逆行運河/葬送のフリーレン 作:ヒビたまり
ヒンメルの死から■■年後。魂の眠る地。
生者と死者が会話できるこの場所で、ヒンメルとフリーレンは地面に腰掛けている。ヒンメルは自分が死んだ後の、フリーレンの冒険の話に耳を傾けていた。
「……とてもいい冒険だったね。僕ら勇者一行の冒険にも負けないくらい素晴らしい物語だ」
「でしょ」
ヒンメルを主人公にした勇者が魔王を倒す旅。
フリーレンを主人公にしたエルフが英雄たちを追悼する旅。
甲乙はつけられない。どちらもフリーレンにとってまちがいなく、最高の思い出になった。
「フリーレン、これからどうするつもりだ?」
かつて勇者の旅が終わって別れる時に言ったことと同じ言葉。ヒンメルはもう一度フリーレンにたずねた。
「魔法収集と人間を知る旅を続けようと思う。世界を回りながらもっとたくさんのことを知りたい」
「次のお土産話も期待できそうだ」
「うん。たまには――300年に1回くらいは顔を見せるよ」
「気が遠くなる話だ」
相変わらずエルフの感覚は途方もないね、とヒンメルは笑った。
「そういえば、師匠を知らない? 大魔法使いフランメ。私の師匠。師匠は私に
フリーレンはヒンメルにフランメの所在を聞いた。
といってもフリーレンとしてはあまり期待していない。知っていたらいいなという軽い気持ちでの質問。
「…………………………」
「ヒンメル? どうしたの?」
フリーレンの質問を受けて、ヒンメルは能面を付けたように表情を暗く落とし、黙り込んだ。
「知らない方がいい。知ったら後悔する」
――当然ヒンメルは知っている。フランメの
押し黙るヒンメルをフリーレンは問いただす。
「なにそれ」
「……………………」
「ねえちょっと、どうしたの。ヒンメル」
「……もう手遅れだ」
「手遅れ? それどういう意味? 教えて。師匠に何かあったの?」
底知れぬ予感がフリーレンの後ろ首を撫でる。フリーレンは不安を紛らわせるため杖を強く握る。
あの優しいヒンメルが"手遅れ"という言葉を使った。
――まるでフリーレンはもう二度とフランメと会えないような、そんな風にヒンメルに言わせてしまうような、幾重の魔の手がフランメを襲う想像がフリーレンの脳裏に浮かぶ。
でもフリーレンは内心で否定する。あの師匠がただ消えるなんてありえない、と。
きっと何かを残している。師匠が魔族や魔物に負けるはずがない。そうだ。ヒンメルに伝言を残しているんだから、対処法がきっとある。たとえ師匠が封印なり何なりされていたとしても。私なら師匠を助けられる。フリーレンは前向きに考えた。
もうどうしようもなく手遅れで。救いはないのに。
健気にも師匠を信じるあまりフリーレンは掴むことのできない希望を見ていた。
「憐憫の獣ロストだ」
「――あの、神話に出てくる?」
「うん」
「一度世界を滅ぼしたと言われる原初の魔物。そいつが目覚めて、いいや、目覚めようとしている。師匠は……ロストと戦っているんだね?」
「違う。そうじゃない。フリーレン」
「え?」
フリーレンのフランメに対する信頼と敬愛を感じ取ったヒンメルは痛ましい気持ちになった。
でも、ヒンメルは言わなければならない。
なぜなら、事実を告げることがフリーレンに対するもっとも優しい罰だから。
「君の師匠、大魔法使いフランメは……憐憫の獣ロストに変えられたんだ」
「えっ。――――――――――――――――え?」
予想と違ったことにフリーレンは驚いた。
そしてヒンメルの言葉に困惑の声を上げた。
フリーレンの頭は、心は、その言葉を理解することを拒んでいる。
「誰が? 何に? 今なんて?」
「……………………」
「嘘でしょ」
「……………………」
「嘘だって言ってよ」
「………………ごめん」
「ヒンメル。悪い冗談はよして。ねえ。ヒンメル……。師匠は。師匠が。そんな、違うって言ってよ……!」
フリーレンは左手でヒンメルの服を掴み上げる。右手の杖に魔力の光が灯る。ヒンメルが嘘を言っているように見えない。だからこそ動揺と怒りがフリーレンの両手に力を込めさせる。
ヒンメルは、ごめんともう一度謝った。
フリーレンは泣きそうになった。
「………………冗談じゃないんだね」
「うん」
「教えてヒンメル。師匠を倒したのは誰? 今師匠はどこにいるの?」
「それはできない」
「なんて?」
フランメと自分の敵をかばうような言い草。フリーレンの怒気が高まる。魔族に相対する時と同じ、細く鋭い目をあろうことかフリーレンはヒンメルに向ける。
もしかするとこのヒンメルは偽物なんじゃないか、とまでフリーレンは考えた。それはある意味間違っていなかった。たしかにヒンメルの偽物は存在する。とはいえフリーレンの目の前にいるのは正しくヒンメルの魂であり、シャッツの魂はフリーレンの前に姿を表さない。ここでは関係のない話である。
フリーレンの左手の上からヒンメルの右手が重ねられた。
温かい手。優しい力。剥き身の魂だから、ヒンメルの温かさをより感じるのだろうか? ヒンメルの手に押され、フリーレンは服を掴む手を下ろす。
そして慈しむように、……あるいは憐れむように、ヒンメルはフリーレンを優しく包みこむ。
「…………フリーレン」
「――ごめん。落ち着いた」
「いいや、ごめん。僕の方こそ。フリーレンに復讐させたくなくて、つい」
「復讐するかしないかは私が決めることだよ。お節介しないで」
「うん……。気づかないままならそれがいい。かつて僕らは君の鈍感さに賭けた。君が最後まで気づかずに幸せになる未来に賭けた。君は人生をやり直すことに
そう言ってヒンメルはフリーレンを腕の中から解放する。
今の言葉の意味もフリーレンには分からない。でもさっきと違ってフリーレンは悪くない気分だった。
かつて魔王を倒すための旅の中、ヒンメルとハイターとアイゼンがそうであったように、3人はフリーレンのために言葉を遺していた。たぶん今回もそうだ、とフリーレンは思った。
今のフリーレンじゃなくて、未来のフリーレンに向けて遺した言葉。
それが分かるくらいにはフリーレンは成長していた。
そしてヒンメルは言った。
「フランメを憐憫の獣ロストに変えた魔族は――――もう死んでる」
まるで愛した人を自分の手で殺したような。
愛と憎しみがないまぜになった黒い目でヒンメルは言った。
「僕が殺した」
「なら良かった」
なんともあっけなく、いっそ笑えてしまうほどに軽い調子。
彼の思いは彼女の心に届かない。彼の言葉だけが聞き届けられる。
――エルフは手遅れになってから気づく。
――フリーレンは特別鈍感だから、気づくのは数千年後。あるいは数万年後。
「師匠の仇を取ってくれてありがとう」
そう言ってフリーレンはヒンメルに笑いかける。
「……感謝を言われるほどのことじゃない」
黒い目で、苦しい表情を浮かべるヒンメル。
君だってニーベンを殺しているんだよ、とヒンメルが告げることはなかった。
葬送のフリーレンの物語はここで終わる。
◇
「師匠……いやロストはどこにいるの?」
「ごめん。それは僕も知らない。というかよく分からない。『虚数の海に沈めて眠らせてる』『魔族には虚数は理解できないから安心設計だよ』とは聞いてるけど。……魔法の話は僕には難しいね」
「ふうん。なるほど」
大魔法使いフランメを助けに行く。
それを目標にフリーレンは虚数系統の魔法を学び始めた。