逆行運河/葬送のフリーレン 作:ヒビたまり
王都の人々は突然現れた、黒い孔と黒い魔族に困惑した。
記念すべき時代を喜ぶ祝宴に水を刺すかのように、街を包む熱気はまたたく間に冷めていった。
「逃げろーーーーーーーッ!!!!!」
勇者ヒンメルが必死に叫ぶ。
痛ましい、切実な彼の顔を見た王都の人々は危機を察して足を動かそうとする。
勇者が叫ぶより先にニーベンは近くに立っていた少年の左肩に噛みついていた。
予兆もなく、次の瞬間に人間を喰ったという結果が現れる。
「う、う……、わぁああーーーーー! あー! あー!」
突然肩を噛まれ、ごくごくと血を
「やめろニーベン!!!」
ヒンメルは少年を助けようと駆け出した。
それに気づいたニーベンは首を振り上げて、少年を空中に放る。
肩を食い千切られたこと、身動きできない空中に浮かされたことで少年の意識はキャパオーバーを起こす。その軌道、その回転速度、少年は頭から地面に激突する。
ニーベンは止まらない。ニーベンの左腕に白い極光が現れる。……人を殺す光は、ヒンメルでも少年でもなく、ニーベンの左側にいる人々に向けて
因果逆転を使わずに、"
少年を助けろ。
人々を助けろ。
切り札を使い切れ。
――そう、ヒンメルを誘っている。
「間に合ええええええええええええ!!!!」
ヒンメルはゴーレムが入った瓶を二個取り出し、全力で投げた。
右手は剣を持っている。左手は瓶を投げるのに使う。このままでは地面にぶつかろうとする少年を助けられない。
剣を鞘に仕舞う。自由になった右手で少年を抱きかかえる。
次の瞬間。二体のゴーレムが現れると同時に、周りにあるものすべてを吹き飛ばす嵐が、極光の熱線が撃たれた。
二体のゴーレムが体を張って、ボロボロになりながら熱線を抑え込もうとしている。
ヒンメルは少年が吹き飛ばないように少年を強く抱きしめた。
轟音と悲鳴がこだまする。余波の暴風で王都の人々が吹き飛んでいく。ゴーレムは立派に役目を果たして熱線を受け止めきった。
「うっ……」
暴風が止んで、ヒンメルが顔を上げる。ほんの1時間前にあった祝祭から変わり果てた光景がそこにあった。
たくさんの人が倒れている。うめいている。お祭りを賑わせていた屋台が暴風によって倒壊し、下敷きになっている人がいた。
みんなを助けないと。
勇者は何度でも立ち上がる。困っている人、苦しんでいる人を助けるのが勇者だから。
ヒンメルは抱きかかえた少年の無事を確かめる。
「大丈夫か? 肩の傷は……」
「っ、……。………………」
肩を食われた激痛と失血により、少年は言葉を発することができないでいる。息をするだけで精一杯という様子だ。
そんな、どうすれば、一刻も早く治療しないとこの子が死んでしまう、誰か助けてくれる人は――
そして相手はヒンメルのわずかな迷走を見逃さない。
ニーベンは左手にふたたび極光を装填する。そしてその左手と極光はヒンメルに狙いを定められている。ヒンメルは
――――1秒後に押し寄せる死の灼熱を前に。ヒンメルの頭に走馬灯がよぎった。
十人以上の魔族の
戦いの後、ハイターが『絶え間ない砲撃がこれほどに恐ろしいとは。この戦術はどんな英雄も殺すでしょう。魔族が個人主義でなければ、われわれはずっと昔にやられていましたね』とげんなりしながら言っていた。
そして『誰か』が。
『十人以上の魔族の徒党は私でも初めて見た。魔族は同族意識や交友意識がない。生まれてから死ぬまで一人きりが当たり前なんだ。だからたまたま。そう、本当に奇跡みたいな偶然が重なった結果だと思う』
名前を思い出せない。
その人の顔を思い出せない。
命の恩人である『誰か』がそう言っていた――ような。
ヒンメルはニーベンに奪われたものを認識できていない。
それでも最後の瞬間は『誰か』を想う。
白い光、そして懐かしい温かみがヒンメルと少年を包み込む。
◇
「――――――え?」
ヒンメルたちを包んだのはニーベンの熱線ではなく、魔力で出来た防護壁だった。防護壁は熱線を一切通さずヒンメルたちを守っている。
よく見れば周りにいる王都の人々もヒンメルたちと同じように防護壁で守られていた。
天空から人影が落ちる。ニーベンに残った左腕を断ち切り、熱線が途切れる。
ヘルメットを装着しているから顔は見えない。一般的な兵士の姿の男だった。
「…………」
両腕を無くしたニーベンは後ろに飛び下がる。
ヒンメルの前に降り立った黄金色の髪のエルフを警戒してのことだろう。
大魔法使いゼーリエが、そこにいた。
「怪我をしているな。治してやる」
ヒンメルと肩を怪我した少年にゼーリエが回復魔法をかける。痛ましかった傷口はみるみるうちに修復されて少年の呼吸も穏やかになった。ヒンメルの体力も回復した。
「ヒンメル、立てるか?」
「ああ。助かったよ。大魔法使いゼーリエ」
ヒンメルは少年を優しく地面に寝かせた。これでヒンメルはふたたび全力で戦える。
エルフであるゼーリエはニーベンを殺すことはできない。でも手を貸すことならできる。
ニーベンにトドメを刺すのはヒンメル。あるいはニーベンの左腕を切った男。どちらかだろう。
殺すのがエルフでなければニーベンは脅威ではない。その事実は最初から変わらないのだから。
ヒンメルとゼーリエは並び立ち同じものを見る。王都を戦場に変えた魔族。無実のニーベンへと向き直る。
「――――――――」
両腕を失って。全身には赤い血と黒い傷跡。感情のない
ニーベンが空を仰ぐと、王都の宙を支配する黒い孔から一滴の雫が落ちて、ニーベンに降りかかった。
それの全身は黒い孔が落とした黒泥に塗れる。ぶちぶち、ぐちゃぐちゃ、聞いていて鳥肌の立つ肉音が響く。ヒンメルとゼーリエ、兵士姿の男、王都の人々は不安になりながらそれを見ている。
肉音が止む。そして黒泥が乾くように消えながら、ニーベンが顔を上げる。
切られた両腕は元通りに。ヒンメルに付けられた傷が消失する。
瞳に感情の
無実のニーベンは復活した。
「……あの孔があるかぎり何度でも復活するというわけか。殺そうとすれば殺せないことを見せつける。お前は相変わらずひねくれている」
ゼーリエは空を覆う巨大な孔を見ながら言う。ゼーリエにかかれば手を焼くが壊せないものではない。
だが今は壊すことより――――。
「理性を取り戻したようだな。ニーベン」
ヒンメルがニーベンを睨む。
「おかげさまで。…………それにしても『理性を取り戻した』か。あはははっ、そんなセリフを魔族に言うなんておかしな話だよ」
「ああ。君の頭はおかしい」
「そうだな。頭のおかしな魔族め」
「ひっどいなぁ!」
ニーベンはふくれっ面になった。さっきの暴走した姿、おぞましい行動から想像できない、愛嬌のある表情を作る。
『誰か』への復讐。墓荒らし。王都侵略。勇者ヒンメルの心意の簒奪。
そこまでやっておきながら――――
よりにもよってそんな顔を作っている。
ニーベンに反省の色はなかった。
だから彼女はどんな魔族よりも恐ろしい。
◇
「聞きたいことはたくさんある。一番目立つものから聞いてやる。あの孔はなんだ?」
ゼーリエが空を指差す。
「ああ。あれは"
ヒンメル以外の人間を私と同じ時間に招いて
死にそうになった私の体を
交錯。修復。そして渾然。
「真理と真理を混ぜるだと?」
「"異邦なる第三の魔法"は、この世界の住人がこの世界の真理に通じる
でもほら。私は
「人間の魔法使いにとっては価値のある魔法、そしてお前が運用すればエルフと世界に甚大な被害を与える魔法か。いつも通りだ」
「どうかなぁ。世界を滅ぼしそうな脅威はいっぱい来そうだけど、世界を救う救世主だっていっぱい来てくれると思うよ」
「お前のようなやつが来るだろう。論外だ」
「それはまあそうなんですが」
いい加減にしろ、とばかりにゼーリエは視線を鋭くする。ゼーリエの魔力に敵意が乗せられ、周囲一帯の空気が重くなる。ニーベンは動じない。王都の人々は一目散に退散する。寝かせた少年も善意ある若者が抱きかかえていく。この場にはヒンメル、ゼーリエ、ニーベン、兵士姿の男の4人が残った。
「ニーベン。君はさっき、僕の体から何を奪い取った」
ヒンメルが口を挟む。
「"
「――――っ!」
人の記憶を奪っておいて感謝を語る。外道に過ぎるニーベンの言い草にヒンメルは怒髪天を衝く。ゼーリエが手で制さなければ剣を抜きニーベンに斬りかかっていただろう。
「その記憶はヒンメルに返却できるのか? なぜその記憶を奪った。その記憶はあれだけの規模の魔法を発動するコストに足り得るのか?」
「1つ目の答え。記憶の返却。これはお前の協力次第だね。
お前たちはここで私を殺したい。わざわざ"時間を逆行する魔法"を使うくらいだ。今日この時は『人類が私を殺すラストチャンス』なんじゃない? そこで交換条件だ。私はここから逃げのびたい。王都の人たちとヒンメルの記憶を無事に返して欲しかったら私を殺すことを諦めるんだ」
「多少時間はかかるが私であれば"撹拌の渦"を解除できる。その後に殺せばいいだけだ。お前があれを自壊させるならまた別の話だが」
「タイムリミットは決まってる。自壊するよ。
7日前。フリーレンがこの王都に居た日まで遡ればジ・エンド。
時間の流れが逆だから、さっきあの孔が出現したように見えた時が発動終了で、この特異点が解除された時が発動開始。
あの孔を長く残せばそれだけ被害は広がる。あの孔は
1週間前にゼーリエが王都に滞在してて、混沌の泥から人々を1週間も守りきれる自信があるなら。そして1週間であの孔を解析し解除する自信があるなら。やってみてどうぞ?」
ニーベンが魔力を解き放つ。臨戦態勢を見たゼーリエは嬉々とした表情を浮かべる。
「"撹拌の渦"は、私相手に7日間戦うことを想定し、タイムリミットまで時間稼ぎをする回復基地でもあったか。
もしお前が人間だったなら一級の魔法使いと認めてやったものを。お前でなければ、
それにしても本当に惜しい逸材だ。お前の魔法の理論をもっと語るといい」
「ゼーリエ」
「すまない」
戦いを始めようとしたゼーリエを兵士姿の男が叱る。怒られたゼーリエはしおしおと体を小さくした。
どうやら兵士姿の彼は、この時代でゼーリエの世話をしている大人のようだ。
「えーっと……2つ目の答え。その記憶を使った理由と魔法を発動できた理由。これは魔法の理論の話になるけど……」
「話せ」
「ゼーリエ」
「シャッツ。これは聞くべきことだ」
「……仕方ない」
シャッツと呼ばれた男が引き下がる。
レルネンとゼーリエが出会ったのは魔法使い試験から50年前。この時代は魔法使い試験から80年前。シャッツはレルネンより昔の人物ということになる。
エルフやドワーフなら原作の時代まで生きているだろうが、シャッツが人間なら原作の時代には死んでいるだろう。
基本浮世離れするエルフ。それもゼーリエを相手にここまで遠慮なく言い合える関係を築いているこの男に、ニーベンは少し感心した。
◇
――――10分後。ゼーリエとニーベンの魔法トークが盛り上がっていた。
「私はヒンメルから『勇者ヒンメルの熱意』を奪った。今この場にいるヒンメル個人を見ると記憶を奪われただけになる。けど私が奪ったものはそれだけじゃない。未来でヒンメルに助けられて勇者に憧れる人の熱意も同時に奪っているんだ。そういうところから
「女神の聖典から一つの章を奪って、別の魔法に転用したと想像すればいいか?」
「そういうことだよ」
「確かに『歴史に名を刻む物語の原本』をコストにすれば聖杯や特異点を形成するのは
私は魔力に困っていない。なら私が人間に渡す魔導書にその理論を組み込める。私の魔導書を使い切ったという事実で、魔導書を読んだ者の魔力を上昇させられる」
「いいじゃん! だったらさ。巻数を増やすのはどう? ゼーリエの魔導書で大長編シリーズを作るんだ。1冊を読み終えること、1つのシリーズを読み終えること、7部作のシリーズを読み終えること、それぞれが別の恩恵を得られるようにする。7部作のすべてを読み解けば生と死を超越するとかどうよ」
「生と死の難題を7つの偉業の物語に置き換え、すべての物語を読み終えた者を7つの難行を踏破した英雄と見なす。その理論も面白い。試験なら満点をやりたいところだ」
ヒンメルとシャッツは、ゼーリエとニーベンの話にまったくついていけなかった。
その場で呆然と立たされていた。
シャッツは2人の話を何度か遮っていた。だけど2人は止まらない。
彼女らの話の感想を求められ、答えられなかったところでシャッツは己の無力を悟り、遮ることを諦めた。
さっき僕とニーベンは殺し合ってなかったか? 避難した王都の人々や傷ついた少年にはなんて言ったらいい? ……ヒンメルは天を見る。真っ黒だった。全力でため息を吐いた。
「なあシャッツ。どうすればいいと思う?」
「こうなると長いんだよなあ……」
「なんだか君とは他人の気がしないな。僕たち仲良くしようよ」
「……魔法が大好きなやつの面倒を見るのは大変だ。ヒンメルもそうだろ?」
「……ああ。忘れたけど、たぶんそうだった気がする」
ゼーリエとニーベンの話は3時間続いた。
☆撹拌の渦
世界観を混ぜる渦。
真理に到達するためにある根源の渦。対して撹拌の渦は異世界の真理をフリーレン世界に落とし込むもの。型月作品に登場したあらゆる設定・あらゆる事象をフリーレン世界に「元からあったもの」として呼び込むことができる。
ORTを引っ張ってきちゃうから世界終焉待ったなし。