。先生、先生お医者さんやから大丈夫や思いますけど、あての火傷、だれにも言わんでくださいね」

「ええ、もちろん。……少し質問をしてもいいですか?」

「少しなら」

 答えたい話題ではありませんが、お世話になってる奥村先生の、おそらく医療に関する質問なら別です。千切れた薄雲のような卵の白身を食べます。

「そちらの火傷は、何によるものですか?」

「青い夜です」

「ああ、やっぱり。古いもののようでしたから。それにしても、だいぶ広い範囲ですよね。どちらで治療を?」

「火傷自体は、京都の大きな病院でした。当時はほんまに大変やったようです。言うても、あての物心つく頃にはもうあらかたの治療は終わっとりましたけど。魔障については、なんやうちのお寺だけやのうて、それこそこの正十字騎士團の、和尚(おっさま)の知り合いや言うえらい先生とかが関わってくれたみたいですけど、こっちもあての記憶ない頃なんでわかりまへん」

「和尚の知り合い? どういう方かわかりますか?」

「さあ……。名前とかは知らんのです。ただ、なんや知り合い言うよりお友達、や、戦友……? のようでした。和尚(おっさま)に聞けばわかると思いますけれど、今度聞いときましょうか」

 咳混じりに言うと、奥村先生は少し遠慮したように言います。

「いえ、無理には……」

 麺を食べきったので(つゆ)を飲みますが、あまり関東風の味に慣れずそのまま丼を置きます。

「なんです、奥村くんだけやのうて、奥村先生もサタンを倒すのが夢なんです?」

「え?」

「いや、サタンの魔障の治療について気になるゆうのはそういうことやろか、思いまして。あても、坊の後衛目指すんなら知っといた方がええんですかね」

「いえ、兄の夢と僕は関係ありません。ただ、医工騎士(ドクター)としての知的好奇心で……。すみません、喉風邪の人に辛いことを話させてしまって」

「大丈夫ですえ。ああ、でもやっぱり、そういう好奇心が悪魔薬学の天才をつくるんですねえ……。興味ある科目のほうが成績ええもんな……」

「そうですね、気になるところは自分で調べますし、自分で調べた知識は身につきますから、どんどん自己学習して下さい」

 奥村先生はうどんの(つゆ)を飲み干すと、丼を置いて腕時計を見ました。

「では、僕はここで失礼します。もう食べ終わっているなら、そちらも食堂に持っていきますが」

「ああ、じゃあお願いします」

 奥村先生の丼に私の(つゆ)の残った丼を重ね、朝の分も合わせてお盆も重ねて持ちやすいよう整えます。そして、奥村先生はお大事に、と言って出ていきました。私はスポーツ飲料をまたコップに注いで、薬とともに飲み干して、トイレに行ってからベッドに向かいます。

 それにしても。女子の部屋に一人で行くの許されるって奥村先生えらい信頼されとるな。いえ私も講師として医工騎士(ドクター)として信頼しているので入れたのですが。やっぱり新入生挨拶を任される主席の祓魔塾講師は違うんでしょうか。志摩さんが聞いたらなんて言うやろ。

 

 

「ただいま。……寝てるの?」

「……かみきさん?」

「そうよ、悪い?」

「ううん……今、何時?」

「7時前。夕飯と体温計もらってきてるわよ」

「おん、おおきに……。そういえば朴さんは?」

「B組で夕飯食べてくるんですって。夏休み前だからナントカって」

「そっかぁ」

 目を開けると、タオルケットの生地越しに電灯の光が見えました。ぐっすり眠っていたおかげか、だいぶ熱は下がったような気がします。まだ喉は痛いですが、ものを飲むのに難儀するほどではないようです。

 物音は、神木さんが机に向かって勉強の準備を始めたような音をしていました。夕飯は、最悪神木さんがお風呂に行ったときでもいいのですが、何せ生理中の身ですのでトイレにだけは行きたいところです。しかし、部屋には神木さんがいて、私は化粧をしていません。意を決して、言いました。

「神木さん、あてがええよって言うまで、机の方だけ見とってくれる?」

「ハア? なにそれ、何であたしがアンタの方見なくちゃいけないの」

「見とってくれる?」

「別に勉強してるんだから見ないわよ」

 神木さんがそう言ってくれたので、私はタオルケットの中から神木さんの背中を確認してから、ベッドから出ました。ベッドサイドに畳んであったオーバーサイズのパーカーを肩からかけ、フードを被ると、ドアを少し開けて廊下に誰もいないのを確認してからトイレに行き用を足しました。帰りも注意しながら部屋に戻ると、ドアの音に一瞬神木さんは肩を動かしかけましたが、顔は動かさず机の方を向き続けました。

「ただいまぁ」

「おかえり」

 神木さんはこちらを見ずに言いました。シャープペンを動かす音が聞こえ始めます。私は、机の上のお盆に向かいました。夕飯はスープ雑炊のようです。

「そういえば、三輪くんから伝言。ノートはコピー取ってあるから元気になったら取りに来てって。あたし伝えたからね。メール見れないくらい具合悪いんなら最初からメール送ってんじゃないわよ」

「えっ、メール……ほんまや、来とる。神木さんごめんね、ありがとぉ」

 神木さんが背中越しに言った言葉に、ベッドまで戻って携帯を確認すると、確かにメールが4通も来ていました。昼頃に子猫さんから神木さんの伝言どおりの内容のものと、坊から見舞いには行けないけれど養生しろという内容のものと、志摩さんからのお大事にという内容のもの、それから放課後くらいに奥村先生から不躾な質問をしたことの謝罪とお大事にというものが来ています。これらは、とりあえず食べてから返信しましょう。ひとまずスープ雑炊を食べます。食欲が朝昼よりは大分マシで、これは明日は登校できるのではないでしょうか。食後、薬を飲んで、さらにスポーツ飲料をもう一杯飲みながら体温をはかります。しばらく待てば電子音が鳴って、36度9分。これは、本当に明日は期待できそうです。

「何度だったの。……あたしが気になるんじゃなくて、寮母さんに言わなきゃいけないだけだから」

「6度9分。明日は学校行ける気ぃするわ。神木さん、迷惑かけてごめんね」

「そう、じゃあトレイと一緒に置いといて。お風呂行く時に持ってくから。水と薬飲んで早く寝なさいよ。お風呂なんてどーせアンタやたら早起きなんだからその時でいいでしょ」

「おん、ありがとぉ、神木さん、もうこっち向いてええよ」

「向かないわよ用ないんだから」

 ベッドに戻ってタオルケットに包まると神木さんに言いましたが、神木さんは冷たく言い放ちました。咳をしながら4通のメールにそれぞれ返信していると、ドアが開く音がして、朴さんの声がしました。

「ただいま~」

「おかえり」

「おかえりなさぁい」

「あれ、冬隣さん起きてる? 調子どう?」

 私が返事をしようとする前に、神木さんが言いました。

「熱はかなり下がってるけど、まだ咳してるからあんま喋らせないで」

「おお、出雲ちゃん……」

「何よ」

「なんでもないよ? 冬隣さん、おやすみ」

「おやすみなさい……」

 神木さんのことは、坊の野望を笑った件や、杜山さんとの一時期の“友達付き合い”の件で、すっかり苦手になってしまったのですが、きっと、別に、悪い子じゃないのです。真面目ですし、約束は守ってくれますし、なんだか、とても遠回しな心配もしてくれているようですし。悪い子では、なんて、上から目線で思っちゃいましたが、私の杜山さんへの態度の方が悪い子です。心配してくれたのに、振り払ってしまった。奥村くんも奥村先生も気にしないような火傷を気にして。そのせいで、任務の雰囲気まで悪くしてしまって。どうすれば、いいんでしょう。どうすれば。答えがあるのか怪しい堂々巡りは、風邪薬の眠気に包まれて、糖衣錠のように落ちていきました。




雪男くんのは医工騎士としての知的好奇心というより、差し迫った兄の炎の魔障処置について気になって聞いています。
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