俺はフォンテーヌ生まれ稲妻育ち 作:残雪侍
1.稲▇ 神凪村 船着場
「最初は、覚悟して里帰りするつもりだったんだが……こんな形で帰る事になるなんてな」
不気味な空に生ぬるい風。聞こえてくるのは遠くの雷鳴と、静かな波の音。俺は裂け目を通ってかつての故郷、神凪村に踏み入った。
『神にさえ存在を知られていない秘境』と聞けば、冒険者であれば心が踊る探索スポットな訳だが、ここにあるのは小さな群島と寂れた村のみ。宝箱なんてものは存在せず、あったとしてタンス預金のへそくり程度。戸棚を開けた時のガッカリ感は相当なものだろう。
もしこれが新マップです!なんて触れ込みでクロリンデさんもやってる
「フリーナ。そこの桟橋な、四枚目の板だけガクっと下がってるから気をつけろよ。コケるぞ」
「っわ…………そういう事はコケる前に言っておいてくれないかな」
俺は後を追って裂け目をくぐってそうそうコケたフリーナの手をとって引き寄せた。棚ぼただなんて思ってないぞ? 師匠め、なんて罠を──っ! 俺は義憤に燃えた。
いくら寂れた村とは言ってもここはあの悪辣翁の繋げた場所。俺の知らない罠なんぞを仕掛けているとも限らない。そんな敵の居城にどうしてフリーナを連れてきたんだって話だが、ここに俺を閉じ込めて彼女を狙う可能性も考慮したら、俺の目の届く範囲にいてくれた方が安心という理由だ。あとフリーナが離れようとしてくれない。
本当は、あの場の全員でカチコミかけても良かったんだが……。
「私は軍の被害状況の確認がある。貴様に付き合ってやるのはここまでだ。あとは自分でなんとかしろ」
「こいつはてめえの買った喧嘩だろ? なら俺様が手を貸すわけにゃいかねえよ。荒瀧派の子分として、バシッと決めてこい!」
等と言われてしまったらもうしゃーない。早柚だけは心配そうにしていたが、さすがにガキを危険地域に連れていく程俺も落ちぶれてないので気持ちだけ受け取っておいた。
「ここでルド達は生活をしてたんだね。君の家はどこにあるんだい?」
「ここからでもよく見えるだろ。あの坂道を登った先だよ」
きょろきょろと辺りを見回すフリーナの疑問に俺は答えた。神凪村は奥へ行くほど高くなっている島の中に、ぽつぽつと小屋を建てた村だ。畑と集会場としてのちょっとした広場があるだけのよくある村……その頂上に、かつて俺たち家族が住んでいた家が見える。
「どうせなら村を見て回るか。何もねぇけど」
「……いいけど、体は大丈夫なの? それに」
「問題ねえよ。力の流出は今は収まってるし、もう滅んだ後の村に今更恨みもないからな」
テイワット大陸では住んでた村が怪物に滅ぼされるとか、部族間抗争だとかどうしようもない事情で家族がいなくなるなんてことはよくあることなのだと俺は学んだ。俺が家族を喪った事は確かに辛い記憶だが……特別俺だけが不幸な訳でもない。それよりも、ウィーク家を送り出してしまった事を負い目に感じているフリーナにここでの生活が辛いことばかりでも無かった事を伝えてやる方が余程良い。
「君がそういうなら、僕もちゃんと見ることにするよ。あの二人が残してくれたものがあるかもしれないからね」
そういう事になった。
2.神凪村 探索
「ここが神凪村展望ポイントその1、雷元素溢れる野菜畑だ。本来、適切な雷元素は作物の成長を早めてくれるんだが、ここのはちょっと濃すぎてな。実る前に成長が終わって枯れるなんて事がよくあった」
「うん……畑に入っただけで感電しそうなくらいにはバチバチしてるね。これは? ここだけ普通の土みたいだけど」
お目が高いなフリーナさんよ。そこの区間は俺たち家族用に貸し出されていた畑だ。そして、これがうちの偉大な地質学者のリドル先生が開発した、土地の過剰な元素を中和する農薬である。アンプル剤を地面にぶっ刺せばこのとおり、中の岩元素オイルと結合、結晶化して土を正常なバランスへと持って行ける素晴らしい発明品だな!
「フォンテーヌの問題が解決して沈んだ土地が戻ってきた時に、もう一度土を使えるように作った物だが……幅とる割に使える範囲が狭いのが課題だったみたいだな」
「畑一つ浄化するのに沢山使ってたら、どっちを育ててるか分からなくなりそうだもんね」
「おい、このアンプル剤のデザインに対する悪口はやめてもらおうか」
良いだろうが根菜形のアンプル剤。幼いルド少年が眠い目擦って考えた力作なんだぞ。人参に寄せるか大根に寄せるか、三日三晩考え抜いて辿り着いた刺しやすく取りやすい形にだな……。
等と力説しつつ、俺はもう一度畑を見た。小さな規模だったとしてもこうして効果は出ていたわけだ。改良を続けていたら、問題が片付いたあとのフォンテーヌでも大いに役立ってくれていた事だろう。もうここにはこれを発明した人も、作物を収穫する人間も居ないけどな。
「リドルはこういうちいさな発明が好きだったんだ。毎年の千霊祭でも、お菓子の他に子供が喜ぶ玩具なんかを自作して配っていたのを思い出すよ」
「……ああ、あの人の手は新しく何かを作り出す手だった」
インドア派を自称する父さんがペンより重いものを持つ時なんて、畑を耕す為の鍬くらいで良かったんだ。人を傷つけるものなんて論外、刀なんてもってのほかだ。
俺はアンプル剤を引き抜いた。子供の考えたデザイン案を大真面目に形にして、目の前で叩き割られようがめげずにサンプルを渡し続けるお人好し。故郷だけじゃなくここも救おうとしていた人間がリドル=ウィークだ。俺にとってそれで十分だったんだ。
「うちの研究体系はフリーナもよく知ってると思うけど、母さんはそりゃもう度が過ぎるほどのフィールドワーカーでな。毎日海へ潜っては研究資料と夕飯の材料を持って帰ってきてたもんだ」
そこで、母さんが獲ってきた魚なんぞと色々を交換してもらえる集会場兼広場がここだ。屋台には元素に侵されていない貴重な山菜や獣肉が並んでいて、俺たち家族には何やら法外な冷遇トレードをされていたらしいが……母さんは俺の成長を妨げないようにしてくれていた事はよく知っている。
「神の目を持っている今でも、サテラの体力にはついていけそうにないや……あの子は昔から真面目な顔でおかしな行動が多かったから」
「そもそも、普通は乳児抱えたまま国を跨いでの移動とかやらないよな。頑丈に産まれてくれた俺に感謝して欲しいね」
「水神様と同じ元素の神の目を持っているんだもの、貴方はとっても強い子になるわ」というのは母さんがよく言っていた言葉だ。何でも、幼い頃に一度フリーナに助けてもらったことがあるらしい。
優しい声と柔らかい表情のせいか当時はそう思っていなかったが、神の目を持っているだけの俺に元素の力を上手く扱えるように英才教育を施そうとしていたのは母さんだった気がするな? 父さんドン引きだったぞ。
「お前、例えば指先ひとつちょんとするだけでヒルチャールの集落を壊滅させた事とかないか?」
「ないよそんな事! ん……いや、確かヌヴィレットと散歩していた時に彼が何かしていたような?」
「あぁそう……」
母さん、俺が目指すべきはフリーナじゃなくてその隣の最高審判官様だったみたいだぜ。改めて言うが無茶言うんじゃねえ。
とまぁ……そうは言っても教育の目的は俺が力の使い方を間違えないようにするためだったんだがな。結局約束を守れずに大暴れしちまった。もし向こうで会うことがあれば謝らないといけないな。
「……この村。ねぇルド、ここ何かおかしくないかい?」
「何がだ。可笑しくて笑っちゃうくらい終わってる環境の村だってのは認めるぞ?」
「そっちじゃなくてっ!」
感慨にふけっていると屋台の品を見ていたフリーナが怪訝な顔で俺の方を向き直した。そっちじゃねえならどっちだ。俺はマジックポケットから取り出したホワイトボードに村の見取り図を書いて首を傾げてやった。どこが変なのかなぁ?
「まだまだ見るところは一応あるぞ? ほらここなんか、村の小さな林業程度なら支えられるくらいの木材が取れる林にオニカブトムシの巣があったりだな……」
「村が綺麗すぎるんだよ」
…………。俺はゆっくりと視線をあげて村の風景をぐるっと眺めた。古びた家屋に、広場に出た屋台。俺の記憶にあるものと全く同じの普通の光景だ。まるでさっきまで普通に人がいたような生活感だが何もおかしくはないな?
「まるで映影のセットだよ。置いてある山菜は今朝採ってきたみたいに新鮮だし、ここが滅びた後の村だって言われても信じられない」
「映影のセットね。ここは師匠が作り出した将軍すら知らない場所だ。あながち間違いでも──フリーナ」
「へ?」
「お前さんら 見ない顔だ 旅人 かね」
気配もなく後ろから声をかけられた。俺は悲鳴をあげそうになったフリーナの口を塞いだ後、抱き寄せて彼女から見えないようにした。
もごもご動くフリーナを落ち着かせるように頭を撫でながら、首だけで声の方向を見る。俺はにこやかな表情を作って挨拶した。
「俺たち旅の途中なんだが、道に迷った挙句舟が座礁しちゃってさ。舟が直るまでの間、どこかに住まわせてくれないか? もちろん、村のしきたりは守るし、行事があるなら積極的に手伝う……どうだ?」
「ちょ、ルド……っ誰と話して、んんん」
「よかろう 坂の上 小さな小屋だが雨風は凌げる 使うといい」
「ありがとう! 後で村の人にも挨拶を──」
「あァ きっと皆 歓迎してくれるじゃろうて」
それじゃあ俺たちはこれで。俺は貼り付けた笑顔のまま声の主から離れた。俺たちは冒険の途中に運悪く舟が座礁して遭難してしまった哀れな二人組。今からそういうことになった。
「ふたり」「よそもの」「ちがう」「きけん」「にしから」「かくしてる」「かお」「みえない」「かお みせろ」「みせろ」「みせ」
「……っ」
「それでいい。喋らず下を向いて目を閉じてろ。なるべく周囲の音を聞こうとするなよ。俺の心音だけ聞いててくれ」
視界と聴覚は制限させた。これで嫌なものを彼女が見てしまうリスクは軽減したはずだ。あとは……ちっ、臭いまで出てきたな。俺はフリーナを半ば抱えたまま坂道を駆け上がった。
認識した途端にこれか。平和にほのぼの里帰りもさせてくれないらしい。フリーナは馬鹿じゃない、俺が何を見たのかくらい察したかもな。
将軍の話ではこの村は惨殺事件によって滅びたと、謁見にやってきた
地面一面ぐちゃぐちゃだった。屋台に乗っていたのは獣肉じゃなかったし、話しかけてきた……髭の形から思い出すにあれは村長だったかな。下顎しか残ってないのによく喋れたもんだ。
3. 神凪村 頂上 ボロ小屋
坂を登りきった先には、懐かしくもあり苦々しい思い出のある小屋が当時のまま残っていた。優しい夢はもう終わり、辛い現実を直視しろとでも言うようだ。
「さーて。ここまで来れば村の観光は終盤、ここが在りし日の我が家だ。ようこそ!」
「まずは説明をくれ! ぼ、僕は何を見せられそうになったんだい!?」
気にしなくていいんじゃない? 俺は肩を竦めてすっとぼけた。本当の事を言えばビビられるし、言わなくても想像でビビられる。面倒くせえ罠だな全く。
「この村が父さん達みたいな獲物を留める為の舞台なら、エキストラの面々が出てきたってだけの話だ。生気は無かったし、お得意の人形みたいなもんだろ」
「うぅ、気付くんじゃなかった……」
アイデアロールに成功してしまったフリーナをなははと笑い飛ばしつつ、俺は入口の扉を外した。元々ボロボロの引き戸は強い力で叩かれ続けていたこともあり、持っていた場所から真っ二つに割れて地面に落ちる。俺は広くなった入口をくぐって中へと踏み入った。
「……で、君はこんな状況で何をしているんだい」
「なに、当初の目的を果たそうと思ってな」
ここが作られた空間にあるとは露ほども思ってなかった時から決めていたこと、それは両親の遺品を持ち帰る事だ。遺体も魂もここにはもう残っちゃいないだろうが、研究資料に私物。思い出の品などが残っているなら持ち帰ってやりたいと思っていた。
「まさか現場そのまま残ってるとはな。最悪村の連中に燃やされてたりするもんだと思っていたんだが。当時のまんまだ」
強いて言うなら部屋の中が少し狭く感じるかな。それでもうちのワンルームよりは広いけど、嘘……メゾン・ド・フォンテーヌ狭すぎ? 隣人部屋にスペース取られすぎだろ。
「うーん……足元に散らばった書類はダメそうだね。泥と風化で読めそうにないや」
「おい、今片付けてる所だから来るんじゃねぇ。それに」
「今更だよ。隠せるものも、隠せる場所もここには無いじゃないか」
まあ無いんだけどさ。俺が今たっている土間、ここはかつて父さんが斬られた場所だ。地面と壁に残る黒ずんだ染みが、事件の凄惨さを物語っている。
それと居間の方向。古い畳に散った染みは母さんが俺を守って負傷した時の血痕だろう。この家で幸せだった頃の記憶は全て、最後の最後に台無しにされている。
「当事者の君より僕が沈んだ顔をするはずがないだろう。大丈夫、君と同じように僕もちゃんと受け入れるから」
「フリーナ……」
「じゃあそこの棚から使えそうな書類纏めてくれるか? 科学院で引き継いだらすぐ使えそうなやつ!」
「もう羨ましいよその切り替えの速さ」
自他ともに認める長所なもんで。研究成果の方はフリーナに任せて、俺は遺品整理を始めた。と言っても、出てくるのは使わない生活用品と古い娯楽小説の数々。こんなもんを持って帰ってもなと思っていた俺の目が、埃をかぶったちゃぶ台の上で止まる。
「フリーナ。これ、知ってるか?」
「ん? これは……! リドルが学者になった記念に僕が送った万年筆じゃないか」
俺の差し出した掌には使い込まれた万年筆が乗っていた。こいつは父さんが特に気に入って使っていたものだ。尊敬する人からのプレゼントだと自慢していたのを憶えている。そうか、やっぱりフリーナだったか。聞けば聞くほど、俺の両親から出てきたのは彼女の事ばかり。下手したら息子の俺よりフリーナの方が両親との思い出が多いんじゃないだろうか。
「……なぁ、フリーナよぅ」
「うっ、やめてよ。そんな目で僕を見るのは……わかったよ、帰ったらちゃんと二人の事を話すから!」
よし。なんか俺の知らない二人のエピソードがあるのはむずむずするからな。俺は万年筆をマジックポケットに突っ込んだ。
「そっちはどうだ? フォンテーヌ科学院を揺るがす素敵な研究成果は見つかったかよ」
「……残念ながら、ここにあるのは予言にある海面上昇の原因とそれを食い止める為の研究資料ばかりだね」
「──そうか」
「でも、凄いよこの資料。土地と水中の元素力の関係から地域ごとの海流、成分も分析してある。当時だったら間違いなく原始大海の正体に一番近づいていた事がわかるよ。理論を少し整理してあげれば、彼らの残した研究は間違いなく科学院で今後も使えるものになるだろうね」
当然だな。俺は天狗になった。母さんが海の中で採取してきた危険極まりないサンプルを父さんと共に分析し、トドメに俺の目で見た研究成果だ。文字通りの血の結晶、こんな寂しい場所に残しておく選択肢は無い。
「父さんの万年筆に研究資料、ここで手に入れられるのはこれくらいだな」
「……サテラのはないの?」
「あの人、家族で使う道具以外はだいたい使い捨ての現地調達だったせいで、どれを見ても遺品にはなりそうに無いんだよ。これなんか経年劣化でボロッボロだ」
俺がつまみ上げたのは錆びたを通り越して朽ちた包丁らしきもの。元々古いものを直して使っていたこともあって、今じゃただの錆びた鉄屑だ。食器も何もかも、ここに母さんの思い出を語れるものはない。
かつてフリーナに語った旅の心得、なるべく荷物を少なく現地調達で何とかするというのは全部母さんの受け売りだ。心神喪失状態で無事にフォンテーヌまで辿り着けたのも、教育の賜物ってやつだろう。
「無敵の現地調達理論もまさか遺品整理の時に残るものが何も無い、なんて結末になるとはな」
「……そんなはず、まだ探すところが残ってるんじゃ」
「なんにせよ時間切れだな。
俺は前髪をぴこっと立たせた。良くない気配が集団でここまで迫ってきている。薄暗い空を松明の煙が漂い、支離滅裂な言葉の羅列が風に乗って鼓膜を揺らした。この不快な焦燥感を俺はよく知っている。
「……もう二度と、お前らに俺の大事なもんを
「わわっ!ルド!? そっちは裏庭で、崖なんだよね!? ま、まさか── 」
「母さんがやってのけたんだ。俺にできないわけがねぇだろ」
俺はひょいとフリーナを抱えて裏口の戸を開けた。視界の先、海の向こうに小さな小島が見える。そこそこの緑があって、時給自足で何とか生存できそうな環境。なるほどなぁ、やっと俺はあの時の母さんの判断の真意を知ることができたわけだ。
「と、忘れるとこだった」
「なにをだい! もう僕、目を瞑っているから……飛ぶ時は合図をくれよ、いきなりぴょんはなしだからね!」
ぴょんなし了解。俺は裏庭の一角に立てられた簡素な石の前でしゃがみ込んだ。俺の力が未熟だったばかりに作ってしまった最初の犠牲者の墓。俺は無言で片手を立てて黙祷した。
「……しっ、準備はいいなフリーナ! いくぞ、3! ──ぴょんと」
「──ひゅ」
小屋の中に何かがなだれ込む音を背中で聞きながら、俺は勢い良く走りだした。3で大きく踏み込み、2を言う前に崖へとダイブ。思ったより奴らの到着が速かったので仕方ない。人生って準備万端で挑めることそう多くないからね。
「……っ! ──!!」
「
俺は空中で水元素を炸裂させた。岩に打ち込み、崖を削って勢いを殺していく。どこかで聞いたことのある言葉を自然に口から零して、俺は崖を降りていった。
最後にとん、と壁を蹴って仰向けで跳ぶ。崖の上、痣のような色に染まった影が怨めしそうにこちらを覗き込んでいるのが見えた。
ざまぁみろ。俺はそいつらに向かって吐き捨てた。
4. 神凪村 崖下
裏の砂浜には大小様々な舟が打ち捨てられていた。時代も作りもバラバラで、どれだけの遭難者がここにたどり着いていたのかが伺える。今見た事で気づく事がこんなにあるなんてな。
「……ぅぷ。君とはもう絶対高いところに登らない」
「悪かったって。そら、舟持ってきたから乗れ乗れ」
俺は青い顔でへたり込むフリーナの傍に小舟を持ってきて、ぽいっと放り込んだ。ここまで来たらあとは敵の根城に殴り込むだけだ。俺は舟を掴んで海へと押し進んだ。浅瀬から少し深くなった辺りで飛び乗り、舵を取る。
「実はな、一つだけ心当たりがあったんだよ。母さんの形見になりそうなもの」
舟を漕ぎながら、俺は独り言のように呟いた。物に執着しない、化粧っ気もなく自分を着飾る事もしなかった母さんが唯一身につけていた物があったのだ。
昔、敬愛する存在から貰ったと言う首飾り……。一度だけ俺に教えてくれたあと、片時も離す事無くあの日一緒に沈んだ。もう戻ってくる事はないあの人の宝物だ。
「ちょうどお前の胸についてる宝石と同じだったな。プレゼント、なんだろ」
「子供の頃のサテラに強請られたことがあってね……これをあげる代わりに送ったものだよ」
「フリーナさんうちの家族に甘くない?」
なんなんだようちの家は! 国の象徴に物をプレゼントされまくるくらいなんか凄い功績を積み上げていったらしいハイブリッド家系の末裔がうだつのあがらない一般剣士なの、能力値を変な方向に振っちゃった感じがするぞ。
「ちくしょう負けるか! この依頼が無事に終わったらフリーナ、俺にも何か報酬があってもいいんじゃねえの? 俺が泣いて家宝にしますって言っちゃうくらいのさァ」
「……君にはもう一番大きな物をあげたつもりだけど? あれだけ味わってまだ足りないのかい?」
…………。俺は無言でオールを漕いだ。いやもうほんと、おっしゃる通りです。べちっと後頭部をクラバレッタさんに叩かれた。波の中から現れた夫人が俺に水鉄砲を食らわせる。
「|ぼごばご《フリーナ、サロンメンバーの教育はちゃんとしてくれない?》」
「教育を受けているのは君ってことだよ。僕に相応しい紳士になってくれないと困るんだからね」
ということらしい。フォンテーヌにおいて基本的にサロンメンバーは自由だからな。ところでジェントルどこいった?いつもならトドメの関節技と礼儀がどうのでフィニッシュであるところなんだが……?
「……と、出てきた。頼むぜ、もうツッコミはあんたの関節技しか満足でき────おいそれ」
「これ、サテラの!」
水面から舟に上がってきた蛸紳士がぬっと触手をこちらに向ける。吸盤の上に吸い付いていたのは、フリーナのものとよく似た宝石。首からかけるチェーンはちぎれ、装飾のリボンが汚れほつれていても間違いようがない……母さんの持っていた思い出の品だった。
「…………居た、のか? この下に。まだここに母さんが」
「──」
俺の問いかけに彼はふるふると首を横に振った。残っていたのはこれだけだったらしいな。それでも凄い事だ、こんな広い海から流される事無く母さんの形見を取り戻せるとは思ってなかった。
「ねぇルド。それ、ただのペンダントじゃないんだ」
どうやらそうらしい。初めて見た時から宝石の部分の装飾がやけに多いと思ってはいたが、これはロケットペンダントのようだった。十年以上海の底に沈んでいてもその機構は生きており、特に抵抗もなくペンダントが開く。
ロケットの中に入っていたのは乳児を抱いた若い夫婦の写真だった。右下に書いてある小さな走り書きには……"手に収まりきらない宝物"と。
「これを渡す時に彼女に言ったんだ。一番大切なものができた時、そこに入れるといいって」
「これ以上ないものを、サテラは持っていたみたいだね」
「…………」
──舟に乗って、ルド。すぐ村の人が追いかけてくる……あなたを傷つけさせたりなんかしない。
──ぁ、後ろは見ないで。崖を無理して降りたし、今も海に浸かってるからお化粧が落ちちゃったの。ルドも男の子なら、女の人の秘密を守れる大人にならなきゃ……でしょ?
──舟が波に乗るま……っり返らないで。声が……ぇなくなっても、あの島を目指して進むの。できるわね?
── ルド……私たちの宝物。貴方が生まれた時から手に握っていた神の目が、きっと貴方を生かすわ。どうか、幸せに……。
「今の俺が、母さんの思っている宝物のままかどうかは議論の余地があるがな」
そうあれるように、俺のせいで生まれた因縁は全てここで切り伏せる。そうしてフォンテーヌにでかいお土産抱えて帰郷し、気ままで刺激的な生活の続きをしようじゃないか。
舟は進む。遠くに見えていた旅の終着点が、もう目の前まで来ていた。