目が覚めたら拘束されている状況も、二度目となれば落ち着いて受け入れられるものです。
天井を見上げます。あったかくて、もう一回眠りたいくらいです。でもどうやら手枷がされているようで、体温が移ってなまぬるいものが手にまとわりついています。でも枷がなくっても、動ける気がしません。なんだか夢のなかにいるようです。
「! 目ぇ覚めたか……!」
誰かの声。誰か、ええと、誰でしたっけ、聞き覚えあるんですけど。年かさの男性の声で……。覗き込んだ顔で思い出しました。門徒の出水さんです。
「所長呼んで来てくれ。とりあえず診察しとる」
診察? ああ、私ですね。あれ、ここはどこで、私、なんで診察されるんでしたっけ?
「私が分かるか?」
「い
声を出してみれば、舌が全然まわりません。しびれたようで、これ、麻酔ですね。
「せや。あんた、麻酔でずっと寝とったんや。
そして、何かごそごそやっています。
「足を触っとるんやけど、わかるか」
「……いえ」
「ほな、これは」
「……いえ」
「これなら」
「み
「……ようはないな」
太腿の上の方でやっと感じました。私、なんで麻酔なんて入ってるんでしたっけ? それにしても布団気持ちええなあ。なんや、体も動かんし、今日はもうずぅっと寝てたいなあ。
がちゃん、とドアが開く音がしました。焦った足音がいくつか寄ってきて、今度覗き込んだのは八百造さまです。私の顔を見てから、八百造さまは振り返りました。
「容態は」
「呂律は回ってませんが一応話せんことはないです。意識も戻ったし最悪の事態は無いと思います。後遺症は、今はなんとも」
そしてこちらをもう一度見て、言います。
「
「……あんぜんなところに」
ほんのり笑って言いました。
「悪魔にそう説明されとるんか」
「いえ。あてが、おつ
「……そもそも居所を知っとるんか」
「ええ、も
「なんで言わん」
「おっさまはそこにいるのがええから」
「んなはずあるか! 虎子さんがどれだけ心配しとるかわかっとってそんなこと言うとるんか、ええ!?」
八百造さまは怒鳴りました。でも、いまなら、こわくありません。
「いーえ、やおぞうさま。こ
その後しばらく、どなる八百造さまの尋問と呂律の回らない私の答えが続きました。私が明陀のためですとしか返さないので、八百造さまはそのうち肩の力を抜きました。
「……話が変わってきたな。憑依した悪魔の解析はどうなっとる」
「いえ、まだ。そもそもあの振袖に、あれほどの力があるかわからんくらいです」
「鶯花はとりあえず独居房へ。枷もそのまま……動けんか。運んだれ」
担架に動かされて、どこかに運ばれました。担架でも案外寝心地ええもんなんやなあ。房に着いて担架を下ろしてもらって、付いてるのかわからないような手足で這って降りて、担架を運んでいた人は見張りの人にあいさつして戻りました。見張りの人は、若めの男の人でした。見張りの人は彼らを見送ってから私の方を向いて、にっこり笑って言いました。
「ちゃんと会うのははじめてだね。はじめまして、ぼくが橋本です。おつかれさん。布団は敷いといたよ。中、こっそり湯たんぽ入れてあるから」
そして「動ける?」と続けます。布団は牢の出入り口に寄せてあったので、同じ要領で這って入りました。橋本さん。つまり、内通者です。 火を消したり情報を流したり、私の動く影で働いてくれた人。
「こんな場所だけど楽にしてええよ。聞いてるのはぼくとフェレス卿だけだ」
橋本さんは牢越しにのんびり言います。どこか、イントネーションが不思議な人でした。
「あのぉ、あて、い
「ん? ……ああ、麻酔から覚めたあとは、一時的に記憶障害が起こることもあるんだっけ。さっきググったら書いてあった。ああでも安心して、うわ言は言ってなかった、……というか、日本語になってなかったから。そうだ、麻酔が残ってるなら低温やけどとかも危ないのかな? 湯たんぽちゃんと包んだっけ……。あ、ごめんね、ぼくいつもこうなんだ。何があったか、だよね。任務だったことは覚えてるみたいだし、ええと……一昨日の夜にね、隠れ家が見つかって、きみは態勢を立て直して」
言われたら思い出してきました。そうです。妙満寺の畳の上で転がって寒かった。担架の寝心地がいいはずないので、そんな気がしたのも、感覚がない上にまともな布が久しぶりだっただけです。
「それで昨日、花巻家と鬼頭家にも行って、鞍馬の隠れ家も追われてから転々として、金閣にいた冬隣さんのところで任務を達成してから、清水寺まで来て、ええと……舞台から飛び降りたんだ。その後、勝呂くんに受け止められて」
「あ゛!!」
さっと血の気が引きました。なんてこと忘れてたんや。
「……で、結局ぼくらの隊の麻酔弾で倒れて確保された。思い出した?」
「おもい
そう、そう、坊ったら大変なこと言ったんです。私の任務は明陀を試すこと。誰も私に着いてこない、そうじゃなくちゃ困るのに、あの人まんまと道を踏み外すって言っちゃって、それが伝われば除籍まではなくても確実に出世に影響が出ます。危険思想持ちとマークされ、以後ずっと役職への就任や重要な場所への立ち入りが制限されるでしょう。今年の
でも今の私の状況は、麻酔の残りでろくに動かない体に、着けられている
歯噛みしていると、橋本さんは寒いと勘違いしたのか、火鉢をこちらに寄せてくれました。確かに今着せられているのは白い浴衣一枚で、暖かい格好ではないのですが。
そう、どうやら一度着替えさせられています。着ているのは浴衣一枚で当然仕込んでいた物はありませんし、そもそも
なにか音がしたと思ったら、橋本さんの携帯でした。どうやらメールかなにかのようで、橋本さんは携帯をしばらく見てから、私の方を向いて言います。
「京都側が査問係を寄越すのに待ったをかけてるらしい。達磨和尚の居所がわかるまでは東京にやってもしょうがないという点と、尋問なら縁故のある京都の人間がやったほうがいいって言っているって。それでも、明日の朝には着くらしいけど……って、もう十五時やん。なんにも食べてへんよね。何なら食べられそう? 重湯とか……」
「いえ、い
お腹は全然減っていません。それどころか、食べるのはいやだな、と明確に感じます。重苦しいような、蓋でもされているような。
「そう? でも夕食はきっと摂ったほうがいいよ。今もお水だけでも飲まないと麻酔も抜けないだろうし」
そもそも今の私、嚥下はうまくできるんですかね? しかしマイペースな橋本さんは内線をかけて、どこかに水を持ってくるよう頼みます。水を頼むだけにしては相槌が多いなと思っていたら、橋本さんは受話器を下ろしてから私に言いました。
「ちょっと心の準備しててね」
「はい?」
「お水、面会したがってた塾生の子が持ってくるって。きっと尋問も兼ねる」
まじかい。今そんな余裕ないんですけど。来るなら誰がマシか、なんて言ってもたぶん……。
半ば諦めて待っていたら、来たのはやっぱり一番会いたくないメンツの坊と子猫さんと志摩さんでした。布団から体を起こして迎えます。志摩さんがミネラルウォーターのペットボトルを持っていて、格子越しに笑いました。
「おつとめご苦労で~す。ほんまはみんなも来たい言うとったんやけど、お父が許可くれへんかったから俺らだけやねん。せやから辛気くさい顔ばっかやわぁ。まあ、女の子らも泣きそうやったけど」
「志摩さん」
「ほんまのことやん? もう悪魔に憑かれてへんのに
子猫さんが少しとがめましたが、志摩さんは朗らかな感じです。なので笑って返しました。
「ええ、みょうだのためです」
「わー、ほんまや、ええお返事かえしてきよる……。どないするんこれ?」
「なんもないなら、こっちから。ぼんはますい、のこってません?」
どうせろくなことにならないのなら、ある程度主導権を握っておきたいです。誰よりしかつめらしい顔をした坊に聞きます。坊は答えてくれましたが、拳を握ったままでした。
「悪魔落ちの前提やったとはいえ、お前の体格に合わせた量やったんや。もうちっとも残ってへん」
「よかったあ。きずとか、のこらんとええんですけど」
いいえ、いいえ、まだ何にもよくありません。何にも! でも、どう手を打てと?
「……先に頼まれごと済ませるか。鶯花、こっち来い」
「なぜ?」
「杜山さんからの頼まれごとや。ええから」
坊はポケットからなにか取り出しました。匍匐前進の要領でしぶしぶ格子に近づきます。まだ手足は駄目です。舌は比較的まともになってきたんですけど。
「もっと近う」
これ以上近くって、格子に顔挟まるんですけど。首を伸ばして顔を格子に近づけると、しゃがんだ坊の手の中には小さなクリーム入れがありました。
「お前の唇が切れて痛そうやったて、杜山さんから差し入れや」
ばらの香りのするリップクリームでした。確か前にしえみちゃんが使っているのを見たことあります。自家製で、冬場の乾燥がひどいときによく効くと言っていました。坊はそれを親指でとると、私のくちびるに塗り拡げます。思わず顎を引きかけると、左手で顎を掴まれました。ひび割れた下の薄い皮膚をなぞるゆびさき。あの、これ、すっごくいたたまれないです。唇触るってちょっとどういうつもりなんですか。確かに私今指動かせる気しませんけど。つい数日前に自分は唇触ってた気もしますけど。でもちょっと、何の気なしに触っていい場所じゃないですよ。向こうは頼まれたからくらいやろうけど! やっぱりこの人のこういうところホンマ無理。いつもはモラルとか言うくせに切羽詰まるとアツくなるところ恋心が無理。憮然とした表情を作って言います。
「もうよろしい?」
「……よろしい? ……何一つようないわ!」
我慢しかねたように坊は言いました。後ろにひこうとすると、格子の間からぐいと手を伸ばして浴衣の襟を掴まれます。
「最初から説明せえ! いつから“おまえ”やったんや!?」
「うまれたときからしぬときまで、ぜんぶあてでありたいですね。さいきんは、とくにそうおもいます」
「この期に及んでまだはぐらかして……!!」
「それだけがしんじつですから。ぜんぶみょうだのために。それだけです。……それとも、あなたのためといったほうが?」
薄ら笑いで言う言葉。なんにも、なんにもあなたのためにならなかったのに。私があなたを害す結果になっているのに。唇を動かせば香る素朴なばらの香り。フェレス卿は捕まった後、全ての質問に『明陀のため』と答えろと命令しました。
「そんなで納得できるか」
「あてはしてます」
こんな問答してる場合じゃないのです。査問係が来てしまえば今より私を監視する人員が増えます。体が動くようになる前に、作戦だけでも立てないといけないのに。その時。
「あ~、だめですよ坊。これ絶対何も言わんやつやないですか。少なくとも“俺の知っとる鶯花さん”は言いません」
坊は後ろの志摩さんを振り返りました。志摩さんは片手でペットボトルを握って肩にかついでいましたが、それを体の前で両手で握ると、今度はにこっと笑って続けます。
「鶯花さん基本坊に従順やけど時々強情張るやないですかぁ。それですよそれ、ホラこないだの学園祭の前みたいな? せやから聞いても駄目ですって。押して駄目なら引いてみろ」
「引く、て」
「こっちから喋るんですよ。ほら乱暴なことやめて。おっぱい出てまう。寒そうやし鶯花さんお布団入って、仕切り直しましょ、ネ?」
志摩さんは坊を立たせてかわりに牢の前にしゃがみました。確かに寒かったので布団に戻ります。
「ん~、何の話しよかなあ。ああ、せや、鶯花さん担いで出張所まで戻ってきたのは子猫さんやで。まあこれは体格的に俺が坊担いだからそういう割り振りになったんやけど……、子猫さん、鶯花さんを捕まえなアカンって気張ってはったし」
査問係をはねつけて京都の人間が行うなら、尋問と言うより泣き落としの面が強いでしょう。そしてそういうのは、正面からなら坊が一番ですが、その坊の頭に血が昇っている以上、志摩さんのほうが理性的な分もあって搦め手で来ます。伊達にスパイをやっていない。
「出雲ちゃんも泣いとったなぁ。鶯花さんが悪魔に憑かれるはずないって、一人で主張して。憑かれてないなら心当たりあるん? って言うても何も出てこんのに。柳兄さんもずーっと仕事してはったわ。あの子のことがわからへんって、何かしてへんと気ぃ狂うって」
……これ搦め手っていうか、故郷のお袋さんが泣いてるとか、そっちですよね。正面からの泣き落としですよね。ずっとおだやかな、いつかみたいな困ったような笑顔。やめてくださいよ効きますから。効くのに喋れないんですから。
「俺らみんな、 鶯花さんが何考えとるのか考えとったよ。何か理由があるはずやって。明陀のため言うたって、まさかこんなやり方でええと思っとるはずないって。東京の査問係は鶯花さんをただのバカな学生って扱うから、俺らでちゃんとした理由を……」
「それや」
唐突に一声。ずっと黙っていた子猫さんがあげました。
「ずっと違和感あって……何なのかわからんかったんやけど、それや。鶯花さんのやり方はあきらかに甘い。馬鹿な学生にしか見えんくらいに。……東京で聞いた志摩さんの件や蝮さんの件を公開すれば、きっと誰かは鶯花さんに着こうとしたのに、誰もそんな話は聞いてへん。そんな話があれば騒ぎになるのに。僕らには言うた話を、あえてみんなの前ではせんかったってことや」
子猫さんは橋本さんを見て言葉を選びました。しかし、内容はほとんど核心です。
「火をつけたとか、
子猫さんは狂言という事実にどんどん近づきます。顔を伏せました。やっぱり子猫さんは、あてをつかまえてくれる。それが嬉しくないはずない。でも今は、あての計画が崩れるだけ。行動のタイムリミットが早まるだけ。
「……鶯花さんはずっと、明陀のためやって言うとった。僕はそれを、信じようと思う。ほな、一体何が明陀のためになったか? 離反しようと言って断られる過程に、何の意味があったか? ……それこそ蝮さんの件や。明陀が騎士團に疑惑を抱いたように、騎士團が明陀に疑惑を抱いてて不自然やない」
「そ、それってつまり子猫さん……、鶯花さんは騎士團に明陀の潔白を証明するために、こんなことしたってこと?」
子猫さんは顎を引きました。うなずききれないという動きです。明陀のためという動機の裏の、明陀の潔白を証明する動機。だけど証明が終わった今も
「せやけどそれも、鶯花さんの独断やとしたら、やっぱり……」
「フェレス卿や」
今度は坊が言いました。しゃがんだ志摩さんの後ろから、一瞬も私から目を離さないままでした。
「本来そういうのはフェレス卿の仕事やろ。振袖かて日本支部の……フェレス卿の管理下や。あれを持ち出すのに一番楽なのはフェレス卿の名前で出すことや。他に鶯花の知り合い言うと封印係もあるが明陀の潔白なんて封印係の管轄やない。憑依されとるのかどうかわからん動きも、フェレス卿絡みなら納得できる。それに、麻酔で意識飛ぶ寸前に聞こえたこいつの言葉……あれはドイツ語や。ドイツ語やったんや。発音も脈絡も悪くて今まで分からんかった。あれ、
お見事でした。ドイツ語の件は私も知りませんでしたが、坊は無事に子猫さんの推理を完結させました。これでもって私の負け、あなたの勝ちです。他でもないあなたが、私をここに留めおいてみせた。あなた自身の未来と、引き換えに。
「ああ……くそ! 胸糞悪い! 何とかしてフェレス卿を問い詰めんと……」
坊は独居房を出ようと一歩踏み出したところで、こちらをもう一度振り向きました。
「俺は今めちゃくちゃ頭にきとる。すぐに出す。腹くくって待っとれ」
今、私はどんな顔をしているのでしょう。己が手で大事なものを壊した人は、どんな顔をしているものなのでしょう。もう悲しいとか頭にくるとかそんなのは通り越して、諦めてしまっている。あてはあなたの美徳のおろかさを、もっと多めに見積もるべきやった。あなたがすぐに自分を賭けてしまうのを、もっと本気で諌めるべきやった。全部遅い。私の悲鳴をあげた恋の顛末、空回りの愛の成れの果て。こんななら最初からいさぎよく殺しておけばよかったものを。坊の背を追う子猫さんが志摩さんに言います。
「フェレス卿に連絡……普通の陳情ルートやと遅いわ。スパイのコネとかないん?」
志摩さんは持っていたペットボトルを格子の隙間から差し入れてから着いていきます。
「コネってかケータイの電話番号はあるけど……。せやけど坊、そのドイツ語でほんまにフェレス卿って思ってええんですか?」
「十中八九フェレス卿や。ゲーテのファウストにも出てくる。ほぼ名乗っとるようなもんやろ。それにしたって……なんてこと言わすんや!」
「坊、意味は」
もうここからは見えなくなった坊の声だけが、独居房の廊下に荒々しく響きました。
「
引用元
幸福が遠すぎたら→寺山修司
可愛い娘編で出た麻酔に弱いオリ主です。体格に合わせただけで、体質は情報がいってなかったみたいです。また、麻酔銃に使われる麻酔薬は通常の麻酔とは異なるお薬らしいのですが、今回そのあたりは考えてません。
橋本さんについてはどこに対しても帰属意識を感じられない人で、故に内通者に選ばれたイメージでした。マイペースだったりイントネーションが不思議(方言があるともないとも言えない)なのもその関係です。