ゲマトリアアジト。
この世界の裏で動く、元“先生”達の行き着く居場所。
そんな彼らを取り巻くこの世界には、幾つかのルールが存在した。
それは、青春の学園の物語である事。
そして、ひとつの世界に存在できる“先生”はただ1人だけである事。
だから、彼らは先生はでは無く、“元”先生だった。
それ以上でも、以下でもない。
ただ、それだけの存在だった。
『どうするんだ、黒服よ』
『くっくっ……やはり、2度目の奇跡は起きませんでしたね……』
そう言って笑う黒服は、しかしどこか心から笑いきれていない様だとフランシスは思った。
先生を頼ろうと言い出したのは、他でもない黒服だった。
その行動が生み出した結果。故に、少なからず黒服はこの結果に後悔していた。
先生に嫌われようと、敵対しようともデスモモイを破壊する方向で進めていれば、と。
デスモモイが暴れようと、先生が居なくなろうと、それはどちらにせよキヴォトスの終焉を招く事だと黒服は認識していた。
『再度聞くぞ。どうするつもりだ、黒服?』
『……それは、先生の事ですか? それとも、デスモモイの?』
『どちらもだ。……だが、火急の任はデスモモイだろう』
暴れられては、これ以上の自体を招きかねん。
そのフランシスの言葉に同意するように、マエストロは黒服へと視線を向けた。
もう、取るべき手段は少ないだろう、と。
あとは、誰が責任を取るかという話だ。
『こちらを』
『それは……?』
黒服が胸ポケットから取り出したのは1枚の封筒。
それは、黒服が今は亡き先生に最後に託されたものだった。
黒服は、一度それを掲げてテーブルに置いた。
『先生の最後の手紙です』
『ほう、何と?』
『……長々と、生徒に対する思いが描き連ねられていましたが……要約すると、』
『デスモモイを殺さないで欲しい、というものでした』
『──何を馬鹿なことをッ!!』
フランシスは叫んだ。
先生は死んだ。ならば、後は契約通りこちらの自由にするという話だった。
そう言う契約だ。当然、デスモモイのヘイローは壊す。
それが出来るか否かは別問題として、どの道出来なけれぼこのキヴォトスが滅ぶだけだった。
それに、その先生の選択は正直ただの現実逃避だった。
デスモモイを殺さないということは、彼女がより多くの生徒を殺す事と同義。
そんな、自分勝手で理性的ですら無い願いを聞き入れるフランシスでは無かった。
その上、どこかその先生の意志を継ごうとでもしているかの様な黒服の姿に、彼は余計に腹が立った。
『先生は、この世界を滅ぼそうとでも言うのかッ!?』
『──それが、そうならないのですよ』
『、何……?』
黒服の言葉に、理解の範疇を超えたマエストロは疑問を呈した。
デスモモイは、世界を滅ぼす存在。
それは紛れもない事実だとゲマトリアは結論付けた筈だ。
『デスモモイは、最後、先生を捕食しました』
『………』
『それが元から彼女の恐怖に備わった性質なのかは分かりませんが……彼女はその後、あの部屋で大人しくしています』
人を捕食する事で大人しくなる性質なのか。
それとも、先生を食べた事によるものなのか。
分からないが、ひとつ分かる事は先生を食う前に殺害された生徒や市民は、誰1人捕食されていなかったという事だ。
先生が食われたお陰で、猶予が出来た。
いつまで持つのかは分からないが、もしかすると人さえ定期的に与えれば少ない被害で済むのかもしれない。
『事情は理解した。しかしそれではただの後回し。現実逃避だ』
『おっしゃる通りで』
『だと言うのに黒服、貴様はそれを受け入れるつもりか?』
黒服は、先生の手紙をそっと撫でた
『そのつもりです』
『馬鹿馬鹿しい。貴様は既に先生ですらないのに』
『……おっしゃる通りです』
黒服は、何かを後悔するように俯いた。
けれど、今ここに彼へ優しい言葉をかけるものはいなかった。
『何かあれば貴様が責任を取れ、黒服。しかしそれは、貴様が先生の代わりになるという意味では無い』
『……当然ですね。しかし、良いのですか?』
『知らん。痺れを切らせば勝手に動くやもしれん』
『……猶予が頂けるなら、それ以上は望みませんよ』
『フン……虫唾が走る』
そう言って、フランシスとデカルコマニーは背を向けて会議室を出て行った。
それを、誰も止めることはしなかった。
デカルコマニーですら、今この時は終始黙っていた。
『おい、黒服』
『……何でしょう』
カタカタと揺れるマエストロに、黒服は体を向けた。
彼の視線を真正面から受け止める。
マエストロだって、正直反対だった。しかし、仮にも責任を取ると言った以上、今ここで何かをするつもりは無い。
ただ、
『お前は先生では無い』
『……』
『変に、気取ろうとするな。お前はゲマトリアだ』
そう言って、マエストロも姿を消した。
会議は終わり、静かな部屋に黒服は1人残される。
『…………』
彼は、ただもう一度、先生の手紙を撫でた。
慈しむように。憐れむように。労うように。撫でた。
─────────────────────
──キィ……
───キィ……
──揺れる。
揺れている。
ミレニアムの制服を身につけた、青い髪の少女が。
この世界に耐えられなくなった、先生を心から慕っていた少女が。
──キィ……
───キィ……
重力に逆らうように。天へと登るために、その体を宙に浮かせていた。
濁ったその目には、とっくの昔に何も映されていなくて。
涙なんかとうに枯れ果てて、まるでドブ川の如く濁りきっていた。
ハヤセユウカは、今幸福を感じていた。
今まで、辛かったからだ。
すごく、すごく辛かったからだ。
エンジニア部が大怪我をおって。
ミドリが死んで。
モモイがいなくなって。
ユズとアリスが自殺して。
エンジニア部も自殺した。
先生がいなくなって。
みんなで探して。
見つからなくて。
■■が自殺した。
キィ……キィ……と揺れる身体は、とても心地がよかった。
苦しさなんて、感じなかった。今日この日までに、嫌という程感じてきたから。
もう、どうでもよかった。
もういまさら、どうにもならなかった。
やっと終われる。
その開放感しか無かった。
だから、ユウカは……
「──何をしているんですか!! ユウカちゃん!!!!!」
「──えっ、きゃあ!!」
ドスン、と尻もちを付いて、床へと落ちる。
お尻を擦りながら、ゲホッ、ごホッ、と今更ながらに喉の痛みと苦しさが襲ってきた。
けど、そんな事はどうでもよかった。本当に、心の底からどうでもよかった。
だって、今の声は──
「────ノアッ!! 来てくれたの!?」
そこには、誰もいなかった。
「……………………ははっ」
ユウカは、手をきつく握りしめた。
血が出るくらい、きつく握りしめた。
そうだ。何だ。私は一体何を言っているんだ。
だって、
だって、ノアは。
1週間前に……
重力に負けた訳ではなく、明らかに何かで“切られた”ロープを見て。
「───なんで、なんでよ……! のあぁぁ……っ!!」
──あなたは、私を置いて死んだくせに。
──あなたは、私には死ぬなって言うの?
ユウカは、ロープを握りしめた。
その切り口を、強く、強く握りしめた。
なんで、勝手にいなくなっちゃったのって。
なんで、今更になって私を助けるのって。
そんなの、望んじゃいないのに。
今更助けるくらいなら、ずっとそばにいて欲しかったのに。
あなたも先生もいない世界に、もう希望なんてあるはずないのに。
それなのに、あなたは、まだ私に苦しめっていうの?
あなたは、そこまで私を追い詰めるの?
「ぁぁああああ゛あ゛……っっ!!!」
ユウカは、何度も、何度も床を叩きつけた。
うずくまって、慟哭して、私が愛した、私を置いていった人達への怒りを込めて、何度も床へ拳を振り下ろした。
この矛先の分からない怒りを、どうやって消しさればいいのか分からなかったから。
血が滲んで、骨が折れて、腫れ上がってもそれでも手をとめなかった。
「なんでっ! なんで! 、なんで、なんでっ、なんで!!!」
強く、叩きつけた。
拳を、強く握りしめた。
…………。
…………ノア。
……………………先生。
──ユウカは、立ち上がった。
その目は虚ろで、未だに光を宿していない。
それでも、ユウカは立ち上がって。
──シャーレの執務室の机を、思いっきり蹴飛ばした。
「………………………………………………」
ガシャン、と大きな音を立てて激しく吹き飛ぶ執務机。
その上には先生が大事にしていた、フィギュアとか、仕事に使うPCのモニターとかが沢山乗っていた。
それらもまとめて、全部、ユウカは吹き飛ばした。
けれど、ユウカはまだ止まらない。
「──先生が、悪いんですからね……」
──バキバキと、音を立てながら椅子を2つに引き裂いた。
だめ。まだまだ収まらない。
──ガシャン、と窓を叩き割った。外から寒い空気と雪が入ってきた。
まだ。まだ収まらない。
──ドゴンッ、と壁を突き破った。もう壊れかけていた拳がさらに痛い。
けれど、まだ収まらない。
まだ。まだだ。まだ収まらない。
──結局。ユウカが止まったのはここにある全ての物を破壊し尽くした後だった。
「先生……全部、貴方が悪いんです……」
その顔は俯いて、表情はまるで読めなかった。
「ノア……あんたも、人の気も知らないで……」
その声も、抑揚なく淡々としていてその感情も読めなかった。
「2人とも、私にばっかり押し付けて…………」
震える手は、爪がくい込んで血が滲むほど強く握りしめられていた。
「いいわよ……そんなに好き勝手皆やるなら、こっちだってやってやるわよ……」
ユウカは、そう言うと左右に纏めていた髪を勢いよく振りほどいた。
そして、床に転がっていた割れた窓ガラスの破片を拾う。
そして──躊躇なく、思いっきり髪を切り裂いた。
そして、
そのユウカの目は──
「──全部ッ! 全部全部、全部ッ……!! 私が、全部何とかしてやるわよ……ッ!!!」
「──だから、あんた達は黙って見てなさい!! ──私は、もう!!!」
光が、灯されていた。
「絶対に、諦めないから────ッ!!!」
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ここからは、全てを取り戻す、光の物語だ。
─────────────────────
──ミレニアムサイエンススクール。
キヴォトスで最も最新の技術が集まる学校。
その中にある奥まった、もう誰も寄り付かなくなって久しい部室棟。
設備は、充分。しかし、驚く程に人の姿がない。
どんなに優秀な機械も、人の手がなければそれは錆びる一方だ。
果たして今のミレニアムに、どれだけ優秀な人が残っているのだろうか。
そんな事は、しかし今のユウカにはどうでもよかった。
何人いようが、それは同じこと。──あの人がいる限りは、それは百人力にも二百人力にもなるだろう。
だから、ユウカはここへと足を運んだのだ。
ヨレタ制服を着直して、ネクタイを占め、その足取りは軽くは無いが強かだった。
もう、ユウカは迷わない。
絶対に、立ち止まる事を諦めない。
なぜなら、
「──全知! いますか!?──力を貸してください!!」
「うるさいですね。お帰りください太もも怪人」
その言葉を無視して、ズカズカと許可なく上がり込みこちらに視線すら向けない全知こと明星ヒマリへとユウカは近づく。
今のユウカに遠慮は無い。そういういらないもの達は、全部あの場所に捨ててきた。
必要なのは、意志と、覚悟と、勇気だけ。
それらを持っている人を、ユウカはずっと近くで見てきたから。
「──全知」
ガシッ! とユウカはヒマリの頭を掴んだ。
ヒマリは話しながらも常に動かしていた手をようやく止めて、無礼な女へとその鋭い視線を向けた。
──その目は、ドブ川を流れる水のように濁っていた。
「……なんですかこの手は? まさかそのバッサリ行ったイメチェンを見て欲しいとでも? 殺しますよ、帰ってください」
「私、さっき言いましたよね? 力を貸してくださいと。まさか耳まで遠くなったんですか? 貴方は」
その失礼な態度のセミナーの二年生は、一切ヒマリに怯むことなく無遠慮に言い返してくる。
今ここにはエイミはいない。彼女には外を調べに行って貰っている。
故に、この女は1人で追い返さなければならない。
ヒマリはユウカに向き直って──
「私は、もう絶対に諦めません」
「……何を」
「先生の死体をこの目で拝むまでは、私はもう二度と後ろを振り返りません」
「…………」
ヒマリは、目の前の女の“覚悟”を正面から浴びていた。
その“自信”に溢れる目を見て、ヒマリはあ、昔は私もあんな目をしていたな、と思った。
時折、ブラックアウトしたモニターに映る自分の酷い顔を見て、こんな姿を先生が見たらどう思うだろう、何て最近はずっと考えていた。
「貴方は。貴方だけは今までもただの1度も諦めていない」
「当然です。私は至高の──」
「私は……一度、諦めました」
「…………」
ヒマリは口の端をヒクつかせながら、しかし何か不思議なものを目の前の少女に感じた。
それは、下手をすればこの私ですら到達し得なかった領域。
しかし、まず間違いなくユウカよりも私の方が賢かった。
ユウカよりも、私の方が可愛かった。
ユウカよりも、私の方が頼りになった。
なのに、
「だから、1番に貴方を頼りに来ました」
「私は、絶対に先生を見つけたいから……」
「その為なら、私はなんだってする」
「子供だから駄目なら。子供だから上手くいかないのなら」
「私は───大人になる」
「私は今日から、ユウカ先生になります──!!」
ヒマリは確かに、ユウカの中に先生を感じた。
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書類の束から一枚とって、それをパッと見てからその隣に置く。
見ては、置く。
見ては、置く。
ただその作業の繰り返し。
その繰り返しの作業の中──ユウカはふと思った。
あれ、これやる必要あるか? と。
「──ちょっとヒマリ、本当にこれ意味あるの?」
「意味があるかは分かりませんが、私の邪魔にはなりません」
その言葉にカチンと来たユウカは、ヒマリにそろりと近づいて、後ろから抱きついてそのほっぺたをこれでもかと伸ばした。
「あ! な! た! は! そもそも全然寝てないんだから休みなさいって言ったでしよ!?」
「ふぁ、はなふぃなふぁい!! ぷぁっ! ──私の1秒は、このキヴォトスで最も至高な1秒なんですっ!! それが原因で先生が助けられなかったら貴方は責任がとれますか!?」
「それで倒れたら元も子も無いじゃない!! 貴方そんな姿先生に見せられるの!?」
その言葉にヒマリはぐっ、と詰まる。
おかしい。この目の前の少女──自称“先生”(笑)が来てから、ヒマリは若干……いや実の所かなり押され気味だった。
「貴方には大変すごくとてつもなく関係の無い事です」
「有るわよ。今の私は先生なんだから」
「辞めてくださいそれ、虫唾が走ります」
「貴方が全知とか高嶺の花とか言うのやめたら辞めるわ」
「不可能です。それは事実ですから」
「でしょうね。だから私もよ」
「貴方のそれはどう足掻いたところで事実にはなりません」
「今から事実にするのよ。言ったでしょ、何でもするって」
「…………」
まただ。また、押し負けた。
絶対におかしい。目の前のバカユウカに全てにおいて勝っていると言うのに、私は後一歩勝ちきれずにいた。
それは──大人だから?
いや、それこそ何を世迷言を。他でもない、先生をよく知る私がそれを認める訳には行かなかった。
「ともかく。私の邪魔はしないでください。それに、貴方の手を借りるくらいならPCをひとつ増やした方がまだマシです」
「なら最新のPCを後3つ用意するわね。代わりに今からお昼寝よ」
「──はぁ? 何を貴方は……」
「ほら、こっち来て!」
「あっ、ちょっと!?」
ヒマリはユウカに無理やり腕を引かれて、車椅子から引きずり下ろされた。
そして、ソファに座るユウカ。その太ももに、ヒマリは無理やり膝枕させられる。
「……何を強引な。仮にも私は病弱美少女ですよ?」
「わかってるならちゃんと寝て、ちゃんと食べて、後お風呂も入って。……先生にすごい顔されるわよ今の貴方」
「………それは言わぬが花ですよ」
「楽しみにしてなさい。今晩私がいれてあげるわ」
そこまでは絶対にやめてください!
そう言おうとして起き上がろうとしたヒマリの頭を、しかしユウカは無理やり押さえつけた。
ヒマリは頭を抑えられ、しばらくは抵抗していたがその非力さも相まってすぐに力尽きて諦めた。
ここに来て、病弱設定がちゃんと悪い意味で働いた結果である。
「はぁ……何がしたいんですか貴方は……」
「今は、貴方の心配よ」
「なぜ」
「それは、私は先生だから♪」
頭を撫でてくるユウカの手を、ヒマリはぺしっ、と払い除ける。
けれど、何度弾いてもまた撫でてくる。ヒマリは段々抵抗する気も無くなってきて次第に、そして最後はされるがままになっていた。
「いいでしょ、私の太もも」
「太いですね」
「しばくわよ」
「……ふふ」
「……んっふっふ」
ヒマリは──こんなに暖かいものに触れたのは何時ぶりだろうかと思い出す。
先生がいなくなって。頼りなく騒ぐだけの何の役にも立たない連中をすぐに切り捨てて、ヒマリはこの部室へと篭った。
電子の海はヒマリ1人で充分だからと、エイミには外を物理的に捜索してもらって、エイミが買ってくる携帯食料を齧るだけの毎日。
私の天才の頭脳を持ってしても、この4ヶ月間私は先生の痕跡を見つける事は出来なかった。
時期的に、あの事件が関わっている事は間違いない。
あの監視カメラに写った“様子のおかしいモモイ”。
あれは、間違いなく先生に関わっている。
しかし、ヒマリはその事をエイミにしか教えていなかった。
どうせ、教えたところで無駄だから。
多分、あれに会ったところですぐに殺されておしまい。
だから、ヒマリはずっと1人で戦ってきた。
少しずつ、先生のいない世界に誰かが狂っていく中で、ヒマリはただの1度だって諦めなかった。
それが、天才として生まれた自分の責務だと信じて。
「あなたはね、子供のくせに色々と背負おうとしすぎなの」
「……」
「貴方は体も弱いんだから、無理しない程度で手伝ってくれればそれでいいのよ」
「……………」
「1人で抱え込まないで、私を頼りなさい。大丈夫よ、だって私は先生だから」
「…………………………」
だから、こんなに暖かいものを、ヒマリは忘れていた。
これは、先生がくれたものと酷く似ていた。
それは、とっても残酷なことであり。
今まで走り続けてきたヒマリへの、唯一の救いでもあった。
「………………………ぅ……………」
「……がんばったね。ありがと、ヒマリ」
「………ぅぅ…………ぁぁっ……!」
ヒマリは、声を押し殺して泣いた。
ユウカは、ただその子供を優しくあやし続けた。
───────────────────────
あれから、1週間が経った。
年をまたいで、未だに寒いながらも新年を迎えた事実はユウカの身を引きしめた。
いつもの制服の上に、鼠色のコートを羽織る。そして、ノアが使っていたマフラーを巻いた。
遺品を勝手に漁るなんて、本当は絶対ダメなことなんだろうけど……それでももう、わたしは勝手にやるって決めたから。
それに、私の絶望を無理やり止めたんだから、これくらいは譲って貰ったって良いだろう。
さあ、新年一発目。いざ気持ちを切り替えていこうと、ユウカはふと玄関の鏡に映った自分の姿を見て、少し笑顔の練習をしてみた。
よし、今日もかんぺき〜!
そうして、ユウカは自室を出る。その足取りは軽く、最近甘えてくるようになったあの人の元へと早足でかけて行った。
そして、
「──今日も来たわよ! さあ、やりましょう!」
「──いにしえのォ〜、歌ァっ、をっ、とどけぇって〜!」
「…………、何をしているの?」
「あっ」
特異現象捜査部にて、扉を開けると全力で演歌を歌うヒマリが居りユウカは思わず頬を引き攣らせた。
「あっ、いや、これはその、新年歌い始めと言いますか……」
「いや、まあいいんだけど……」
「──ええい! タイミングが悪いですねユウカ
「ごめん……いや、毎日この時間に来てるんだから……」
ユウカは頬をかきながら、部屋に入ってテーブルに荷物を置く。逆ギレはごめんだが、それでも随分明るく、そして健康的にもなってくれた事には純粋に嬉しく思った。
そして、
「あ、先生。やっほ」
「あ、エイミ! ありがと、ヒマリのお世話してくれてたの?」
「ちょっと、その言い草は何ですか? このキヴォトスに咲く高嶺の花、明星ヒマリが全キヴォトス人をお世話していることに気がついて居ないのですか?」
「そんな事言うともうお風呂入れてあげないわよ」
「それはっ……! あ、いえ! 別にいいのですが! そもそも私頼んでないですしっ!」
「へぇ、じゃあいいの?」
「…………………………別にいやとは言っていませんが」
「よろしいっ」
「ちょっと見ない間にどんどん進展するねー」
よしよしと逃げ回るヒマリの頭を撫でながら、ユウカは今はこのひと時を謳歌する。
先生やノアが居ないのは寂しいけど、それで全部が終わったわけじゃない。
その事に気づかせてくれたのは、他でもない私の親友。
あの時、ノアが助けてくれなかったら私は……。
…………………………のあ。
「せ、先生? ……何故、泣いているのですか?」
「……部長、もう少し素直になった方がいいんじゃない?」
「っ、ご、ごめん! なんでもないから! ほ、埃が入ったみたい!」
あはは……と笑って、すぐに袖で拭って誤魔化す。
しまった、生徒にかっこ悪いところを見せてしまった。
……こんなんじゃ、ダメだな、わたし。
……これじゃ、まだまだ先生には遠く及ばない。
「──よし、じゃあ今日もやっていくわよ!!」
「はーいせんせー」
「……まぁ、仕方がありませんね。今日も全知の力をお貸ししましょう」
私の掛け声で、ヒマリが、エイミがそれぞれの配置に付く。
エイミは既に買い出しを済ませて来た後の様で、今から外へ調査に行く為の準備を初める。ヒマリは、この部屋にある全てのパソコンを遠隔操作で起動した。
そして、私はと言うと──
あいも変わらず、只管に書類をめくっていた。
ぺら、ぺら、ぺら、と。
書類の山を切っては投げ切っては投げ。
──しかし、しかしだ。
なんと、これにはちゃんとした意味が実はあったのだ。
というのも、ヒマリが言うように電子上の捜索は正直彼女1人で充分だった。
充分すぎるくらいには充分というか、むしろ彼女の横で何かを操作するとなると私程度の実力ではノイズにしかならなかった。私が手伝うよりPCを増やした方がいいと言うのは、嫌味でもなんでもなくただの事実だった。
故に、情けでは無くちゃんと私が役に立てる事を探した。
そして、それはこの報告書の束に目を通す事だった。
「うーん、アビス捜索記録2023.11.20……少し古いわね。一度こっちでも捜索しようかしら」
「私の出番?」
「いや、流石に1人は危ないから駄目よ。タスクに入れて置く位でいいわ。優先度は一先ず低そうだし」
「そっか」
ヒマリは、例の事件からずっと電子上を捜索し続けた。
そして、エイミ以外との関係を全て断った。
それは、どうせ役に立た無いと判断したから。全知が本気を出した時、それについていける存在は今このミレニアムにはただの1人も存在しなかった。
ヒマリと嘗てしのぎを削った、かのビッグシスターなら、或いは。しかし、彼女は行方不明。結局、ヒマリは1人である事を選択した。
そして、ヒマリは自らが関係を絶った、それら“凡人”達が残していった報告書に一切目を通していなかった。
どうせ、役に立たないと。
どうせ、見たところで意味は無いと。
仮に、“ここには絶対に居ない”と報告書に書かれていたところで、ヒマリは自分で調べて結論を下すまでは絶対に信用しない。
だから、もしヒマリが読むとすればそれは“発見”の報告書だけ。
故に、この放置されまくった凡人達の成果に、しかしとユウカは目をつけた。
その見を通される事無く捨て去られた報告書に、ユウカは片っ端から目を通していく。
その速度は流石セミナーで研鑽を積んできただけあって、恐るべきものだった。
凡人が見れば本当に読んでいるかも怪しむような速読。
しかし、当然ユウカはちゃんと目を通して、その内容の意味も頭に落とし込んでいる。
めくって、読んで、置いて、めくって、読んで、置く。
すると、ユウカは机に頬杖を着きながらこちらを見つめるエイミと目が合った。
「………………な、なに?」
思わず手を止めて、こちらを見ていたエイミに視線をやって、そして見つめ合う。
そのたわわな胸が机に押しつぶされていて、それを見てもしや喧嘩を売っているのかとユウカは邪推した。
けど、当然違くて、
「いやー、ユウカはよくやってると思ってさ?」
そう、にへーっと笑顔で言うエイミに、ユウカ一瞬言葉に詰まって。そして、彼女のおでこをピンっと弾いた。
「あいたっ」
「……バカ言ってないで、貴方も外、お願いね」
「はーい、せーんせー」
荷物を持って外に出ていく後ろ姿を見送ってから、ユウカは自分の頬をペチンと叩いた。
私は何をやってるんだ。生徒に心配されて、慰めてもらうなんて……普通立場が逆だろう。
エイミは、きっと私が泣き出した事を気にして、変に気遣ってくれたんだと思う。
優しい子。私が守らなきゃ行けない、私の生徒。
「よしっ!」
ユウカは再び書類を捲る。
頬を赤く染めながら、しかしどんな手がかりも見逃さない。
どんな無理難題も、不可解な現実も、全部因数分解して解き尽くしてやる。
もう、絶対に諦めたくないから。
もう一度、先生に会うために。
──そして、ユウカは1枚の便箋を見つける。
「…………?」
真っ黒な背景に白色の亀裂が入った、少しホラーチックな異質な封筒。
報告書を入れるには少し不適切な見た目に、しかしユウカはそれが逆に気になって手に取った。
「なんだろ、これ……」
封筒を開ける。中に入っていたのはたった1枚の紙。
しかも、そこに書いてあったのは、たったの2行。
それは───
“協力しなさい”
“先生より”
「──せん、せい……?」
その、自分が発した言葉にドキリとした。
先生からの、手紙?
何で? どうしてここに? 協力って、誰と?
理解出来ない事態に頭の中が混乱する。
手が震えて、とてもじゃないけど冷静じゃない。
けれど考えるよりも先に、ユウカの体は動き出していた。
やっと見つけた手がかり。その小さな光を、見失わないように。
全てを取り戻すぜ!オラ!
ヒマリが歌ってた演歌は作者が適当に考えたのであしからず。